樹海探索開始
本日、4話同時投稿。
この話は4話目です。
「ここがシュルス大樹海か……」
ガナの森でラインハルトさん達と会い、別れてから南東に10日の旅を経て、ようやく大樹海の入り口に到着。事前に調べられるだけ調べて、得られる情報は得ていたけれど……本物の大樹海を直に見て感じたことは“別世界”だった。
現在地は樹海と外の丁度境目あたり。ここから正面と左右に乱立しているのは、子供の俺が両手を伸ばして、10人いればようやく足りるくらいの太い木々。近づいて見るともはや壁のようだ。高さは目測で大体40メートルといったところだろう。
この時点で既になかなかの巨木だと感じるが、驚くべきことにこれはまだ幼木。樹海の外周から内側に向かうほど成木、古木とさらに巨大になっていくらしく、高さは最大で150メートル、幹の直径は40メートルにもなるそうだ。そこまでいくともはや頂上が目視できるかどうかも怪しい。少なくとも俺は遠くから樹海が見えた時、遠近感が狂ったかと思った。
そして木々に巻きつく蔓や葉は、いかにも熱帯の植物。肌には湿り気と熱を多量に含み、じっとりとベタつく空気を感じる。でも後ろを見れば、草原と山の牧歌的な風景が広がっている。巨木もなければ熱帯の植物は全くなく、空気の湿気も少ない。
ここからたったの数メートルで気候や植生、匂いや虫の鳴く音。五感で感じるありとあらゆるものがガラリと変化する不思議……この急激な気候の変化といい、壁のように生い茂る木々といい、樹海の中と外では本当に世界が違うような気がしてくる。
……フェルノベリア様が実験場みたいなものだと言っていたし、ここはビニールハウスや箱庭のようなものなのかもしれない。
「進むか」
いつまでも立ち止まってはいられない。周囲に気を配りながらジャングルの中に踏み込んでいく。ここに立ち入る冒険者も一定数はいるからか、まだこのあたりには道がある。
ほとんど獣道だし、左右は大きな葉や垂れ下がる蔓で視界が悪いので警戒は必要だけど……木々が巨大なので、思ったよりも幹と幹の間隔が広い。洞窟や廃坑、下手な建物の中よりも武器は振りやすそうだ。
「! 『探知』」
歩き始めて5分と経たないうちに、草をかき分けるような微かな音が耳に届いた。即座に魔力の波を使って周囲を探って見れば、多数の生き物が藪の中を高速で移動し、俺を取り囲もうとしていることがわかる。数は10匹。
「早速か」
「ギャアッ!!」
左の薮から飛び出してきた鉤爪を避け、すれ違いざまに一太刀。周囲に鮮血と生臭い匂いが広がって、馬より少し小さいサイズの影が勢いよく地面を転がっていく。肉食恐竜のような姿をした魔獣、“ラプター”だ。
「ギャア!」
「キシャーッ!!」
一体を切り捨てても、間髪入れずに次が来た。
ラプターは魔獣の中では小型だが、知能が高い。最初の1匹は奇襲を狙って気配を殺していたけれど、奇襲が失敗したことを即座に理解して戦い方を変えた。数の利を活かして獲物を囲み、強靭な顎と鋭い爪で次から次へと襲いかかる。シンプルだけど効果的で面倒だ。
「グルルルル……」
「ギャッ! ギャッ!」
「ギイッ!」
一対多の状況。緑色の体色も周囲の風景によく溶け込んでいて見にくいが、無理に攻め込まず、襲ってくる奴から冷静に対処すればいい。前後左右からの攻撃の尽くを避け、あるいは受け流し、返す刀で淡々と首を刎ねていく。
すると短時間で積み上がった仲間の死体が、彼らに危機感を抱かせたようだ。ラプターの群れは瞬時に反転し、蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
「逃げ出すまでに5匹」
これは、撤退が早いのか? とりあえずある程度倒せば引くようだけど、この調子で連戦していると体力を削られる。この樹海の魔獣はラプターだけではないから、気をつけよう。……とりあえず、仕留めた分は回収しようか。
「『ディメンションホーム』」
周囲を警戒しながらディメンションホームを使い、呼び出したグレイブスライムに死体を回収してもらう。
一般的に冒険者や猟師は、獲物の不要な部分は穴に埋めたり焼いて処理するのがマナー。なぜなら動物の死体を放置していると、病気や他の危険生物を呼び寄せる原因になるから。
しかし事前に調べた限り、大樹海では必要なければそのままその場に捨て置いてもいいらしい。なんでも周囲が既に危険生物だらけなので呼び寄せるも何もなく、魔獣同士の争いで死体が転がっていることも珍しくない場所だから。そんな所でいちいち処理をしていたら、体力も時間も無駄になり、リスクが増えるからだそうだけど……やっぱり、殺した獲物を放置していくのは気が引ける。
「……また来たな」
さっきとは違う群れが、血の匂いに惹かれたのだろうか? 今度は先ほどの倍、20匹近いようだ。流石にこのペースで相手はしていられない。
「『フィアー』」
『シャアアァッツ!?』
「あ、効いた。よかった」
以前、冒険者ギルドの試験官を気絶させ、失禁までさせた恐怖を与える闇魔法。魔獣にも無事に効果があったようで、迫ってきていた群れは一目散に逃げていった。この魔法で追い返せるなら、接敵が避けられない時はこれで対処しよう。
「あ……群れる魔獣なら契約すればよかった」
そうすれば、この先ラプターに乗って進めたかも……いや、ラプターは速度を出すため体格の割に体重は軽く、力はそこまで強くないらしい。俺を乗せると走れたとしても速度は落ちるだろうし、俺も裸馬に乗る訓練なんてしていない。爬虫類の鱗は馬より滑りやすそうだから、メリットよりデメリットの方が大きいか。
