大騒動の始まり
本日、2話同時投稿。
この話は2話目です。
セルジュの襲撃から半日と少し後……夜は更け、日が変わり、多くの人々が寝静まる時刻。
月や星が厚い雲に隠されて、夜闇の中で朝を待つギムルの街に、ぽつり、ぽつりと光が生まれる。それは連続する稲妻のような轟音を伴って、人々に早すぎる朝を告げた。
「な、なんだぁ!?」
ある男は、その轟音に揺り起こされて、わけも分からずあたりを見回す。そして目に付いた窓の外を見て驚愕し数秒の硬直の後に駆け出した。
「おい! 起きろ! 皆起きろ!!」
「なんだいあんた、こんな夜中にうるさいねぇ……」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇ! 向かいの家が“火事だ!”」
それを聞いた妻は、慌てて寝床で寝ぼけ眼をこする子供のところへ走り、男は外に出て近所に声をかけて回る。すると瞬く間に住民の間には混乱と恐怖が伝播し、激しい炎の立ち上る家屋の周辺地域は、必死に避難と消火を叫ぶ人々の喧騒に包まれる。
未明の街のあちこちで、そんな光景が広がっていた。
「水だ! 貯水槽を開けろ! 急げ!」
「姿を見てない奴はいないか!? 寝てる奴は叩き起こせ!」
「子供達は安全なところに連れて行くのよ!」
「誰か警備隊に連絡を!」
「た、大変だ!」
「大変なのは見りゃ分かってんだよ! それより動け!」
「ち、違う! 火事のことじゃ、いや、火事だけどそうじゃなくて……向こうの通りの店からも火が上がってるし、他の建物からも、とにかく火が出てる場所が1つや2つじゃないんだ! そっちにも人が必要で、人が集められない! 警備隊も走り回ってて、すぐに助けはこないんだ!」
息をきらせて走ってきた男が告げた事実に、目の前の建物の火災に注目していた近隣住民がさらに困惑。燃え盛る建物の隣にある家の住人などは、延焼は時間の問題だと絶望的な表情を浮かべる。
そんな時、
『道を空けてください!』
集まった人々の耳に届いたのは、周囲の騒音を掻き消すほどの“少年の声”と“水音”。それを聞いた人々が音のした方に視線を向ければ、遠くから路上を流れる激流の“川”と、その上を走る“小船”。さらに船の上に見える2人組の内、片方は少し変わった服を着た“少年”。
これらの情報がそろえば、それが誰かは明白だった。
たまたま居合わせた顔見知りの者が呼びかける間もなく、激流とリョウマの乗る船は人々が空けた道を通過し、燃え盛る建物の前に滑り込む。間髪入れずに船を運ぶ激流が天高く昇り、燃え盛る建物に滝の如く降り注いだ……かと思えば、地面に溜まった雪や泥までまとめて建物を包み込んだ。
それはまるで、巨大なスライムが建物を飲み込もうとしているかのように、1回、2回と建物を包み込む泥水がうごめく。その都度火の勢いは衰えて、火災はものの十秒程度で鎮火した。
目の前に存在していた脅威がひとまず取り除かれたことで、集まっていた人々の顔に安堵が浮かぶ。しかしその一方で、
「な、なぁ君!」
船上にいたリョウマに、焦燥した声をかける男が1人。それは先ほど、この場に集まっていた人々に街の状況を訴えた男だった。男は必死の形相で、リョウマの乗る船へと駆け寄ると、大声で叫び始める。
「一体どうなってるんだ!? 街中のいたるところで火事が起きてるそうじゃないか! 君は警備隊と色々やってるんだろ!? 何か知ってるなら教えなさい!
それに火を消してくれたのはありがたいが、こんなやり方でまだ中に人がいたらどう——ヒッ」
一方的にまくし立てる男が突然後ずさる。男の視線の先には、船上から無機質で感情の読めない瞳を向けるリョウマの姿。火災が収まったことであたりは暗く、その目に気づいたのはまくし立てていた男のみだが、男が突然黙り込んだことで周囲の人々もそちらに注目する。
「店長さん、目が怖いって。魔法の制御が大変なのは分かるけど」
「すみません、睨むような感じになってしまいましたね」
船に同乗していたユーダムが横から口を挟むと、リョウマは何事もなかったようにそう言った後、男の言葉への返答をその場にいる全員に向けて口にした。
「この建物内には誰もいません。直前に魔法で確認してあるので、ご安心ください。今の状況については“街の複数個所で火災が発生している”ということ以外、私には分かりません。まず消火活動が第一と思って飛び出してきてしまったので。ですが現在、私の警備会社が警備隊や冒険者ギルドと連携して、調査および消火活動に動いています」
男とリョウマの言葉を聞き、目の前の脅威がなくなり不安は薄れたが、安心できない様子でざわめく人々。そこへさらに、
「安心してください、とは言いません! 十分に危機感を持って、身の安全を第一に行動してください! そしてその上で、可能であれば避難誘導や他所の消火活動にご協力をお願いします! 人手は、あればあるほど助かります! どうか、よろしくお願いします!」
ざわめきに掻き消されぬよう声を張り、深く頭を下げたリョウマ。
その姿を見て、戸惑っていた人々もやるべきことをするために動き始める。
「当たり前だ! 俺は手伝うぞ!」
「ほっとくわけにもいかないからね!」
「ありがとうございます! あっ、避難する方や怪我人は警備会社と併設病院で受け入れ準備をしています! 必要だと判断したら遠慮なくご利用ください!」
再びあわただしく動き始めた人々に、そう声をかけたリョウマが、ここで先ほどの男を見る。
「あなた」
「お、俺かい」
「申し訳ないのですが、連絡役として警備隊の詰め所に行ってもらえませんか? ここで火災があったことと、既に消火済みであることだけでも伝えていただければと」
