浄化の仕上げ
本日、2話同時投稿。
この話は1話目です。
夜
天候は快晴。満月ではないものの、空は雲のない満天の星空。光を遮るものはなく、月と星の光が切り拓かれた広場に降り注いでいた。
広場の一角には、事前に用意しておいたテーブルと金属製の容器が一つ。光沢があり、よく光を反射するアイアンスライムに作ってもらった容器は、例えるならお菓子のババロアを作るときに使う型。円形の容器の中心部が盛り上がり、小さな台になっている。
実験ではこの台に解呪を行う対象物、今回はローゼンベルグ様から借りた指輪を置き、その周囲には不純物をできる限り取り除いた綺麗な水を注ぐ。月の光を水鏡と金属の鏡を用いることで、資料の当時は光を集めていたらしい。
今回は最初の実験であるため、儀式は資料に忠実に行った……が、
「効果が出ませんね」
「ふむ……全く効果が発揮されていないわけではないようですが……」
指輪の解呪は一向に進まず、何度か儀式を繰り返してみたが、ほとんど変化はない。
「指輪にかかっている呪いは、解けやすいものですよね?」
「最初ですからね。とりあえず効果が出るかの確認のためにカーシェル公爵家が定めている基準では、最も解呪難易度の低い“1”に該当するものを使っていますよ」
「ですよね……ちなみにその解呪難易度の基準といいますか、どのような違いがあるのでしょうか? たしか、以前調べていただいた僕の呪いが“7”で最高難度でしたよね?」
「説明していませんでしたね。解呪難易度は0~7の、全部で8段階です。
尤も0は呪いがかかっていない、または時間経過で自然に解けてしまうものですから、命にかかわる呪いでなければ解呪は不要。7は滅多に見かけることがありませんし、解呪不能という扱いになっているため、あまり考える必要はありません」
そう前置きして、ローゼンベルグ様は大まかな目安を教えてくれた。内容をまとめると、以下の通り。
1=時間経過では解けないが、初心者の不完全な術でも解ける可能性がある呪い。
2=解呪の術をきちんと発動できれば解けるくらいの呪い。解ければ見習い卒業も近い?
3=ここまで解ければ解呪を本業として生活できる、一人前の呪術師。
4=解呪を専門として、経験を積んだ熟練者が対応する必要がある。
5=熟練者の中でも一握りの人でないと対応できない。解ければ一流。
6=一流の人が複数人で対応する必要があるレベル。単独での解呪は困難。
「同じ段階でも呪いによって多少の誤差はありますが、厳密に測るには専用の魔法薬が必要です」
「以前、僕の血を取って使ったものですね?」
「その通り。あれは薬液を対象に触れさせて起こる色の変化で見極めます」
リトマス試験紙でpHを調べるようなもの、と考えるとイメージはしやすいな。……それはそれとして、一番解けやすいレベルでこの結果。資料を見る限り、月の光が足りないということはなさそうだし……
スライムの視界を使って観察してみると、術をかけた空間の中には確かに自然の魔力がある。術によって呪いのかかった指輪を包み込み、浄化もしてはいるけれど……
「自然の魔力を効率的に使えていない?」
「これまでが順調過ぎただけで、呪術の習得は普通、こんなものですよ。もしかすると時間をかけて、徐々に呪いを弱めていくような術の可能性もあります。焦らずに観察と儀式を繰り返しましょう」
「そうですね。ではこの台座は時間経過での変化を見るということで、もう1つ台を用意します」
こうして深夜まで実験を続けたが、この日はこれといった成果は見られなかった。
■ ■ ■
翌日
実験から一夜明け、昨夜の遺失魔術を成功させるためにも今日の午前中は呪術を学ぶ。まずはこれまでの復習を兼ねて、もう一度瘴地の浄化を行なった。
「浄化に関しては心配なさそうですね。では仕上げに入りましょう」
「仕上げというと、瘴気を退ける魔法ですね?」
「その通り。この場に溜まっていた瘴気の浄化はできましたが、時間が経てばまた地中から瘴気が溢れてきます。それを次の浄化に来るまで外に漏らさず、瘴地を拡げないようにします。
今は前任者の術がまだ効力を保っていますが、限界がくる前にかけ直さなくてはいけません。この“効力を維持できる期間”が、浄化作業を定期的に行う目安となります。リョウマ君は今回が初めてですから限界まで待たず、徐々に間隔を伸ばしていきましょう」
「分かりました」
