警備会社の一室で
「北に新たな出火点確認、以後“北4番”と呼称します。また北3番は先着隊による救助完了。後続隊も到着。しかし周辺住民の避難誘導が遅れています」
「東5番、鎮火確認」
「南8番も鎮火を確認」
「北の出火が増えてきたな……鎮火した2点に後処理と経過観察の人員を送れ。それと入れ替わりで、東5番と南8番に向かった消防隊は北に回ってもらう。避難誘導は空いている馬車に警備の人員を乗せて送ればいいが、2班で足りるか? ジル」
「人手はそれでいいだろう、後続隊もいるからな。馬車は空いているものを順次向かわせるとして、気になるのは避難所の空き状況だ。避難所の状況は?」
「北と西の避難所は問題ありません、まだ十分な空きがあります。東と南もまだ受け入れは可能ですが、徐々に埋まりつつあるようです」
「なら、北の避難誘導は北へ。それから仮設避難所の設営も手配してくれ。場所は予定通り、リョウマが取り壊したスラム跡地の空き地だ」
「西で発見された小規模放火犯が逮捕されました。既に警備隊への引き渡しも完了」
警備会社の会議室では、街の喧騒とは裏腹に、静かな報告と指示が飛び交っていた。
部屋の中心には大きな机、その上には机いっぱいに広げられる詳細な街の地図。
その周囲には大勢の人が集まり、報告と同時に地図上で小さな旗や駒を動かしている。
そんな彼らの様子を見ながら指示を出すのは、警備会社の責任者ヒューズと副責任者のジル。2人が出した命令は、背後に控える職員が素早く紙に書きとめ、会議室の壁に沿っていくつも設置された小型魔獣のケージ前に届けられる。
室内は静かだが、重い緊張感に包まれていた。
「失礼します」
そこへ入ってきたのは、ヒューズやジルと同じく公爵家から派遣された、メイドの3人。
3人は小型のカートを押しながら、神経を尖らせている人々に飲み物を配り始める。
「ルルネーゼ、ありがとな。ほら、ジルも飲めよ。たぶん長くなるぞ」
「……そうだな。気を張り詰めすぎても良くないだろう」
そう言ってジルも飲み物を受け取るが、表情は曇ったまま。
それを見たヒューズはルルネーゼに一時その場の指揮を任せ、こっそりと問いかける。
「おいジル。何さっきからずっと暗い顔してんだよ。楽しい状況じゃねぇのは確かだが、対応はちゃんと、普通以上にできてるだろ」
「……そうだな。リョウマが提案した、従魔との感覚共有を使える従魔術師を集めた“通信部隊”、そして感覚共有を利用して構築した“情報伝達網”。さらに街の各所に用意した監視および連絡の拠点。これらを活用することで現場の状況はもちろん、各ギルドや警備隊、役所とも素早く情報を共有し、密な連携が取れている」
「リョウマは……確か“デンワコーカンシュ”とかなんとか言ってたっけか? 俺は従魔術は使えねぇし、言葉の意味もよく分からんけど、こんなこともできるんだな」
「デンワ……古代にあったとされる、遠く離れた国同士を瞬時に繋ぐことのできる連絡手段だな。おそらく空間魔法を利用した魔法道具だと言われているが、本当に存在したかは怪しい代物だ。リョウマはそういう逸話のどれかをヒントにしたのだろう。
街全体に情報網を張り巡らせるには感覚共有を使える従魔術師を、交代要員も用意するとなるとかなりの人数集める必要があるのが難点だが、そこさえ乗り越えれば迅速な情報伝達が可能になり、こうして複数の現場の状況がほぼ時間差なく届けられる。
リョウマの資金力に、最近の大雪で郵便配達を主な仕事としていた従魔術師の手が空いていたから実現できたが……この情報網がないままこの日を迎えていたらと考えたら、恐ろしいくらいだ」
「そりゃ俺も考えたくねぇや。でもよ、そんだけ頼りになるものがあるって分かってんなら、なんでずっとそんな顔してんだって。気を張り詰めすぎだ」
「そうか? ……少し、自分が不甲斐ないと思ったからかもしれんな」
「不甲斐ない? あ、あれか。セルジュの旦那の護衛に言われたことを気にしてんのか」
それは、セルジュ襲撃後のこと……
リョウマ達は食事会を開いていた会議室に戻り、さらに駆けつけたヒューズ達も合わせて、今後についての会議を行なった。
会議自体は、事前に想定できる限りの非常事態の対応策を用意していたこともあり、敵が襲撃という直接的な手段に出たことから“明らかにこれまでと手口が違う”、“手段を選ばず、また暗躍を隠す気もなくなった可能性が高い”という認識を共有するだけで終わる。
会議後には、セルジュが自分の店に、サイオンジ夫妻は予定を繰り上げて可及的速やかに街を出る、と各々や周囲の安全確保のために動くという会話があったのだが……そこでジルは、リョウマにもどこか安全な場所で待機してはどうかと提案し、さらにその場に居合わせた傭兵団の副団長であるヤシュマに、一時的なリョウマの身辺警護の打診をして即座に断られていた。
その時の会話は、このようなものだった、
『理由を聞かせてもらえるだろうか。金を積めば言うことを聞くだろう、などと考えているわけではないが、報酬は十分に払う用意がある。もう少し交渉の余地はあるのでは?』
『残念だが、先の返答を覆すつもりはない。理由は3つ。
