樹海の流儀(後編)
「ステム爺さん、知っているのか?」
「ああ、前に聞いたのがいつか思い出せないくらい昔の話だが……ちょっと待ってくれ」
兵士さんにステム爺さんと呼ばれた老爺は、そう言って近くのテーブルに向かっていく。一瞬、服の分厚い魔獣の革が鎧に見えたが、着ていたのはエプロン。冒険者達に抱えていたジョッキを渡している所を見ると、この酒場の給仕をしている方のようだ。
「あの人は若い頃は冒険者として樹海で活動して、引退してからもああやって酒場を経営している。樹海のことであの人以上に詳しい人はいないぞ」
「ただ長くここにいるだけの話だよ」
ジョッキを置いてこちらにやってきたステムさんは、手近にあった背もたれのない小さな椅子を片手に掴み、もう片方の手でエプロンの前ポケットから煙管を取り出した。そして俺と衛兵さんの間あたりに腰を下ろすと、煙管に火をつけながら口を開く。
「で、聞きたいのはコルミ村の話だったか」
「ああ、俺は聞いたこともないが」
「だろうな。俺も細かくは覚えていないが、コルミ村が樹海に呑まれたのは40年くらい前の話だったはずだ」
「40年、ってことはまさか“最前線”より先か!?」
思わずといった様子で張り上げられた声と、“最前線”という言葉に周囲の目が一気に集まった。察するに、樹海の一番奥にある拠点のことなのだろう。
コルミ村がその先にあるというのならば、俺は完全に人の生活圏がない、樹海の住人からしても危険な秘境に踏み入ろうとしているということになる。注目を集めるのも無理からぬことなのかもしれない。
「間違いない。俺はその先にあった村の生まれでな、一時期はコルミ村にも住んでいたことがあるから位置も知ってはいる」
「コルミ村に、住んでいたことがあるのですか?」
「あれは50年くらい前か……当時の国王が即位直後に樹海の開拓を始めるとか言い出しやがって、軍人がゾロゾロと樹海を荒らしたせいであっという間に、当時樹海に一番近かった俺の故郷が樹海の猛威に晒された。それで完全に呑まれる前に避難していたのさ。
で、お前さんはあんなところに何の用だ?」
「墓参りと遺品整理に」
理由を聞かれたので、いつも通りの説明を行う。すると、再び衛兵の男性が目を丸くする。
「その村の出身って、お前ここには初めて来たと言ってなかったか?」
「それは、ここや他の樹海内の拠点を利用するのが初めてという意味で、樹海そのものは初めてではないのです」
「そんな意味とは思わんだろ。ってか、そもそも生活できるのか?」
「できないとは言い切れまい」
彼が疑問に思うのは当然。むしろ、俺より先にステムさん がそう言ったことに驚いた。
「まだ生き残りがいたのは驚きだが、昔はあそこが今のここのように、外との交易拠点だった。コルミ村は樹海に呑まれるまで10年近く時間があってな。最初は普通の農村だったが、周りを頑丈な壁で囲ったり、深くて幅の広い堀を掘ったり、実際に呑まれる前から防衛の準備ができていたんだ。
領主の館ができて、領軍や国軍が常駐するようになって……最終的に村は放棄されることになったが、村そのものを広げて樹海開拓と国土防衛のための要塞都市にする計画もあったらしいぞ」
「ってことは、人が住める余地は十分あるのか」
「少なくとも生活基盤はあったし、放棄されるまでは施設の建築や強化が続けられていたはずだ。
それに樹海に呑まれてからの10数年、大体40年から30年前までは行き来する連中も珍しくはなかったよ。樹海の素材の取引に加えて、国からの“支援金”という名目の賠償金、あとはなんだったか……産業を興したとか」
「もしかして、胡椒ですか? 僕は関わりがありませんでしたが、コルミ村で栽培されていたので」