「さて、それでは実際に術をかけていくのですが、ここで重要なのが呪いをかける際に使う目印、“媒体”とも呼ばれるものです。前任者の場合はあの印ですね」
ローゼンベルグ様の視線を追えば、周囲の木々に描かれた謎の印が目に入る。
「媒体がなくとも術はかけられますが、やはりイメージがしやすいものを用いた方が威力は高く、効果も長続きします。通常は師となる人物から指導を受けつつ仕事を手伝う中で、実際に媒体を扱ってイメージを固めていくのですが……リョウマ君の場合は自分の術のイメージに適していると思うものを使うと良いでしょう」
「瘴気を防ぐ術に適しているもの……」
「あまり難しく考える必要はありません。すでに君は浄化の術に煙という媒体を使っているでしょう? それと同じことですよ。目的から自然に思い浮かぶようなもの、あれこれ考えずに直感的にイメージできるものの方が、呪術の媒体としては適しているのです。
一見無関係なものを使う場合もありますが、それは術の暴発や暴走を防ぐため、 あるいは同業者に対する術の秘匿といった、術の発動以外の目的が含まれています。今回はそこまで考えなくて良いので、自分が使いやすいと思うものを使ってみてください」
そういう事ならばと、アイテムボックスから“トラロープ”を取り出す。工事現場でよく見かける黄色と黒のロープ。山の調査をすることに決まった段階で、使うこともあるかと思って作ったものだけど、こんな形の使い方になるとは思わなかった。
でもロープとしての強度は十分だし、完璧に前世のトラロープを再現できていると思う。これなら前世のバイト経験のおかげで馴染み深く、使いやすい。“縄張り”という言葉もあるし、神社の注連縄など、縄には儀式的な行事に使用される物もあった。今回の目的やイメージにもピッタリだろう。
このロープを使うとローゼンベルグ様に伝え、早速実践。呼吸を整え、意識を集中し、森に引きこもった気持ちを思い出しながら、
「『アイソレーション』!」
手に持った縄に呪いをかけると、小石にかけた前回よりも魔力が物体にしみ込むような……植物が地面にしっかりと根付いたような……不思議な違和感を覚えた。いや、実際に縄からは今かけたばかりの呪いを強く感じる……けど、前よりも安定している?
「ローゼンベルグ様、なんだか前と大分違う感じがするのですが」
「自分の中のイメージと媒体が合致しているからでしょう。これなら十分な持続力が見込めます。しかし……」
「しかし?」
ローゼンベルグ様はおもむろに、俺の持つトラロープに右手をかざす。手のひらからは微弱な魔力が放たれ、ロープを包んで数秒後……彼は頷いた。
「呪いは成功していますが、瘴気を退ける効果に加え、人除けと獣除けの効果が付いてしまっていますね」
「人除けに獣除け? 何でまた」
「呪いをかける際に関係のある事、おそらくは孤独を求めるような内容を思い浮かべたでしょう。呪いをかけることに成功しすぎた結果、余計な効果まで付いてしまったのですね。珍しい例ではありますが、ない話ではありません」
人除けは引きこもり希望、獣除けは縄張りだからかな? 言われてみれば、確かに心当たりがある。今回の目的には沿っているし、ここでの利用に問題はないけれど、意図しないものになってしまうという点には注意が必要だな。
「なにはともあれ成功はしていますし、リョウマ君の習得速度なら制御にもすぐに慣れるでしょう。今回の感覚を忘れずに、回数を重ねて慣れればいいのです。
遺失魔法の件も、同じ要領でより成功に近づく可能性がありますから“リョウマ君なりのやり方や媒体を探す”という方向からも試行錯誤を続けてみましょう。媒体とは別に、杖や魔法道具の補助を使う手もありますし、方法は1つではありませんから」
「わかりました。これからもご指導のほど、よろしくお願いします」
「……失礼いたします。私からも質問よろしいでしょうか?」
俺達の会話が一段落したところを見計らい、少し離れたところから見守ってくれていたセバスさんが尋ねてきた。彼は俺達の邪魔をしないよう、基本的にこちらから何か声をかけない限り後ろに控えているので、珍しい。
ローゼンベルグ様は快く、どうぞと言って質問を促した。
「ローゼンベルグ様。そちらの縄の効果範囲はいかほどでしょうか? また、どのような影響を及ぼすのでしょうか?」
