ある魔獣の回想
本日、5話同時投稿。
この話は4話目です。
その魔獣は魔力から生まれた。
親となる個体や血縁が存在しないため、生物というよりも“現象”、そして“発生した”という表現の方が正確かもしれない。本人にも生まれたという自覚はなく、気づいたら自分はそこにいたという認識だ。
樹海の奥、廃村になった屋敷で目覚めた魔獣に、これといった目的はない。そもそもの話、何が必要で何をすべきか? 自分自身は何者なのかということも理解していなかった。
一方で、理解していることもあった。それは村の成り立ちから樹海に呑まれて滅びるまでの、長い間の出来事。当時から明確な自我を持っていた訳ではなく、おぼろげに頭に浮かぶ程度の儚い記憶を頼りに、目覚めた魔獣は屋敷の中で過ごしていた。
魔力から生まれた体は一般的な生物とは異なり、食事や睡眠を必要としない。何もせずとも、問題なく生きる事ができてしまう魔獣は、そうして目覚めた後の時を過ごしてきた。
……天に上れずにさまよっていた村の住人の魂を捕らえ、偽りの肉体とかつての生活を再現し、稀に屋敷に生き物が迷い込んだ時には、新たな住人として歓迎する日々を。
そんな魔獣がリョウマの存在に気づいたのは、リョウマ達が村に到着して間もない時。村内に放ったアンデッド達が騒がしくなった事に気づくが、警戒はしていない。むしろ、新しい住人が増えるかもしれないと心を躍らせた。
『なんだろう? 入ってくるかな?』
さらに、翌朝には駆け回るグレンの姿を見つけて、人間が来たことに色めき立つ。こんな樹海の奥に人が来ることなどそうそうあることではなく、記憶にあるのは無茶をして自力で帰ることのできなくなった冒険者やならず者が数えるほど。アンデッドを大量に放出していた今となっては、人間に限らず樹海の生き物が迷い込むこともほとんどなくなっていた。
『いつぶりかな? どんな人だろう?』
リョウマ達が下準備としてアンデッドを集め始めた時には、屋敷の窓からこっそりと様子を窺う。人間が積極的にアンデッドを討伐することは知っていたが、2人のように自ら大群を引き寄せる者は初めて見た。少なくとも、記憶にある人間の常識からすれば危険極まりない行動だが、2人はそれでも生き残れる実力者であることは理解した。
この理解は、2人が屋敷に迫ったところで警戒に変わる。慌てて門を固く閉じ、住人を呼び出せるだけ呼び出して守りを固めてもらう。しかし、彼らでは全くと言っていいほど歯が立たない。それ以上に困惑したのは、魂の回収ができないこと。
『帰って、こない』
住人が倒されることは珍しくない。危険な樹海の中なのだから、外で魔獣と遭遇すれば被害が出ない方が少ないが、仮初の肉体が壊れたところで魂を再び取り込めばいくらでも再生できる。だからこそ住人は樹海の中で生活や狩りに勤しむことができる。否、そのようにしたのだ、他ならぬ魔獣自身が。
それなのに、何故魂が帰ってこないのか? と困惑した魔獣は、少し時間をかけて扉を開ける事に決めた。2人を誘いこんで、住人にしてしまえばいい。記憶を覗いて幻を見せれば、何故住人が帰ってこないのかも教えてもらえるだろうと考えて。
『!?』
だが、ここで誤算が生じる。屋敷に踏み込んだリョウマの記憶が、これまでに迷い込んできたどの生き物よりも“読み取りづらい”ということ。さらに断片的な記憶にあるのは、何もかもが見たことのない街と人の営み。
それだけでも、過去のコルミ村と樹海の中しか知らない魔獣にとっては衝撃的なものだが、神々からリョウマに対する依頼には輪をかけて衝撃を受けた。
『……』
死者の魂に肉体を与え、住人の営みを観察してきた魔獣は、神々についての一般的な知識は持っている。会ったことも言葉を交わしたこともないが、絶対的な存在である。それが自分自身を抹殺しようと考えていて、踏み込んできた少年?はその神々から依頼を受けて、ここまでやってきている。
ここで魔獣はリョウマを明確な敵であり脅威だと認識し、全力で取り込むことに決めたのだが……
『何故だ……何故!?』
講じた策は失敗に終わり、魔獣とリョウマは僅かな住人達を挟んで相対している。見せ続けた幻覚はリョウマを新たな住人にするどころか、怒りを買う始末。関係の良し悪しはあれど、見知った人間の姿をしたものを遠慮なく、そして悉く切り捨てて自分の下まで殴り込まれてしまった。
「気分の悪いものを散々見せてくれたな」
『グゥッ……侵入者を排除しろ!』
リョウマが殴りこんだ広間の最奥。骸骨のように痩せ細った老人の声で指示を出すと、広間で待ち構えていた住人が一斉に殺到する。しかし、リョウマは体捌きで敵の攻撃をすり抜けるように躱し、敵を光属性の魔力を纏わせた刀で悉く打ち倒していく。
何を狙っているのか? 次はどう動くのか? 撃退のために魔獣はリョウマの思考を読み取ろうと試みるが、失敗。
(間に合わない!?)
