後日談その3
本日、2話同時投稿。
この話は1話目です。
次の日
「では、行こうか」
昨夜をもって正式に公爵家の技師に就任した俺は、ラインハルトさん達が行う街の視察に同行することになった。用意されていた馬車に乗り込み柔らかい座席に座ると、外から従者の方がそっと扉を閉め、馬車は滑らかに発進する。
移動中は軽く会話もしているが、2人は左右の車窓から街の様子を窺っている。あからさまに覗き込むようなことはしていないけれど、優雅に座った状態を保ちつつ、視界の端で常に状況や雰囲気を確認し続けているらしい。
「あら」
「何かあったかい?」
奥様の声に、即座に反応するラインハルトさん。だが、奥様はすぐに、なんでもないと首を振る。
「さっきの角の先に、服装からして警備会社の職員がいたのだけれど、周囲に集まっていた人が随分と好意的な顔をしていたから、少し気になっただけ」
「それなら、おそらく消防部隊として活躍した人の誰かだと思います」
「ああ、例の耐火装備で火災の対処に当たった。それなら納得ね」
彼らはいまや、街の人気者だ。街を歩けば頻繁に声をかけられるし、お酒を飲みに街に出れば、お店の人や他のお客が一杯おごろうと声をかけてくるらしい。中には年頃の娘を妻にどうかと聞かれた人もいたそうだ。
魔法を付与した耐火装備があるとはいえ、炎の中に飛び込んで、自らを危険に晒してまで救助活動を行った人達だ。救助された被害者はもちろん、街の人が感謝の気持ちを抱くのも無理はない。
……実を言うと、消防隊や耐火装備の原案を出した時の俺は、火災現場への突入を考えていなかった。
当然だろう、俺は消防の素人だ。装備に関しては前世の消防隊を参考にしたし、一時期住んでいた地域の青年団に強制加入させられて、元消防官で“レンジャー部隊にいた”が口癖の近所の爺さんから防災指導を受けたこともあるが、その程度でしかない。
その程度の知識で、しかも急造の装備で、なおかつ本来この街とは何の関係もない労働者だった警備会社の職員に、火の中に飛び込めとは言えないし、言ったとしても実際にやってくれる人はいないだろうと思っていた。
しかし、意外……と言っては失礼かもしれないが、彼らは自らやると言いだした。装備の効果を説明する上で、実験結果と今後の目標として例示したら、マッチョ隊の隊長を筆頭に数人が声を上げたのだ。
当初は装備案を出した俺の方が止める側になっていたけれど、実験と改良を重ねて装備が信用されるにつれて、さらに自分もという声が増え、装備の生産を依頼していた職人チームもやる気を出して……最終的に突入も一つの手段となっていたし、今回の消防隊の活躍を受けて、職人チームからはさらなる防火装備の改良案まで出てきている。
原案は日本の消防隊を漠然と知っている俺が出したけれども、この街でそれを実現したのは、この街の職人達と、火災に立ち向かった彼らなのだ。それを思えば今の状況は、彼らの努力と熱意の結果と言えるだろう。
もちろん、以前から街を守っていた警備隊も正当に評価されているし、冒険者は一時期警戒の目が向けられたものの、街を守るために協力していた人の名誉は守られた。テイマーギルドや商業ギルド、そして役所はどちらかと言えば事件後の対応や支援に尽力し、街の人から感謝を送られている。
「ん?」
「あら、何か気になるものがあった?」
「いや、この辺は妙に猫人族の人が多いなと思った。何かあるのかな?」
「あー……この近くに猫人族の人が多く泊まっている宿屋があるので、そのせいじゃないでしょうか」
「へぇ、その表情を見るに、その宿にもリョウマ君が関わっているのか」
俺はどんな顔をしているのだろうか? 自分では分からないが、ラインハルトさんの想像は間違っていない。
