神々の昔話(前編)
翌朝。
「キュオーン!」
キャノンボールライノスのリノと、朝の散歩がてら樹海の薬草や果物を採取して帰宅した。しかし、リノはまだまだ元気いっぱいで、屋敷の周囲を駆け回っている。
「リノ、まだはしゃいでるな。やっぱり樹海の方が住みやすいのかな?」
「気候は特に問題なかったけど、こっちの方が思いっきり走れて楽しいって」
「そうか……やっぱり、ディメンションホームの中じゃせまかったか」
「ん~、リノは樹海の外でもそんなに怖くないみたい。一度慣れたら、もう気にしないで出してあげていいと思う。人の多いところはまだちょっと怖いかもしれないけど、リョウマが管理してる土地なら他人は入って来ないし、大丈夫じゃない?」
「そうだな。今後はそうしよう。あと、ここにいる間はずっと外で自由にさせておくよ。敷地内なら大丈夫だよな?」
「ラプターとかが入ってきたら眠らせるか追い返すし、もしリノが敷地の外に出ていったらすぐリョウマに教えるよ。リノはまだ子供だけど、この辺では強い方の魔獣だからすぐに助けに行けば大事にはならないと思う!」
リノの様子を倉庫の扉越しに眺めていると、出会った時に戦ったリーダーを思い出した。あの巨体と鎧のような皮膚と体毛、それらを併せた突進の威力。あれはグレンさんの協力がなかったら、もっと手こずったことだろう。
「はい、これで最後だよ!」
「ありがとう、これでひとまず薬草の保存処理は完了」
「これで本にあった薬が作れるね!」
昨日はコルミに手伝ってもらったことで、祖母の残した書物の整理が一気に終わった。コルミが言っているのは、薬品のレシピ集のこと。研究資料などは読み込むために時間が必要だが、レシピ集は薬の用途と製法のみがまとめられていたので、さほど時間はかからない。
特に祖母が樹海に移住してから研究して生み出したと思われるレシピ集には、軽く目を通しただけでも有用な、未知の魔法薬が多く載っていた。
例を挙げるなら“集湿薬”。これは空気中の湿気を集めて凝結させることで、周囲の湿度を下げる丸薬。俺がスノースライムとアイススライムを除湿器の代わりにしていたように、祖母はこの丸薬を使って湿度の多い樹海での生活を改善していたようだ。
他にも貴重な文献や古い文書をなるべく良い状態で保存するため、薄く塗布することで紙を湿気や虫から防ぎ、書かれた文字をにじまないようにする“乾彩液”。泥に混ぜ込むことで地面の泥沼化や土砂流出による地盤沈下を防止する“脱水粉”等もある。
しかも本を整理して分かったことだが、どうやら祖母はかなりマメな性格だったらしい。なんとレシピ集に載っていた薬には、その薬を開発するまでの過程や実験記録が全て研究資料としてまとめられ、別途で保管されていた。
この研究資料は、レシピにある薬を作るだけなら無用の長物。だが、薬の研究や新薬の開発を志す人間にとっては最高の教材であり垂涎のお宝だろう。俺はそこまで高い志は持っていないが、それでも非常に興味深く感じる。
チラッと読んだだけでも新薬開発に応用できそうな内容が沢山あったし、すぐにでも実験を始めたい……けどその前に、
「それじゃ、俺はちょっと出かけてくるから」
「こっちでは一瞬なのに?」
「それもそうか」
コルミと笑い合いながら、アイテムボックスから神器の本を取り出す。神界に行くために必要な魔力が溜まったので、新鮮な果物のおすそ分けがてら、コルミを呼ぶための呪術に成功したことを報告に行く。
本に魔力と意思を込めると、いつもの光に包まれる。今日いるのは……おや? なんだか久しぶりに感じる面子だ。
「よく来たのぅ」
「おはよう、リョウマ君」
「そろそろ来ると思ってたわ」
ガイン、クフォ、ルルティアが出迎えてくれた。その後ろには大きなちゃぶ台で静かに紅茶を飲んでいるメルトリーゼに、塊のようなステーキを食べながら右手を上げているキリルエル、そしてぐったりと突っ伏したセーレリプタの姿もある。
「食事中だったのか。申し訳ない、けど丁度良くもあるか? 今日はついさっき樹海で採れた果物を持ってきたんだ」
「おっ! 丁度デザートも食べようと思ってたところなんだ」
「丁度って――いつの間に」
キリルエルの前にあった皿からステーキが消えている。目を離したのはほんの一瞬なのに、なんという早食い……人間にはどうやっても無理だが、神様ならそういう事もあるのだろう。
とにかくアイテムボックスから果物を盛った籠を出すと、籠はするりと俺の腕の中から離れてちゃぶ台の上へ。さらに中からいくつかの果物が浮かび上がり、勝手に皮が剥かれてから、いつの間にか現れていた大皿の上で切り分けられる。
