8. 王太子一家の事情
ヒューゴ第二王子殿下の兄上である王太子殿下。その妃となったご令嬢は、王国内の筆頭公爵家の娘だった。
彼女もまた私のように、結婚から三年近く子を授からなかった。……いや、閨自体を拒否されていた私とは事情がだいぶ違うだろうけれど。
我が王国に側妃制度はない。周囲の彼女への期待は徐々に圧力へと変わり、妃は次第に精神をすり減らしていった。
彼女はやがて、神託師を名乗る怪しげな女に心酔していった。神殿の正式な巫女ではなく、素性も定かでないその女の言葉を、妃は盲目的に信じるようになっていった。
その神託師に指示されるがままに食事をとり、薬を飲んでいた妃は、ある日ついに懐妊した。
「あなたは男児を授かっている」そう断言された妃は、まるで救われたような晴れやかな顔をしていたそうだ。
妃は周囲の者たちに、男児を授かっているのは間違いないと触れ回っていたが、生まれたのは女児だった。
妃はその直後から体調を崩し、療養に入った。
王太子もまた、繊細な気質の方であった。激しく落胆する妃を支えようとするあまり疲弊し、やがて彼も公務から遠ざかるようになった。
今では夫妻揃って神殿近くの離宮で静かに暮らしている。
そしてその一人娘も同地に留まり、現在は五歳になる。
これらのことは、ほとんど人から伝え聞いた内容だ。私がヒューゴ殿下のもとに嫁いだ時、すでにご一家は離宮に移られた後だった。
この一件を境に、王太子夫妻は政の場から姿を消した。代わって第二王子ヒューゴ殿下が表舞台に立つようになる。主に外交を担うことになったヒューゴ殿下を、私は全力で補佐してきた。
ヒューゴ殿下は公的な場では丁寧な物腰を崩さぬ反面、細かな実務は不得手であった。私が政務に口を挟むことは許されていなかったけれど、王子妃として同席を許可される場では、せめて夫が恥をかかぬよう自分なりに手助けしていた。
事前に相手国の要人の情報を調べ、殿下の発言が最も効果的に届くよう言い回しを整える。ヒューゴ殿下はものすごく鬱陶しそうな顔をしながらも私の助言を聞き、会議などに臨んでいた。
そうした積み重ねの上に、ヒューゴ殿下の外交は体裁を保っていたのだ。
ご高齢の国王陛下は、以前より内政や外交の多くを王太子殿下と大臣らに委ねておられた。けれどその王太子が妃とともに離宮に移ってしまい、陛下は当初、ヒューゴ殿下の働きを一定の距離を置いて見守られていた。
だがいくつかの外交案件が良好な結果に結びついて以降は、徐々に政務の指揮をヒューゴ殿下に一任されるようになっていった。
陛下ご自身は現在も可能な範囲で、王族の象徴として儀礼や祭事に関する務めを中心に担われている。
(だからこそ、私が去った後のヒューゴ殿下が心配ではあったのだけれど。まぁ、あの方は何でも自分の手柄に見せることがお上手だったから……。大臣や側近たちのフォローのもとでどうにかやっているのでしょうね)
「……王太子ご夫妻とご息女は、お心健やかにお過ごしのようです。私のところには、細かな情報は入ってきておりませんが」
王弟殿下の問いにそう曖昧に答えながら、私は心の中でそんなことを考える。
「そうか」
本心は分からないが、殿下はさして興味もなさそうにそう一言相槌を打つと、またころりと話題を変えた。
「君はこれからどうするつもりなんだ。父君の命でここで静養中とはいえ、すでに辟易しているのだろう? 今後もこうして、このメロウ侯爵領に留まり領地の運営に携わっていくつもりなのか?」
「さぁ……父次第ですわ。私が決めることはできませんので」
ここに留まるか、誰かのもとに嫁ぐのか、もしくは修道院へ行かされるのか……。全ては父が決めることだ。
私がそう答えると、王弟殿下は「まぁ、たしかにそうだな」と頷き、鍬を振るう。
「だが正直、ろくな道は残されていないだろうな。我が国の王家でも、過去に君のような事例は何度かあったが、いずれも実家に籠り兄弟の世話係をするか、老齢の貴族家当主の後妻になるか……行く末はそんなところだった」
「……」
三年の間子がなせず、王家から離縁された娘。
私のことは近隣諸国にも、すでにそのように伝わっているはずだ。
この王弟殿下も、当然そう思っていらっしゃるのだろう。真実を主張する相手でもないので、私は黙っていた。
すると殿下は突然、予想もしない言葉を口にした。
「イルガルド王国へ来ないか、メロウ侯爵令嬢。俺ならばあなたの能力を存分に活かせる、それなりのポジションを用意することができるぞ」




