食後酒
「もうお腹いっぱいにゃ……」
夕食後、食堂には満ち足りた顔の大人たちが並んでいる。俺も久々のカレーの味を堪能したけれど、皆さんはそれ以上に、スプーンを口に運ぶ機械のようになっていた。ファットマ領でカニを食べた時には俺もそうなったけれど、こちらの人はカレーで無言になるのか?
なんにせよ、満足してもらえたのなら作った甲斐があった。
「本当にこのカレーは最高。いくらでも食べられそう」
「デザートもすごく美味しかったです」
「それは良かった」
デザートに用意したのは、豆乳と氷魔法で作ったアイスクリーム。フレーバーは前世なら基本と言ってもいいであろう“バニラ味”。バニラビーンズの原料となる植物も、樹海で採取できる素材の1つだ。
使う前にちょっと加工の手間が必要だけれど、コルミ村に行けばいくらでも手に入るので、俺は使い放題。どちらかといえば、新鮮な牛乳の方が常備は難しい。
今回は備蓄がなかったので豆乳で代用したけれど、ディメンションホームでクレバーチキンを飼っているように、乳牛の魔獣も仕入れようか……
「カレーの辛さで熱が籠った舌と体には、この冷たさが心地よい。さらにこの爽やかな甘みと鼻を抜ける芳醇な香り。なんともいえない幸福感ですな」
牛乳のことを考えていたら、セバスさんの食レポが出てきた。食べ歩きが趣味だったというセバスさんにそう言っていただけたのなら、このアイスにも自信を持っていいだろう。牛乳バージョンはまた今度試してみよう。
「ところで、お酒はどうしましょうか?」
食事と一緒に飲む予定で用意はしていたが、皆さんカレーに夢中でそれどころではなくなっていたので、そのままだ。これはもう片付けてしまっていいのだろうか?
「美味しい食事にお酒まで、本当に至れり尽くせりだね。アタシは少し貰おうかな」
「俺も頼む。酒の種類は任せる」
ウェルアンナさんとジェフさんを筆頭に、飲むという声が聞こえてきたので、改めて宴会タイムに突入。ただし今日は皆さん満腹かつ、カレーの余韻もあるのでゆったりと軽く飲む雰囲気だ。
あまり量は必要なさそうだし、全員、一般的なワインにしよう。ゴブリンの白酒や清酒は、味はいいけどこの辺では馴染みがない。しっかり飲むつもりなら、色々なお酒を試してもらうのもいいかと思ったけど、今の雰囲気なら飲み慣れた物の方がいいだろう。おつまみの量も控えめにして……
「それでは乾杯!」
『乾杯!』
各々が好きなようにワインを味わい始めるが、ここで目を引いたのは対面の席にいたエレオノーラさん。彼女は少しグラスに口をつけた途端に身を固めた。よくよく観察すると、見開いた目でグラスを眺めている。飲むのが久しぶりだと話していたし、ダメだったのかな?