「あ、ああ、それくらいなら」
「ありがとうございます! では、乗ってください」
「え?」
「僕もこれから次の火災現場まで行きます。途中まで一緒に行きましょう、速いですから」
リョウマは有無を言わさぬような態度だが、今は緊急時とあって、それを咎めようとする者はいなかった。むしろ、その前で躊躇を見せる男の方に“さっさと行け”というような視線が突き刺さる。
そんな無言の圧に負けたのか、男は慌ててリョウマの船に飛び乗る。
「それでは、行きます!」
その声と同時に、建物を包み込んでいた泥水が弾ける泡のように崩れ、流れ、小船を持ち上げ動き始めた。船が段々と速度を上げていく状況で、ユーダムが乗り込んだ男に声をかける。
「申し訳ないね、店長さんが強引で」
「こちらこそ先ほどは失礼を、この事態で気が動転していたようで」
「そう言ってもらえると助かるよ。さっきも言ったけど、店長さんはこの魔法を維持するだけで、かなり負担がかかってるから」
「……そんなに負担が大きいんですか?」
「そりゃあもう。魔力は馬鹿みたいに使うし、繊細な制御が必要だし、こんな速度で移動してると特に制御に集中しないと事故を起こしかねないから、会話もできないよ。だから僕が同乗して手伝いをしてるんだけど……っと、こっちもちょっとやることあるんで」
そう言うと、ユーダムは船体後部で作業を始める。
「……」
すると、男はユーダムとリョウマを交互に、それとなく観察を始める。そして、ユーダムの注意がそれたこと、リョウマが自分に目を向けていないことを確認。どちらの目も自分に向いていないと判断した男はそっと腰に手を伸ばし、ナイフを引き抜いた。
そして、魔法の操作に集中しているリョウマの背中に、その刃をつきたてようとした、その時。
「ぎゃっ!?」
突如、振り返ったリョウマが振り下ろすワイヤースライムが手首を打つ。
さらに、たまらずナイフを取り落とした男の腕を背後からユーダムが捕らえ、組み伏せて船底に顔面を叩きつける形で確保。
「な、なぜ……」
「最初から警戒していたからです。やっぱり工作員がいましたね」
リョウマは組み伏せられた男の首に、素早くワイヤースライムを巻きつけ、締め落とす。
「お見事、でもいいのかい? 話を聞かなくて」
「今は時間もありませんし、この様子だと彼は捨て駒同然の扱いでしょう。たいした情報は持っていないと思います」
「重要情報を持ってたら今頃仲間の手引きで逃げているか、始末されているか……どちらにしてもあんなとこにいないか。この男1人捕まえて、計画全部筒抜けになれば、僕らとしては助かるんだけどね」
「街の人の不安を煽って、混乱を大きくするのが仕事だったんでしょう。絡んでは来ましたが、僕らとの遭遇は偶然だったみたいですし……大方、僕らが邪魔をしてきたせいで上から見限られかけていて、保身のために功を焦ったとか、そんなところでは? 隙があるように見せたら、すぐに食いついてきましたし」
「そんなところかな。しかし、よく分かったね? この男、たぶん潜入とかそっち方向の工作員だよ。さっきの動きはともかくとして、言動はこの状況だし不自然とは言いきれなかったけど」
「それなんですが、どうも知らないうちに“悪意感知”と“敵意感知”のスキルを身につけていたみたいで……今日、いやもう昨日か。昼にセルジュさんの襲撃があったでしょう?
あの後、護衛についていたヤシュマという人から指摘されて、ステータスボードを見て気づきました。だいぶ前から確認してなかったのですが、もしかしたらユーダムさんと最初に会った頃には手に入れていたのかもしれませんね」
「ああ、あの時期の店長さんはかなりピリピリしてたしね。自覚はなかったけど、荒れた街の悪意や敵意に敏感になっていたと」
「あー、あの時期の暴走は……どちらかといえば近頃はあまり悪意や敵意に晒されていなかったからですかね。今僕の身の回りにいてくれる人達は、親切で優しい人が多いですから。飢餓状態の人がいきなり大量の食事を取って、体が受け付けずに吐くとか、そんな感じだと……思いたいなぁ……」
黒歴史を思い起こして、乾いた笑みを浮かべるリョウマ。
それに対してユーダムは、
「でも、そのおかげで昼の襲撃も阻止できたんでしょう? よかったじゃない」
「確かに、直前に察知できたこともそうですが、最近病院で訓練していた“魔力体の把握”と“スライムを使った索敵”の組み合わせが、敵の能力と相性も良かったことも含めて運がよかったと思います」
「悪意感知や敵意感知を意図的に身につけるのは難しいとされているし、護衛の仕事をするときは優遇されることが多いから、身につけていて損はないよ。
それにしても、スライムの感知能力ってそんなに凄いんだね。聞いたことないけど」
「スライムとの相性がかなり良くないと難しいのでしょう。あと、慣れないとかなり頭が痛くなりますし、気づかれにくく、使いにくいのかもしれません。僕はまだ耐えられましたし、スライムへの興味の方が大きかったですが」
「スライムへの熱意に関して店長さんを超える人は、少なくとも僕はみたことないな」
「熱意を持っている人は結構いますよ。ユーダムさんは知らないと思いますが、洗濯屋の支店に元スライム研究者の方が3人ほど」
「えっ、そうなのかい?」
「まぁ、熱意で負ける気はありませんが……それより次の現場までもうすぐです」
「了解。こっちも仕事しないとね」
「できる限りのことをやりましょう」
そう言ったリョウマは、船の速度をさらに上げながら、暗い空へと目を向けた。