リョウマの頭の中が読みにくいというのもあるが、それ以上に今のリョウマの動きは限りなく反射に近かった。戦うことに没頭した結果、余計な思考が省かれた分だけ対応も早く、次の行動が読めても魔獣と住人が対応しきれない。
幸いにも、外に出した住人達と違い、リョウマに斬られた住人は魂が戻ってきた。それならばと魔獣は消滅した住人を再び呼び出す。魔獣はどうあっても屋敷を離れることができないのだから、退路も存在しない。決死の覚悟で住人を呼び出してはけしかける。僅かでも動きが鈍ることに一抹の期待を込めて、幻覚で顔見知りの姿を貼り付けて。
「往生際が悪い」
何と言われようが、魔獣は必死に抵抗を続ける。騎士や農民、魂によって再現できる生前の力量にも違いはあるが、拘ってはいられる状況ではない。手当たり次第に呼び出す中でも、魔獣の頭には困惑が渦巻いていた。
(なんで? なんで? なんで?)
一言で言えば、魔獣は“経験不足”。これに尽きる。昔の人の営みを多少知っているとはいえ、それは魔獣自身が経験したことではない。今の形になり、人の魂を取り込むようになってからも、まだ数年といったところ。
なまじ強力で初見殺しな能力を持っていたが故に、これまで自分の能力が効かない相手と相対した事もなく、戦い方の指導をするような人間もいない。魔獣にとって、生まれて初めての想定外が今だった。
(どうする? どうする?)
戦力は拮抗している。人間ならば体力や魔力に限界はあるはず。永遠に復活できる住人達がいる以上、持久戦では有利になるはず。しかし、何かがおかしい。魔獣の心を漠然と、だが強烈な不安が襲う。自分を殺しに来た人間がいるということ以上の“何か”、理解できないものが魔獣の焦りを加速させていく。
『あ……』
だが、ここで1人の住人がその動きを鈍らせた。既に命を失い、幻覚に取り込まれ、疲労も恐怖もないはずの体が小刻みに震えている。それは魔獣の命令に抵抗するような反応ではなく、本能的にそうなってしまったもの。
「あ、ああ……」
懸命にリョウマを押し留めるが、1人の震えは次々と他の住人にも伝播していく。全体の動きが徐々に鈍り、住人達は少しずつ押し込まれる。それに伴い、さらに住人たちの震えは激しく、中には戦意を喪失して動かなくなる者も出てきた。
(これ、知ってる。知らないけど、知ってる。ダメ、ダメだ。これはダメ、ダメダメダメダメ——)
住人達は取り込まれた魂を元にして作られたために、記憶や人格も限りなく生前に近い。それ故に、通常のアンデッドよりも“感情”が行動に現れる。そんな住人を操るためにかけていた幻覚が、それを超える恐怖で塗りつぶされていた。
そんな彼らを通して、魔獣の心も恐怖に蝕まれていく。一歩、また一歩と戦線が押し込まれる度に、恐怖が強くなる。
『なんだ、なんなんだ貴様はァ!!』
苦し紛れに放った叫びは、前線で戦う住人の援護にすらならない。打つ手なし。どうしようもない。そんな言葉が頭をよぎり、ようやく魔獣は自分の恐怖の源泉を理解した。
(人じゃ、ない。目の前にいるコレは人じゃない)
それは、魔獣が知識として知っているものだが、経験したことのないもの。
住人達が経験し、人に限らず生き物ならば本能的に恐怖し、忌避するもの。
時に魔獣、時に自然現象、時には病……様々な姿で訪れる、理不尽なもの。
(コレは——“死”だ)
人の姿をした死が近づいてくる。より強い恐怖で作り物の肌が粟立ち、逃げろという絶叫と、逃げられないという絶望が心の中でぶつかり合った、丁度その時。盾になっていた住人が切り倒され、魔獣とリョウマの視線が交差する。
『ヒィッ!?』
弾かれるようにその場から逃げ出したのは、考えてのことではない。ただ体が動いただけで、逃げ道もない。とにかくその場を離れたいという一心で、自身の背後にあった扉の中へと駆け込んだ。
だが、扉一枚で繋がっている部屋では逃げ込んだところで時間稼ぎにもならない。一拍遅れてリョウマも部屋に飛び込む。
(いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ——いやだ!)
半ば捨て鉢になった魔獣が部屋中に住人を生み出す。それがたとえ恐怖で動けなくとも、魔獣には他の方法を考える余裕がない。ただひたすらに、膨大な魔力を用いて呼び出したアンデッドに、リョウマが傷つけることに抵抗を覚える人間の姿を貼り付ける。
「リョウマ! ちょっと待て!」
「兄ちゃん!」
「リョウマ君!」
「店長!」
「リョウマ! やめるのにゃー!」
「リョウマさん! 落ち着いてください」
ギムルの人々。店の従業員。旅先の子供……そして何よりも公爵家の人々。
二度目の人生で出会い、多くの思い出をくれた人々が現れ、同時に制止の言葉を叫ぶ。
「『カッタートルネード』」
その一切は、風の刃を纏う竜巻によって掻き消された。
声も、姿も、部屋の中に吹き荒れる暴風が切り刻んで吹き飛ばす。
風の刃をその身に受けた魔獣は、苦しみの中で見た。
竜巻でこじ開けた道を駆けるリョウマと、迫る刀の切っ先を。
その瞬間、魔獣は思った。
“もう逃げられない”、でも“死にたくない”。
(————)
それは、魔獣の最後の抵抗だった。
死を目前にして、死を強く意識した魔獣が、無自覚かつ死に物狂いで生み出した幻覚。
数多の住人が命を落とし、魔獣が見守ってきた人々の記憶の再現。
——魔獣の体から湧き出した濃密な闇と共に、“死”の概念が部屋中を飲み込んだ。




