エレオノーラの提案
本日、3話同時投稿。
この話は1話目です。
夜
「あれ? エレオノーラさん、どうされました?」
男女別の宿舎を2棟建て、夕食を食べた後は各々のんびり体を休めることになった。しかし寝るには少し早かったので、夜風にあたろうと宿舎を出たら、エレオノーラさんがいた。
彼女は胸元に書類らしき紙の束を抱え、宿舎の玄関から少し離れた位置に立っている。よく見れば彼女の足元の地面に沢山の足跡が付いていることから、しばらくこの辺を右往左往していたようだ。
「タケバヤシ様。本日の活動を書類にまとめたので、お時間のある時にご確認いただきたく、参りました。しかし、ここに来てから男性用の宿舎に私が立ち入るのはどうなのか? と思いまして」
「分けただけで、用があるときに呼び出すことを失念していましたね……それは明日以降に改善するとしましょう」
作ってくださった書類を受け取り、中身を軽く確認する。幸い玄関前には明かりの魔法道具を設置していたので、ここは書類を読むのに問題ない程度には明るいが……妙に分厚い書類の中身をざっと見てみて驚いた。
「業務日報だけじゃなくて、瘴地の状況と検査結果の一覧表。それを元にした公爵家への報告書。おまけにローゼンベルグ様から教わった内容のまとめと用語集まで、これ全部この短時間でまとめたんですか!?
有能なのはもう十分に分かったつもりでいましたけど、今日は計測の手伝いもあって疲れたでしょうに……」
「書類の形に整えたのは夕食後ですが、情報の整理は大方昼の作業中に行いましたので。瘴気濃度の計測中は大半が移動で時間もありましたし、呪術の指導内容に関してはローゼンベルグ様の仰っていたことがほぼそのままです。大したものではありません」
だとしてもこの量……夕食前まで彼女はほとんど俺から離れていなかったから、作業をする時間はなかったはず。必然的に作業は夕食後からで……2時間と少しくらいしか経っていない。パソコンなんて便利な道具もないので、もちろん全部手書きだ。
計測中の大半は移動だから時間があったといえばあった。でも俺が魔法道具で計測した結果を記録する記録役としての仕事もしていたし、それ以前に山道を歩きながらだ。エレオノーラさんもロープで山の斜面を登り降りとか、していたはずなんだけどなぁ……
呪術の用語集とか頼んでないことまで率先してやってくれているし、ありがたいけど無理してないだろうか?
「勝手が過ぎたでしょうか?」
「いえ! そんなことはまったく。ただただエレオノーラさんの有能さに驚いていただけで。授業の記録と用語集も、とてもありがたいですよ。復習もしやすくなりますし」
「恐縮です。タケバヤシ様には不要かとも思いましたが、魔法の学習に関しては学生時代の経験がありますので、少しでもお力になれればと」
「不要だなんて」
そんなこと全くないと思うのだけど、謙遜ではなく本気で言っているようだ。
「タケバヤシ様が樹海という、少々特殊な環境でお育ちになったことは聞いております。しかし、魔法習得の前提となる知識は既に高度なものをお持ちでしょう。
根拠は大きく分けて2つ。1つはまず私が事前に公爵閣下から、タケバヤシ様は魔法ギルドから取り寄せた魔法書を、お一人で読んでいるというお話を聞いていることです」
魔法書? それなら確かに公爵家に頼んで、時々送ってもらって暇な時に読んでいる。でも、それだけで魔法の習得に助力が不要という理由にはならないのでは?
