病院という戦場
本日、3話同時投稿。
この話は1話目です。
暗い空に朝日が昇り始める頃。リョウマが病院に駆けつけると、そこは大勢の人で溢れかえっていた。
門の外には馬車が途切れることのない列を作り、様々な傷を負った怪我人を降ろしていく。そんな病院の敷地内、入り口付近には避難してきた街の医師達も集まり、訪れた患者の状態から、緊急度の判別と優先度の決定を行っている。
リョウマはその医師達の中に、見知った顔を見つけた。
「エクトルさん! 手伝いに来ました!」
「! 準備をして休憩室の方から診察室に! マフラール先生がいる!」
「わかりました! ユーダムさんは、ヒューズさん達に例の件を伝えてください。その後はできる範囲で手伝いをお願いします!」
「了解!」
リョウマは指示に従って、先に更衣室へ向かう。その道中にも、病院内には多数の怪我人がいた。
待合室や廊下には怒声にも近い大声が飛び交い、治療を待つ人々が不安げな顔で苦痛に耐え、医療スタッフやその手伝いを申し出た人々が絶え間なく走り回っている。
一刻も早く治療に加わるため、リョウマは更衣室に走った。
「うぐ! ぅうっ! ぐうう!」
「しっかり押さえて!」
「出血が止まりません!」
「回復魔法急いで!」
清潔な服と白衣に着替えたリョウマが3匹のスライムを連れ、踏み込んだのは搬送された患者の中でも、特に重症な患者の処置を行っている区画。室内には苦痛に喘ぐ患者の悲鳴や医師の指示が轟き、滴り落ちた血が踏まれて足跡が残る、惨憺たる光景が広がっていた。
「リョウマ君! こっちを手伝って!」
到着に気付いた師のマフラールが、リョウマを自分の下に呼び寄せ、診察室の1つに入る。
「すぐに次の患者が来ますから、適宜回復魔法を。使いどころは指示します。とにかく人数が多いので、頼りにしていますよ」
「承知しました」
「親方! 治療が始まるぞ! もう少しだから! しっかりしてくれ親方ァ!」
リョウマが答えた数秒後には、担架に乗せられた血まみれの男性が診察室に運ばれてきた。男性は到着する前から既に意識がなく、左上腕には刃物による深い切り傷、右の大腿部には搬送のために矢柄を切り落とされた矢が深く刺さっている。
2人はすぐさま患者の状態を把握し、処置に入ろうとした。
「ちょっと待て!?」
しかし、ここで待ったをかける声が1つ。
患者の運ばれてきた廊下を見れば、患者に付き添っていた男が診察室の扉にしがみついている。その目元には涙を浮かべ、青い顔で診察室に押し入ろうとしているところを、すんでのところで外にいたスタッフに止められている状態だ。
「通してくれ!」
「ここは立ち入り禁止です!」
「どうして子供がそこにいるんだよ!?」
止めるスタッフを無視した男は、リョウマを指して叫ぶ。
「まさかその子供が親方を治療するんじゃないよな!? 他にも患者がいるのは分かる! でも、せめてそっちのちゃんとした医者が見てくれよ! 頼むから!」
「リョウマ君、気にせず右足から処置を始めてください。こちらは私が抑えます」
「了解」
マフラールの指示を受けたリョウマが処置に使う道具を手にすると、それを見た男はさらに激しく暴れ始める。
「待て!」
「落ち着きなさい。我々は全力で患者の治療にあたります。当然、この方もです」
「それならなんで親方を診てくれないんだよ!?」
「今は、治療の妨げになる貴方を止めなければなりません」
「俺よりその子供を止めろよ!?」
「右大腿部の処置終了。続いて左腕の処置に入ります」
男が泣きながら、静かに語りかけるマフラールに懇願した直後。
診察室にリョウマの短い状況報告が響く。
「処置が終わっ! ……あ」
処置の開始から僅か十数秒での終了宣言に、男は反射的に食ってかかろうとする。しかし、その目に飛び込んだのは抜かれた矢と、親方の傷のない右足。さらに移動したリョウマの手元で、左腕にあった深い傷が塞がっていく様子も見て取れた。
それは、男を押し留めていたスタッフはもちろん、素人である男にも理解できてしまうほどの早業。途端に男はそれまでの勢いを失い、次に安堵から腰を抜かす。そのまま倒れそうになった体は、男を抑えるための援軍として駆けてきていた別のスタッフが受け止めた。
「少し、落ち着きましたか?」
マフラールが毅然とした態度で、しかし穏やかに声をかける。
「あ、え、その、あの子は」
「彼は私が指導している子です。貴方は職人ですか?」
「俺は、大工の見習いです。親方は親方で」
「彼も修行中の身ではありますが、回復魔法に長けているので外傷の治療に限れば他の弟子の誰よりも上手いかもしれません。
あの見た目ですし、患者さんの身内として不安になる気持ちは分かりますが、安心してください。私達は全力で貴方の親方さんの治療に当たります」