「エレオノーラさん、何かありましたか?」
「いえ、少し驚いてしまっただけです。……ワインはこんなに美味しいものだったのでしょうか」
どうやらアルコールが強すぎたとか、不味かったというわけではないようだ。
「気に入っていただけたのなら良かったです。僕はワインに詳しくないので、以前、適当に買っていたものでしたから」
「適当だなんて、これは本当に美味しいと思います。私があまり質の良いワインを飲んだことがないからそう感じる可能性は否定できませんが……渋みやえぐみが少なくて、とても飲みやすく感じます」
「ワインによっては、そういうものもあるのですね」
「あります。私の実家は以前お話した通り鉱山があるため、酒類は鉱山で働く労働者達から需要が高く、領外から大量に輸入されているので比較的安価で手に入りやすい。その一方で飲用に適した水は手に入りにくいため、飲み物と言えばワインだったのですが……やはり、私が実家で飲んでいたものとは比べ物になりませんね」
確かに地球でも、酒精の弱いお酒を水代わりに飲んでいた地域や時代があったとは聞くが、エレオノーラさんの実家もそういう文化がある場所なのか。
「それでワインは飲んだことがあると」
「最初は酒精の少ないワインを、魔法で出した清潔な水で薄めて嵩を増したものですが……物心ついたころには既に飲んでいたと思います。体の成長に伴って、徐々にワインの比率を上げて与えられていました。
綺麗で混ぜ物のない水を初めて飲んだのは、王都の学園に入学するために領地を出た時だったと思います。当時、慣れないうちは飲み物がワインでないことに違和感を覚えました」
昔を懐かしむように語っているエレオノーラさんからは、いつもの張りつめた空気が若干和らいでいるように感じた。これは良い傾向だと思うし、所謂“飲みニケーション”ができる人だったら、内面おっさんとしては本当に助かる。
彼女は本当にワインが気に入ったようで、味わうようにグラスを傾けている。グラスの中身がなくなるのにはそう時間がかからなかった。
「よろしければもう一杯いかがですか?」
「いただきます」
「なんだい、中々いい飲みっぷりじゃないか。こっちのチーズもどうだい?」
「では、そちらもいただきます」
ウェルアンナさんが燻製チーズのスライスを載せた皿を突き出すと、会釈をして受け取るエレオノーラさん。
「冒険者の皆さんとも打ち解けられたみたいで良かったです」
「それは私も同意します」
「ははっ、そんな心配いらないよ。まぁ……正直なことを言えば、最初はちょっと頭が固そうだとは思ったけどね。でも実際に話してみたら、別にうるさく言ってくることもないし、何か言う時はちゃんと理由や理屈がある内容だったと思うよ」
「エレオノーラだけじゃにゃくて、ここにいる4人は貴族として、人としてかなりまともな方にゃ。貴族相手の仕事を受けたことは何度かあるけど、酷い奴は本当に酷いのにゃ」
おお、やっぱりそういうことも多いのか……と思っていると、ミーヤさんだけでなく、シリアさんやミゼリアさんも同意を示した。
「別に貴族に限ったことではないですけど、私の経験上では横暴な人が多い印象です……」
「私達はランクがそこそこ高いし女だけで集まっているから、貴族絡みの依頼は娘の護衛が多いせいかもしれない」
「緊急の魔獣討伐とか薬草採取ならまだいいが、護衛だとどうしても顔を合わせる時間が長くなるからな。俺も貴族の護衛はあんまりやりたくねぇ」
皆さん、苦労されているんだな……
俺がこれまで関わってきた貴族は、公爵家関係とファットマ領のポルコ伯爵。あとは元騎士団長のシーバーさん、元宮廷魔導士のレミリー姉さんくらい。前から分かっていたことだが、貴族でもいい人ばかりと出会えていたのは幸運が続いていたのだろう。
「冒険者の方々が貴族相手の仕事で、ご不快に思われるのも理解はできます。同じ貴族である私から見ても、態度の悪い者は少なくありませんから」
「そういえば、エレオノーラさんとは前にもそんなことを話しましたね」
「ええ、私の元夫が典型的なダメ貴族でした。親のお金や権力を使って、毎日毎日遊び歩いて、気に入らないことがあれば使用人に当たり散らす……言葉にするとこれだけで終わるくらいの薄っぺらい内面の人でしたよ。体は無駄に分厚かったですが」
『っ!?』
一瞬にして室内に笑いがこぼれかけた。エレオノーラさんは別に冗談を言ったつもりはなかったと思うけど、ちょっと真面目な空気の中だったからか不意打ち気味に、クスッと笑いがきてしまう。日本にあった年末の某番組のような沈黙が流れる。
「そ、そんな奴が旦那なら、苦労したんだねぇ。ほら、もう一杯」
「いただきます。
確かに面倒で嫌な相手ではありましたが、直接的にはそれほど……というのも私達の婚姻は家同士の都合で決められただけで、元夫には結婚前から愛人がいたため、私は屋敷の離れを与えられて放置されていました」
「は? ……貴族の結婚って、家同士の付き合いだろ。そんなんでいいのかよ」