「魔法書とは魔法関連の書籍の総称。研究書や論文もありましたけど、大半は魔法の教科書ですよね?」
「その点については間違いありませんが、読んでいて難解だと思われませんでしたか?」
「難解というか、読みにくかった記憶ならありますね。比喩表現とか、詩的な表現がやたらと多くて」
パッと思い出せるのだと、水魔法の基礎について書かれた本で“水は高いところから低いところに流れる”程度の内容を、丸々1ページ分の詩にしていた本。たったそれだけの内容でよく1ページも詩を書けたなと、逆に感心をした覚えがある。
「その読みにくさは、あえてそうしているのです」
「えっ、あれはわざと?」
「はい。魔法ギルドが公認して販売している書籍の内容を理解するには、魔法書を読み解ける指導者が必要になるように書かれています。
魔法ギルドは今でこそ門戸を開いていますが、始まりはまだ魔法使いが少なかった時代、迫害から身を守るための小集団。魔法の力に目を付けた権力者から圧力を受けてきた歴史があります。
そのため魔法ギルドは基本的に秘密主義といいますか、魔法は秘匿することが当たり前、美徳と考えている節があるのです。特に上層部の人間は、魔法が自分達の管理の外に出ることを快く思っていません」
「ああ、それでわざと書籍の内容を分かりにくくしたり、指導者をつけて学習者を少しでも管理できるようにしたりと……本を分かりにくくするのは本末転倒というか、非効率なだけの気がするのですが」
「私も魔法ギルドに登録はしていましたが、あまり利益を感じた覚えはないですね。学生だったので、学園の資料室を閲覧できたこともあると思いますが……なにぶん古い組織ですから。組織内部の変化よりも、時代の変化の方が早いのでしょう。
ですが、魔法が貴族かその配下の者のみ許され、情報漏洩は極刑と定められていた時代があることを考慮すれば、寛容にはなっていますよ」
確かに、そう考えると大きな変化だ。
「魔法書に関してはそのような経緯がありますので、指導者なしに読み解くことができるのならば、既に魔法書を読んで得られる知識を持っているか、それに近い知識量だと言えます。また、タケバヤシ様が“魔法消防隊”の方々に向けて書かれた魔法書にも、相応の知識量が現れていました」
「そういえば昨年末、火災に備えて消火用の魔法を考えて雇った魔法使いの人達に配った資料がありましたね。……待ってください。魔法ギルドのことを考えると、あの時彼らに配った資料は」
「魔法ギルドを通せば出版前の検閲で差し止められたと思いますが、違法行為ではありません。公に向けて販売したわけでもないのですから、ご心配には及びませんよ。問題があれば、私より先に公爵家の方々から注意を受けているはずです」
そういえばあの資料に関しては何も言われていない。なんなら今まで忘れていたくらいだ。一瞬ヒヤッとしたけど、何事もないようでよかった。
「話を戻しますが、前提となる知識が豊富であれば、魔法を使うためのイメージが容易かつ強固になります。たとえ目的の魔法の知識が乏しくとも、関連または類似する現象の知識が助けになる場合もありますね。
あとは魔法を使う上で必要になる魔力操作能力。こちらも今日の練習を見た限り、文句の付け所がありません。これが2つ目の根拠です。知識量と魔力操作能力、この2つが魔法を扱う上での要であり、タケバヤシ様の呑み込みが良い所以だと私は考えます」
なんだか気恥ずかしいが、エレオノーラさんは論理的に話しているだけだし、実際に的を射ていると思う。
「確かに……生きるにはそれなりに過酷でしたが、学習という一面においてはこの上なく恵まれた環境にいましたね。魔力操作に関しては趣味と実益を兼ねて、これも恵まれた魔力量に任せて使いまくっていたので。
あと最近はスライムの視界を使って訓練もしていますし」
「スライムの視界、ですか?」
おっと、彼女には事業に関係する物事から優先的に処理してもらっていたから、スライムの視界についてはまだ教えていなかった。そこまで複雑な説明でもないので、スライムの視界について説明しておく。
「スライムの人間よりも遥かに優れた魔力感知能力。それを従魔術の感覚共有を使うことで、間接的に利用するのですね」
「脳の疲労によって頭痛や倦怠感などの副作用はありますが、効果は絶大。周辺の警戒や捜索、回復魔法との合わせ技など、活用する方法は沢山あります。先程の訓練も、スライムの視界をお手本に、自分自身の魔力感知を鍛えています」
「見える物を操るよりも、見えないものを操る方が難しい。より魔力を正確に捉えることができれば、より繊細に魔力を操ることも容易になる。率直に申し上げて、魔法にかかわる者なら垂涎の能力ですね」
おっ、エレオノーラさんもスライムに興味を持ってくれたかな?
そう思った瞬間、一際強くて冷たい夜の風が吹いた。時期的には夏……樹海の気温に慣れたせいか、あまり日中でも暑いとは感じないのだけれど、夜は若干肌寒く感じる。
「ああ、魔法の話が楽しくて話し込んでしまいましたね。
エレオノーラさん、書類の用意ありがとうございました。確かに受け取りました。これからじっくり内容を確認しますので、返答は明日の朝で構いませんか?」
「はい。不備がありましたら、遠慮なくご指摘ください」
そう言って彼女は一礼するが、頭をあげた時に何かを言いかける。そこに僅かな逡巡が見えた気がしたが、彼女はごく普通に。いや、いつもよりも輪をかけて真剣な顔で口を開いた。
「実は、この実験場の取り扱いについて、提案したいことがございます。
