大人達の密談
本日、3話同時投稿。
この話は2話目です。
「おっと」
倒れ込むリョウマの体を、ちょうど背後に立っていたミゼリアが支えた。
「一瞬で寝ちゃいましたね」
「薬の効果もありますが、本人の疲労も大きいと思いますよ」
「平気そうな顔していたけど、かなり参っていたみたいだからね」
「リョウマがスライムを後回しにするとこにゃんて、初めて見たにゃ」
「普段のオーナーさんなら“すぐ済みますから、ちょっと確認してから飲みます”とか言いそうだものねぇ……」
「普段のリョウマ様の行動からすると、異常事態と言っていいかと」
ここで、リョウマがどれほどスライムの研究に力を入れているかを知っている面々……まだ出会って日が浅いローゼンベルグとエレオノーラの2人以外が深く頷いている。
「あの……ローゼンベルグ様は大丈夫ですか? 監督中、随分と気が張りつめていたように見えましたが」
「エレオノーラ嬢はよく観察されていますね」
ローゼンベルグはリョウマの訓練中、事故防止のために自らの術を使って様子を探っていた。もしも途中で術が暴走するか、無理をしすぎてリョウマが力尽きるようなことがあれば、素早く助けに入るために。
しかし、ここで予想外のことが起きた。ローゼンベルグが術を使った際、普段よりも明確に対象となる術と、術者であるリョウマの情報が流れ込んだという。
「彼の術と魔力に当てられたのだと思います。私の術は対象の魔力から仔細を分析・把握するものですので、いざという時のためにリョウマ君の術を普段よりも注視していたこと、あとはリョウマ君の使った魔力が多かったのが原因でしょう。
酷く疲れてかすんだ目で見ているようでしたが、他者の術を景色や音として感じるのは初めてでした」
「それは、問題ないのですか? ローゼンベルグ様も休まれた方が良いのでは」
「あの感覚に身をゆだねていれば、彼のイメージに引きずり込まれていたと思います。しかし、幸いそうなる前に思わず逃げてしまいましたので」
今思えば正解だったとローゼンベルグ様は続けた。
ここでユーダムがその言葉にかすかな“怯え”が含まれていることに気づき、尋ねる。
「一体、何が?」
「分かりません。明瞭なことは何ひとつ……例えるなら黒いインクの濃淡のみで描かれた絵画、あるいは影絵のようなもので、輪郭も曖昧でしたが……暗い地面から暗い空に向かって伸びる長い線。それと比べて著しく短くて細い、粒のような線。
小さい線は絵の中、長い線の間を縦横無尽に行き交っているようでしたから、おそらくは人。長い線は建物……王都をはるかに凌ぐ大都市のように見えました」
「王都を凌ぐ大都市……アタシらも王都は前に仕事で行ったことがあるけど、あれを凌ぐ街なんて想像できないねぇ」
「あくまでもイメージですから、必ずしも現実に即しているとは限りませんよ。リョウマ君の故郷は樹海ですから、実際は建物ではなく木々なのかもしれません。問題はその間で蠢く無数の人々……彼らからリョウマ君へ、様々な悪意が向けられているように感じました。
それぞれが自分の不満や不幸、良くないものを押し付けて肩代わりさせているような、普通の人間なら一生をかけても身に受けることのない、底知れない悪意……悪意の集まる流れにどこか意図的なものを感じました。もしかすると、リョウマ君は呪術師の生贄として育てられていたのかもしれません。
セバス殿、リョウマ君は孤児という事でしたが、かつての保護者は信頼できる人間だったのでしょうか?」
不意に話を向けられたセバスは一瞬考えて、深く頷く。
「リョウマ様を育てたという祖父母については、疑う必要はないと思われます。リョウマ様からも冷遇されていたという話は聞いていません」
「であれば、祖父母に引き取られる前のことですか……いえ、これはあくまでも私が感じたことからの推測。確証もないのに、あれこれ言うべきではありませんね。
ですが、それほどにあの術に込められた負の感情は強く、暴走する一歩手前のものでした。監督する身としては失格ですが、あれは想定外です。一応、想定外の結果を想定していたつもりですが、さらに上を軽々と越えて行かれてしまいました」
ローゼンベルグがリョウマの術の評価を口にすると、ジェフが一歩前に出た。
