情報漏洩
「重要な話をした翌日から、本当に申し訳ない」
今朝はラインハルトさんの謝罪から始まった。
食事のために集まったこの場には、昨夜も共に語り合った4人に加え、肩から先に生地がないメイド服を着ている女性……と言うよりも、少女と言うべきだろう。中学生くらいに見える女の子が5人、今にも泣き出しそうな表情で正面壁際に並んでいる。
さらにその両端にはメイド長のアローネさんとリリアンさん。険しい顔で彼女達を挟み込む様子は、死刑執行直前の死刑囚を処刑台に連れて行く看守のようで……とてつもなく重苦しい雰囲気が漂っている。
「すみません。もう一度確認させてください」
まず、なぜこんな事になったかと言うと……
「彼女達は、リョウマ様がお作りになった“秘薬”、もしくは商品の製法を盗み、無断で使用しました」
ビクリと体を震わせ、血の気の引いた青い顔をさらに青くする。右端の子に至っては、もう涙がこぼれそうだ。
「その秘薬というのは、ムミトウと植物油を混ぜたシュガースクラブのことですね?」
「その通りです」
ここでこんな状況になっている原因は、俺が昨日話したシュガースクラブのせい。
というか部分的にそれを話した俺のせい?
何でも彼女たちは昨夜、休憩中に使用人仲間から伝え聞いたシュガースクラブの作り方を耳にして、材料も手が届く範囲で揃えられたので実際に作り、使ってみた。その時点の彼女たちにしてみれば、それだけの話だった。
問題はシュガースクラブが最初、新しく開発された“美容の秘薬”として認識されていた事。
そして彼女達の耳に届くまでの過程で、伝言ゲームのように内容が歪み、“ムミトウと植物油を混ぜて塗ると肌にいい”という豆知識レベルの話になっていたために、秘薬とは知らなかった事。
彼女達は洗濯担当のメイドらしく、公爵家の使用人全員の洗濯物をひたすら洗い続ける仕事をしている。だからだろう、良く見ると中学生ほどの若々しい手は、ひびやあかぎれで痛々しいほどに荒れている。
……年頃の娘が、そんな手の状態で、豆知識レベルの話を耳にして、材料もある。
……そりゃあ試してみたくもなるだろう!
と、心理的には当然のように思えるが……この時の様子が先輩使用人の目に留まり、“秘薬の製法を盗んだ”という話に発展した。
貴族家の使用人には“屋敷で働く上で知り得た知識、主人および主人の家族、来客のいかなる情報も漏出、および無断で利用してはならない”という雇用契約上の規定、所謂“信義則上の義務”がある。
シュガースクラブは客である俺が持ち込んだ秘薬であり商品という解釈で、彼女達は知らなかった事とはいえ、この規定に抵触してしまった。なお彼女達にシュガースクラブのことを話した使用人も確認中らしい。
「彼女達の行った事は仕える家の名に傷をつけ、主人の顔に泥を塗る行為。しかるべき処置を行わなければなりません」
使用人が情報を漏洩させるような家で、誰が大切な商談や内密の話をしたいと思うのか。
来客と主人の信頼関係に皹を入れるような行いであり、使用人としての心構えが足りない。
そこに俺が気軽に話した事かどうかは関係ない。
メイド長のアローネさんは言外にそう語っているように思えた。
“しかるべき処置”については何も言及されていないが、立ち並ぶ女の子達の表情と態度を見れば相当な罰になることが想像できる。メイドとしての仕事をクビになるか、それともクビで済めばまだマシと思えるほどの罰になるのか、厳密には分からないが……
このままではあまり気分が良くない。
「ラインハルトさん、お話は分かりました。シュガースクラブの話を使用人の前でしたのは僕ですが……それをどうこう言っても意味は無いようなので、一人の被害者として質問させていただいても?」
「もちろんだとも」
「では、この件に関して、いくつか要求をさせていただくことは可能ですか?」
「雇用者として誠意を見せる必要はある。内容によっては承諾できないこともあるが、遠慮なく言ってほしい」
「では……まず前提として1つ、彼女達がどんな罰を受けたところで、僕にとっては何の利益もありません」
彼女達がクビやそれ以上の処罰を受けたところで、俺になにか得があるわけでもない。
「賠償請求に応じる用意もあるが」
「公爵閣下からの賠償は望みません。罪を犯したのは彼女達なのですから、彼女達に償わせるべきと考えます。
また、問題となったシュガースクラブですが、僕は現時点のアレを“商品”として販売する価値のある物とは思っていません。もちろん商売の種になるとは思っていますが」
前世でも店売りの物は砂糖や油にこだわっていたり、香料を加えていたり、様々な研究に改良が加えられていた。それと比べると昨日作った物は、ありあわせの材料で作った、砂糖と油を混ぜただけの物。言ってしまえば粗悪品。
自作して自分で消費するならともかく、とても商品として他人からお金を取れるような物ではない、と考えている。
「以上をふまえまして……彼女達には罰として、彼女達自身の働きによって、罪を償っていただきたい」