「おお、そうだそうだ。樹海に呑まれたことで気候が変わり、香辛料の栽培ができるようになったんだ。それで、とにかく昔のコルミ村は景気がよかった。金が稼げれば人も集まるし、強固な防衛体制も敷ける。ある程度の安全は金で買えたわけだ」
しかし、彼はその後“30年前までは”と続けた。
「ステム爺さん、その30年前に何があったんだよ」
「もったいぶるなよー」
そんな声が、近くの席に座る冒険者達から上がる。気づいてはいたが、ここにいる多くの冒険者は、俺達の話を酒の肴にしているらしい。
「……国の樹海開拓計画が頓挫したのさ。死者と傷病者が出るのは当たり前。開拓は進むどころか、悪あがきのせいで樹海が広がっていく一方。俺ら冒険者個人の懐は暖かかったが、国としては損害の方が大きかったんだろう」
「あ〜、そうなると軍や貴族の兵はいなくなるよなぁ」
「そうだ。だが冒険者や商人、昔からの村人なんかは村に残る奴らがほとんどだった。むしろ軍人や貴族の締め付けがなくなって気楽になるとか、上前を撥ねられなくなって儲けが増えるだなんて言っている奴が多くてなぁ……とにかく危機感がない奴が多かった印象だな」
“正常性バイアス”というやつなのかもしれない。当時、国軍が引き上げた後の村では、兵士がいないなら、その分だけ冒険者を金で雇えばいい。兵を養うための補助金や村への見舞金がなくても困らない。そんな風に“これまで栄えていたのだから、これからも大丈夫に決まっている!”と根拠もないのに信じ切っていた人が多かったらしい。
しかし、結果は言うまでもない。ステム爺さんは紫煙と一緒にため息を吐いているし、話を聞いていた周囲は誰もが呆れた顔をしていた。
「もう分かっただろうが、あっという間にコルミ村は衰退した。村に残った奴らが新しい拠点で物資の取引をして帰る姿も見た覚えはあるが、どんどん頻度も人数も減って、もう20年は見ていない。
最後の方は取引に必要な対価も用意できなくなって、ほとんどタカリみたいなことを言っていたからな。俺も他の奴らも連中には手を貸す気に……っと、すまん。自力でここに来られているお前さんを連中と同じには考えていないが、故郷の奴が悪く言われては気分が良くないだろう」
「お気になさらず。村は故郷でも村の人からは基本的に余所者扱いだったので、彼らに対する愛着や擁護の気持ちは全くありません。僕を拾って育ててくれた祖父母が亡くなった後は、必要な時だけ村人扱いで搾取されるのが目に見えていたから、一か八かで村を逃げ出したわけですし」
そもそも俺、村人じゃないしな……言わないけど。
しかし、本当に村の最後の方、特に祖父母に対する対応は今の話のような状態だったらしい。ガイン達から改めて詳しい話は聞いていたけど、そんな彼らを知っている人がいるとは……ん? なんだろう? ステムさんからの視線が強くなり、半開きになった口から煙が漏れている。
「爺さん、どうかしたのか?」
「大したことではないが……お前さん、祖父母と言ったな? まさかあの2人組のことか?」
「えっ!? もしかして祖父母のこともご存じなのですか!?」
驚いて、思わず聞き返してしまったが、彼は少し思案しながら答えてくれた。
「俺が覚えている2人組と同一人物かは分からん。だが、昔、確かにいたんだ。樹海の拠点に、たまに顔を出すドワーフと人族の老夫婦が。名前を名乗ることは一度もなかった上に、何かの魔法で別れた直後から顔や声がハッキリと思い出せなくなっていたから、詳しい素性は知らんがな」
「おそらく間違いありません。確かに祖父はドワーフ、祖母は人族でした。訳アリなのも、そうです。僕にも、過去のことはあまり話しませんでしたし」
「そうか、まぁ、訳アリなんてこの辺じゃ珍しくもない。隠れているにしてはやたらと堂々としていたし、女の方は物腰も柔らかくて悪人とは思えなかったから、俺も含めて素性を探るような真似をする奴らもいなかった。