「その点はジェフ様の仰る通りです。普通の婚姻であれば大問題になります。
しかし私と元夫の婚姻は“金鉱山を持つ私の実家を操るための策略”であり、私は“人質”として相手側の家に管理されていただけで、妻としての扱いも期待もされていませんでしたし、力関係では私の実家の方が圧倒的に弱かったので。
私も元夫に好かれたいなんて、思ったことすらありませんでしたし、形だけの結婚は望むところでしたよ」
お酒が入っているせいか、エレオノーラさんはあっけらかんと言い放った。
「嫌いな相手でも結婚しにゃきゃいけにゃい。だったら関わらにゃくて済む方がいい、という理屈はわかる気がするにゃ」
「それは確かに。でもそうか、それでエレオノーラさんは領地の軍に? 部隊を率いていたと聞きましたが」
「はい。屋敷にいても離れに押し込められているだけでしたし、人質としても死んだら死んだで構わないと思われていたようで……魔獣の群れが現れて手が足りないから手伝ってこいと言われたことを機に、そのまま領軍に居座りました。
尤も、配属先は軍内の規律を乱した者を集めた懲罰部隊でしたけどね」
「懲罰部隊!?」
懲罰部隊と聞いてユーダムさんが愕然としている。ローゼンベルグ様も同様。セバスさんは知っていたようで、2人ほど反応は大きくないけれど、黙って眉をひそめていた。
扱いが良くないことは察せるけれど、やはり貴族令嬢、それも領主の息子と結婚した相手を送る場所としてはありえないのだろう。
「いくら不平等な政略結婚といってもそれは」
「元義父であった当時の領主が、僅かでも私に権力を持たせることを嫌ったのですよ。懲罰部隊は他の部隊よりも下の立場に置かれます。隊長であっても振るえる権力には著しく制限がかかりますし、軍では上官の命令が絶対ですから。それはヴェルドゥーレ様もご存じでしょう?」
「それにしたって……懲罰部隊はその性質上、隊員の素行も良いとは言えないし、軍の任務の中でも特に危険なものや苦痛を伴う部署じゃないか。そこに結婚相手の女性を放り込むのは外聞が悪すぎると思うけど」
「義父は外聞よりも自分の儲けの方が大事な生き物でした。私は魔法を使えばそれなりに戦力になれますから、多少は経費が浮きます。それに私を適度に苦境に置いておいた方が、実家への圧力になり、金鉱山の収益を吸い出しやすくなった方が得だと判断したのでしょう。
あとは、元夫の後押しもあったようですね。あの男は剣も魔法もまるで才能がなく、努力もしない。その割に自分より強い者に嫉妬が激しくて……特に自分より強い女は大嫌いだとわめいていました。私を嫌って避けていた理由の大部分もそれだったようですから」
「……元旦那さんをこう言うのもなんだけど、そいつクズでしょ」
「ミゼリア様の仰る通りです」
あの家には、懐具合と感情を満たせるのであれば、常識も倫理も捨てられる類の人間ばかりだった……と語る彼女は微笑んでいたけれど、目は完全に据わっていた……これお酒のせい? それとも単なる鬱憤?
「ですが、領軍に所属できたのは私にとって幸運でした。懲罰部隊にも、懲罰部隊ならではの利点がありましたしね」
「それは気になりますな。ぜひ教えていただきたい」
ローゼンベルグ様が尋ねると、エレオノーラさんはワインで唇を湿らせてから話を続けた。
「まず1つ目は行動の自由。訓練や任務にかこつければ窮屈な屋敷を出ることができましたし、その合間で自由な時間もある程度確保できました。
そして2つ目は金銭的な自由。兵士には給金の他に、任務の危険度に応じた手当を支払うのが通例です。支払い方法は領地によって様々ですが、ルフレッド男爵領では“討伐した魔獣の素材や盗賊の懸賞金は、討伐に参加した兵士に帰属する”と規定されていたのです。
この危険手当は懲罰部隊も例外ではなく、むしろ危険度の高い任務に駆り出される機会が多い分、手当を得られる機会が多かったのです。おかげで街の店で食事をしたり、たまに本を購入したりといった娯楽も、ある程度なら賄えたのです」
「そうでしたか……何かしらの癒しを見つけることは、苦境を乗り越える力となります。エレオノーラ嬢はそれを、軍に所属することで成し遂げられたのですね」
外出できない、娯楽もない、お金もない、そんな状態を強要される。それを脱する代わりに領軍で危険な任務を与えられる……エレオノーラさんが孤軍奮闘して抗い続けたことは素直に賞賛するけど、これ普通に考えてDVどころの話ではない。ユーダムさん達が愕然とするのも当然だ。
「タケバヤシ様、お気になさる必要はありませんよ」
「失礼、顔に出ていましたか?」
「眉間に皺ができていました。
ルフレッド男爵領でのことは、良い記憶とは言えません。しかし、過去の出来事です。今はジャミール公爵閣下のおかげで命は助かり、本当の自由と新たな仕事も得られたのですから。望外の幸運と言えるでしょう」
彼女はそう言って、自分の言葉に頷いている。最悪の場合、元夫と一緒に処刑ルートもありえたという話もあるから、それはそうなのだろうけれど……本当に割り切れているのだろうか?