「関わっているというか、僕が経営しています。労働者向けに、とにかく安く寝泊りができる、本当に最低限の寝具と空間しかない宿を作ったんですが、それがなぜか猫科の獣人の方に人気が出てしまって」
イメージは前世でたまに世話になっていた“カプセルホテル”。転生する頃に流行りはじめていたオシャレなものではなく、昔ながらの、最低限の設備のものだ。
一応、フラッフスライムの綿毛を利用したフカフカの布団や、壁の間の防音対策には力を入れているけれど、基本的に二段ベッドが所狭しと並んでいるような構造なので、はっきり言って狭い箱のような部屋なのだけれど……猫科の獣人さんには、その狭さが逆にウケているらしい。
一度、猫人族の冒険者であるミーヤさんや虎人族のミゼリアさん、メイドのルルネーゼさんを連れて行って意見を聞いてみたところ“たしかに狭いけど、それがなぜか落ち着く”という答えが返ってきたので、種族的な感性に合っていたのだろう。
他の種族のお客様は安さ、あるいは他に泊まれる所がないから仕方なく泊まるという、ある意味狙い通りの客層なのでリピーターにはならず、日に日に猫系獣人のお客様だけが増えていった結果、いつの間にかほぼ猫系獣人専用の宿と化していた。そんなカプセルホテルが、ちょうどこの近くにあるのだ。
「宿のことも簡単な報告は受けていたけど、そこまでは知らなかったな」
「僕も日々の業務は雇った人に丸投げしてますからね。たまに顔を出すくらいで、問題発生の連絡がなければ他の仕事や現場に行ってますし」
でも、たぶん俺は、そのくらいの関わり方がちょうどいい。
その後も2人と、車窓から見える街の状況を見ながら言葉を交わす。俺が分かる限り、その場で話せる限りは話したが、気になることは後に調査をするとのことで、移動中も休憩にはならない。
そんな2人の、貴族としての仕事ぶりを見ながら、馬車に揺られて数十分。たどり着いたのは、街の北に作られた仮設住宅が連なる地域だ。元々は大きな材木問屋と倉庫が連なっていた場所だけれど、火災によって被害を受けてしまった。
そして、焼けずに残った木材と跡地を有効活用すべく、役所と経営者の交渉の末に生まれた仮設住宅街。だが、それはまだ未完成。元あった建物は全て解体されたが、その瓦礫の片づけが終わっておらず、土地の半分にまだ残っている。
ここで行う俺の次の仕事が、その瓦礫の片付け。そしてラインハルトさん達は、公爵家の人間として慰問を行うのだ。既に到着した馬車を出迎えるように、窓の外には犇めき合う人の波ができている。仮設住宅に住む人々だけでなく、街の人々も集まっているのだろう。
「それでは、僕は先に準備をしています」
今からあの集団の前に立つ2人への敬意と共に、そう伝える。貴族らしい、凛とした表情になっていた2人は軽く頷いて、開かれた扉から優雅に出て行った。
公爵夫妻を見る人々の心の内にあるのは、どのような感情なのか? 耳を澄ましても、歓声も罵声も聞こえず、周囲は妙に静まり返っている。しかし、扉の隙間から窺えた限り、誰もが2人に注目しているようだ。
2人が警備の人員に先導され、歩いていく姿に人目が集中する隙を狙って、俺はそっと馬車を降りて仕事場へ向かった。
「こちらです!」
役所から派遣されている現場責任者の方と合流して、作業の確認を行う。
「運搬用の馬車は」
「道路沿いに5台が待機しています」
「ああ……それだと木片だけでも、足りないと思います。瓦礫を石材にすることを考えると、もうすこし増やせませんか?」
「追加で要請することは可能ですが、積み込みが終わり次第、入れ替わりで間に合うのでは? 瓦礫を木片と石材に分別してから積み込むと聞いていますが……」
