勧誘
「君が窮屈な立場を嫌うのは重々承知だ。僕も無理強いをするつもりはないよ」
技師にならないか? という勧誘の直後。
ラインハルトさんは俺が何かを言う前に、その点は理解していると告げる。
「同じ理由で君がどこか他所の貴族に仕えようとする事もないと思っている。だけど問題は君の知識、血清などの話を聞けば、君の気持ちを微塵も考慮せずに召抱えたがる貴族が間違いなく、大勢出てくる。それは分かるね?」
無言で頷き、返答する。
呪い傷の特効薬1つ取っても、世間に広まれば、患者やその家族が求めるのは当然。
そのような人々に高値で売りつけ、利益を得るために求める商人や貴族も出るだろう。
残念ながら、利権を奪うために手段を選ばない連中が出ない方がおかしい。
「そうなった場合、僕らも君に力を貸すつもりでいるけれど、今のままではやりにくい事もある」
現時点での俺の立場は、何かと公爵家の皆様に良くして頂いているが“平民”。
公爵家の家臣でもなく、言ってしまえば“少し目をかけられているだけの子供”だ。
尤も、それでも普通は余計な手出しは減るだろう。
万が一にも、誰だって絶大な権力をもつ公爵家に睨まれる事は避けたい。
1人の冒険者であり、小さな店の経営者であり、廃鉱山の管理を任されている少年。
少々変わったアイデアや知識を持っていても、そこまでならまだそれだけで十分と思われた。
「だけど“呪い傷の特効薬”を作る知識がある、となれば話が別だ。我々が大きな権力を持っているとはいえ、逆らう方法が無いわけじゃない」
謀略の予感しかしない……と思っていると、奥様が察したようで苦笑い。
「たぶんリョウマ君が考えている事も否定はしないけど、もっと単純に考えて。そうね……リョウマ君は自分のお店の事を何でも好きなように決められる立場にいて、その権利もあるわよね? だけど、あまり我侭なことをしようとすると色々な人に止められてしまうでしょう? その内容にもよるし、一度や二度なら見逃してもらえるかもしれないけど、それが何度も続くと周りの人の信用を失ってしまいかねない。それと同じことよ。私たちは強い権力を持っているけど、それを好き放題に振りかざすことはできないの。
今回の場合だと……リョウマ君が我が家の技師になってくれれば、この子は当家の技師ですし、本人にもその気はないので引き抜きはお断りします。って強く言えるんだけど、今のままだと部下でもないし、部下にする気もないのに口を挟むな! って言い返されるわね。
もちろん表面上は取り繕うでしょうし、功績に相応しい地位を与えるとかなんとか適当な理由をつけて、少なくとも簡単に手を引く事は無いと思うわ。それだけの価値があるもの」
ここでの話をなかった事にして、血清の存在を秘匿すれば問題はないかもしれない。
しかしそれは外部に漏れる危険性を一生抱えて生きることになる。
また、ブラッディースライムと血清の知識を広め、研究が盛んになれば呪い傷のみならず、他の病にも対応できる可能性が秘められている。これもどれほどの規模になるかは予想できないが、失われるはずの多くの命を救える可能性がある。それを隠してしまうのは、勿体無いなんて言葉ではとても表現しきれない。
「……技師、という役職についてもう少し教えていただけますか? お話を受けた場合、具体的にどのような変化があるか」
「そうだね。技師というのはさっきも言ったけど、貴族に召抱えられる技術者の事。仕事は必要な時に依頼をして、その腕前を発揮してもらう。もしくは技術的な相談に乗ってもらう。それができれば働き方はわりと自由だよ。高い技術を持つ職人には、理解し難いこだわりを持つ人も多いからね。
例えばうちの場合……“薬学”の技師は住み込みで働いているけれど、“鍛冶”の技師はこの町の市民街に工房と店を構えて、普通に商売をしている。召抱えられるとは言っても、優れた技術を独占して職人を飼い殺しにするつもりはないんだ」
連絡がつくのであれば、普段から公爵家のお屋敷があるこの街にいる必要もない。
という事は、これまで通り廃鉱山に住み、ギムルを中心に活動することはできそうだ。
「うん。リョウマ君はお店へ手紙を送れば連絡はつくだろうし、長期間ギムルを離れるなら事前に予定を教えておいてほしい、くらいかな。まぁ普段から近況報告の手紙を送ってくれてるからそこは特に問題ないと思う。
あとは……僕がリョウマ君に与えようと思っているのは“三等技師”の地位で、技師としては一番下になるけどその分条件も緩い。あと一番下と言っても、技師は基本的に公爵である僕直属になるから、他の技師から命令を受けることもないよ」
「……もう少し詳しくお願いしてもよろしいですか?」
具体的には“三等技師”と“基本的にラインハルトさん直属”の部分。
三等技師については階級だろうけど、基本的にということは例外もあるのでは?