「私の見立てでは、範囲はそれほど広くはありませんね。あえて接触しようとしなければすぐ隣を歩いていても、 我々のように防護の術を事前にかけていなくとも、影響は受けずに済むでしょう。
仮に影響を受けたとしても、心身を傷つけるような意図は感じません。 近づきたくないと感じるだけで、危険はないでしょう。退けるというよりも“隔てる”と言った方が適切かと」
「ほう……では、その縄はリョウマ様がいない場所でも利用可能ですか?」
「可能です。防護魔法で縄にかけられた呪いに対抗できる人材がいる、ということが前提になりますが」
なんだろう? セバスさんがやけにあの縄に食いついている。 不思議に思う俺の視線に気付いたのか、 失礼しましたと一礼してから理由を説明してくれた。
それによると……現在、ジャミール公爵領ではいたるところで建築ラッシュが起きている。前にラインハルトさんからも新しい村の開拓計画があると聞いているし、俺に身近なところだと、ギムルの隣に新しい街を作る計画も進んでいる。
俺が作ったこの縄はこの街づくりや開拓現場で、間違いなく需要があるとのことだった。
「野盗や魔獣に野生動物、開拓に危険はつきものですから、この縄は作業員の安全確保の助けになるのではないかと思いまして。それに縄を張るだけで使えるのならば、堀や外壁よりも設営が簡単で早くなるかと。
また、開拓などの特別な状況でなくとも……たとえば農村の畑をこの縄で囲うことで獣害の軽減ができれば、作物の産出量向上に繋がります。他にも人を許可なく立ち入らせたくない場所は多くありますので、使いどころはいくらでもあるでしょう」
「確かに簡易的な壁の替わりには使えるかもしれませんね。侵入阻止限定ですが。害獣に対しては電気柵みたいな使い方か……広い範囲で活用できる可能性があり、さらに今は特に需要が高いと」
「効果についてはたった今、ローゼンベルグ様の保証がありましたので疑いはありません。差し支えなければこちらの件、優先的に報告を上げていただきたく思います」
報告ということで、今日も後ろで記録を取ってくれているエレオノーラさんを見る。しっかりと頷いているところを見ると、これも引き受けてくれるらしい。
「では、報告書はエレオノーラさんにお願いします。ただ、まだどこまで実用可能かは分からないので、まずはここでの作業も含めて色々と実験をしましょう」
「タケバヤシ様、どれほど量産が可能かも書き添えた方が、その後が円滑に進むと思います」
「あー……とりあえず今、このトラロープの在庫はここの瘴地を囲えるくらいあるはず。多少効果が劣化しても良いのであれば、その辺の雑貨屋で売っているような縄でも呪いをかけること自体は可能な気がします。こう、感覚的に」
「用途に合わせて作るというのも1つの手ですよ。対象を1つに絞り、力を分散させなければ効力は強まります。呪いを制御する訓練にもなりますね」
それはいいな。魔力は十分あるし……どうせならこの瘴地だけでなく、山にも変な人が立ち入らないように、人除けの呪いをかけた縄で囲んでしまおうか? ただそうなると、ロープの在庫が絶対に足りない。
「それでしたら、私が近場の街で購入して参りましょう。特別な指定がないのであれば、どこでもそれなりの量なら手に入るはずですから」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります。お金は――」
「費用は一度こちらで負担します。その方が色々と話が早く進みますので」
「ああ……確かに飛び入りでも便宜を図ってもらいやすそうですね。わかりました、あとで領収書をください。あと、今回はまだ実験段階ということで、量は購入先の迷惑にならない程度でおねがいします」
「かしこまりました。それでは行ってまいります」
セバスさんは優雅に一礼すると、空間魔法で消えていく。
呪いをかけるのは別に苦じゃないし、たぶんある程度まとめてかけられる。大量生産する上での問題点は、俺の労力より継続的な縄の入手経路の方かもしれない。
……ところで、ローゼンベルグ様が呪いの詳細を看破した魔法は何なのだろうか? 以前も俺に対して使っていたし、おそらく無属性の“探査”や“鑑定”に近いものだと思うけど……そちらについてはまた今度、解呪の勉強の時に聞いてみよう。
そんなことを考えながら、残された俺達はロープを瘴地周辺の木に張り巡らせる作業に入るのだった。




