リョウマの呪い
本日、3話同時投稿。
この話は1話目です。
翌日
実験場視察の最終日。そして全力の術を実践する日がやってきた。朝にはセバスさんも戻ってきていたので、全員で食事を済ませてからみんなで実験場に向かう。今回利用するのは、上下に分かれた上の方だ。
「皆さん、これを1人2つずつどうぞ。瘴気を防ぐための術をかけてあります。1個で十分だとは思いますが、もし足りなかった場合の保険として、両方の手首にでも巻いておいてください」
到着してから配るのは、昨夜エレオノーラさんに依頼したミサンガ。一晩でたくさん作ってきてくれたので心置きなく使わせてもらう。染色をしていないファイバースライムの糸で作ったから白一色だけど“糸を編んで作った紐状の物”と考えたら縄と似たようなものだ。
さらに追加で注連縄につける紙垂を模した白い金具を、飾り兼留め具として作ったので、アクセサリー風の注連縄? と言えるかもしれない。
そんなことを和気藹々と話しつつ、ディメンションホームからカーススライムを出して首に巻く。両手の手首にはミサンガ。手には昨夜作った熊手の杖。万が一に備えて5mほど距離を開けて俺を取り囲み、待機している皆さんの準備も……良いようだ。
「それでは始めます!」
宣言して、一呼吸。まずは瘴気を引き出す。
魔力をそっと熊手に流して地面を掻く。すると途端に、水道管が破裂したかのような勢いで瘴気が噴き出した。先日の黒い埃とは比べ物にならない量と密度に一瞬たじろいでしまったけれど、ボーっとしてはいられない。
瘴気を出てきた傍から魔宝石に吸い込ませつつも、地面を掻いて次の瘴気を引き出す。その動きを黙々と繰り返す中で、吸収が追いつかなかった瘴気が周囲に漂い始めた。これは想定内。慌てることなく続ける。
瘴気とは、生物に対して毒のようなもの。害になるもの。つまり、悪いものだ。そして日本には“類は友を呼ぶ”という言葉がある。意味は、考え方や趣味が似ている者、近しい気質を持つもの同士が自然に集まるという意味。“同気相求む”とも言う。
これをイメージの補強に使い、良いものの周囲には良いものが。悪いものの周囲には悪いものが……と意識すると、瘴気の動きに劇的な変化が起きた。勢いが強すぎて回収が間に合わず、少しずつ周囲に広がりつつあった瘴気の拡散が止まる。既に広がった瘴気も徐々に集まり、黒い霧が俺を包むように動き始めた。
このまま少しずつ術の出力を上げていくのだけれど……特に何かを意識する必要はない。
『おい、この仕事もやっとけ。明日の朝までな。明日の朝イチでチェックするから仕上げとけよ!』
昨日のエレオノーラさんとの愚痴で感覚が掴めた。呪いには負の感情を利用する。では負の感情とは何か? その源泉となるものは何か? あくまでも俺の考えだが、それは“経験”であり“過去”。それまでにその人が経験した出来事、その時に感じたことだ。
俺の場合は前世から引き継いだ、竹林竜馬としての一生で得た人生経験こそが源泉。負の感情はわざわざ引き出すまでもなく、一度漏れ出せば止めどなく、記憶と共に湧き上がってくる。高い粘度と重さを伴ったどす黒い原油のような感情が外に出ようと荒れ始め、心の表面で激しい泡を立てては消える。
……尤も、どれほど感情が荒れ狂おうと、感情のままに振るまうことは社会人として、1人の大人として褒められたことではない。当たり前のように心に固く蓋をして、外に漏らさぬように努めていた。
今はただ、それをやめればいい。
固く締める蓋を、逆に緩めてやればいい。
溢れ出そうとする感情を、そのまま溢れさせればいい。
『おい! お前の出した書類にミスがあったぞ。偉そうに仕事ができたと言うんだったら、ミスのない完璧なものを1回目で出してこい!! 仕事なんだからそれぐらい丁寧にやるのが当然だろ!? 今すぐやり直せ! 不満があるなら会社辞めろ! お前の代わりはいくらでもいるんだからな!!』
『うわ、竹林さんまた課長の機嫌でいちゃもんつけられている。フォントが0.5小さいとかミスじゃないだろ。てかそもそもそんな指定してなかったし』
『おい、課長に聞こえたら巻き添え食らうぞ』
『あっ、すみません。昨日、俺の仕事を手伝ってもらっていたので、つい』
『え? 君も竹林さんに仕事引き受けてもらったの? 俺もなんだけど』
『あの人なら大丈夫でしょ。体力あるし、いつものことだし。私も頼んだし』
『……そうですよね。竹林さんなら大丈夫』
ああ……あの時は人がいちゃもんつけられている後ろで呑気な会話されていたなぁ……課長のは単なる嫌がらせで適当に理由つけているだけだから、彼らに仕事を押し付けられてミスをしたわけではない。けどあの状況であの態度はちょっとムカついたな。
というか、本来の仕事に限らず、クレーム対応やら営業やら、色々と押し付けられた記憶がある。そして引き受けなかったら引き受けなかったで、今度は裏で文句を言うのだ。前はやってくれたのに! とか、いつもみたいにちゃちゃっとやってくれよ~とか。
そんな会話が給湯室から聞こえてきた時は、気まずくて仕方がない。できるだけ助けようと思っていても、学生時代の掃除当番交代ノリで引き受けられない時はあるのに、それくらい分からないのかと言いたくなった。
そんな記憶と感情が呼び水になり、また別のモノに繋がる。
『竹林さん困りますよ、担当者の方が変わるのは仕方ないですけど、引き継ぎはちゃんとしておいてくれないと。新しい担当者さん、竹林さんが引き継ぎに応じてくれないって泣いていましたよ? 会議も時間の無駄になって、こちらとしても本当に迷惑です!