そんな不思議な光景を横目に俺は、いつものように席に着いてお茶をいただいた。
「美味」
「うん! 流石に今朝採れたばかりの果物はみずみずしいね!」
「樹海の果物なんて久しぶりだわ。わざわざありがとうね」
「そうじゃ、この前もゴブリンと作った酒を置いていってくれておったな? あれも美味じゃったよ」
「楽しんでもらえたなら良かった。いつもお世話になってるから、あのくらいならいつでも持ってくるよ」
そのままもう一つの目的であるコルミのための呪術を無事に編み出せたことも報告すると、神々からは“まぁ、そうだろうな”という反応が返ってきた。
「やっぱり、皆には想定内だったのか」
「当然。貴方に呪術が向いていることは、最初から分かっていた。考えうる習得条件も全て十分に満たしていたから、できない要素はほぼない」
「メルトリーゼは最初からそう言ってくれてたもんな……俺も実際に学んでみて分かったけど、唯一つまづく可能性があるとしたら“目的に沿ったイメージが作れるか”という点で、そこさえ乗り越えたら他の魔法より習得は簡単に感じた。
コルミのための術に関しても、メルトリーゼの言葉通り、俺の知識の中に最初からあった概念の組み合わせでどうにかできたし」
「それが呪術。理屈ではなく、感情を用いて想念を現実に変える力。使う感情が強ければ強いほど、実現できることは多く、強力な術になる。既に何度も教えられたと思うけど、感情の制御を誤れば容易く暴走する。汎用性が高くて強い力だからこそ、扱いには気を付けて」
幼い容姿に見合わない落ち着きを見せるメルトリーゼ。その視線は決して否定的なものではない。しかし、真剣でどこか探るようなものも感じる。他の皆も同じだ。
「気を付けるよ。まだ学び始めて間もないけれど、呪術の汎用性と強い力であることは実感した。コントロールの難しさも」
「それでいい」
「リョウマは前世のあれこれがあるから、なんだかんだで制御を誤る可能性は低いだろうしな」
キリルエルがメルトリーゼに続いて肯定的な意見を口にしたが、若干歯切れが悪いように感じる。ハッキリと物を言う彼女にしては珍しい気がするが、この空気感は前にも感じた。
「ひょっとして過去の転移者に呪術でやらかした奴がいたりした? この前も死霊術の話になった時に、好き放題やった奴がいたと聞いたけど」
「なんだ、知ってたのか?」
「いや、詳しく聞いてはいない」
あの時は他に話さなければならない話があったし、ガイン達が話しづらそうだったので、すぐ別の話に移行したのだ。だから、本当に好き放題やった奴がいた、としか聞いてない。
「そんな話もしたのぅ。ちなみに、死霊術の子と同一人物じゃよ」
「あ、そうなんだ……この際だから聞くけど、それってマサハル王と同時期に来た奴だったりする?」
俺がそう尋ねると、ガイン達は軽く驚いたようだった。そしてルルティアが口を開く。
「よく分かったわね?」
「確信はなかったけど、そもそもこんな風に皆が言い淀む事の方が珍しいからね。俺が聞いたことのない転移者も沢山いるだろうけど、皆の反応から“あまり進んで話題にしたくはない相手”って事は分かったから」
俺が最初に教会に行った時にガイン達から“転移者は1つの時代に原則1人”、“戦争で世が荒れて急遽呼び寄せたから、例外的に2人いた時代もある”と聞いた覚えがある。さらにこの戦争中に呼ばれたのはエリアのご先祖の魔法無双、つまりマサハル王のことだ。
「マサハル王の名前を聞いたのは比較的最近だけど、魔力特化で魔法無双の転生者の話は、エリアのご先祖ということもあって、わりと話題になってたと思う。その割に、同時期にいた転生者の話は欠片ほども出てきた覚えがなかったから」
「僕らが話すのを避けてる、ってことで繋がったわけか。確かに無意識に避けてたかも。推理というには穴が多いけど、それでもしっかり当ててくる……本当にリョウマ君って、たまに妙にカンが鋭い時があるよね」
「別に儂らは詳しく話してもいいんじゃが、のぅ?」
「あの野郎は本当に色々なところで滅茶苦茶してくれやがったからね。話をしようにも何から話せばいいか困るんだよなぁ……」
「気分の良い話じゃないし、たぶん話し始めたら愚痴になるわよ?」
「同意。だけど悪例を悪例として示すことに意味はある」
クフォ、ガイン、キリルエル、ルルティア、メルトリーゼ……皆揃って難しい顔になってしまう。普段温厚で気前よく教えてくれる皆にこれほど疎まれるとは、一体そいつは何をしでかしたのだろう?