「おいおい、そんなんで大丈夫かよ……口を挟んで悪いが、リョウマの立場が悪くなることはないのか? 俺は呪術に関しちゃ素人だが、横から見ているだけでさっきの術、負の感情か? どっちにしてもヤベェのは肌で感じた。
おまけに専門家が想定外とか、それだけで危険視されるんじゃねぇか? まさか、いまさら“こいつは手に負えない”とか言わないだろうな?」
「ちょっとジェフ、あんたなに喧嘩腰になってんだい」
ジェフはローゼンベルグだけでなく、貴族の面々へと視線を向ける。その目は単なる興味本位の質問ではなく、問いただすような厳しいもの。しかし、ローゼンベルグは怯むことなく真っ直ぐにジェフを見据えて答える。
「これは私の言葉が過ぎましたね……今回リョウマ君は最後まで術を制御できていました。どうやら負の感情に対する自制心はかなり強いようで、普段から問題行動を起こしているわけでもありません。
あっという間でしたが、リョウマ君は既に立派に呪術師を名乗れるだけの実力がありますし……彼が求めるならば、呪術師の権利を守るカーシェル公爵家からも積極的に支援を受けられるでしょうから、彼の立場と安全は保障できます。
尤も、彼は既にジャミール公爵家の庇護下にある。加えて彼の意思を無視して環境の変化を強要するのは、現状で安定している彼の精神を崩す可能性もある愚策だと考えられます。
これらの理由から、呪術師としての返答は“悪事を働かない限り”彼の意思は尊重されます、ということになります。ただこれはあくまでも私の、呪術師としての見方ですので、ジャミール公爵家としてはいかがでしょうか? セバス殿」
「何も変わりません。リョウマ様にどのような過去があろうと、どれほど危険な呪術が使えようと、リョウマ様のお人柄がこれまで通りであるならば、これまで通りの支援と関係を続けます。これは現当主であるラインハルト様が、正式に定められた方針です」
セバスははっきりとそう言い切った後、さらに“リョウマが何か大きな闇を抱えていることは、出会った日には察していた”と続けた。
「“住まいは人の心を表す”と言うように、家の状態を見ればその家に住む人の状態もおおよそ分かってしまうもの……我々が初めてリョウマ様と会ったのはガナの森にある家でしたが、家の周りも中も綺麗に片付けられ、温かみを感じるお家でした。ただ一点、倉庫に積み上げられた無数の“盗賊からの戦利品”を除いて。
盗賊がいて、戦闘が行われたことは確実。それも一度や二度ではないことは荷物の量から明らかでした。ですが、倉庫を除けば貧しいながら慎ましく生きる温かい家庭を絵にかいたような家。周囲には痕跡一つ、墓一つないのです。これで“何かある”と察せないほど鈍くはありません。
それに本人は無意識だと思いますが、リョウマ様は我々と初めて顔を合わせた時、最初は固い口調で、後に旦那様から“気楽に話していい”と言われてすぐに口調を崩しておられました。
“許しの言葉を鵜吞みにするとはマナーがなっていない”と考える方もおられるでしょうが……あれは些細なことで執拗に咎めるような相手を避けるため、我々が気を許すに足る人物かどうかを見極めるための“確認”だと私は見ております。
仮にこちらが非礼を窘めるような言動をしていれば、おそらくリョウマ様は素直に謝罪した後、我々の前から姿を消したのではないかと。本当に些細なことではありますが、丁寧な態度の裏に“他者に対する警戒”が見え隠れしているように見えたのです」
「そういえばリョウマ君は今でこそギムルを拠点にしていますけど、最初は“森に帰る”と言っていましたね」
「あったねぇ……子供が1人で森に住むのは危ないって、仕事の後に皆で止めたこともあった」
「確かにあの頃のリョウマは、いつの間にかフラッとどこかに消えていそうな雰囲気もあった気がするにゃ」
「リョウマ様は何かあったとしても、強く反発することはまずありません。その場は静かにやり過ごし、限度を越えたら何も言わずに去ってしまう……実際にその様子をテレッサの街で一度見ています。
他にも、何かしらの闇を感じた方は多いのでは?」
「確かに……」
今度はユーダムに周囲の目が集まる。
