タイミング悪く……
翌日
「……やった!!」
朝から歓喜に震えた。
なんと! なんと! 目を覚ましたらスティッキースライムの1匹が進化していた!
鑑定結果は以下の通り。
ラテックススライム
スキル 粘液生成Lv6 凝固Lv1 融解Lv1 物理攻撃耐性Lv2 ジャンプLv1 消化Lv4 吸収Lv4 分裂Lv3
これは……何だろう……
まず種類は“ラテックススライム”
ラテックスというとまず思い浮かぶのが天然ゴムの原料。
ゴムの樹に傷をつけると出てくる乳白色で粘性のある液体。
実際に外見もその通り、乳白色で粘性のある液体だ。
そしてこのスライムに与えていた餌は“ダンテの茎”……確かゴムの原料としてのラテックスは主にゴムの樹から採取されるが、ラテックス自体はほかの植物も分泌する。さらにその中でもタンポポはわりと有名な方で、ダンテには地球のタンポポと似ている部分がある。実験をしないと確定はできないが、おそらく想像通りのラテックスである可能性が高い。上手くいけばこのスライムの体液からゴムが作れるだろう。
しかし残念ながら、スライム自身の能力はかなり落ちてしまったようだ。
「スティッキースライムと比べて物理攻撃耐性、消化、吸収はLvが1上昇。だけどジャンプは逆に2下降。強力粘着液、粘着硬化液、粘着糸吐き、棒術、種植の5つは完全に消えてしまっている……」
こんなことは初めてだ。
これまでが珍しいことで、進化の際には能力が変わるのが普通なのか?
それとも今回のようなことが珍しいのか?
いや、今回のラテックススライムはゼリー状のスティッキースライムから進化している。
ゼリー状から液状に、体の水分量が増したせいか……分からない。
まだラテックススライムに進化したのはこの1匹だけ。データが不足している。
もっと数多くの進化を見て研究の必要性がありそうだ!
となるとラテックススライムの数をもっと増やすか……一部のスティッキースライムがこの茎の部分を好むと分かってから結構経っている。それは茎の中のラテックスが少なかったから、一食で摂取するラテックスの量が少なかったからか……
「おはようございます、タケバヤシ様」
んっ!? あれ、もう人が来るような時間?
「タケバヤシ様?」
「あ、おはようございます! どうぞ!」
扉の向こうに声をかけると、静かにルルネーゼさんが入ってきた。
「おはようございます。朝食の用意ができていますが……どうかなさいましたか?」
「いえ、大丈夫です。スライムが進化していたので様子を見ていたら時間に気づかなくて。すぐに用意します」
非常に残念だけれど、スライムの観察は食後だな……
ということで朝の支度を整えて、朝食の席へ。
「随分と機嫌がよさそうだね?」
「何か良いことでもあったのかしら?」
「リョウマのことやからスライム関係やろ」
「進化でもしましたかな?」
一言挨拶しただけで、機嫌から理由まで全部察された……
俺ってそんなにわかりやすいだろうか?
「お察しの通り、スティッキースライムがラテックススライムに進化しました」
「ラテックススライム……また新種かな?」
「少なくとも比較的よく見つかる上位種じゃないわね」
「そのスライムは何かできるんか?」
「今のところ粘液を出すことしかできないみたいですが、この粘液が僕の知っている物と同じなら、色々な物を作るのにかなり便利な材料になると思います」
……そういえばこの世界ってゴムはあるのだろうか?
考えてみると、これまでゴム製品って見たことがない気がする。
グレルフロッグの皮鎧とか、ゴムっぽい質感のものはあったけど……
疑問に思ったので聞いてみると、セルジュさんがもしかすると……と口にした。
「おそらくですが、リョウマ様が仰っているのは“グヮム”のことではないでしょうか?」
セルジュさんが言うには、この国からずっと南へ。大陸の端まで行くと港町がある。そこから先にはいくつもの島が連なっていて、その島々で補給をしながら1月~2月ほどの船旅をすると、また別の大陸に着くとのこと。そこはこの国とは違って常に気温が高い国で、湿気も多い。晴天から突然の土砂降りに天候が変わることも多く、また文化も大きく違うらしい。
聞いた感じは熱帯の島国? 突然の土砂降りはスコールだろう。高温多湿でゴムの樹が生える条件には合っている気がする。
「グヮムはリョウマ様が仰ったように樹液を固めたもので、その樹液を出す樹がその大陸には豊富に生えているそうです。しかしその樹と樹液はその大陸の法で持ち出し禁止の品に定められていまして、こちらに渡ってくることはまずありません」
……確かゴムはアマゾン川流域でしか採取できなくて、その有用性が認められると“黒い黄金”と呼ばれたり、イギリスに独占された時代があったはず……これはさらにゴムとグヮムが同じものである可能性が高くなった。
「ただリョウマ様が仰るほど優れた素材ではなかったと思いますが……」
「えっ? そうなんですか?」
「ええ、子供の遊具か簡素な器。あとは布の防水にも使われるようですが、溶ける、破けるなどそれほど強い素材ではなかったはずです」
? それって天然ゴムそのままじゃないか? 硫黄や炭素を加えていないんじゃないだろうか?