正直、心の底から気にはなるが、嫌な思いはさせたくない。俺が最初に過去にやらかした奴がいたか? なんて話を振らなければよかったのか……と思い始めた時。堅苦しく真剣な雰囲気を破ったのは、セーレリプタのうめくような言葉だった
「それより、先にリョウマ君の呪いの処置をしたら……?」
「セーレリプタ、起きてたのか」
「そもそも寝てないよぉ……声をかけてくれたら返事はするつもりだったのに、僕にだけ声をかけてくれないんだから」
「寝てると思って。それなら邪魔するのも悪いし。なんか前世の職場でよく見た同僚の姿に似てたから」
あそこは隙あらば睡眠を取らないと体が持たない職場だったから、寝てる奴は起こさずそっとしておくのが基本だったのだ。
「まぁ、それは置いておくとしてぇ……リョウマ君の魂も次の処置をしていいくらい落ち着いてるし、僕らも集まってるから時間もあるし、ちょうどいいタイミングなんじゃない? あの子について話すかどうかは、処置をしてる間に決めればいいでしょ?」
「確かに、セーレリプタの言う通りじゃな」
「効率的。セーレリプタの案に一票」
「たまにはまともな事を言うじゃないか」
「たまにはって、最近僕の扱いが酷いなぁ」
「神のルールに抵触するスレスレのやり方でリョウマ君に手出ししたりしたからじゃないか」
「それ以前から貴方は、そもそも言動が怪しいのよ」
「リョウマ君~! 味方がいないよ~!」
「そこで俺に助けを求められても」
セーレリプタはちゃぶ台に突っ伏したまま、本気なのかウソ泣きなのか分からない声を上げる。しかし、それでも皆には放置され、淡々と今後についての話が進む。
その中で俺には“これから処置をしてもいいか?”という意思確認があったので、もちろん処置をお願いした。すると目の前にあった一切合切が消失し、代わりに柔らかそうなシングルベッドが現れる。
「今回もよろしくお願いします」
ベッドに横になると、たちまち心地よい眠気に誘われる。
俺は眠気に逆らうことなく、そのまま意識を手放した。
■ ■ ■
「おはよう? でいいのかな」
「目が覚めたようじゃな」
「気分はどうかしら?」
「今回で3回目の処置だけど、一番気分がいい」
質のいい睡眠がしっかり取れた日の朝のような、スッキリとした目覚めだ。
「3回目だからね。少しずつ処置の方法をリョウマ君に合わせて調整できてきたからだと思うよ」
「リョウマの魂も処置に慣れてきた、ってのもあると思うけどな」
自分の魂の感覚については自覚できないが、そう言うものなのだろう。なんにせよ、気分が良くて困ることはない。
「リョウマ君も元気そうだし、残りの時間で例の話をしましょうか」
ここでルルティアが手を振ると、ベッドが消えて先程と同じ状態のちゃぶ台が戻ってくる。どうやら皆は、例の好き放題した転移者について、話してくれるようだ。
「そんなに硬くならず気楽に聞いておくれ。気分のいい話ではないが、そもそもの原因は転移者ではなく、儂らが彼をこの世界に呼んでしまったこと。つまり儂らの失敗じゃ。既に終わったことでもあるので、ただの昔話じゃよ」
話したくないことをわざわざ話してくれることに、自然と背筋が伸びていた俺に対し、ガインはそう前置きをして続ける。
「件の転移者はリョウマ君の予想通り、“暴君”と呼ばれたマサハルと同時期にこの世界に呼ぶことになった子でのぅ……彼は“勇者”と呼ばれておった」
本日、2話同時投稿。
この話は2話目です。




