手を替え品を替え
本日、5話同時投稿。
この話は3話目です。
驚愕を浮かべたまま両断された母の顔から魔力が塵のように舞い上がり、母の顔が見知らぬ女性のものへと変わる。返す刀で親父を切り捨て、更に周囲へ一回り。かつての同僚を模していたモノも、光属性の魔力を纏わせて切りつける。
唯一、田淵君だけが幽霊のような動きで刀を回避して入口まで下がった。
『何故』
先ほどまでの聞き慣れた声とは打って変わり、彼の口から聞こえたのは老人のようなしゃがれた声。こちらを見る目も親しかった後輩のものではなく、鋭く睨みつけるようなものだ。
今の幻覚は過去の会社からの解放。仲間に認められることや和解。そして失った両親。相手の望み、あるいは好む幻覚を見せて懐柔ないし戦意喪失を狙うってところか……正直、こっちの世界に来たばかりの俺なら取り込まれていたかもしれない。
『何故、幻が効かない』
「効いていたさ。見えるものも、聞こえるものも、匂いも、何もかも記憶にある通りに思えた。心底驚かされた」
だが、効果が確かなだけに不愉快にも感じた。死んだ母親の姿を勝手に使われるのは初めてだが、気分のいいものじゃない。
『うッ!?』
俺の怒気を感じ取ったのだろう。田淵君の姿をしたナニカが表情を引きつらせ、姿を消すと世界が塗り替わる。居酒屋の一室に見えていたのは、石造りの暗くて長い渡り廊下。居酒屋の匂いも樹海の湿り気を含んだ空気に戻った。
周囲の風景は現実に戻ったようだが……
「完全に解けたわけじゃないのか」
姿はまだ竹林竜馬のまま、武器もビジネスバッグに見えているが、記憶と意識は確かだし、見えなくとも手放してはいない。自分の得物の位置と長さを把握していれば、振るう事に支障はない。
……この屋敷は元々、領主の血縁だったコルミ村の初代村長が住むために作られた家だったそうだ。個人宅だけでなく書類の保管庫や集会場などの役割も兼ねていたため、それなりに大きな家だったらしい。
この家は後に樹海開拓の為の人員に拠点として一時貸し出され、周囲に兵舎や倉庫などの施設が建てられていた歴史がある。しかし状況の悪化によって拠点も縮小せざるを得なくなり、最終的に家を中心とした施設を一体化して今の形になった。
そのため、屋敷の中心には今も過去の村長宅が離れとして存在している。その村長宅こそが例の魔獣の本拠地。
「黙ってついていけば、そのまま乗り込めるかと思ったんだけど……」
失敗を悔やんでも仕方がない。事前情報によると、渡り廊下まで来れば敵はもう目前。先に進もうとしたところで、再び周囲の光景が変わる。
抵抗されるのは当然だが……今度は会社のオフィス? かつての職場だ。こんな幻覚を見せて何をするつもり——
「竹林!!」
「……課長かよ」
「なっ、なんだその態度はァ!?」
出てきたのは、懐かしさすら感じない課長だった。今の俺の態度も前世なら悪いとは思うが、相変わらず一瞬で沸騰したヤカンのように憤って叫ぶ人だ。頭の禿げ上がり具合。脂ぎった輝き。叫ぶ勢いで揺れる腹。どこを見ても無駄に再現度が高い。
「何処を見てる!? この役立たずが! サボってないでとっとと仕事をしろ!」
課長が怒鳴り声と共に、いつの間にか持っていた書類の束を俺の机に叩きつける。この量は確実に残業コース……日常だ。
「おい! サボるなと言ってるだろうが! とっとと席につゲェッ!?」
無理矢理席に座らせようと手を伸ばしてきたので、反射的に腹をぶん殴ったら、カエルが潰れたような声を出して課長はぶっ倒れた。
『何故、殴れた……』
先程と同じ声が聞こえたかと思えば、課長が消えてまた景色が変わる。今度は会社の廊下、給湯室の前だ。開け放たれた扉の中には、若い女性社員2人の姿がある。
「はー、つっかれた。てか竹林のオッサンまじでだっるいわ〜」
「わかる! ネイルとかメイクの良し悪しなんて何も知らないくせにケチつけんなよって感じ。キッショい親父だけど、黙ってる分だけ課長の方がマシだわ」
「だよね〜。キッチリメイクするなら時間がかかるし、崩れることだってあるんだから、ちょっとくらい会社でやってもいいじゃんね」
ああ、これは昔に流石にダメだろうと思って話をした時の記憶だ。メイクをするのが悪いんじゃなくて、仕事中だけでいいからギャル系メイクじゃなくてビジネスシーンに適したものにしてくれって話をしたんだけど。
あと会社で直すのはいいけど、始業後30分でメイクを直しに行って2時間戻ってこなくなるのは時間をかけすぎだと思うんだ。しかも戻ってきたら戻ってきたで、また30分後に席を立って同じことを定時まで繰り返すし。……これ、俺がおかしいの?