マフラールはリョウマの腕を保証し、そう告げた。
すると、男は数回、潤んだ目を瞬かせた後に、深々と頭を下げる。
「お願いします! あと、すみません、俺、親方の血が大量に出てて、慌てて。本当にすみませんでした! ……親方のこと、よろしくお願いします」
「左腕の処置終了」
謝罪と同時に、リョウマは左腕の傷の治療も終えた。
さらにリョウマは患者に体力回復の魔法をかけながら、準備されている即効性造血魔法薬の投与量を確認。そこからはマフラールも患者の治療に戻る。
男がスタッフに付き添われて立ち去っても、そこでは変わらず修羅場が続いた。
しかし……片や、トラブルに動じず、淡々と素早く処置を行うリョウマ。片や、治療の妨害を行った男に毅然と立ち向かい、それでいて身内としての不安には穏やか、かつ真摯に向き合ったマフラール。
一連の騒動を見聞きしていた患者やその家族、そしてスタッフ達は緊迫した状況の只中にありながら、その2人の姿に僅かな安心感を覚えた者もいた。
■ ■ ■
リョウマとマフラールが治療を続け、患者の数が分からなくなった頃。
訪れる患者はまだ絶えないものの、病院の状況は少し落ち着いてきていた。
「失礼します。マフラール先生、リョウマ先生。余裕があるうちにお食事をどうぞ」
処置を終えたばかりの診察室で、1人の医師が2人に告げる。
「もうそんな時間ですか。ありがとうございます。リョウマ君、行きましょう」
「分かりました。しばらくよろしくお願いします」
マフラールとリョウマは診察室に来た医師に一言礼を言うと、診察室の裏にある休憩室に設置されていた机に向かう。そこには、公爵家から派遣された4人の研修医達も集まっていた。
「お疲れ様です」
「君達も休憩でしたか」
「はい……」
「街の先生方が、先に休めるよう手配してくださいました」
リョウマとマフラールの言葉に、エクトルは普段よりも暗い声色で返答し、クラリッサが補足を加える。残る2人は軽く頭を下げ、体育会系のティントは豪快に、イザベラは静かに品良く食べているが、その髪は乱れて一部は汗で湿っているところから疲労が感じられる。
「全員集まっているならちょうど良かった。休憩中ですが、今ある情報を共有しましょう。特に人手や治療物資が足りなくなりそうな場所などがあれば、早めに手配をしておくべきです」
マフラールが大皿からサンドイッチを取りながら言うと、4人は顔を見合わせ、まずイザベラが口を開いた。
「では私から。現時点では、治療を待つ患者はまだ多く残っていますが、増加の勢いは衰えているそうです。また、傷病者の総数に対して重傷者は少なく、患者の大部分が軽傷か命に別状がない程度だと聞いています。
圧倒的に数の多い軽傷患者までは手が回っていませんが、避難してきた街の病院や治療院の方々の協力もあって、重傷患者に対応することはできています。人手や物資が足りていないとすれば、軽傷患者の方よね? クラリッサ」
「そうですね……こちらも街の医療関係者の方々が協力を申し出てくださいましたし、治療そのものは問題なく行えています。しかし、やはり長い待ち時間が発生しますし、外の騒動で皆様動揺しているようで、待ちきれずに騒がれる方々もそれなりに。
物資については問題ありません。血で汚れてしまう包帯やシーツ類はクリーナースライムが洗濯してくれますし、治療道具はさらに煮沸消毒もしていますが、それでも労力が少なくて補充も速いです」
「薬も十分……むしろ備蓄が多すぎて、案内した街の薬剤師達に、何でこんなに在庫があるんだ? って言われたよ……薬草系はリョウマ君が魔法とウィードスライムで増やしていたし、メディスンスライムの薬液が使えるのも確認したから、それを使って色々作り置いていたし……よっぽどのことがなければ、足りなくなることはないかと」
「物資については、ここよりも街の避難所の方が心配です。そちらにも避難して治療に当たっている医療関係者はいると思いますから」
イザベラに続いて、クラリッサ、エクトル、ティントもそれぞれ自分の知る情報を提示していく中、リョウマは消火活動中に見聞きした出来事を思い浮かべていた。
「僕からも1つ、確定ではありませんが、今回の件が長丁場になることを懸念しています。警備部門には連絡が行っているはずですが、消火活動の邪魔をしていた複数の襲撃者が“1人でも多く、怪我人を増やすようにと指示を受けていた。殺せとは言われていないし、そのつもりはなかった”と言っていました」
ここで、リョウマの報告を聞いていた5人の目の色が変わる。
「それを言っていたのが1人や2人ではありません。相手は襲撃者ですし、捕まってからの命乞い、またはそう言えという指示を受けていた可能性も否定できないので、鵜呑みにするわけではありませんが」
「嘘と断定する根拠もない、ということですね」
