49. リリエッタからの手紙
『セレステお義姉様へ
お義姉様、なんて呼んでごめんなさいね。あなたが屋敷を去ったあの日に、もう呼ばないなんて言ったのに。でも今さら他になんて呼べばいいか分からないわ。これで最後だから、許してちょうだい。
この手紙がちゃんとお義姉様のもとに届けてもらえるのかどうかは分からないけれど、言いたいことを全部書くわね。ただの自己満足よ。
結論から言うとね、あたしとお母様はもうメロウ侯爵邸に住んではいないの。とっくに追い出されちゃったのよ。いろいろあったの。
あたしのお母様はね、あたしを産む前高級娼館で働いていたんですって。見た目は抜群に綺麗だったから、大人気だったみたい。この話を打ち明けられた時には、そりゃびっくりしたわ。だってお母様、あたしにはずっと「自分は下級貴族の末娘として生まれた」って言ってたんだもの。それがまさか貧しい平民の出だったなんてね。
でね、あたし自分ではスコット子爵の娘だと思って生きてきたんだけど、それも違ったの。あたしはお母様と子爵の間にできた子じゃなくて、無理して高級娼館に通ってきていたどこかの平民との間にできた子だったそうよ。
なんでこんなこと知ってるかっていうとね、スコット子爵の嫡男……まぁ今はそいつが子爵よね。そういう経緯を全部調べ上げて、メロウ侯爵家に押しかけてきたからなのよ。あいつ、すごかったわ。娼館の記録台帳、当時の医者の診断書、関係者たちの証言。長年かけて執念深く調べてて、それらの証拠品を全部メロウ侯爵とあたしたちの前でさらけ出したの。ちなみにメロウ侯爵はお母様から、あたしは侯爵の子だって聞かされてたみたい。男ってバカよね。誰も彼も簡単に騙されちゃってさ。
それで子爵は、お金を返せって。何年も父を騙して我が屋敷で生活しながら贅沢品を買い漁っていたんだからって。全額支払えって言ってきたの。でもそんなの無理に決まってるじゃない? そしたらメロウ侯爵がね、スコット子爵が提示してきた金額を全部支払ったのよ。自分が迎えた後妻が詐欺女だったなんて、世間に知られたくないもんね。自分が娼館通いをしてたこととか、娼婦に騙されて再婚しちゃったこととか、芋づる式にいろいろバレると恥ずかしいもん。できる限り穏便に収めようとしたみたい。まぁ人の口に戸は立てられないから、社交界ではとっくに話題になってるみたいよ。すごいわね、噂話の広まる速度って。まるで突風だわ。誰が最初に言い出すのかしら。
まぁそんな大騒ぎのせいで、あたしと母は身一つで侯爵邸を追い出されちゃったわ。出て行く時、メロウ侯爵はもうすっかりおじいちゃんみたいになっちゃってた。頭は急に真っ白になったし、頬はこけて弛んで、目の下は真っ黒になっちゃって。今にも死ぬんじゃないかってくらい覇気がなくなってたわ。あたしたちの前じゃ何も言わなかったけど、きっとお義姉様のことを考えているんだと思う。後悔してるはずよ。なんとなく、そんな気がしたわ。
侯爵は残った家財道具なんかを売り払って、よく分かんないけど、領地は身内の誰かに任せて爵位も譲ったみたいよ。あたしとお母様が屋敷を去ったら自分も出て行くって言っていたわ。
地位や爵位に固執してたけど、結局あたしは何者でもなかったわ。ただの平民の娘。娼婦の娘だったのよ。王子妃になんてなれるわけがなかったのよね、最初から。
王子妃といえば、あの時は気絶するほど驚いたわ。あなたが王宮の謁儀の間に堂々と現れて、イルガルド王国の……なんだっけ? 外交こもん? だとか自己紹介した時よ。お化けでも見てる気分だった。
あなたと目が合った瞬間、あまりにも惨めで消えてなくなりたいと思った。お義姉様は、きっとざまぁみろって思ったでしょ?
あなたにあんな風に豪語しておきながら、あたしは王子妃付きの侍女にしかなれなかった。その姿を見せたくなかったし、お義姉様の姿も見たくなかった。でもね、悔しくてたまらなかった反面、正直すっごくかっこいいとも思ったの。イルガルドの外交官たちの中でも、なんか特に綺麗な制服着ててさ。凛々しく自己紹介して、王弟の隣で難しい話をしながらアルーシアの男たちをタジタジにしちゃってさ。やっぱりお義姉様はすごい人だったんだって。身一つでメロウ侯爵家を出ていったのに、自分の才覚と努力だけで、今の地位にまでのし上がったってことよね。
あなたはあたしが人生で見てきた人の中で、一番かっこよかったわ。
変な言い方だけど、もう降参って感じ。それを認めた時急に、自分のことが恥ずかしくてたまらないと初めて思ったの。あたしは何をしてるんだろうって。何も頑張らず、ただこの可愛さだけで誰も彼も籠絡して、どこまでも上がっていけると思い込んでた。でも人生って、そんなに甘くないのね。
今さら何の罪滅ぼしにもならないけど、あたし一応、皆に言っておいたから。あたしが嘘ついてたこと。貴族令嬢じゃなくなる前に、できるだけ多くの人に会ってもらって、伝えたの。お義姉様に虐められていたとか、子どもができない体だとか、あれ全部嘘だって。でもね、そんなあたしに軽蔑の眼差しを向けてくる社交界の人たちは皆、もうとうにそんなこと気付いていたみたい。お義姉様って、今じゃ王子妃だった頃よりもすごく有名人なのよ。イルガルドの敏腕外交官としてね。皆に尊敬されて、憧れられてる。女性の地位を上げてくれた人だって。
今あたしとお母様は、王都から離れた平民街の裏路地にある安アパートに住んでるわ。お母様はすっかり抜け殻状態で、毎日ぼーっと座ってるだけ。時々涙を浮かべてたりするの。あんな人だけど、きっと侯爵を愛していたんだと思うわ。
褒められたやり方じゃなかったけど、これまであたしを育ててくれたんだもん。これからはあたしが頑張って、お母様との生活を支えていかなきゃね。
あたしね、今いくつかの店や宿屋で、洗濯とか皿洗いをかけ持ちして働いてるのよ。信じられないでしょ? このあたしが。手はあかぎれだらけよ。毎日怒られてるし、謝ってばっかり。ムカつくし泣けてくる時もあるけど、ここからきっと這い上がってみせるわ。
お義姉様、今まで本当にごめんなさい。
優しくしてくれたのに、騙してごめんなさい。
意地悪なことばかり言ってごめんなさい。
さようなら。元気でいてね。
リリエッタ
追伸。あたしはたしかにとってもひどいことをあなたにしてきたけれど、あたしがヒューゴ様を奪ったおかげで、あなたはイルガルドに行って今の立場を確立して、結果として大陸全てを改革しているわ。それってすごいと思わない? あたしのおかげでも、少しはあるわよね!? じゃあね!』
「……ふふ……。あの子ったら……」
一行ずつじっくりと読みながら、様々な思いで胸がいっぱいになっていた、はずなのに。
最後の文章で、つい笑ってしまった。根拠なき自信たっぷりなあの子らしい。大丈夫。あのたくましさで、あの子はきっと強く生き抜いていける。
(歯を食いしばって頑張りなさいよ、リリエッタ)
私もここで、頑張るからね。
読み終わった手紙を丁寧に畳みそっと胸に当て、私は心の中でかつての義妹にそう語りかけた。




