急転直下
本日、2話同時投稿。
この話は1話目です。
森の奥からハンマーを担いで現れた大男……最前線拠点にいた連中の話が嘘でなければ、彼はSランク冒険者のグレン。“暴れ竜”の異名を持ち、長い活動歴と多くの功績を積み重ねてようやく到達できる地位に、腕っぷしのみで昇りつめた豪傑。
俺が彼について知っているのは、亡霊の街で大人達から聞いたことだけ。しかし、その時にシーバーさんは“私は歴代最強の騎士などと呼ばれていたが、あの男はおそらく現代最強だろう”と話していた。
なんでもシーバーさんは、グレンさんがSランクの称号を得た際に行われた御前試合の相手を務め、敗れている。老いを感じ、騎士団引退を本格的に考え始めたきっかけの1つでもあった、と包み隠さずに教えてくれた。
武器が違えば戦い方も違うだろうし、単純な比較はできない。しかし、先日のシーバーさん以上の実力者であることは間違いないだろう。
そんなSランク冒険者と2度目の遭遇を果たして、どうするか? と迷っていると、
「その蛇、お前が仕留めたのか?」
彼はまず、俺の足元に転がる死体に目を向けていた。
「襲われたので。もしかして先に追っていましたか?」
「いや、こいつなかなか死なないだろ? 俺も何度か戦ってはいるんだが、面倒くせぇんだよ。しかも、仕留める時にはひき肉になってるから、肉も皮もグチャグチャで金にならねぇ。よくこんな綺麗なまま殺したなと思っただけさ」
どうやらその言葉は本心のようで、彼は興味深げに死体の周りを歩き回り、方々から観察していた。かと思えば、
「よし。とりあえずお前ぶん殴っていいか?」
「なんでいいと思った?」
さも当たり前のように、名案だと言わんばかりの発言に、思わず言葉を返していた。何がどうなって“とりあえず殴る”という結論に至るのかが、純粋な疑問。いや、もしかすると何かが気に障って、例の呪いの影響を受けたのかもしれない。
急いで制止の言葉をかけ、呪いの事を説明すると、
「呪いとか別に関係ないぞ。俺は特にお前が気に食わないとか思ってねぇし。つーか、どっちかっつーと気に入った方だしな」
「そうなのですか?」
「おう。だからぶん殴りてぇ」
「……気に入った相手だからこそ殴りたいと?」
「強い奴と戦うのは楽しいだろ?」
「そんな当然の事のように言われましても」
言葉の意味は分かるのに理解ができない俺に、大男は屈託のない笑顔を向けてくる。それは本当に悪意も敵意も感じない、純粋に面白そうだと思っていることが伝わってくるような、いい笑顔。
なるほど、この人、ただの戦闘狂か……結構多くの人と付き合って来たと思っていたけど、初めて見たよこんな人。ってか、戦闘狂って本当にいるんだ……
「なんでこんな人がいないところで遭遇するのが、よりにもよってこんな面倒そうな人なのか」
「おい、声に出てんぞ」
おっと、失礼。
「でも先日お会いした時には、僕に興味がなさそうに見えましたが」
「あのあたりでウロウロする程度の奴と戦っても、つまらないだろ?」
なるほど。この人の基準で、あの拠点の人達は相手にする価値もない雑魚。先日の俺もそこに含まれていた。しかし今の俺は1人でここまできて、イモータルスネークを倒したという実績もある。
「それで雑魚からちょっと面白そうな奴に再評価されたと」
「分かってるじゃねぇか。よっしゃやるぞ!」
「やるとは言ってない」
「なんだよ、ノリが悪いな……よし、一発だ。一発ならいいだろ?」
ノリとか以前に、もう少し常識的な会話をして欲しいが……
「こちらも反撃していいんですよね?」
こんな一方的な話を受けてやる必要があるのか? とも思うけれど、まともに相手をするのもそれはそれで面倒臭そう。軽く腕試しをして、満足して帰ってくれるならよし。本気で襲ってくるのなら、それが魔獣でも人間でも、Sランク冒険者でもやることは同じになる。釈然としない部分はあるが、さっさと面倒ごとは片付けよう。
そんな気持ちで返答したのだけれど……どうやら今の一言は思った以上に彼の琴線に触れたようで、不敵な笑みを浮かべている。
「おう、もちろんだ。黙って殴られろなんて言わねぇよ。面白くねぇしな」
「そればっかりだな」
呆れながら、持ったままだった槍を少し離れた場所に放り投げる。
「なんだ、その槍は使わねぇのか?」
「殴り合いに槍は使わないだろ」
「別にそっちは使ってくれても構わなかったんだが、面白れぇ!」
彼は嬉々として担いでいたハンマーを投げ捨てると、その太い腕と肩を回す。そしておもむろに、足元にあった小枝を拾った。
「合図はわかりやすく、こいつを上にぶん投げて落ちたらでいいな?」
「それでいい」
「なら行くぞ!」
数メートルほど離れた位置から、グレンは軽く小枝を真上に投げる。しかし、その動きに反して枝は勢い良く空中に投げ出された。小枝は低くとも40メートルはあろう巨木の、生い茂る枝葉付近まで飛び、落ちてくる。
そして、地面に接した音を認識した瞬間には、振り下ろされる拳が目の前にあった。
「ッ!?」
反射的に体が動く。
