負の遺産
本日、5話同時更新。
この話は1話目です。
店に顔を出して帰ったことを報告し、不在中の報告を受けた。
いつも通り問題は無かったようだけれど、今日は仕事とは別に連絡事項が2つあるらしい。
「こちらがヴァイツェンから送られてきました」
カルムさんは手紙を差出し、執務室の机には額縁入りの書状が2つ乗っている。
ヴァイツェン……どっかで聞いた様な気もするけど……あ、フィーナさん達の村の名前か! 彼女達の履歴書に書かれていたのをすっかり忘れてた。そういやこんな名前だったね……
「送り主は、ヴァイツェン村の村長さんですか」
……内容は村で麦茶を製造販売することが決まった事の報告と、俺に対するお礼。
どうやら村の意思統一とサイオンジ商会との連携は順調らしく、各家庭で保管してある大麦の加工が盛んに行われ、さらに大人数で作業ができる加工場の建設や材料となる大麦の増産もピオロさんと相談しつつ計画中とのこと。
俺の送った紹介状とサンプルを受け取って、会頭本人が足を運んでくれたようだ。その際大麦を除いて有り余っていた穀物も買い取ってくれたとか……とにかく喜ばれているのが伝わってくる。
そして俺には感謝の証として、感謝状とヴァイツェン村麦茶工場“相談役”としての地位をくださるそうだ。2つの額縁の中身がこれ。
この相談役とは名誉職扱いのようで、仕事、義務、責任はない。報酬もないが、味や品質の相談をするとの名目で定期的に作った茶葉を送っていただける。
「相談役就任、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
俺が何をするわけでもないけれど、とりあえず貰えるなら貰っておこう。
「もう1つの連絡事項は」
「はい。少々気になる噂を耳にしまして……近頃、スラムの住人の間では“新しい街づくりのためにスラム街を取り潰す”“住民を追い出す”という噂が流れているようです」
「それは穏やかじゃないですね」
どういうこと? いや、言ってる意味は分かるけど。何でそうなるのかが分からない。
それはカルムさんも同じで、すぐに事のしだいを調査したそうだ。
「商業ギルドを通して確認したところ、役所にそのような計画はないとの事です。しかし……我々がここに着任するより前、役所の不祥事がありましたね?」
「ええ、それで新しい責任者が着任したという話でしたが……信用されていない?」
「そのようです。責任者の処分と交代で事態はひとまず終結したようですが、そこで失った信用を取り戻すには至っていないのでしょう。疑念が疑念を呼んでいるように見えますね」
なんだかなぁ……
創立祭で顔を合わせた男性が脳裏に浮かぶ。
前任者の後始末を任されたあの人も大変だ……
「それによって何か、うちの店に影響はありますか?」
「今のところは何も。ですがここ数日スラムにお住まいの方々が仕事を求め、積極的に求人をかけている店を訪れているとも聞きました。現在この店は求人を出していませんが、雇って欲しいと押しかけてくる可能性はあります。その場合、どうするかは決めておくべきかと」
「そうですね……今のところ、人手を補充する必要はありますか?」
給料を支払う余裕はあるけれど、今の人員でも十分に店は回っている。将来的に店を増やすとしても、今すぐに、急いで人を増やさなければならない理由はあるか? 俺には思いつかない。
しかし、うちの店は開店当初からスラムの方々に助けられてきた。俺の知人にもスラム出身者は多い。困っているなら力になりたいという思いはある。
「人によるとは思いますが、私もこれまで皆さんと共に働いて、この街のスラムにはそれほど悪い印象はありません」
「僕も最初はもっと危ないところを想像しました」
「大半はその想像通りだと思いますよ。大きな街になれば警備隊ですら立ち入れない場所も珍しくありません。そう考えれば、この街のスラムは環境調査に立ち入ることができるほど安全とも言えますね」
そうなのか……っと、話がそれた。
仕事については荷物運びならできるだろうけど、手が多すぎても……多い? ……お客の多い忙しい時間帯なら人手が増えてもよくないか? その時間だけパートタイムで雇うとか。そうすれば1人分の負担も減るし、なんだったら窓口を増やしてもいい。その分回転率が上がれば、お客様の待ち時間も減らせる。
と、思いついたことを提案してみる。
「どうですか?」
「事前の面接とクリーナースライムの誘拐防止に直接接触をさせなければ……無駄に人を増やすわけでもありませんし、悪くないかと。もし見込みがある方なら正式な従業員候補としても良いでしょう」
「ではその方針でお願いできますか?」
「かしこまりました。では本日の報告は以上です」
「いつもありがとうございます。また5日後からよろしくお願いします」
「お任せください。ところで店長、今日はこれからいかがなされますか?」
「そうですね……とりあえず帰って廃坑の確認を。留守の間に何か住み着いてたら駆除しないといけないので」
「旅から帰ってきたばかりなのですから、休養もしっかり取ってくださいね」
「ありがとうございます」
報告を終えて、カルムさんは表へ。俺はお言葉に甘えて早退させてもらうことにした。
「おっ」
住宅街に沿う道を北門に向かって歩いていると、爽やかで甘い香りが漂ってきた。
香りの元は……この家か。……あれ? ここお店?
“喫茶店・猫の額 開店中”
木造のこぢんまりした一軒家かと思えば、入り口の横に表札サイズの看板がかかっている。
そういえばそろそろ昼か……何か食べていこうか。というか、入っていいのか?