「リョウマ君の想像通り、技師は三等が一番下で、その上に二等、一等があるわ。技師になるまでの経歴や功績、技師になってからの功績や我が家への貢献で階級が決まるの。そして階級によって待遇も大まかに決められているわ」
共通して与えられるのは身分の保障と研究資金の援助で、三等技師は基本これだけ。
二等技師には実験がしやすい人手や場所、必要なら少人数の護衛も与えられる。
一等技師になるとそれに加えて部隊を持つ権利が加わる……と、奥様は語る。
「一等技師の知識と技術は“宝”と言っても過言ではありません。そんな技師本人とその研究施設などを守るためには、それなりの人数が必要になりますからな」
「ちなみに功績で言うなら、呪い傷の特効薬を見つけたリョウマはもう一等技師でもええとワイは思う。ただ一等技師っちゅうのは本当に偉い立場で発言力もあるし、名前も売れる。その分面倒事も多い。そこを考慮して三等なんやと思うで」
セルジュさんとピオロさんがそっと補足を加えてくれて、納得。
さらに技師は専門分野や能力を発揮できる場もそれぞれ違うため、細かい条件は個別に相談の上で決定される。故に他の役職と比べて自由度が高く、俺に向いているのでは? というのがラインハルトさんが技師を薦めた理由の一つだそうだ。
そして肝心の、技師になった場合の所属はというと、
「これは僕の言い方が悪かった」
技師は各専門分野に1人ではなく複数人存在するため、技師同士が交流の末に師弟関係となる場合や、元々師弟関係にある人間を技師として迎え入れる場合があるそうだ。
つまり俺自身がそういう関係を先輩技師の誰かと結ばなければいい話。
「君が技師として仕事をする時、僕は現場にいない事の方が多いだろう。そんな時は代理人を派遣するけど、代理人の部下ではない。対等な立場で話をして、意見をして、どうしてもと言うときは僕に直訴する権利もある」
技師とは貴族、ここではラインハルトさんと契約した技術者、あるいはアドバイザーと考えると……
「ここまでは正直、そんなに悪い話ではない。……むしろ好条件に思えますが、やはりこれまで通りとはいきませんよね?」
ラインハルトさんは静かに頷く。
「まず第一に、技師は数年に一度、当家の技師に値する能力を証明しなければならない。そのために何らかの研究成果を提出するか、その技術を領地のために役立ててもらう」
俺の場合は呪い傷の特効薬という成果があるから、技師としての登用は問題ない。
しかしその後の働き方次第では、技師の役職と権限を剥奪される可能性もある。
「……それはそうですよね」
「一応功績の大きさも考慮して猶予は与えられるけど、僕らのお金は領民から税として集められた物だからね。流石に成果を出さない人にお金と地位は与えられない。君なら技師の地位を保つ事はできると思うけど、君は一定の労働を求められ、束縛されることになる。
もちろん無茶な要求をするつもりはないし、今の仕事や冒険者を続けても構わない。ただ忙しくなるだろうし、いずれかの仕事を縮小しなければならない可能性も考えられるね。
……そしてもう一点」
ひときわ真剣な表情で彼は口にする。
「技師の地位を与える以上、僕は君がその技術を何処で誰から学び習得したのか。君の経歴を知っておかなければならない。外部に吹聴する事はないが、必要に応じてある程度関係各所に広まる事も覚悟して欲しい」
その瞬間、部屋の温度が著しく下がった気がした。
言葉を告げたラインハルトさんはもちろん、他の3人も表情の硬直を隠しきれていない。
「……他には」
「他? ……他には、特にないね。三等でも技師になっていれば貴族の勧誘も締め出せる。君がそれを望むなら、名前が広まるのは家臣の中でも最小限になるよう配慮しよう。働き方も……技師は研究で成果を出していれば割と自由な立場だと思うよ。これが騎士だと日々の訓練への参加に、有事の際の従軍義務。他にも色々と出てくるけど、技師にはそれがないからね」
従軍義務がない、というのはメリットに思える。今は安定していて戦争などはないらしいが、この先10年、20年と生きていくうちに何かが無いとも限らない。そして何かが起こった時に自分がどうするか、それを選択する権利があるというのは大切なポイントだ。
その他の内容も軒並み好条件……というよりも、普通であれば公爵家の技師として召し抱えられるのは大出世であって、平民から登用されるともなれば望外の出来事であるはず。一般の技術者と比べて条件が破格なのもある意味当然で、普通なら悩むことなく、ありがたく飛びついてもおかしくない話だと思う。