相手は右の拳で、真正面から殴りかかってきただけ。気を用いた強化はしているだろうが、他には工夫も何もない。ただそれだけの一撃が異様に重い。
実際に拳を払おうとした右手が接触した瞬間に、力不足を感じる。間に合った左手の力を加えても拳は逸らし切れず、接触面を軸に全身を翻すことで、皮一枚のところでなんとか受け流せた。
思わず頬に冷や汗が流れたことを感じつつ、拳を振り抜いたままがら空きになった腹へ、全力の蹴りを叩き込む。
「!」
手加減をしたつもりもなく、その余裕もなく。打ち込んだのは間違いなく渾身の一撃。しかし、足から伝わる感触が、効果がないことを告げていた。
叩き込んだ足が皮膚に押し返されるような感触に逆らわず、腹を踏み台にして横に飛ぶことで距離を取ることに成功するが……僅かながら確実に手足に残る痺れが、回避と反撃の結果であることに驚きを禁じ得ない。
そして、それ以上に驚愕したことがもう1つ。
「身体能力だけであれかよ」
殴りかかる動きは大振りの、所謂テレフォンパンチ。戦い慣れているようには感じたけれど、攻撃後の隙も大きい。何らかの武術を修めた人間というよりも、喧嘩慣れした不良のよう。
……おそらく先ほどの一撃は、気による肉体強化のみで、あの速度と威力。ただそれだけで叩き潰されそうになった。Sランク冒険者というのはこれほど強いのかと、湧き上がる驚きが感服に変わり——
「ダァーッ! クソッ! 失敗した!」
——かけたところで、グレンが声を上げた。暴れる気かと警戒するが、
「もう2、3発くらい多くしとけばもっと楽しかったっつーのに……でも1発って言ったのは俺だしなぁ……仕方ねぇや。終わりだ」
どうやら暴れる気はないらしい。また、その口ぶりからしてネガティブな感情も抱いてないようだ。他人の話はあまり聞かないが、自分で決めたルールや約束は守るタイプなのかもしれない。
……厄介な人であることは否定できないけれど、あの最前線拠点の連中ほど悪い人間でもなさそうではある。しかし、いまだに悔しそうな顔をしているところを見ると、なんでそんなに俺と戦いたいのかという疑問が湧いてきた。
「そんなに戦いたいんですか?」
「あ? 当然だろ。ほとんどの奴は一発殴ったら十分なんだよ。避けられもしねぇし、ただぶっ飛んでく。たまーに耐える奴もいるが、その後も戦える奴は珍しい。殴り返せる奴なんざ、もっと少ねぇよ。そんなの見つけたら、見つけた時に戦っとかなきゃ損だろうが」
「ああ……」
落胆や退屈を感じる口ぶりで、何となく察した。この人は“強すぎる”のだ。
一般人はもとより、戦闘行為を生業とする人の平均からも、彼の強さは大きく外れている。だから、大半の人間は一撃で勝負がついてしまう。俺に対して“殴っていいか?”と言っていたのも、“殴り合い”になることの方が稀だからなのかもしれない。
「あとは目だな。俺が殴って耐えられる奴も、大体は殴ったら大人しくなっちまう。勝てねぇと思ったら、すぐに諦めて戦う気をなくす。そういう奴らは最初から弱い奴と変わらねぇよ。ほら、最初に会った時にもいただろ? やかましい奴らが」
「ああ、あの最前線拠点の」
「あいつらも前にぶちのめしてから、俺には絡んで来ねぇ。Sランクなんて関係ねぇとか威勢のいいこと言ってるが、あれは何もしないで尻尾巻いて逃げるのが気にくわねぇだけだ。本気で俺と戦う気なんてないのさ」
確かにあの連中は、妙に小物臭かった。決して弱くはない、というか外の街のゴロツキや盗賊と考えれば、おそらく強い方だ。それでも彼の前ではあの態度。自分より強いことを理解してなお、立ち向かおうという気概がない。彼が言いたいのはそういうことだと思う。
「その点、お前はさっき俺が叫んだ時に身構えたろ。急に腰の引ける奴らとは違って、襲ってきたらぶっ飛ばすって意志っつーか、焦ってないっつーか……お前、本気で戦えばまだ何かできることがあるんだろ?」
……少し驚いた。奔放で、ともすれば無警戒にも見えたのに、流石はSランクの冒険者ということか。確かに、この人は強いが、手はあると思っている。
イモータルスネークにも使ったスライムの吸血槍は、空間魔法を使えばいつでも手元に戻せる。移動に使ったマッドスライムも回収していないので、スライム魔法で泥を操ることもできる。倒せる相手ではないとしても、空間魔法で逃亡するくらいの隙を作ることもできないとは思っていない。
「へっ、やっぱ面白いな、お前。相手になるどころか、隙があったら返り討ちにしてやるって言われてるみてぇだ。あー! 本っ当に、もう少し長く戦えるようにしときゃよかった!」
ガリガリと汚れのこびりついた頭を掻きながら、またしても彼は叫び、大樹の枝葉に覆われた天を仰ぐ。しかし、その直後。彼は何を思いついたのか、海老が跳ねるように、一瞬にしてこちらに視線を向ける。
その爛々と輝く目をみた時点で、嫌な予感を覚えたが、
「そういやお前、名前は? 聞いてなかった」
「……リョウマ・タケバヤシです」
「じゃあリョウマ! 俺は決めたぞ! しばらくお前についていく!」
「は!?」
予感はあっという間に的中し、逃げる間もなかった。ってか、どうしてそうなる!?