「ちょっと普通とは違う方法を使うので、効率が上がります。できれば瓦礫沿いにずらっと馬車を並べていただきたいです」
「わ、わかりました。往来の邪魔になっても困りますし、通行規制も……公爵閣下の慰問が終わる頃になると思いますが、間に合わせます」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
その後も細かく打ち合わせを行い、後は準備完了とお2人が来るまで待機になったので、作業の手順を確認しながら待機していると、
「ね、ねぇ君」
「え?」
後ろから小さな声がかけられた。しばらく前から知らない子供達が様子を窺っていたのは気付いていたけれど、話しかけてくるとは思わなかった。
振り返ってみれば、子供達は5人。そのうち4人は俺より小さく、一番下は5歳くらいに見えた。子守りを任されているのか、1人だけ中学生くらいの少年が混じっている。前にもこんなことがあった気がする……
さっきの声の聞こえた角度からして、声をかけてきたのは中学生くらいの子だと思うけど、彼はせわしなく周囲を見回している。
「はい、何かご用でしょうか?」
「うん! これ!」
俺が返事をすると、答えたのは一番近くにいた少年。 彼が返事と共に差し出したその両手には、顔や飾りのない雪だるまのようなものが乗せられている。
「これは……僕にくれるの?」
「うん! 助けてくれてありがとう!」
「助け、あっ!?」
ここでようやく気付いた。目の前の少年が、先日誘拐されていた子供であることに。
「あの時の、元気になったんだね」
「うん! 目が覚めたらお母さん達がいたの!」
「こいつ親から君の話を聞いたみたいで、お礼がしたいって言うから」
「そうかぁ……ありがとう。それじゃ、これはありがたく――え?」
感謝のプレゼントならありがたくいただこう。そう思って俺が手を伸ばすと、雪だるまが動いた。決して持っていた子が手を動かしたのではなく、雪だるまが動いた。もっと正確に言えば、二段重ねの二段目、首から上の部分が俺の手を避けるように動いていた。これは、もしや……
「あっ、だめだよ!」
「この子、手で触られるの嫌な子なのー」
「直接触ろうとすると、逃げちゃうぜ!」
周囲の子供達の指摘も受けて、ほぼ確信した。確認のために魔獣鑑定をしてみると……
“スノースライム”
スキル 飛行Lv1 保冷Lv3 軽量化Lv10 吸収Lv1 分裂Lv3
「スライムか! しかも氷じゃなくて雪! 初めて見る種類!」
「なんか、雪遊びしてたら見つけたらしいんだ。それで、スライムが好きだって聞くし、こいつらプレゼントしようって言い出してきかなくて」
「いやいやいや! 申し訳なさそうな顔をする必要なんてまったくありませんから! とても嬉しいです! ありがとうございます!」
「お、おう……本当に好きなんだな、スライム……」
周囲を気にする年長の少年だけでなく、他の子供達にも再度お礼を言って、スノースライムと契約。さらにスノースライムはアイススライムと同じく、熱を苦手とするだろうから、瓦礫と魔法で即席の保冷箱を作る。
ああ、まさかこんなタイミングで新しいスライムと出会えるとは思わなかった。性質的にはアイススライムに近いと思うけれど、何が異なるのか。何が進化を分けた原因なのか。水分と温度だけではないのだろう。
そんなことを考えていると、
「あら? お友達かしら」
「楽しそうだね」
「あっ、お疲れ様です!」
予定よりも早く、ラインハルトさんと奥様が来ていた。しかも、その後ろには警備の方々を挟んで、街の人々が詰め掛けている。スライムをくれた子供達も困った顔をしているし、年長の少年に至っては顔面蒼白だ。