他の人のことは知らないが、こうして悩む俺の方が少数派なのかもしれない。
「……まぁ、急な話だからね。今すぐに答えを出すのは難しいだろうし、時間をかけて考えてくれないか? どのみち呪い傷の特効薬は、まだ完成の段階ではないんだろう?」
思考して黙り込んだ俺に、ラインハルトさんは少し和らげた声色で語りかけた。
「動物実験まで。実際に人間に投与した場合どうなるかは、まだ分かりません」
「であれば別に焦る必要は無いね。技師に登用する、というのは血清の価値と君への影響を考えた僕の意見だ。世に出さなければ、まだ猶予はある。この2点についてはこの場限りの話として、時期を待ってもいいと思うけど、どうだろうか?」
「私は賛成よ。技師になってくれたら嬉しいけど、その選択はリョウマ君にとって大きな問題になるだろうし、この先の人生にも影響を与えるでしょう。大人でも大きな選択なんだから、悔いのないようによく考えるべきよ」
「私も賛成いたします。リョウマ様は血清以外にも、商売のタネになりそうなスライムの研究成果をお持ちですからな。焦らずそちらで先に地盤を固め、よく考えてからでも遅くはないでしょう。こうして話していると忘れがちですが、まだ15にも届いていない子供なのですから」
「右に同じく。技師に登用されるのは長年経験を積んだ腕のいい職人か、優秀な成績で王都の学校やら研究所やらを出たっちゅう触れ込みの人材ばかり。20、30は超えて当たり前。技術があるんは認めるけれども、そういう人らと比べると若すぎるわ。10と少しで公爵家の技師になった少年。これ、血清とは関係なく噂になるんとちゃいます?」
「あー……言われてみれば、物珍しさという点で注目を集めるか。守れはするだろうけど。うん……」
声がどんどん小さくなっていくラインハルトさん。
そんな彼に、奥様は気づいていなかったのかと言いたげな目を向ける。
セルジュさんとピオロさんは湯気の消えたお茶を飲みながら朗らかに笑う。
気づけば先ほどまでの冷たく感じた空気が、いつのまにか暖かくなっていた。
そして、
「それにしてもリョウマ君」
「はい」
「君、一応ちゃんと話す内容と相手には気をつけていたんだね」
奥様の視線から逃れたラインハルトさんが、意味の分からない事を口にし始めた。
「最初に血清について話したのは、ここで僕たち相手にが初めてだと言っていただろう? 呪い傷の血清を見つけたのは大勢の冒険者が近くにいた研修中だというし、それが終わってからもだいぶ時間があったのに、下手な相手に話すのは危険だと分かっていて秘密にしていたんだろう? それに定期的にもらった手紙にも書かれていなかった」
当然である。手紙に書いて、万が一他の人が読んだら大問題だ。
「ちゃんと理解してくれていて良かったよ……君は気前が良すぎると言うか、自分の技術や知識に頓着していないと思っていたからね」
「軽々しく出すとまずい物は、ある程度理解しているつもりですが……」
と、言いつつよく見れば奥様も、セルジュさんも、ピオロさんまで。大人が全員微妙な表情をしている。
……もしかして、そこまで無用心だと思われていたのだろうか? まぁ、些細な事には無頓着と言えば無頓着かもしれないが、さすがにそこまで無用心ではない。……と、自分では思うのですが……
お互いに苦笑いで、なんとなく強い否定もできずに時間が過ぎていく。
やがて、
「ああ、先ほどの連絡だけれど、一つリョウマ君に伝え忘れていた。ヒューズとルルネーゼの結婚式場だけど、使用人の皆からの要望がまとまったらしいよ」
「分かりました。それでは明日から建設作業に入ります」
「人手はどれくらい用意すればいいかしら?」
「そうですね……とりあえず力仕事が得意な人で、暇な人にお手伝いをお願いします。まず基礎工事から始めたいと思いますので、人数は多くても仕事はあるでしょう」
「分かったわ。力仕事となると……作業は午後からでもいいかしら? 訓練を終えた警備部の人が集まりやすいと思うのだけれど」
「問題ありません。ありがとうございます」
新しい話題が用意され、何事も無かったかのように会話が続く。
皆、俺の気持ちを考えて猶予を与えてくれたのだろう。
……不用心だと思われていて、釘を刺されたわけではないと信じたい。