あの人、お仕事の話は何を聞いても“わからない”か“確認して後日回答する”でなに1つまともに答えられないし、本当に可哀想でした。いくら担当を外されたからって、貴方が後輩にそんなくだらない嫌がらせをする人だとは思いませんでしたよ』
ある時は取引先からの電話で、他人の失敗の責任を押し付けられ――
『やべっ! 教室のガラス割っちまった……まあいいや、これ竹林がやったことにしとこうぜ。あいつがやったって言えば誰も疑わないだろ』
『それでいいんじゃね?……ってかさ、なんであいつあんなに先生達に目を付けられてんの? 特に体育のゴリラ、目に入ったらとりあえず怒鳴るじゃん。おかしくね?』
『さぁ、よく知らねぇけど不良だからじゃね? 普段の行いってやつ? あいつ普段は不良っぽいとこ見ないけど、裏でこそこそ隠れて悪い事してんだよ、きっと。火のない所に煙は立たぬって言うしさ。悪さしてっからそういう噂が立つんだよ』
『ふ~ん……ま、どうでもいいか! 別にあいつがどうなろうと興味ねぇし。悪い噂を立てられる方が悪いってことで。その分俺らが助かるわけだし』
ある時は学校の教室で、謂れのない罪を押し付けられ――
『先輩、あの新人の竹林君、何とかしてくれませんか? たかがバイトのくせにでしゃばって、あれじゃ私たちがサボってるように見えるじゃないですか』
『言いたいことはわかる、って言うか俺もそう思うし……でもあの子、実際よく働いているし、やたら店長に気に入られているからねぇ……』
『だからってあれじゃ、従業員の和が乱れます。っていうかもう乱れてるじゃないですか。私だけじゃなくて、皆があの子はウザいって言ってますよ? 指導をする立場として、厳しくやってください』
『ん~……でもあの子、怖いんだよねぇ……確かに迷惑ではあるけれど、一生懸命働くなってのも妙な話だしさぁ……体ゴツイし、下手にキレさせて殴り合いにでもなったら勝てないよ。品出しの時とか他の人の5倍くらい運ぶんだから』
『そんな弱気でどうするんですか! いくら体格がいいって言っても所詮高校生でしょ!? 男のくせに情けない……もういいです、私達で指導します』
『え、ちょっ、ちょっと待って。何する気?』
『みんなで取り囲んでちょっと腰を据えてお話するだけですよ。私達、本気で迷惑してるんですから、それを教えてあげるんです。あの子のせいで私たちが店長に怒られることが増えたんですから、ちょっと口調が強くて顔が怖くなるくらい当然ですよね?』
『……まぁ、あの子なら別にいいか。僕もあの子が気に入らないのは本心だし、邪魔はしないよ。ただ、後々問題は起こさないでよ? 何か事件になってこの店に影響が出たら、本当に困るんだから』
『勿論です。本当にただ世間の厳しさを、無知な子供に叩き込んであげるだけですから。……私達が不況の中で、必死になって手に入れた正社員の座なのに、ちょっと店長に気に入られただけの子供が同じ正社員に誘われるなんて、絶対に許せない……ですよね? 先輩』
ある時はバイト先の休憩室で、不穏な計画と共に理不尽な怒りを向けられ――
『何でって、言われなくても分からない? 普通』
『ちょっと署までご同行願えますか?』
『目が合った! 絶対にこっち見てた! 土下座して謝って! 今すぐ!!』
『なんでお前みたいな奴がいるんだよ』
『ちょっとくらい手伝おうって気持ちはないの?』