「ゴホン、失礼しました。先日、成り行きでこちらの彼を助けることになりまして、彼らはそのお礼を言いにきてくれた善良な子供達です。しかも、貴重なスライムの上位種を発見し、譲ってくれたのです。このスライムを研究することで何ができるかはまだ分かりませんが、貴重なサンプルであることと僕の研究の助けになることは間違いありません」
「ふふっ、なるほど。リョウマ君の研究の助けになるということは、巡り巡って公爵家、そして領地のためになるかもしれないね」
朗らかな笑顔でラインハルトさんがそう言えば、少年達は笑顔になる。最年長の子だけは玩具の水飲み鳥のように何度も礼をしている。怒られているわけではまったくないのだけれど……これは解放してあげた方が、彼の心のためだろう。2人が来たなら仕事もあるし……
「閣下、始めますか?」
「急がせるつもりはないけど……準備ができているなら、始めてもらおうかな。この子達を安全なところへ」
「はっ! さあ君達、こっちへ」
ラインハルトさんの指示に従って、警備の1人が少年達を丁重に連れていく。
視線を左に向けて、瓦礫だらけの材木問屋跡地に面した道路を見れば、お願いした通り10台ほどの馬車が列を成している。責任者の方に瓦礫の撤去を始めていいかと聞けば、OKが出た。というか公爵閣下を待たせるなんてとんでもない! ということで、作業開始。
「それでは、始めさせていただきます」
今日の仕事は、片付いていない瓦礫の撤去。スライム魔法で一気に片付けることもできるけれど、今日は別のやり方をする。
「『ディメンションホーム』」
毎度おなじみの空間魔法から出てきたのは、太くて長い半透明の触手。その大きさに、周囲で様子を見ていた人々がざわめく。そんな声をBGMにして、スカベンジャースライム1万匹の集合体である“エンペラースカベンジャースライム”がその全貌を現す。
「で、でかい!」
「なんて大きさのスライムなんだ……」
「ママー! おっきなスライム!」
「そうね。あんなスライムもいるのね」
「どこであんなの捕まえるんだ?」
「俺に聞くなよ。でも、あの子なら珍しいスライムを連れていてもおかしくないだろ」
「……それもそうだな」
……なんだろう。驚かれているけれど、同時に変な納得もされているようだ。
まあいい、既に今日の目的の半分は達した。
エンペラースカベンジャーの大きさは、限界まで体を縮めても、半径3メートル程度の球体。四畳半の部屋が大体一辺3メートルほどなので、縦横だけでも約4部屋分になる。普通に生きていれば、このサイズのスライムを目にすることはまずないはず。
だからこそ、その姿を見た者にインパクトを与えることができる。
今後の面倒を避けるためには、俺が公爵家の技師になった事実を、周囲に知らしめておかなければならない。しかし、年齢が技師になる要件に含まれていないとはいえ、俺は流石に幼すぎる。そうなると今度は贔屓ではないか? などと邪推される可能性も十分にある。
そこで、まず俺の実績の1つを“誰の目にも分かりやすい形”で示すことになった。そのために、これまで不特定多数の前に出すことは控えていた“合体中のスライム”を解禁することになったわけだ。
これはいわば、俺の技師としての“お披露目”。もちろん作業は作業でしっかりと行う、というより、役に立つところをしっかり見せておかなければならない。
「では、始めます! まず木材から積み込みを始めますので、先頭の馬車を担当する御者の方から準備をお願いします!」
受け入れ先に一声掛けてから、スライムに指示を出す。
指示を受けたエンペラースカベンジャーは、巨大な体をさらに巨大化させて、瓦礫の転がる跡地全体にその体を広げてしまう。