「てか、これってモラハラだよね? てことは訴えたらあいつクビにできる?」
「あー、そうかもぉっ」
「……できてたまるか」
自分でも驚くほど静かに踏み込み、背後からゲラゲラと笑う2人の首を落としていた。
『何故……』
『なんで……』
落ちた首がテレビの主音声と副音声のような、重複した声で疑問を呈して全てが消える。
いや、何故? って聞きたいのはこっちの方だ。攻撃してくるわけでもないし、捕まえようとするわけでもない。さっきの田淵君や母さんの方は、まだ幻覚に嵌めようとしていると考えられるけど、今の2回はただ不快な記憶を思い出させられただけ。精々、嫌がらせにしかならない。
あんなものを見せて、一体なにがしたいのか? それが分からないのが逆に不気味だ。
「おい! これ追加でやっとけ! 明日の朝までな!」
「うっわ、あの人また課長に怒鳴られてるよ。てか、あの人いくつだっけ? 40近いのに主任とかマジで無能だよな。歳だけ食って中身がないってやつ? 言われたことを黙ってやることだけしかできないから、ああなるんだろうな」
「あんな生き方で楽しいのかね? 俺には全然わからないわ」
「そうだ、もっと俺達みたいに、世の中で上手くやれるように教育してやろうか? 俺達も将来は親の会社継ぐしさ、ダメ社員を一人前にするのも俺達って感じ?」
「ダメダメ、あんなの育てたってコスパ合わないって。そもそも年寄りは頭も固いし、若いってだけで話なんか聞きゃしないじゃん。教える時間と手間をかけるなら、相応の利益を出せる奴を選ばなきゃダメだろ。あんなのお断り」
「こっちこそお断りだっ! こんの意識だけ高い系社内ニート共がぁ!」
不快な記憶が堰を切ったように、脳内へあふれ出す。それと呼応するように床、天井、そして壁。建物のいたるところから、アンデッドが茸のように次々と生えてきた。そして周囲の景色も移り変わる。
「せんせー! 竹林君と一緒の班は絶対に嫌!」
「迷惑なんですよ。貴方がいるだけで、周りがみんな不幸になる。それくらい理解してください」
「竹林さん、体を壊して辞めていく人が沢山いるのに、なんであなただけ元気なの? 本当はろくに仕事をしてないんじゃないの? どうせ他人にばかり働かせて自分だけサボってるんでしょ。よくないよ、そういうの。本当に良くない。だから今月からはこれまでの3倍働いてね」
「ちょっとすみません、近隣から通報がありましてね。署までご同行願えますか?」
「お前さ、自分が他人と対等に喋れる人間だとでも思ってるわけ? 勘違いすんなよ」
「あんた生きてる価値あるの?」
「竹林君、人にはね、挫折が必要なんだよ。若い頃は買ってでも苦労をしろって言うだろう? 挫折が人を精神的にも肉体的にも強くするんだ。だから私は担任として、君がどれだけ努力しようと、テストでいい成績を取ろうと、君を絶対に認めないんだよ。心を鬼にして断腸の思いで若い芽を一度叩き潰す、これはキミのことを思っての愛なんだ。当然、わかってくれるね?」
もはや1つ1つの経緯を思い出す前に、次の記憶が割り込んでくる。聞こえるのは無数の記憶が混ざり合って、会話の前後が繋がらない罵詈雑言の嵐。言葉としては理解できるが、意味と思考回路が理解できない理不尽な要求に、もはや理解しようとすることすら無意味に感じ、倦怠感が体を襲う。
「鬱陶しい」
吐き捨てて、詰め寄ってくる人型をまとめて切り捨てる。1人、2人、3人、4人……顔を認識する必要はない。声を発する間も与えず、ただ現れた敵を倒す。魔力を感じ、全方位に気を配り、敵の動きと刀を振ることに集中すると、徐々に周囲の音が遠ざかっていく。
前世じゃ何の役にも立たなかった武術の腕前。学業や仕事に追われて、人によっては“その歳で中二病なの?”とか馬鹿にするネタに使われて、正直なところ好きでもない。それでもなんだかんだで死ぬまで鍛錬を続けていたのは、体を動かすことに没頭できたからだろう。