『道徳の授業すかぁ? いい年なんだし現実見た方が良いっすよ。もう遅いかもっすけど』
『邪魔……死ねばいいのに』
『お前は腐ったミカンだ。社会のゴミだ。卒業しても、それを常に自覚して行動しなさい』
『何? 不満? はいそれ他責思考! やっぱダメなんだよね~、不満を言う奴ってさ~』
『そんな態度はないだろう。我々は君のためを思って言ってるんだよ?』
『誰も君になんて居てほしくないんだよ』
『理解できないのがいかにも本物って感じ』
『焼死が一番苦しいらしいから焼き殺されろ』
『自分の担当した仕事じゃない? 察して助けに入れなかった私の責任です、だろうが!』
『君が全部やればいいだろう? ぶつくさと文句を言うんじゃないよ。積極性がないね』
『先生ー! 竹林とは仲良くできませーん!』
『社会人なら自責思考、これマストだよ』
『ああいう奴が、いつか犯罪者になるんだよな』
『他の誰もが許されることでも、お前だけは許されない』
『何もかもお前が悪い』
記憶の片隅の些細なことが連なって、相手も時代も異なる記憶が氾濫する。かつて浴びせられた罵詈雑言の数々が、仏教儀式の“声明”のように重なって脳裏に響く。
どれもこれも、ただ運が悪かったと思って不満を押し殺してきた。若い頃、酒の席などで話したことはあったけれど“そんな非常識なやつが現実にいるはずないだろう”と嗤われるだけ。嘘だとか、話を盛っているとか、作り話にしても出来が悪いとか……そういう言葉がお決まりだ。
そんな彼らの言葉を聞く度に思った。“ああ、この人達は、本当に常識と話が通じない人間と関わったことがないんだな……”と。
自分の言葉と思いを一笑に付されるのは、心地いいものではなかった。だからそう言った彼らを物知らずだとか、馬鹿にするような意図が全くないとは言いきれないけれど……同時に素晴らしいことだとも思う。非常識な人間と関わらずに生きられるなら、それに越したことはないのだから。
悲しみや怒りだけでなく羨望や渇望。様々な感情が濁流と化して、吹き荒れる瘴気は日光を遮るほどの密度になっていた。もはや黒一色の壁。ミサンガで安全は守られているが、狭い部屋に閉じ込められたような状態だ。不思議と外の音も聞こえない。
視覚と聴覚が封じられたように感じたところで、無数の記憶が1つに収束した。
いつ頃からかは覚えていないけれど、前世で寝床に入ると、いつも感じていた苦痛。
暗い部屋の中で1人、寝るまでの間に考えてしまっていたこと。
『このまま生きて、どうするのか』
老いていく自分の将来をいくら考えても、明るい未来は1つも描けなかった。
ただ義務的に、虚勢を張って人として恥じない生き方をしているだけ。
社会で生きるのは苦しいが、その苦しい生活に耐えた先に何があるのか?
思い浮かぶものが何もなく、周囲から迷惑がられて孤独に死ぬ自分の姿のみ。
それならもう、いっそのこと彼らの言葉と評価を受け入れてやろうか?
体は頑丈で、武器は親父が遺した刀があり、それを振るう技は無駄に身についている。失うものがないとは言えないが、惜しむほど多くもない。何より、それが“実際に自分自身が事を起こした結果”であればどのような言葉を浴びせられても、少なくとも今よりは納得がいくのではないか?
感情を解放することへの強烈な衝動に襲われ、あとは実行に移すだけ。あと一歩、何かの拍子に箍が外れれば――!!