タケバヤシ様は昼間“実験場までの道を整備しようか”と話しておられましたが、私はこの山小屋一帯、可能であれば麓までの道の整備など……主要設備の周辺環境はある程度、手をかけていると他人が見ただけで分かる状態にしておくべきだと進言いたします」
「他人が見ただけでということは、単純な住環境や移動の問題ではなさそうですね」
「はい、これは体裁の問題です」
公爵家の技師として実験場を望み、与えられたのであれば、その実験場を有効に活用していることを示しておいた方がいい。そう彼女は語った。
「タケバヤシ様は現在この実験場を、公爵家の許可を得て利用している。手続き上は“貸与”ということになっていますが、この許可を出したのは公爵閣下であり、許可の取り消しや期間の延長を決定するのも公爵閣下の裁量によります。
しかし、セバス様にも確認しましたが、よほどの失態や管理の不備がない限り、公爵閣下は許可を取り消すことはないとのこと。つまり、実質的には“贈与”と言ってよい状態になっています」
「……それは聞いていませんが」
「あえて話していないのでしょう。その方が都合の良いこともありますし……これは私の推測ですが、最初から権利を譲り渡すと言われていたら、タケバヤシ様はご遠慮なさると考えたのでは?」
思わず天を仰いでいた。目の前に広がる綺麗な夜空を眺めながら考えてみるが……自由に使える土地があれば助かるけれど、いきなり権利も全部俺に譲ると言われたら、高確率で貰い過ぎだと思うだろう。土地の権利なんて、ホイホイ貰うものではないのだから。
そんな俺の反応を見越して、という言葉も理解できる。俺はラインハルトさん達にお世話になりっぱなしだと思っているけれど、向こうも同じことを考えているみたいだからな……
「都合がいいというのは、新参者が贔屓をされていたら、古参の人がいい顔をしない、という意味ですか?」
「概ねその通りです。公爵家の方々が目を光らせているとはいえ、末端に行くほど人の数は多くなります。タケバヤシ様がお若いことで侮り、公爵家からの評価に嫉妬し、邪な考えをする者がこの先も出ないとは限りません。特に貴族家出身の者は、体裁を気にする者が多くいますから……」
そういった時になって、土地の管理ができていないように見えた場合。たとえば実験場にほとんど手を入れていないとなると――
『それで実験や研究ができるのか?』
『そもそも本当に実験をしているのか?』
『実験場を与えた意味がないんじゃないか?』
『せっかくいただいた実験場を使っていないなんて、公爵家への不敬だ!』
――こんな感じでいちゃもんをつけてくる奴、もとい自分より評価されている相手の足を引っ張りたい奴が出てくる可能性はある。相手が気に食わないだけで、事実や実態がどうとか関係なく騒ぐ人、断片的な情報で全部決めつける人も世の中にはいるからなぁ……
「わかりました。瘴地だけでなく、そちらにも思い切って手を入れましょう。セバスさんもこの前“問題は小さなうちに解決しておくことが重要”と言っていましたし、潰せる隙は潰しておくに越したことはありません。
それに僕の働きぶりにケチがついて、僕に目をかけてくれている公爵家にも迷惑がかかる。そんな事態は僕も望んでいませんからね」
社員が不祥事をおこしたら、雇っている会社の名前にも傷がつくのと同じ。たとえそれが誤解であってもだ。それに、足を引っ張られれば余計な労力もかかる。
「そうなると、山に手を入れるための時間をどう確保するかが問題ですが」
「そちらは調整すれば可能かと。夕方に宿舎を建てた建築作業を考慮すれば、道作りに必要な工期が大幅に短縮できるでしょう。また、ローゼンベルグ様は指導予定の大半を、本日タケバヤシ様が習得した魔法に当てていたはずですので」
「それなら冒険者の皆さんに、麓までの道を作りやすそうな場所を探して貰えばなんとかなりますね」
最初からそこまで考えて提案に来たのだろう。あるいは今日の俺のやった事を見て、できそうだから提案にきたのかな? どちらにしても、魔法の習得速度の話はこの話をするための前振りだったようだ。
「さっそく明日の朝、皆さんにお願いしてみましょう」
「ご快諾いただきありがとうございます」
「こちらこそ、ご提案ありがとうございます」
「いえ……本心からの提案でしたが、細かいことを気にしている自覚はありますので」
俺は他人の心を察するのが得意でない方だが、その言葉には自嘲が含まれていることがハッキリと分かった。
「そう思いながら、それでも提案してくださってありがとうございます。僕も細かいことは気にする方なので、対策があればそれだけ安心です。
それに、貴族となると本当に些細なことまで警戒しなければならないのでしょう? 僕はそのあたりの事情や考え方に疎いので、貴族としての視点を持っているエレオノーラさんの意見は本当にありがたいと思っています」
「恐縮です」
「これからも気になったことがあれば、とりあえずでもいいので言ってみてください。状況と内容によっては後回しという判断をするかもしれませんが、無駄とは思いませんから」
「かしこまりました」
どこか機械的な受け答えが続いた後には、夜風が木々の葉を揺らす音だけが鳴り響く。
間もなくして彼女は、それでは失礼します、と一礼して立ち去った。
「おやすみなさい。温かくしてくださいねー」
振り返らない背中に声をかけて、宿舎の中に入る。彼女が俺の言葉をどう思ったかは分からないけれど、自発的に意見をしてくれるようになったのは良い傾向であるはず。せっかく歩み寄ってくれたところで信用を失わないように。この報告書もしっかり読ませてもらおう。