地球でゴムの有用性が認められたのはその加工方法が見つかって、有用性が高まってから……だからこそ高価になって独占されたりしたはず。なのにこちらでは独占されているのに用途が見つかっていない? なんだかちぐはぐな気がする……
そこを追及すると、
「かの大陸の文化・風習に根付いた、彼らにとって大切なグヮムの用途があるので。ほとんどはそちらに使われるようです」
「?」
今気づいた。セルジュさんはその用途の明言を避けているようだ……これは追及しない方がいいのだろうか?
「年齢的にまだ早いかと……思いましたが、リョウマ様でしたら薬の知識もありますし、おそらく必要性・重要性も併せてご存知でしょう」
ただし食後にということで、その場はまた別の話題と朝食を楽しんだ。
そして食後。
改めて外出前のセルジュさんに聞いてみると、彼は一言。避妊具だと告げた。
「あ、そういう方向の……」
確かに朝食の席。奥様の前でする話でもない。
「かの大陸の人々は性に寛容で、地域により一夫多妻制、一妻多夫制、多夫多妻制の集落もあるそうです。またその、行為そのものが成人の儀式として取り入れられている場所も多いようですね。
若かりし頃に冒険心であちらに渡ったことがあるのですが、文化の違いに驚かされましたよ。全体的に男性も女性も薄着で、少し田舎に行けばほとんど裸で出歩く人もいましたから」
地球でも神話とかに性的な内容が入ってることもあるしね。そういう地域もあるんだろう。
そして性的な行為にはリスクもある。
「それでその避妊具が」
「ええ。儀式だけでなく日常的に行う回数も多く、昔は性病や成人の儀でそのまま身ごもってしまうなど、行為は必要とされながら問題も多々あったそうです。それがグヮムを使った避妊具の開発で大きく減ったとか。
あちらの文化に理解のない方々の中には、残念ながら南大陸の者を“蛮族”と呼ぶ者もいますが、少なくとも性病や避妊に関してはこの国より高度な知識と高い意識を持っていると思いますね」
ちなみにこの国での避妊は基本的に薬。女性用だけでなく男性用の薬もある。ただし質の悪いものや使い方を間違えると体に悪影響を与えることもある。
その点グヮムで作られた避妊具は安全性が高く、人体への影響も少ない。今では貴族用に南大陸から輸入もされ、高級品として売られているらしい。
「なるほど……」
色々な国があるもんだ。他国の話を聞くのも面白い。
と思っていると、今度は逆にセルジュさんからの質問。
「リョウマ様の仰っていたゴムですが、同じものでしょうか?」
「原料は同じラテックスだと思います。ただゴムはグヮムを加工して、より素材として、色々なことに使いやすくした物と考えていただければ」
「ほほう……」
ちなみに念のため禁輸品という点は大丈夫かと聞いてみると、
「南大陸の樹やその種を大陸外に持ち出すのが禁止、というだけですので、こちらで生まれたスライムの粘液を使うことに関係はありませんね」
ということで、安心して実験ができそうだ。
「ラテックススライムの粘液でゴムが作れるか、実験してみます」
「また何かあればいつでもお気軽にご相談ください。私も結果を楽しみにしています」
話を聞かせてくれたお礼を言って、笑うセルジュさんと別れる。
さて、それでは実験だ!
厨房に行けばラモンをいくつか貰えるだろうか? だめなら、アシッドスライムの酸を薄めて混ぜれば、天然ゴムができるはず。それくらいなら午前中のシュガースクラブの研究と並行して進められるだろう。しかし、硬度や弾力を調整するための硫黄はどうしようか……炭素なら炭があるから何とかなるけれど、錬金術で
「タケバヤシ様!」
「? おはようございます」
メイドさんから呼び止められた。何かあったのだろうか? かなり慌てているようだ。
「どうされました?」
「それが、結婚式場の池が何やら大変なことになっているらしく、とにかく急いでタケバヤシ様や式の責任者の方に判断を仰ぎたいと」
「池……? とにかくわかりました。すぐ行きます。……あ、すみません1つだけ! 裏で実験準備をしてくださっているリビオラさん達へ、僕が式場の方に呼ばれたことを伝えておいてもらえますか? 待たせてしまうと思うので」
「かしこまりました」
その言葉を確認し、俺は結婚式場へと足を向けた。
大変なこととはいったいなんだろうか?