「僕もそれほど付き合いが長いわけじゃないけど、オーナーさんを見ていて思ったのは“二面性がある”ってこと。人間なら誰しも多少はあることだと思うけど、店長さんの場合は“純粋な子供”と“荒みきった大人”っていう真逆の人間が1つの体にいるように錯覚しそうになるというか……
普段は子供の一面が強く表に出ているけれど、仕事の時とか緊急事態、あとは戦う時なんかは大人のような感覚を強く覚えるんだ」
「ああ、それは分かるぜ。去年の終わりごろはずっとそんな感じだったな」
「そうそう。この“大人の一面”とセバスさんの言う“闇”は同じものなんじゃないかな? それがオーナーさんの中で子供の一面と混ざり合って、常に割合が変化しているように僕は感じている。
だからなのか、オーナーさんって基本的に穏やかで周囲の人に優しいけど、ただ甘いというわけでもないんだよ。昨年末の件もそうだけど、一線を越えた相手にはむしろ容赦がない方だと感じるくらいさ」
「……そうですね」
「おや、エレオノーラ嬢もなにか心当たりが?」
エレオノーラは無意識だったようで、ローゼンベルグに水を向けられて数秒逡巡した後、言葉を選んで話す。
「昨夜、タケバヤシ様に私の実家のことをお話させていただきました。他領から犯罪組織の人間が集まり、治安が悪化しつつあると……そうしましたら、タケバヤシ様は私が望むのであれば、犯罪組織の解体と罪人の捕縛に手を貸してくださるとのことで、その際に少々」
「なんとなく察した。話し辛いことがあるみたいだし深くは聞かないけど、店長さんなら部下になった人が困っていたら助けようとするのは想像できるよ。その後のことは、今言った通りだから」
「リョウマ様は実行力があり、一手間をかけることを惜しまない方ですので……決断は慎重にお願いいたします」
セバスが、リョウマが介入した場合の騒動の大きさを言外に匂わせると、全員が苦笑する。
「これは、もしかして年末の大暴れが再来かにゃ?」
「ありえますねぇ」
「でも、最終的には良い方向に話が進むんじゃないかい?」
「去年のギムルもなんとかなったしね」
巻き込まれる方は結構大変だけど、と続く女性冒険者達の言葉で苦笑は明るい笑顔に変わり、重かった場の雰囲気は一転して穏やかなものに変わった。
「……過去についてあれこれと勝手を申してしまいましたが、先ほどの術の本質は“肩代わり”。悪しき存在を引き受けることで、他者を苦難から解放する……最後に差し伸べられた人外の腕は、見た目の悍ましさとは相反する、いわば“救いの手”でした。
過去はどうであれ、彼は自らが持つ力を正しく使おうとしています。さらに皆様の信頼と助けが加われば、リョウマ君は大丈夫でしょう。無論、私も師としてできる限りの助力を約束します」
ローゼンベルグが晴れやかな表情で宣言すると、ジェフは鼻を鳴らすように息を吐いた。
「そうか……ケチをつけるようなことを言って悪かった」
「気にしていませんよ。貴方もリョウマ君を心配しての事でしょう?」
「心配っつーか、ギルドで顔を合わせることも多いからな。スラムのガキ共も色々と世話になっているし、余計な面倒ごとは少ない方がいいだろ」
「それを心配って言うんじゃにゃいか?」
「うっせぇな! 余計な茶々入れてないで、さっさとリョウマを運んだ方がいいんじゃねぇか?」
「確かにリョウマをちゃんと寝かせた方がいいのは事実。ってかジェフ、それならアンタが運びなよ。男同士だし宿舎に入れるのもそっちの方がいいでしょ、一応」
「仕方ねぇな。ミゼリア、貸せ」
憮然としたジェフはミゼリアからリョウマを受け取り、肩に担いでそのまま宿舎へと戻っていく。そんな背中を眺めながら、ウェルアンナが呟いた。
「ったく、いい年して子供みたいな奴だねぇ。空間魔法で送ってもらった方が早く寝かせられるだろうに」
「今からでも呼び止めしましょうか? 多少気まずいかもしれませんが、最優先はタケバヤシ様の体調ですので」
「ほっといていいんじゃないかい? 空間魔法の方が早いは早いけど、歩きでもそこまで大した時間がかかるわけじゃないし」
こうして眠ったリョウマはジェフに運ばれ、実験場に残ったメンバーはローゼンベルグの手伝いとして、リョウマの術による周囲への影響調査を始めるのであった。