「――ここまでだ」
積もり積もった感情が殺意と破滅的な思考に変わりかけたところで、気を引き締める。同時に首元につけたカーススライムからも、鋭い警告の意思が届いた。気づけば先程までよりも瘴気が体に近づいている。
ここが限界だと声に出して、熊手を高く掲げて大きく体を動かす。暗闇の中で微かに地面を掻く音と、手に確かな振動が伝わってくる。同じ動きと音を繰り返すにつれて、荒れた心が少しずつ凪いでいく。
武術の稽古をしていた時と同じ……これがあるから、前世では使い道のない技だと思いつつも、結局最後まで鍛錬をやめることができなかったんだろうな……なにはともあれ、制御を完全に失わないように注意しながら仕上げに入ろう。
体の動きを止めることなく、熊手に込める魔力を増やす。熊手は骨、魔力を肉として、熊手を俺自身の腕の延長と考える。
悪いものには悪いものが集まる。
悪いものには悪いものが集まる。
悪いものには悪いものが集まる。
悪いものには悪いものが集まる。
悪いものには悪いものが集まる。
仮に俺が神々に前世の記憶を消すことを願い、普通の子供として転生していたら、きっと今のような人生にはなっていない。俺の実績は前世ありきのものであり、前世がある時点で、俺は普通の子供にはなれない。
俺にとっての前世、そこから生じる負の感情は切っても切れないものであり、影響を与え続ける。それはある意味、今を生きるリョウマ・タケバヤシにかけられた“前世”という名の呪いだ。
今後の人生でさらに経験を積み上げ続け、前世の記憶が薄れていくことはあったとしても、完全に消えることはないだろう。
「どうせ一生付きまとうなら……せめて少しは役に立てッ!!」
気合一発。段階を踏まえて補強したイメージと共に、魔力を熊手から魔宝石へ。すると周囲を厚く覆っていた瘴気が魔力の流れに乗り、壁が剥がれて日光が差し込んでくる。気分は陰鬱極まるが、徐々に明るい空と皆の顔、そして黒い異形の手と化した熊手が見えてきた。
それは言ってしまえば、腕の形をしているだけの瘴気の塊。だけど、その量と密度からくる不快感に加えて、魔力の流れに乗った瘴気の動きが血管……もしくは皮膚の下で虫が蠢いているように見えなくもないので視覚的にだいぶ不気味だ。
この腕と術を一言で表すなら――
「『化生の手』」
半ば無意識につぶやいた一言で、全てが噛み合った感覚。強固なイメージが完成したことによって、術も安定感を増す。以降、実体を持たない黒い手は瘴気を吸い上げながらも、一切外には漏らさなくなった。
このまま続ければ、この実験場の瘴気を全て吸えてしまうのでは? というほどの効率。
しかし残念ながら、それは無理のようだ。魔力の消耗も激しいが、それ以上に強く感じるのは精神的な疲労感。地面からの吸収を止めて、腕を構成する瘴気を全て回収する。そして全ての瘴気を魔宝石に取り込み、外に漏れていないことを確認して締めくくると――周囲からの安堵の吐息が、やたらと大きな音に聞こえた。
そして、静かに近づいてきたのはローゼンベルグ様。
「お疲れさまでした。いかがでしたか?」
「……術は成功、想定通りの効果を確認しました。改善点としては、道具の耐久性ですね」
熊手に目を向けると、既に爪先は朽ち果てて残っている方が少ない。柄も少し力を入れたらそのまま折れてしまいそうな状態だ。普通の竹で作られた熊手本体は、化生の手に集まる多量の瘴気に耐えられなかったようだ。ミサンガは無事だが、感じられる魔力が大分薄れている。装備で傷一つ見られないのは、魔宝石の部分だけだ。
「熊手はともかく、護身用のミサンガはもっと効果と強度を高めたいところです。そうすればさらに安全になります。今回は今回で、できるだけの力は出せたと思いますが――」
「よろしい。熱心なのは結構ですが、今日のところはここまでにしましょう。詳しく考えるのはまた後です。ひとまずは……この薬を飲んでください」
ローゼンベルグ様は懐から灰色の液体が入った小瓶を取り出し、栓を抜いて渡してきた。薬品臭と爽やかな果実の香りが鼻に届く。
「この薬は?」
「この訓練は精神的な負担が大きいので、一時的な気鬱は当たり前。幻聴や幻覚といった症状が出る場合もありますし、無理をするとその状態を長期間引きずることになりますからね。そのような問題を予防するためのものです。
効果は主に睡眠導入。心身の健康を保つために睡眠は重要な要素ですからね。暗いことを考える前に眠らせて一度心と体の調子を整える。それがこの訓練後の悪影響を回避する対策として、最も効果的だと言われています」
なお、次に良いとされているのは“栄養のある食事をしっかりとること”らしい。なんというか、前世のうつ病対策や治療でも言われるような内容だ。やっぱり精神のケアを考えると、必然的にそうなっていくのだろうか?
「ん?」
「何か他に疑問がありますか?」
「いえ、従魔術でちょっと……どうやら、先日井戸を掘った時に出た粘土の処理をさせていたスライム達が進化を始めたようです。進化先と能力もおおよそ予想がつきますし、また後で確認すれば問題ありません。
薬の効果と必要性も理解できました。ただ眠ってしまうなら、宿舎に戻ってからがいいのでは?」
「リョウマ、子供1人運ぶなんて大した手間じゃないんだから、気にせず飲んどきな」
と、ウェルアンナさん達冒険者組が言ってくれたので、お言葉に甘えて薬を一気に飲み下す。味はあまり良くないが、果物の汁の割合が多いのか思ったよりも飲みやすかった。
最後の一滴まで飲み終えてから小瓶を返すと、入れ替わりにセバスさんが口直しの水筒をくれて、水を数回口にしたところで急激に眠気が襲ってくる。
「お水ありがとうございました……しばらく、よろしくお願いします……」
その一言を最後に、俺の意識は途切れた……




