若手従業員達の成長
本日、4話同時投稿。
この話は1話目です。
カルムさんとの会議後、休憩室を覗いてみるとマリアさん、フィーナさん、そしてリーリンさん。3人の背中が見えた。
「お疲れ様です」
「あっ、店長。じゃなかった、オーナーこんにちは~」
「おかえりなさい。カルム店長から話は聞きましたよ」
「無事だとは聞いていたけど、元気そうで何よりね」
「ご心配をおかけしました。この通り、なんともありませんよ」
俺は大丈夫だが、皆さんは元気だっただろうか? 仕事上の問題はなかったと聞いているけど、例の書類のこともある。それがなくとも一月くらい留守にしていたので、話が聞きたい。
「私達も特に病気や怪我はありませんよ~、あの書類は読みましたけど~……」
「気分が落ち込んだのはその時だけです。他の皆さんも、憂鬱になったのは読んだ後だけじゃないでしょうか」
「私と父は、特に問題なかったよ」
「ああ、それならよかった」
故意でないとはいえ、危険物を生み出した可能性に不安を覚えていたが一安心。ここで、休憩中だと思った彼女達の前に並べられた筆記用具が目に入る。
「もしかして勉強中でしたか? お邪魔でしたら申し訳ない」
「全然大丈夫ですよ〜」
「勉強というより、ちょっと確認をしていただけですから。そうだオーナー、シュトイアー様にお願いしていた本ができたみたいですよ。帰ってきたら取りに来て欲しいって」
「あっ、サンチェス様も冒険者編はまとまったと言っていました〜。日常生活編はまだしばらくかかるそうです〜」
「伝言ありがとうございます。まだ先のことかと思っていたのですが、ずいぶん早かったですね」
「お孫さん達は大変みたいですよ、お爺様が厳しいって」
「これならまだ引退しなくてもよかったじゃないか〜、って言ってますね〜」
確かにあの2人は、元気なお爺ちゃんだ。元徴税官のミュラー・シュトイアー様、元法務官のガルシア・サンチェス様。2人は公爵家から紹介してもらった税金と法律の専門家であり、今は俺や関連店の経営に関する各種手続きの相談役。
しかし、彼らには彼らの意向もあり、本業に加えてその知識を活かした別の仕事もお願いしている。たとえば先ほど話に出たフィーナさんとマリアさんの勉強に、本の執筆。本は日本では珍しくなかった“知っておくべき、または役立つ知識”を平易にまとめた書籍のイメージだ。
一応、こちらにも法律や税金に関する本はあるのだけれど、流通しているものは専門家か専門家になるための学生を対象にした本ばかり。そのため読み書きの能力は当然として、前提知識もそれなりに修めていないと理解が難しく、一般人はお断りといった印象を強く受ける。
最初は俺と関連店舗の相談に乗るだけでも厳しいのではないか? と思ったけれど、彼らはそれぞれご家族を連れていて、お孫さんたちは将来、同じ仕事に就いて後を継ぐ予定とのこと。そのために彼らは俺が回した仕事を教材として、孫に手伝いをさせることで鍛えているらしい。
実質的に事務所を丸ごと雇ったような状態になっているが、俺が直接雇っているのはシュトイアー様とサンチェス様の2人だけだし、支払うお金も2人分だけ。正直、めちゃくちゃお得で助かる。
お孫さんたちにはちょっと気の毒かもしれないけど……指導に関しては畑違いの俺が口を挟めることではないし、公爵家での仕事はさらに激務とのことなので、頑張ってほしい。
「お孫さん達にもお世話になってます~」
「本当に、私達は何も知らないも同然だったので……まさか自分がこんな風に勉強をする機会があるなんて、出稼ぎにくる前は考えたこともありませんでした」
「専門知識の中でも、法律と税金は難しいですからね。でも知識があって損はないですよ。知っていれば、いざという時に安心でしょうし」
「いざと言う時じゃなくて、もう既にですよ!」
フィーナさんが、テーブルに並べられた紙の1枚に手を伸ばす。いつも冷静な彼女には珍しく興奮した様子。彼女達の村はサイオンジ商会との取引ができるようになり、状況が改善したと聞いているけれど、少し前までは作物が売れなくて困窮していた。そんな状況を知っているからだろう。彼女の熱心さを表すかのように、目の前に出された紙にはパッと見で読み取れないほど細かい文字が、端から端までびっしりと書かれている。