「えー、スライムは非力というのが一般的な認識であり事実ですが、それでも軽いものであれば持ち上げる、あるいは体に乗せて押し上げる程度のことはできます。そして、これほどの巨体になれば見ての通り、重い瓦礫や木を持ち上げることも可能になります。
また、スライムは目や耳などの感覚器官を持ちませんが、外部の情報を知覚する能力は高く、物体を判別する能力にも優れているので、このように――」
大小様々な瓦礫が、巨大スライムの体内に取り込まれてはあっという間に分別され、伸びた触手の先から吐き出されていく。壁などに使われていた石材はスライムの体に包まれたまま、俺の近くで山になり、柱などに使われていた木材の破片は、用意されていた馬車の荷台に並べられる。
その様子はまるで、ベルトコンベアのついた重機のよう。魔法があるこの世界でも、これほどの効率で瓦礫が撤去されることは珍しいのだろう。まだ当分自分の仕事は来ないだろうと、どこかのんびり構えていた御者達が慌てている。
ちょっと申し訳ないが、さらにスピードアップさせてもらおう。
ここでエンペラーの視界を共有。集められた瓦礫の位置と形状を正確に把握して、土魔法をかける。
「『クリエイトブロック』」
大量の瓦礫が一定の大きさの石材に変わり、即座にスライムの体に取り込まれていく。
「石材も同時進行しますので、受け入れお願いします!」
瓦礫の山がなくなれば、わんこそばのように次の瓦礫が用意される。瓦礫が溜まれば魔法をかけて、石材に変える。その間にも運搬用の馬車は木片か石材で満たされて、材木問屋跡地は見る見るうちに片付いていく。
その様子は見ていて気持ちがいいのだろう。集まる人々のざわめきに、少しずつ歓声が混ざり始めていた。
■ ■ ■
それから1時間後
「ふぅ……」
「お疲れ様、リョウマ君」
「疲れたでしょう。飲み物あるわよ」
「ありがとうございます。肉体的な疲労や魔力の消耗はそれほどでもないですが、やっぱり少し緊張しましたね。あれだけの人の前でしたから」
事前の説明では大きめの建物2つ分の瓦礫が残されていたらしいけど、作業そのものは大体30分ほどで終わった。しかし、運搬用の馬車がやっぱり足りなくなってしまい、さらに30分の待ち時間が発生。その間ずっと、大勢の視線に晒されていたのがきつかった。
なんというか、俺が技師になったことが公表された影響か、俺を見る人の目がこれまでと明らかに違ったのだ。悪意とか敵意のような悪い印象ではないけれど、むず痒いというかなんというか……
「申し訳ないけど、今日だけだから頑張って欲しい」
「大丈夫です、後々の面倒を減らすためですから」
「そこまで気負うこともないわよ。それよりしっかり食べて、午後も頑張りましょう。これから行くお店も、リョウマ君が経営しているのよね?」
「そうですが、本当に行くんですか?」
そろそろ昼食の時間ということで、今日は2人と外食をすることになったのだけれど……俺はてっきり、オレストさんと行ったような高級店に行くんだと思っていた。しかし、実際に2人が行こうとしていたのは、俺が出資して作った大衆食堂“働く人の味方”。
こちらもその名前の通り、安くて早くて腹が膨れるをモットーにした、お財布に優しい料金設定の店。別に味が悪いわけではないけれど貴族、それも公爵家の人が行くようなお店では絶対にないと思う。
「これも視察よ、視察。街の人が普段どんなものを食べているのか、そういうのを実際に見るのも大切なことなの」
「それに、僕たちも一時期冒険者をやっていたことがあるからね。昔はよく街の酒場に行ったよ」
「そういえば、そんな話も聞きましたね」
今更だけどこの2人、というかジャミール公爵家の人は皆さんそうだけど、貴族なのに親しみやすい。いい意味で貴族らしくないのはそのせいか?