1つは“団の規定”だ。我々はモーガン商会とその会頭であるセルジュ殿の警備という仕事を既に請け負っている。可能であれば複数の依頼を同時に、あるいは後から受けるという傭兵もいるが、我々はそれを禁じている。我々傭兵の仕事は信用が命、先に受けた依頼に全力を尽くす。
1つは“警護対象の心構え”。我々は依頼と報酬があれば警護対象をえり好みはしないが、それでも警護をしたくないと思う人間はいる。その理由は様々だが、特に面倒なのは“自分が守られているという自覚のない者”だ。その上で自分の腕に覚えがあると思い込んでいる者、中途半端な実力がある者はさらに性質が悪い。
彼がそうだとは言わないが、その提案は彼の同意があってのものではないだろう。むしろ彼自身はこれから起こり得ると考えられる問題に対して、積極的に動き、対応しようとしている。自分から渦中に飛び込もうとする警護対象は、我々からすれば警護がやりにくいことこの上ない』
『……』
『そして最後の理由は“警護の必要性がない”と判断したことだ』
『必要性がない?』
『彼は先刻我々と同等、敵の位置の把握に関しては我々よりも早かった。また襲撃時の行動、判断の結果、それらから垣間見える実力を考慮した結果、私は彼が“自分の身を守ること”に関しては十分な実力があると判断した。中途半端な実力を持つ警護対象は面倒だと言ったが、逆に十分に実力のある者だと、わざわざ我々が警護する意味はない。
それに……おそらくだが、君は集団戦の経験が乏しく、苦手としているな』
ヤシュマが同席していたリョウマに問いかけると、リョウマはあの短時間で分かったのかと感心しながら肯定の言葉を返した。
『というわけだ。我々が彼を守るどころか、拙い連携は邪魔になりかねん。自分の半分も生きていないであろう子供に、こんなことを思うとは考えもしなかったが……もし彼が傭兵として黄金の荒鷹に入りたいと言うなら、副団長権限で入団試験を免除して歓迎しよう。それほどに私は、彼が誰かに守られる必要のある存在だとは思えない。無論、身近な者としては心配だろうし、気持ちは理解できるがな』
そんな会話があったことをヒューズが指摘すると、ジルはため息を吐く。
「あの件だけではない。ユーダムも私を過保護と言っていただろう」
「ああ、そういや言ってたな。それが?」
「……私は、リョウマが普通の子供のように生きていいと思っていた。まだ子供なのだから周囲に、我々に頼っていい、守られていてもいい歳だと思っていた。いや、今も思っている。
しかし、私はそう思うがあまり、無意識に“普通の子供であること”を強要していたのかもしれん。リョウマは我々が心配しているということを理解できていないわけではないからな」
「あー、確かにリョウマも身辺警護や待機を断りはしたが、申し訳なさそうだったな」
「リョウマの魔法なら、我々とは比べ物にならない効率で消火活動ができる。状況と能力を冷静に見れば、使える者や手段を使わない手はない。リョウマもそう考えているだろう。
心配するのは私の勝手だが、それでリョウマ自身の意思を無視するような提案をしたことは、少し反省すべきではないかと思っていた。
しかし、今はそんなことを言っている状況ではない」
「それで、集中してたら変に力が入ってた、ってわけか」
「そう見えたのなら、そうなのだろう。他に理由も思い浮かばない。気をつける」
「そうしとけ。さっきも言ったが、たぶん長くなるからな。途中でバテてたらそれこそ問題だ。リョウマとは、全部終わってから腹割って話せばいいさ。その方が育児の教本なんか読むよりよっぽど分かりやすい――って、何だよその顔」
「なぜ、知っている。私が育児の教本を読んでいたことを」
「は? え、ジル、お前も読んでたのか?」
「何?」
2人の間に奇妙な沈黙が流れる中、ルルネーゼが話に加わる。
「お話中失礼します。ヒューズが言っているのは、おそらく私が読んでいた本のことです。まだ先のことですが、将来のためにと読んでいた本をヒューズが覗いて、よく分からないと言っていたので。ですよね?」
「そうだ。ってかその様子だと、お前も読んでたんだな? それもリョウマを相手にするためにわざわざ」
そう言われたジルの顔が、恥ずかしさで瞬時に赤く染まる。
「ジル……やっぱ“過保護”ってのは当たってるかもしれねぇな」
「ぶふっ!」
「ッ!?」
ヒューズの一言にジルが言葉を失っていると、何かを噴き出すような音が聞こえる。
反射的にジルがそちらを見ると、地図の横にいた従魔術師の1人がむせていた。
さらに、静かに肩を震わせている者も数人いる。
その様子を見れば、自分達の会話が聞こえていたことは明白だった。
重苦しかった室内の緊張感が幾分か和らぎ、生温かい空気が流れる。
「ゴホン! ああ、失礼した。だが、ええ、張り詰めすぎは良くないが、気の緩みすぎもよくない。適度に気は引き締めていただきたい」
その一言で室内の従魔術師が一斉に、地図に食らいつかんばかりに自らの仕事に集中する。
しかし、重苦しい雰囲気は緩和されたまま。
「結果的に、通信担当がほどほどに緊張を解せたと思えばよかった……のか?」
まだ顔の赤いジルがそう呟くが、その声に答える者は誰もおらず、何事も無かったかのように、再び粛々とした情報交換が続く。