「昨日は主に農村で納める税について教えていただいたんですが、その時にジャミール公爵領では村が魔獣や盗賊などによって危機に瀕した際、人命および資産を守るために発生した費用の一部、または全てを領主である公爵家から払い戻してもらえるという話を聞いたんです」
「へぇ、そんな制度があったんですか」
初めて聞いたけど、災害時の補助金みたいなものだろう。そう解釈していると、彼女は悔しそうな声を絞り出す。
「私、村長の娘なのにそんなの全然知らなかった。昔、村の周りに魔獣が出て冒険者を呼んだことは何度かありますけど、その時は村人全員で少しずつお金を出し合ってなんとかしたんです」
「あえて使わなかったとかでは、なさそうですね。お父様や村の大人達も知らなかったのでしょうか?」
「先に一度は払わないといけないものなので、私が返金されたのを覚えてないだけ、または子供にお金の話は聞かせないようにしていた、とかならいいんですが……おそらく知らないです」
彼女がシュトイアー様から聞いた話によると、村を取り仕切る村長でも税や法律の専門知識がある人は少なく、珍しい話ではないとのこと。
俺は村長なのにそれでいいのか? と思ってしまったが、村長に最低限必要な知識は“これをやると罪になる”という物事に関することだそうで……極論を言えば、ここだけ押さえていればなんとかなる。
一方で、今回のような利用するかどうかは村長を含めた村民達に委ねられていて、知らなくても使わなくても罪にはならない制度は徴税官もわざわざ追求しないし、見落とされていることが多いのだとか。
「制度そのものは知っていても、手続きの仕方までは理解できていなくて手続きができない場合、不備があって審査に落ちる場合もあるそうで……だから結局、やってもダメだ! となってしまうんでしょうか?」
「それは残念ね。知っていたらもっと生活が楽になっていたはずなのに」
「リーリンさんの言う通りです~。サンチェス様も"法律は変わるもの。それを知らず、知ろうともせず、罪を犯す者。変化を拒み、得られるはずの利益を逃す者が多い”と言っていました~」
「変化についていけないのは困りますよね。税金とか法律は複雑すぎて、素人がどうこうするのは難しいですが、できるだけ知識は入れておかないと……まぁ、それが本当に難しいのですが」
「ですよね~。だから私達、もっと頑張って勉強します~。そして手紙で父達に教えます~」
「もちろん、このお店でも役に立てるように頑張りますよ! 皆が色々と協力してくれているおかげで、仕事の時間や量も無理のないように調整してもらっていますから、その分くらいは返さないと」
「期待していますよ」
正直、彼女達を雇った時には、こんな風になるとは微塵も考えていなかったけれど……お金を稼ぐだけでなくて、自分のために成長できているのならば、どんな形であってもいいことだ。俺も経営者として安心かつ、満足である。
「成長といえば、リーリンさんは少し喋り方が流暢になりましたね」
「そうね。こちらの言葉にも慣れてきたよ。店の人とは、特にジェーンはよく話しかけてくれるからたくさん話すし、お客様の相手もするからね。父はまだちょっと苦労しているみたいだけど」
それは、年齢的に仕方ないことかもしれない。人間はやる気があれば何でもできる! とか、何かを始めるのに遅いということはない! という言葉が間違っているとは思わないけれど、年齢を重ねると物覚えが悪くなるのは事実なのだ。俺はそれを、身をもって知っている。
「あっ、成長といえばドルチェもなかなかね。警備担当同士の訓練で手合わせもするけど、前よりかなり強くなった。父とオックスさんも驚いていた。最近はユーダムと色々話しているし、歳の近い同性が入ったのが良かったのかも」
「ドルチェさんは努力家ですよね。たまに文字の勉強で質問されますけど、最近は結構難しい文章も書いているみたいですよ。休憩時間には本を読んでいるところもよく見ます」
「お金の使い道がないから、本を買ってるって言ってました~」
「ドルチェさん、今はそんなに凄いんですか」
彼はスラム街の出身で、うちに来た当初はほとんど読み書きができなかった。そこで空き時間に文字の勉強をしていることは知っていたけど、そんなに読み書きができるようになっていたとは知らなかった。腕っ節の方もあの2人が驚くほどの急成長となると、もう文武両道と言っていいのではないだろうか?