「ふむ。具体的には?」
「薬の実験台。所謂、人体実験を行います」
絶望的な表情を浮かべる5人の女の子だが、ラインハルトさんは彼女達に背を向けているのをいいことに、表情を緩めている。
「もっと具体的に話してくれるかね?」
「……先ほども申しました通り、現在のシュガースクラブを僕は商品と呼べません。ですので、ちゃんとした商品へと改良するために、彼女達の体を使って効果を実験。その感想を聞きながら改良を行います。実験に使用する部位は両手両足、あとは顔だけで結構。期間は……僕の滞在が終わるまで、ではいかがでしょうか」
「彼女達の罪を彼女達自身で償わせる、それが君の望みならその通りにしよう。使用人としての心得を学ばせるため、並行して少々厳しめの教育も受けてもらうが構わないね?」
「そちらはご随意にお願いいたします」
「よろしい、君の要求を全て呑もう。アローネ、聞いた通りだ。彼女達を連れて下がりなさい。朝食が終わるまでに、ちゃんと今の話を理解させておくように」
「かしこまりました。リョウマ様。寛大なご処置をありがとうございます」
そして彼女達は部屋を出て行く……
「……面倒な役割を任せてしまったね」
完全に退室したことを確認した上で、先ほどまでとは打って変わって力ない口調のラインハルトさん。
「大した事では、と言いたい所ですが……今回は少し困りましたよ」
「すまなかった。でも僕は立場上甘い顔はできないのでね」
「そうでしょうけど……腹芸は好きでも得意でもないので」
腹芸どころか、さっきのは茶番だろう。
言った事も内容をよく考えればおかしくなかっただろうか?
「はっはっは、そこまで卑下しなくても良いでしょう」
「あの子らに落ち度が全くなかったわけやないし、リョウマがああ言ってやらんかったら、あの子らどうなったか。そう考えるとチャンスを貰えただけ十分やろ」
セルジュさんとピオロさんが速やかにフォローしてくれるが、最悪の事態とは?
使用人の雇用については詳しくないので、併せて聞いてみる。
すると一括りにメイドといっても担当する役割によって、
・屋敷の掃除や管理を担当する“ハウスメイド”
・給仕や来客への対応をする“パーラーメイド”
・厨房での雑務を行う“キッチンメイド”
・洗濯のみを担当する“ランドリーメイド”
と様々な種類があり、家によっては、
・お茶やお菓子の管理を専門とする“スティルルームメイド”
・皿洗いや厨房の掃除を担当する“スカラリーメイド”
・寝室などの部屋を担当する“チェインバーメイド”
等々、さらに細分化されている所もあるらしい。
そして使用人は基本的に、新人ほど主人から遠く接触しない役職に就く。
「使用人と言っても人間だし、事件を起こす事もある……だから僕達やお客様の近くで働く役職に就けるのは、代々その家に仕えている家系の人。もしくは長く雇っていて、自分やお客様の世話を任せられる。それだけの経験と信用を積み重ねた人になる。リョウマ君の知っている中では、アローネやルルネーゼがそれに該当するね」
対して先ほどの子達は洗濯の担当だから“ランドリーメイド”。
それも担当が使用人の衣服なので、本当に入って間もない一般市民らしい。
そういった末端の人手は必要に応じて、商業ギルドから雇用するそうだ。
「彼女達は本来なら即刻屋敷を出て行ってもらう事も考えられるし、契約違反で公爵家の仕事をクビになったとなれば、今後はどこの家でも使用人としては雇わないでしょう。ギルドにも事情を報告しなければならないから、他の仕事探しにも響くと思うわ。漏洩する情報の内容とか、場合によってはまた別の罪に問われる可能性もある」
奥様が語る本来の処置。はっきり言って人生終わりそう。
「とりあえず彼女達には君が帰るまでは君の商品開発の手伝いをさせる。それ以外の時間には自分達がどういう事をしたのか、それによってどういう事が起こり得るのか、そういった事をしっかりと叩き込んで、じっくりと反省してもらう。……アローネが本気で怒っていたから、そこは彼女に任せていい。
その後でまだ認識が甘いようなら雇用契約を解除。しっかりと反省が見えれば契約期間が切れるまで雇用を継続する。契約期間を全うすれば、今後の生活も特に問題ないだろうしね。契約を更新するかどうかはまたその時の働き振りを見て決める」
とりあえず、若い子の人生が潰れなくてホッとした……
「なにジジ臭い事言っとるん?」
「若い子って、全員リョウマ君よりも年上だと思うのだけれど……」
「あ、それもそうですね! ははは……ところで皆さん、昨夜はバスボムとシュガースクラブを試したんですよね。感想をお聞かせ願えますか?」
「おお! そうでしたな。バスボム、アレは良い物ですな! 普通の湯よりも体の芯から温まります。シュガースクラブについては、粗悪品とまでは言いませんが、もう一工夫必要だと私も感じます」
「それについては食事をしながら話すとしよう」
いつもより疲れた朝。
ラインハルトさんが一声かけ、ようやく食事の用意が始まるのであった……