開店中と書かれているけどお客の出入りはなく、小さな看板の文字は雑……子供のごっこ遊びの可能性が否めない。
「そんな所で何をしているのですか? タケバヤシ様」
「ん……あっ!」
声の聞こえた方向には整った身なりで、小脇に少々くたびれた小さなカバンを抱えた男性の姿。役所の現所長がそこにいた。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。タケバヤシ様もお食事ですか?」
「この香りにつられて足を止めたのですが、入って良いものかと」
「なるほど。確かにここは民家に見えますからね。私も最初は迷いました。よろしければご一緒にいかがですか?」
昼食のお誘いをいただいた。腹も減ってるし、せっかくだからご一緒させてもらおう。
「いらっしゃい」
「いつもと同じ紅茶と日替わりサンドイッチ。食後にラモンパイをお願いします。今日は2人なので、いつもの倍で」
「座ってな」
店内に足を踏み入れると、正面にはカウンター。その先にはお歳を召した猫人族の女性が座っており、彼女はベルンハイド様から無愛想に注文を受けて店の奥へ消えた。
「さぁ、こちらへどうぞ」
慣れた様子で案内されたのは、カウンターに向って右の壁際に設置された4人がけの席。
左側にもう1つ同じ席があるが、店内にはこの2つ。8人分の席が全てのようだ。
「この店は見ての通り広くありません。メニューも先ほど注文した3種類しかありません。ですが味はどれもかなりのものですよ」
「へぇ。ここには良く来られるのですか?」
「そうですね。最近は週に5日ほど通っています」
それほぼ毎日じゃないか……
「残りの2日は役所の近くで購入します。自炊ができないもので」
「お忙しそうですしね。南に新しい街を作ると聞きましたよ」
「ご存知でしたか。ですが今はその準備段階。忙しくなるのはこれからです」
そう口にした彼の表情が、前世の同僚とかぶって見えた。
「……違っていたら申し訳ない。だいぶお疲れなのでは?」
「顔に出ていましたか?」
「いえ、似たような雰囲気の人をそこそこ見ていたことがあるので、なんとなく」
すると彼は俺を見て、1つ大きなため息を吐いた。
「どうやら取り繕う意味は無いようですね」
「おまちどう」
それから俺は届いたサンドイッチを食べながら話を聞いた。
控えめな言い方ではあったが、ざっくりまとめると“問題が山積み”。この一言に尽きる。
まず現在の役所は組織の膿だった前所長を筆頭に、大勢の人間が処分を受けた。これにより若干人手が不足気味。新しい職員を補充してはいるが、即戦力とは言いがたい。
クビを免れた古参の職員なら仕事はできるが、彼らは前所長に権力を振りかざされて逆らえなかった職員。情状酌量の余地はあるものの、萎縮し積極性に欠ける者が少なくないらしい。
「……大変ですよね。本当に……」
「そちらにもそんな職員がいらっしゃいますか?」
「あ、いえ、店で働いている方には満足しています。それ以前に少々」
いかん、この話を続けるとボロが出そうだ。
……そういえば、役所の話だけでスラムの話は出なかったな。実際どうなんだろう?
話を振ってみる。
「そちらもご存知でしたか……新たな街の建設計画に、スラムの住民を追い出すような内容は含まれていません。そのつもりもありません。ですが……」
彼は眉をひそめて紅茶を飲んだ。
原因となる何かはあるようだ。おそらく、複雑で頭の痛い問題なのだろう。
「あの地域には家を持たず、路上生活を営む人々もいます。そして彼らの仮設住居によって通行を妨げられている道路が多数、明らかに安全基準を満たさない廃墟に住み着く方々も確認されています。
……そういった方々には所有物の撤去、転居、もしくは適切な補修を行うよう要請しています。これは法に則った措置であり、これを怠ることは我々の職務怠慢となります」
……それが巡り巡って、いつの間にか“街を追い出される”という噂になってしまったのか。
「記録を調べたところ、家屋倒壊や破損による事故。そして冬場には路上生活者の凍死事故件数がここ数年、増加傾向にありました。このまま放置しておくことは好ましくありません」
しかし、彼もスラムの住人がすぐに転居や補修を依頼できるとは考えていない。彼らの懐具合が苦しいのは理解している。だから住人の反応も考慮に入れて、強制退去は考えておらず、現状はあくまで要請に留めている。現在は専門の対策部署も設置しているそうで、街づくりには求職者の受け皿を用意する目的もあるのかもしれない。
しかし、路上生活者とはまた扱いの難しい問題だろう。
「そうですね。ですがそれを可能な限り、排除ではない形で減らす努力をする事が、我々の職務であり義務なのです」
「敬服いたします」
……というか、前の担当者のときはそんな問題は無かったのだろうか?
もしかしてそういう仕事も手を抜いていたとか……?
「ラモンパイだよ」
「あ、ありがとうござっ!?」
何これ。お皿に乗ったパイだけど。でもホールケーキが1台丸々乗ってるのは何故? これで2人分?
「空いた皿は片付けるよ」
そして空いたスペースにもう一皿のラモンパイが置かれる。1台で1人分かよ!
「これは……」
「……申し訳ない。私がいつものを倍で注文したのが悪かったようです」
「いつものって、毎回デザートにまるごと?」
「一度には無理ですから、残りは持ち帰って仕事の休憩時間に。疲れると甘いものが欲しくなるタチでして」
パイを前にして恥ずかしそうに、今日初めて笑っているがこの人、糖尿病まっしぐらなんじゃないだろうか……
と思いながら俺も一口。
……素朴な生地の温かさと、ラモンの爽やかな香りと酸味が引き立つクリームが絶妙に美味い。糖分も少なそうだけれど、俺は2,3ピースで十分だな……残りは持ち帰ろう。
「……」
アーノルド・ベルンハイド。
彼は今までで一番リラックスした様子でパイを口に運び続けている。
……過酷な業務の合間の僅かな癒しなんだろうし、せっかくの楽しみに水を差すような真似はすまい。