「はい。この話が本当だった場合、指示をしたのはまず間違いなく街の騒動を引き起こしている相手です。そんな相手が人の死を厭うとは思いません。ですから、殺さないことに相手の利がある……救助や治療にかかる人手や労力、物資を消耗させる狙いがあるように思っています」
それは医師として、人として許せないことであるが故にだろう。リョウマに対するものではないが、リョウマに向いていた5人の視線が厳しくなる。熱血漢のティントに至っては顔を赤くし、見えない相手に憤慨しているのが明らかだった。
「僕の妄想であればそれでいいのですが、どうしても気になってしまって」
「起こりうる状況を想定しておく、というのは医療においても大切なことです。備蓄していた物資についても、事前にしっかりと備えをしていたからこそ、今は困ることなく使えているわけですから」
マフラールはリョウマに無駄ではないと言うと、さらに続ける。
「街の各所にある避難所の物資と怪我人の状況を確認しましょう。物資が不足している場所には、備蓄の一部提供を。また、避難所で軽傷患者の治療を受け入れていただけないか、もう一度打診してみます。
物資の提供と引き換えというつもりはありませんが、その方が避難所も受け入れやすいでしょうし、ここでの治療にこだわるよりも、軽傷の患者さんが早く治療を受けられるようになると思います」
その提案を、どうか? と視線で問うマフラールに、異論を唱える者はいなかった。
「では、私は連絡をしてきます。なるべく早く戻りますが、私を待たずに各々力を尽くしてください」
マフラールは片手でもう一切れサンドイッチを手に取って、そう言い残すと足早に休憩室を出て行く。
「……素早く対応してくださるのはありがたいですが、マフラール先生も休まなくて大丈夫なんでしょうか……」
「気にしなくていいわよ、リョウマ君。先生は私達の何倍も経験豊富だし、必要なことだもの。それより聞いたわよ、活躍していたみたいね」
「おかげさまで、この子達の力を借りてなんとか、という感じですね。本職の医療従事者の方々には頭が下がります」
リョウマは右肩に乗っていたヒールスライムを撫でながら笑う。
リョウマがここで重傷患者の治療に参加できているのは、地球の常識からすればそれだけでもチートと言える回復魔法や魔法薬の存在に、短期間でもマフラールの下で外傷治療に絞った指導を受け、学んだこと。
そして何より、偶然から発見した“スライムの視界”を応用することで、損傷部位の状態を詳細に把握できていることが大きかった。
「スライムの助けはあるかもしれないけど、リョウマ君も自信をもっていいよ!」
「街の先生方も驚いていたわ、まだ幼いのに腕がいいって」
「少なくとも切開と異物摘出は、確実に僕より上手いよ……コツとかある?」
「体は大丈夫ですか? 患者のみ、患部のみに範囲を限定して負担を軽減していると聞きましたが、負担がないわけではないのでしょう?」
「ありがとうございます。今は使えるものは全て使って、自分にできることをやっていきますよ。
切開と異物摘出は……元々刃物の扱いは得意ですし、一緒にしていいか分かりませんが、森で取れた獲物の解体に慣れ親しんでいたのもあるかと。
あと体は大丈夫です。まったく負担がないわけではないですが、このくらいの感覚なら昔は珍しくなかったので。その気になれば2徹、3徹は軽くいけますし、魔力回復薬もありますから。最悪の場合は、自分に体力回復魔法を使えばいくらでも」
「いやいや、そこまではさすがに……そういえばリョウマ君、病院に呼ばれるまで外にいたよね? 表で僕に会ったし」
「はい、消火活動と襲撃者の対応をしていました」
「いつから?」
「昨夜、最初の爆発直後からですが」
「その前に寝てた?」
「仮眠は取ってますよ」
サンドイッチをつまみながらのあっさりとした返答に、4人はリョウマが冗談で言っているのではないことに気付き、同じことを考えた。
((((この子、気付いたら倒れていそう))))
それから4人は“状況的に仕方のないこともあるけれど、あまり無理をし過ぎないように”という内容をやんわりとリョウマに伝え、自らには静かに気合を入れた。
直前に感じた不安も一因だが、マフラールという人物に教えを乞い、医術を学んでいることを考えれば、リョウマは“弟弟子”と言える。そんな少年が身を粉にして患者に向き合おうとしている一方で、兄弟子、姉弟子の自分が不甲斐ない姿を見せるわけにもいかない、と。
そんな兄弟子、姉弟子らの姿にリョウマが心強さを感じていると、一時の安らぎにも終わりが訪れる。
「失礼します! 警備隊の負傷者が多数、すぐに搬送されてくるそうです! 受け入れ準備をお願いします!」
『了解!』
彼らの長い奮闘が、再び始まった。