どれだけ煩雑なことに悩まされていても、鍛錬をしている間だけは、それら全てから遠ざかることができる。早い話が、現実逃避だったのかもしれない。
「……」
思考をやめるが、体の動きは鈍らない。幻覚による倦怠感が和らぐどころか、むしろ動きが冴えわたるのを感じて、さらに突き進む。
『何故、何故だ!?』
『どうして動ける!?』
『何もできなかったはずなのに!?』
聞こえた悲鳴は複数あった。しゃがれた声に、子供のような声、若い女の声。だが、どれも例の魔獣の声だと分かる。同時に、今の言葉で理解した。これまで無意味に不快な記憶を見せ続けていたのは、別に嫌がらせや挑発ではなかったことを。
これまでの幻覚の内容は、不快なものは全て俺の記憶の再現。最初は一部を俺の望むように改変していたが、ベースは記憶にあるもの。つまり、この魔獣は幻覚を使うために“俺の記憶、もしかしたら思考も読み取っている”。
これを前提とすると、確かに前世の俺は何もできていなかったと思う。どんなに腹が立っても、命にかかわると思った状況以外で誰かに手を上げたこともなければ、口汚い暴言を吐かれても反論らしい反論もできたかは怪しい。所謂、サンドバッグ状態だ。
課長に仕事を押し付けられれば黙って働き、若い女子が給湯室で陰口を叩いていれば、そっと引き返す。他の連中も、好き放題暴言を吐いても俺は殴ってこないと思っていたのだろう。
同じように、記憶を読み取った魔獣も“その記憶を持ち出せば、俺は何もできない”と踏んだのではないか? どうだ、違うか?
『グ、ウゥ……』
「当たりっぽいな!」
『——!!』
「ん?」
聞こえたうめき声から推測が正しいと確信したところで、また景色が変わる。今度は幼少期を過ごした家の道場だ。中央に道着を着て木刀を構えた親父が現れるや否や、無言で木刀を振り下ろす。それは先程、俺が母を模したものを切った時と同じく、脳天めがけた一撃。
即座に受け流すが、素早い踏み込みと柄頭を使った打撃が喉に迫る。半歩引いて体を開き、腕とすれ違うように首に切っ先を突きつける——寸前で払い飛ばされた。
「……やりにくい」
動きが完全に記憶の中にある親父のもの。それはつまり、俺と同じ技、同じ型の動きであるということ。
「この程度か」
剣戟の合間に聞こえてくる親父の失望したような呟きが、あの頃を強く思い出させる。それに伴い親父が巨大化。いや、俺が子供に、服は道着で手には木刀と、当時がより正確に再現される。
戦いながら見えた親父の顔は、義務的に仕方なく教えているのがありありと浮かんでいた。もし“うんざりとした表情”を説明するような状況があれば、見本にできそうな顔だ。ここまでに見せられた幻覚の精度からして、昔の親父はこんな顔をしていたのか。こんなことを呟いていたのかと思うが、
「“再現しすぎ”だ」
心臓めがけて突き込まれた刀を柔らかく受け、円を描くように巻き込んで崩し、そのまま首へと刃を滑らせる。肉と首の骨を抵抗なく、だが確実に通り抜けた感触を残して、親父の姿が消えていく。
道場で圧倒されていたのはあくまでも子供の頃の話。これが仮に当時の力関係を丸ごと再現されたのであれば、俺は幻覚の親父の様子に気づく間もなくやられていただろう。
親父の死後20年以上鍛錬を続け、実戦も経験した今となっては、苦手意識を強く感じただけ。落ち着いて戦えば大きな障害にはならなかった。
「さて……散々イラつかされたし、そろそろ顔を見せてもらおうか!」
気合一閃。上段に構えた刀に渾身の気を込め、道場の壁めがけて振り下ろすと、景色が再び現実に戻る。目の前には目的地である本館に続く扉があり、表面に刻まれた深い刀傷から扉の向こう側が覗けたが、その必要もないようだ。
扉が荒々しい音を立てて開かれる。中には広間があり、その奥には骸骨のようにやせ衰えた老人が1人。見覚えのある顔も、そうでない顔も入り混じる大勢のアンデッドを侍らせて待ち構えていた。