それより変な手出しをして、怒りを買う方が恐ろしかったな。あの2人はいつも樹海の奥からふらっと散歩でもするようにやって来て、とんでもない量の素材と物資を交換して、また奥に戻っていく。それだけの実力者として有名だったんだが……そうか、死んだのか」
ステムさんは昔を懐かしむように話していたが、最後の一言はとてもあっさりとしていて、次の瞬間にはおもむろに腰をあげる。
「お前さん、酒は飲めるか?」
「飲めます」
「そうか、少し待っていろ」
そう言うと、彼は酒場のカウンターに向かって歩いていく。
「話の流れからして、お酒を奢っていただけるのでしょうか?」
「だな。葬儀の代わりだよ」
衛兵さんの話によると、ここでは人の死は珍しいことではない。昨日一緒に話した相手が、翌日いなくなることも当たり前。そして拠点の外で亡くなるということは、魔獣の餌になるということに等しいので、遺体の回収も難しい。
だから樹海に長くいる人ほど慣れてしまい、人の死に対して淡泊になる傾向があるとのこと。それこそ、先ほどのステムさんのように。
しかし、だからといって供養や葬儀という概念が全くないということはなく、葬儀の代わりに故人を思って一杯だけ飲む。大体の場合、それから二杯三杯と飲んでいく事になるが、故人を想うのは一杯目のみ、しかもほぼ一気飲みで、二杯目からは次の狩りの計画など、未来の話をする。
冷たく感じるかもしれないが、ここでは仲間の死を引きずることが自分の死にも繋がりかねないため、自然とそのように割り切った考え方になってくるらしい。
そんな話をしていると、またジョッキを6つ持ったステムさんが戻ってきた。
「ほれ」
「おっ! 俺にもあるのか」
「金を払ってくれても構わんが」
「好意はありがたくいただくのが礼儀ってもんだ」
ドカッと豪快にテーブルに置かれたせいで、ジョッキの中身が激しく揺れる。しかし、こぼれることはなかった。中身はビールなのか、モッタリとした泡が蓋の役割をしているようだ。
「ほれ、お前さんも。乾杯だ」
「いただきます」
常備薬として荷物に入れているメディスンスライムが反応しないので、毒や薬の類は盛られていないだろう。ありがたくジョッキを1つ受け取り、祖父母の冥福を祈りながらジョッキを1つ持ち上げて、2人が差し出すジョッキと合わせる。
そして分厚い木が奏でる心地よい音を聞きながら、中身を喉に流し込むと、独特の香りが鼻を抜けた。甘めの香りの中に、ピリッとしたスパイスのような独特の香りが混ざっている。複雑でよくわからないけど、美味しい。
あとは見た目の泡が多いので、もっと炭酸を感じるかと思ったが、そんなことはなかった。ぬるいというほどではないが、すごく冷えてもいない微妙な温度も影響しているのか、角がなくてスルスルと喉を通っていく。ジョッキが空になるまでには10秒も掛からなかった。
「いい飲みっぷりじゃないか」
「ありがとうございます。このお酒も飲みやすくて美味しかったですよ」
「放熱樹の樽で保管すると、この独特な風味が移ってなかなかいい味が出るんだ。もっと強いが、蒸留酒で数年寝かせたものもある。酒精は強いし値段も高くなるが……お前さんの爺さんは、そいつを水みたいにガバガバ飲んでいたよ」
ステムさんは昔の記憶を掘り起こしながら、ジョッキに半分ほど残っていたお酒を飲み干す。そして二杯目に手を伸ばす。
「余計な世話かもしれんが、引き際を間違えるなよ。情にもほだされるな。いざとなれば仲間でも見捨てろ。それができない奴は、ここではすぐに死んでいく。
たとえ死んでも、それはお前さんの勝手だが、気分がいいものじゃないからな。村にたどり着けないと判断したら戻ってこい。生きてさえいれば再挑戦もできる。ついでにここに素材と金を落として行け」