木々の間から結婚式場が遠目に見えた頃……この時点で違和感を覚えた。
そよぐ風に乗って、これまで感じたことのない、湿っぽい異臭を感じる。
花のような、植物のような、それが腐ったような……
式場へ近づけば近づくほどにその匂いは強まり、やがて赤く染まった湖とそのほとりに集まる集団を確認。彼らは結婚式を取り仕切る各部署の責任者達だ。ラインハルトさんと奥様もいる。
「お待たせしました!」
「やあ、リョウマ君も来てくれたのかい」
料理長のバッツさん。その表情は暗い。
「何があったんですか? この湖……」
「こいつが原因さ」
会議で庭師の代表者として参加していた男性が見せてくれたのは、糸のように細長い根にびっしりと海ブドウのような袋がついた植物。それは湖の水よりもさらに赤く染まっていて、悪臭も強い。きわめて不気味な草だった。
「ドグブラムって水草でな。こいつは春から秋にかけて栄養を溜めこんで、冬のある日に一気に増殖するんだ。毎年ある事なんだが、今年はだいぶ早かったみたいだ」
「なにもこんなタイミングで増えなくても……」
「こんな中で式をやるのはね……」
口々にそんな言葉が聞こえてくるが、無理もない。赤く染まった湖はホラー映画に出てきそうな雰囲気だし、そのせいかせっかく建てた教会も暗くなると廃屋に見えてしまいそう。何よりも湖から漂う悪臭の中で食事なんてしたくない!
「何とかする方法はないんですか?」
「上流の水源からここまでの水路を封鎖して水を抜く。それからドグブラムを取り除いてやれば元に戻る。だが1日じゃ水を抜くだけで精一杯だ。元に戻すなら上流も含めて5日は欲しい」
結婚式はこの環境で強行するか、中止するかしかない。
専門家の言葉を聞いて、責任者の皆さんに落胆の空気が広がる。
だけど、俺にはまだ希望があった。
「それならなんとかなるかもしれません」
そう言った瞬間、その場にいた全員の目が俺に集まる。
その内の2対。ラインハルトさんと奥様だけは何を言い出すか察しているようだ。
「リョウマ君。もしかしてスライムかい? というかスライムしかないよね?」
「ご想像の通りです」
庭師の男性は水抜き、水草の処理、注水。それらを人力で、段階的に行って“5日”と判断した。だったら水も水草もその他の汚れも、まとめてスライムに飲ませた場合はどうだろう? さらにそれを圧倒的な数で行えば? 少なくとも時間の短縮にはなるはずだ。
それにここはジャミール公爵家の敷地内。この場にいる、そして今後も来るのは公爵家の使用人の中でも、ヒューズさんとルルネーゼさんとの関係が深い古参の方々。ひいてはそれだけ信用できる方々。だったら秘密も守っていただけるだろうし、ビッグ以上のスライムを解禁しても問題ないだろう。
ということで、
「『ディメンションホーム』」
まず呼び出すのは肥大化させたキングスカベンジャースライム×3匹。
「うわっ!?」
「何ですかあの巨大なスライムは!?」
「ビッグスライム……にしても大きすぎる。そもそもビッグスライムと契約を?」
事情を知らない使用人の皆様が呆然としている姿を横目に、湖に入るよう指示を出す。
するとキングスカベンジャースライム達は静かにその体を水面に沈ませ、大きな波を立てながら湖の中心部へと進んでいく。
ふむ……湖の面積はかなり広いが、深さはキングスカベンジャースライムの全身が浸からないまま水底を這える程度のようだ。……まぁそれでも2メートルくらいはあると思うけど。
「もう少し距離を空けたほうがいいかな……そのくらいで! あとは体を平べったく、面積を広く吸水に使えるように……で」
暴飲暴食を発動!
スライム上の水面が小刻みに震え、やがて小さな渦が生まれる。
「スライムの体調にも問題ないようですので、このまま湖の水と水草を飲ませます」
「明日の式には間に合うのかい? リョウマ君」
「それはやってみなければ。でもスライムはまだまだたくさんいます。ここはキングスカベンジャースライムに任せるとして、上流と下流も他のスライムで処理して何とか間に合わせましょう。大丈夫、無理も押し通せば無理じゃなくなります!」
「どんな理屈かしらんが、とりあえず俺は上流の水門を閉めてくるぜ!」
「では、我々は予定通り飾りつけを。作業は変わらず、明日式を行う予定で進めましょう」
『はい!』
バッツさんや庭師の男性。そのほかの責任者の方々にも再び希望の光がともる。
この状況ではスライムの研究をしている暇がないが……
優先度が高いのはヒューズさんとルルネーゼさん。
研究は後回しで頑張ろう! 掃除と悪臭問題解消は俺の専門分野だ!
そして作業は夜まで続いた……