「苦労の時期は誰にでもあることです。タケバヤシ様も、以前はご苦労をされていたのでは?」
「周囲との関係がちょっと良くなかった時期はありますが、戦場に送り込まれるほどの危険はないですよ。精々、殺しに来る人がたまにいたくらいで」
「オーナーさん、それもそれで十分おかしい。何があればそんなことになるのさ」
「僕も何故だか分からないですけど、道端で占いをしていた人が“お前は将来大量殺人鬼になる!”と叫んで商売道具の水晶玉で殴りかかってくるとか、突発的に襲われることが昔はあったんですよ。もしかしたら、そういう人を引き寄せる呪いにでもかかっていたのかもしれませんね」
地球でそれはないだろうけど、呪いだったら納得してしまうくらい、理不尽で変な事件に巻き込まれた経験は豊富だと思う。そんな俺でも戦場に送られたことはないのだから、エレオノーラさんの方が大変だ。
「いえ、私の場合はあくまでも任務、仕事です。冷遇はされど死を望まれたわけではありませんので、タケバヤシ様の方がご苦労されたのではないかと」
「いやいや、エレオノーラさんの方がもっと」
「タケバヤシ様の方が――」
謎の謙遜合戦が始まりかけて、ふと気づく。一見、普段通りの冷静な顔に見えたエレオノーラさんの目が、微かに揺れていた。それ以外、顔色などは全く変わっていない。いつもより口数は多いものの、口調や活舌はしっかりしているけれど、
「エレオノーラさん、もしかして酔っていませんか?」
「――? 酔っていないか、ですか? 多少の火照りは感じていますが、その程度です」
「そうですか……いや待った、グラス何杯飲みました?」
「乾杯の1杯に、タケバヤシ様から1杯、ウェルアンナ様からもう1杯。さらにお話の途中に2杯ほど――あら?」
飲んだ数を数えるうちに、本当に酔いが回ったようで、今度は誰の目にも明らかに上体が揺れた。
「ちょっと、大丈夫なのかい?」
「失礼しました、どうやら酔っているようです。少し眠気を感じます」
「ですよね。お水を用意します」
この短時間でワイン5杯はだいぶ飲んでいる。気分は悪くないみたいだけれど、水分補給をした方がいい。
急いで大きめのコップを取り出し、水魔法で冷たい水を注いだのだが……彼女は椅子の背もたれに体を預け、しかし背筋は伸ばして綺麗な姿勢で目をつぶっていた。
「エレオノーラさん?」
「……」
「ちょっと? だめだ、この子寝ているよ。完全に」
「そうですか。じゃあ、水は目が覚めたら飲んでもらうということで……彼女のことをお願いできますか?」
「任せときな。酔っ払いの介抱には慣れているからね」
気風のいいウェルアンナさんが快く引き受けてくれて、エレオノーラさんを抱えて女性用の部屋へ向かう。手伝うために他の3人もグラスを飲み干して追いかけ、そのまま宴会は自然とお開きになった。
……今回のことで、エレオノーラさんは酔いの兆候が表に出にくい人のようだと分かった。もし次の機会があればもっとペースに気を配ろう。