そう忠告してくれた彼は2杯目を飲み干すと、話は終わったとばかりに席を立ち、空のジョッキを全て回収して仕事に戻っていった。
「爺さんがわざわざあんなこと言うなんて、珍しいこともあるもんだな」
「そうなのですか?」
「ああ、最初に言ったが あの人は多分、ここに一番長くいるからな。死人が出て気分がいいってことはないのは本音だと思うが、慣れてもいる。気まぐれか、もしかしたらお前の爺さん婆さんに世話になったことがあるのかもな。無愛想だが義理堅い人だから。……まぁ、本人が話さないなら深入りしないこった。
さて、爺さんも戻ったことだし、俺の聞き取りも終わりでいいか」
衛兵さんはそう言うが、まだ2杯目の中身が残っていたので、それからもしばらくは自然と会話が続いた。そして最終的には、この拠点で一泊していくことになる。
予定では宿泊せずにそのまま次の街に向かおうと思っていたが、話の流れでお酒を飲んだ。2杯で酔うほど強いお酒でもなかったけれど、念のためにだ。幸いなことに、この拠点は聞いていたほど荒れてはいないようだし、呪いも予防策が効いている。
こうして俺の樹海初日は、危険地帯とは思えないほど安全かつ穏やかに終わった。
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そして、翌日。
昨日のうちに見て回ったことで、この拠点はドーナツ状のトンネルのような構造をしていること。またその内部が細かく区分けされていて、人の生活や樹海の探索に必要な各種店舗が入っていることがわかった。
内部には魔獣の侵入防止のために窓がほとんどなく、灯りは魔法道具、空気は換気口で循環させているようで、雰囲気的には地下鉄の駅構内にある店舗群のようで少し懐かしい。他の拠点も同じ構造なのかはわからないが、用事が済んだら、というか定期的に来るのもいいかもしれない。
そんなことを考えながらたどり着いたのは、昨日入ってきた方とは反対側の出入り口。ここも酒場になっているようで、それなりの数の冒険者が飲み食いをしていた。
俺が入っていくと、すぐに注目が集まる。誰も話しかけてはこないが、やはり子供がいるのは珍しいようだ。あとは狭いコミュニティー故に噂の伝達も早いのだろう。俺が樹海の奥地出身で、最前線の先を目指すという話が広まっているようだ。
ヒソヒソと話す声が耳に届くが、敵意や悪意というより俺を見極めようとしている感じ。賭け事を始めているような声も聞こえたが、問題はなさそう。おそらくここの人達は、基本的にビジネスライクなのだろう。
成功すれば大金を手に入れられるが、常に自分と仲間の命を危険に晒す。だから情に流されず、実力の有無を重視する。実力が認められればそれなりに受け入れてもらえるが、実力がなければ相手にもしない。環境的に、そういったシビアな価値観になりやすい、ならざるを得ないのだと思う。
そうと分かれば、たまに疑うような視線を向けられても、大して気にならない。そもそも実力を疑うような人は、こちらの失敗に巻き込まれて被害を受けないように、近づこうともしないので楽だ。
……公爵家の人達と会う前にここに来ていたら、住み着いていたかもしれない。
そんな思いがふと頭に浮かぶくらいには、気楽さを覚える場所だと思う。
「おっ、行くのか」
「アシュトンさん、おはようございます」
こちらの出入り口の前には、昨日の衛兵さんが立っていた。今日は仕事でここの門番をやる日だそうだ。
「よし、今開けてやる」
重そうな閂が外され、扉が開いた。昨日と同じで必要最小限の隙間を抜けて外に出ると、背後から声がかけられる。
「気をつけろよ。帰ってきたらまた飲もうぜ」
「はい、行ってきます!」
出立の意思を伝えると、彼は笑って扉を閉める。そして俺は閂がかかる音を聞きながら、再び樹海の奥へと歩みを進めた。