そんなことを話していると、噂をすれば影というもので、
「……呼んだか?」
「あっ、ドルチェさん。丁度ドルチェさんの話をしていたところです」
ご本人の登場。これまでの経緯と、ドルチェさんが凄いという話をしていたことを説明。すると彼は恥ずかしいのか、少し顔を赤らめて首を振る。
「俺は……まだまだだ。勉強は2人に勝てないし、戦力も警備担当の中で一番弱い。特にフェイさんとオックスさんには、手加減されていなければ相手にもならない」
「それは比較対象が悪いと思うよ。父とオックスさんを普通の警備員と一緒にするのはダメね。はっきり言って、この店の警備員は強すぎるよ」
「あ、それは私も感じてました。私は村とこの街しか知らないので、最初はこれが普通なのかと思ってましたけど、他のお店はそうでもないみたいですし」
「常に警備の人を雇っているお店はよっぽど治安の悪い地域にあるか、高級店よ。普通の店は、店員や店長が迷惑な客に応対するところが多いね。だからちょっと体格がいいか、荒事に慣れていれば警備員として最低限のことはできると思う。
普通の店ならドルチェは……警備員をまとめる地位に就けるんじゃない? 少なくとも腕前だけなら十分よ」
「そう、なのか? 他の店をあまり知らないから、よくわからない……でも、そうなら嬉しい」
そもそもドルチェさんは開店当初の店が嫌がらせを受けた際に、ジェフさんからの紹介で雇った人だ。最初の時点でも十分な実力はあったわけで、それがさらに成長したのだから、もっと自信を持ってもいいと思う。
……というか、それだけ頑張っているなら、もっと昇給とか昇進の希望はないのだろうか? 頑張っても変化がないというのは、労働のモチベーションに影響する。給料とか待遇はカルムさんと相談の上で決めているから少ないことはないはずだけど、ちょっと気になった。
そう思って聞いてみると、給金については今でも十分で、これ以上にもらっても使う場所がないとのこと。その気持ちはちょっと分かる。俺も収入の額は違うけど似たようなものだし……ああ、これが公爵家の皆さんの気持ちに近いのかもしれない。
「給金以外の、待遇とかで何か希望はありませんか?」
「強いていえば、休み……か? 旅行というものに興味がある」
「いいですね! どこか行ってみたいところが?」
「行きたい所というか、俺は生まれてから今まで、この街を離れたことがない。俺に限らずスラム生まれの奴は大半がそうだ。冒険者や輸送、仕事に関係なければ、機会も選択肢もない……そういうものだと思っていた。
でも皆の故郷やここに来るまでの話を聞いたり、本を読み始めたりしているうちに、少し興味が出てきたんだ。尤も、興味が出たというだけで計画はない。どこに行くか、行って何をしたいのかもよく分かっていないから……休みと言ったが、今は貰っても困る」
「分かりました。そういうことならこの件はひとまず保留で。それとは別に、もしドルチェさんがよければですが、今度一緒にどこかへ行ってみますか?」
大樹海から帰ってきた後、支店を出すための人材が揃ってからになるけれど、今後はさらに支店を増やしていく方針。そのためには近隣の街で店舗の下見をする必要があるから、その時に休みを合わせてもらえれば、俺が空間魔法で連れて行ける。
その場合は日帰りか一泊か、どちらにしてもあまり落ち着いて観光はできないだろうし、馬車などで時間をかけて目的地に向かう良さは味わえないかもしれないけれど……いや、なんなら新しい支店の警備員として、ドルチェさんがどこかの街に行くことも可能だ。
仕事に関係なければ機会がない、というのが普通なら、仕事に関係させてしまってはどうだろうか?
「そんなことができるのか? いや、していいのか?」
「詳しいことはカルムさんと相談しないといけませんが、可能だと思いますよ。仕事のある日はちゃんと働いてもらいますし、支店を開くためにはどのみち人を送らないといけませんからね。送る人材の中にドルチェさんが入るだけなら、難しいことはないでしょう。
それにドルチェさんはこの店の開店初期から働いてくれていますし、僕のやり方や店の雰囲気も知っていますよね? 警備の人材としても人としても信用しているので、そういう人が1人新しい支店にいてくれると僕は安心です。
あと、新しい店で働く方々も助かるのではないかと……専門的なことは事前にこちらで教育しますが、新しい職場に慣れないうちは小さな疑問が出てくるものです。そういう時に相談できる人がいるのといないのとでは、働きやすさが違いますよ」
「それはありますね~」
「私達も、最初は戸惑ったこともあったものね」
本当に新しいことばかりで、俺も皆さんも探り探りやってきたことは多い。その一員として彼が見聞き、経験したことが助けになることもきっとあるだろう。
「最初の一か月とか、半年とか、期限をつけて“一時的な出向”という扱いにもできると思いますし……まぁ、ドルチェさんの意思があることが前提ですけどね。よければそういう方向でも考えてみてください。
ちなみに今のところ、次の支店候補地は領主館のあるガウナゴの街です。公爵家から支店を出してくれとの要望が出ていますので、そこを優先することになると思います」
「分かった。色々と考えてみる」
では、この件は後でカルムさんにも伝えるとして……こうして話をしていると、皆さんと前に進んでこれたことが感じられて、嬉しくなる。関わり方は変わっても、こうして時々の交流は変わらずに続けていこう。