「そうだよ。我が家には、年頃になったら一人旅をさせる慣習があると前に言っただろう? それは領民の生活を理解するためなんだ。歴史書を紐解けば、領民の気持ちを理解できなかったことで、領民が武装蜂起をするような事態にまで発展した話がいくらでもあるからね」
「たしかに、聞いたことはあります」
「街が大変な時に、私達が高級料理店で優雅にお昼を食べていたら、街の人はどう思うかしら? 理屈としては理解できても、感情的には気分がよくない人もいるんじゃない?」
「それも、そうでしょうね」
「貴族だっていつも豪華なものを食べているわけでもないし、食事はなるべくゆっくりと味わいたいから、こういう時は普通のお店でいいのよ。
ところで、そのお店の人気メニューは何かしら」
「えっと……スプリントラビットの肉じゃが、ポテトサラダ、ゴブリン草と卵に腸詰と豆腐を加えた炒め物が僕のおススメですが、大丈夫ですか?」
うちは安さに重点を置いているが、利益度外視で商品の値段を下げるだけでは健全な経営ができないし、料理店は競合する他店も多い。他店と同じような物を相場より安く売っていれば、他店の迷惑にもなりかねない……ということで、うちの食堂では食用と法的には問題ないけれど、一般的にはあまり食べない食材も使うことで、他店との差別化とコストカットを図っている。
たとえばゴブリン草というのは、オクラくらいの大きさでゴーヤのような植物。味もゴーヤに近くて苦みが強いため、食用は可能だけど好き好んで食べる人はあまりいないとのこと。
名前の由来は栄養価が高いからか、悪食だからか、ゴブリンが好んで食べるから。もしくは、食べれば精力がつくと言われているからだそうだ。……下品な話だと、ゴブリンのアレと呼ぶこともあるらしい。
「冒険者時代に何度か食べたことがあるから、食材として問題はないわ。味は……料理次第ね」
「どちらかと言えば、豆腐? というものがよく分からないんだけど」
「豆腐は豆の加工食品です。すり潰して絞った豆の汁に、凝固剤となるものを加えて固めたもので、ファットマ領の村で作り方を教わりました」
豆腐の作り方を学べたおかげで、大豆をそのまま使うだけでなく、豆腐、おから、きな粉と様々な使い方ができるので重宝している。あそこには魚を使った醤油のようなものもあったし、もしかしたら過去に日本人の転移者がいたのかもしれない。
「……ファットマ領の旅は、実のあるものだったんだね」
「? はい、いい経験になったと思います」
急に話がそれたので何かと思えば、ラインハルトさんは俺を見守るような笑顔を浮かべている。
「あの、何か変でしたか?」
「いいや、なんでもないよ。君はそれでいいと思っただけさ」
「そうね、私もそれがいいと思うわ」
俺は何のことか分からなかったが、奥様には意図が伝わったようだ。
「リョウマ君、自分では気付いてないかもしれないけれど、とても楽しそうだったわよ。スライムの話をしている時ほどではないけど、どこでどんなものを見たとか、こんな知識を得たと話すときはいつも」
「確かに色々と調べたり、実験したりするのは好きな方ですね」
「それでいいの。あなたはこれからも自由に、好きなようにこの世界を見て、学びなさい。それがきっと貴方の力に、ひいては私達の助けにもなるわ」
「そうだね。……おっと、もう着くみたいだ」
馬車の速度が徐々に落ち始め、外からは陽気な声がはっきりと聞こえてくる。どうやら昼時とあって、この店もなかなか繁盛しているようだ。窓を覗けば、店の外まで溢れるお客様の列も見えた。賑わう食堂には、集まるお客様の笑顔がある。
この街と人は、一度は大きく傷ついた。それでも街の人達は前を向いている。街中にも、仮設住宅地に集まった人にも、泣いて道端に座り込んでいる人なんて1人もいない。誰もがそれぞれの明日のために、各々の方法で戦って既に活気を取り戻しつつある。
この街が以前のような状態に戻るには、さほど時間はかからないだろう。神様じゃない俺には未来のことは分からないけど、そんな予感がした。
……俺が好きなように生きながら、街や皆さんの一助になれたのなら。そうであり続けられたら。それはきっと、これ以上ない幸せだろう。
そうなることを心から願って、これからも皆さんと共に、この人生を歩んでいこうと思う。