「ん、回収ありがとう。やっぱり便利だな」
準備期間中にグレイブスライムの能力を調べたところ、遺体安置スキルは生き物の死体を収納できるだけでなく、保管した肉の劣化を遅らせる効果があると判明した。
ディメンションホームの中にはゴブリン達も待機しているから、回収した死体を後で彼らに引き渡せば、スライム達と協力して解体から下処理、素材の保管までやってくれる。作業工程が多くて1人では大変な作業を勝手にやってくれるので、非常に助かる。
「今後ともよろしく」
感謝を捧げながらグレイブスライムをディメンションホームに戻して、再度出発。そのタイミングで、バケツをひっくり返したような豪雨が降り始める。
「っと! 本当にいきなり降ってきた……この辺は戦闘よりも、環境が問題だな」
この前のトレル峡谷もあれはあれで危なかったけど、ここは熱帯雨林のような暑さと湿気、そしてこのいつ降り始めるか分からない豪雨が厄介だ。事前に雨避けの結界を張っておいたから濡れはしないけど、視界は悪くなるし周囲の音もかき消されてしまう。
それはつまり、敵の接近に気づきにくくなるということで——
「確かにこれは、初見だと危ないかもしれない」
「シャァッ!?」
雨にまぎれて、またラプターが迫ってきたので、闇魔法で追い返す。自分の五感だけでなく、魔力感知とスライムにも警戒をお願いしているので対応できているが、目と耳に頼っていたらもっと神経を使うだろう。亡霊の街でシーバーさん達から色々と教わっていて良かった。
こうして感謝するまでのわずかな時間で雨脚が弱まり、止む。足元は雨の影響でぬかるんで歩きにくく、体力を消耗しやすい。仮に雨の対策をしていなかったら、さらに服は重く、体温が奪われていただろう。
また、周囲の草むらには当然のように毒虫やヒルの類も生息しており、これを防ぐには虫除けの使用が推奨されているが、あの勢いの雨に打たれ続ければ流れ落ちてしまう。
怪我、体力の消耗、熱中症に低体温と、本当に過酷な環境だ。
「しかし、本当にすごいな……ここまで環境を変えるなんて」
わざわざ目を向けなくても視界に入るこの巨木。地球の木だとジャイアント・セコイアに近いこの木々の名は“放熱樹”。その名の通り、光合成をして成長する過程で、酸素や二酸化炭素と一緒に熱を放つ性質を持つ特殊な木であり、この環境を構築している元凶。
1本から発される熱量はそれほど多くはないらしいけれど、これだけの数が密集して熱を放っていれば、あれだけの暑さになるのだろう。じきにまた先ほどの蒸し暑い、まるで温度低めのサウナのような熱気が襲ってくるはずだ。そして熱気は上昇気流に変わり、上空に積乱雲を生んでまたスコールが降るという無限ループ。
さらに付け加えると、この木は一定の条件を満たすことで樹海の外まで急速に生息圏を広げてしまう、特定外来種のような性質も持つ。
「『フィアー』」
「ギャアァ!」
「本当に次から次へと来る。これで少人数での行動が推奨されてるんだから、普通の人はきついだろうな……」
シュルス大樹海に生息する魔獣の多くは好戦的で、たとえ人数が多かったとしても平気で襲ってくる。そのため、大勢でチームを組んでの探索は発見されるリスクを高め、さらに襲撃の規模を大きくしてしまう。
それが危険なのは言うまでもないが……それは樹海内で活動する人間に限った話。大人数で活動するリスクはもう2つあり、1つは樹海の魔獣が樹海の外に出てきてしまう危険性。そしてもう1つは、樹海そのものが拡大し、周辺地域を侵食する可能性。
厳しい話だが、実力が足りずにその場で死ぬなら、それは自分の意思で立ち入った冒険者個人の問題だけで話は済む。しかし、倒しきれずに魔獣を引き連れたまま外に逃げ出せば、関係のない人間を巻き込む可能性がある。
この樹海の魔獣はこの気候に適応しているため、好んで樹海の外に出ることはないが、獲物を追う場合はその限りではない。また、食物連鎖の結果、彼らの糞には樹海を構築する放熱樹の種が含まれているため、多数の魔獣が外に出ると樹海が広がってしまう。
植物と魔獣の性質が組み合わさって、この樹海は人間の数に任せた侵攻や開拓を拒み、時に逆侵攻する特性から、シュルス大樹海は“報復の森”という別名を持つ。冒険者ギルドが進入にCランク以上と定めているのも、ギルド、ひいては国が樹海の拡大を危惧していることの表れであり……そうなるように仕向けたフェルノベリア様の掌の上というわけだ。
また、それでも入ってくる人間が尽きないのは、人間の好奇心や欲の深さの表れなのかもしれない。……俺も含めて。
「『ハイド』」
さて、これも効果はあるだろうか? レミリーさん直伝の魔法で気配を消し、速度を緩めることなく突き進む。ひとまずの目的地は、冒険者達が樹海内での活動のため、独自に作りあげたという活動拠点。
拠点は複数あるらしいが、奥に行くほど数は少なく、拠点と拠点の距離もあく。最終目的地であるコルミ村の跡地は、最後の拠点よりさらに先だけれど……千里の道も一歩から。最初の拠点は魔獣による妨害込みで、大人が数時間も歩けば着く距離という話だ。肩慣らしをしつつ、一気に行こう。
一歩、また一歩と進む道の先は、危険と未知に満ち溢れている。体と本能でそれを感じるが、湧き上がるのは恐怖ではなく期待。無駄な緊張を感じることもなく、歩みは止まるどころか至極軽やかだった。




