47. 和解への一歩
「……フロレンティーナ王女殿下……」
彼女の真っ直ぐな姿勢とその言葉は、私の胸を強く打った。
そう。私たちは決して、滅びゆく大国を見たいわけじゃない。こんな考えを持った君主のもとで、かの国がいい方向に変わっていけるのならば、それが最良の未来なのだ。民たちは苦しまずに済むし、余計な血だって誰も流さずに済む。
(けれど……私はあくまで、イルガルド王国の一臣下という立場。私の気持ち一つで、他国の王女殿下の手助けをするわけにはいかない……)
私はそっと玉座へ視線を向ける。国王陛下は座したまま、我々をじっと見据えていた。
アウグスト王太子が、その玉座の方へと向き直る。そして、これまでになく力のこもった声を発した。
「イルガルド国王陛下、娘の希望は、私の願いでもあります。有能なラザフォード子爵のお知恵を、ぜひともお借りしたい。……ですが、アルーシアはまず自国の体制を抜本的に作り変えなければ、貴国をはじめ周辺諸国からの信頼を得ることは難しいでしょう。ですので私はまず、老いた父王が存命のうちにしっかり話し合い、今後の王家として、そして王国としての在り方を定めます。失った覇権に縋る古き大国の姿を捨て、内政を改め、諸国と並び立つ新たな体制を整えることに尽力いたします」
アウグスト王太子は一度深く目を伏せると、その瞳に一層強い光を湛え顔を上げた。
「ラザフォード子爵が去った経緯を知り、我が国がこれまであまりにも多くの才を見過ごしてきたことに気付いたのです。こうして優秀な女性たちでさえも政から遠ざけ、ただ男である、貴族であるというだけの人間に、不相応な権力を与え続けてきた。そうして大国の地位に胡座をかき、小国から搾り取り、その体制を未来永劫続けるつもりでいた……。その傲慢さと怠慢こそが、アルーシアを今の窮地へと導いたのです」
国王陛下とトリスタン王弟殿下は、アウグスト王太子を黙って見つめている。彼の覚悟のほどを確かめようとするかのように。
アウグスト王太子は唇を噛み締め、再び口を開く。
「これまでの大国の過ちを繰り返すつもりはありません。長く政から遠ざかり、離宮に籠もっていた身ゆえ、臣下や民たちからの信頼はきっとすぐには得られないでしょう。自分が今すぐ大きなことを成し得るとは思っておりません。ですが、少しずつでも確実に、アルーシアを作り変えていく覚悟です。王位継承者だって……必ずしも男である必要はない……」
(……え……?)
アウグスト王太子がぼそりと付け加えたその言葉に、私は驚いた。あの大国の王族とは到底思えない一言だった。
「これからはラザフォード子爵のように実力ある女性にも政に加わってもらい、自国の国力を上げることを目標として動きます」
王太子の言葉が途切れ、謁見室は静まり返った。
全員の視線を受け止めた国王陛下はゆっくりと一度頷き、静かに口を開いた。
「アウグスト王太子殿下、及びフロレンティーナ王女殿下よ。二人の考えはよく理解した。……だが、今も申されたように、貴殿らの言葉だけでこれまでの大国の仕打ちをなかったことにはできぬ。今ここで軽々しく、先の約束を交わすわけにはいかない」
アウグスト王太子とフロレンティーナ王女の二人は、真っ直ぐに国王陛下を見つめ、言葉の続きを待つ。国王陛下は二人に向かって、今後の具体的な措置を要求した。
「まずは先日の、アルーシア第二王子の開戦をほのめかす発言は、公文書をもって明確に撤回されよ。次いで、過去の独占的な交易や関税の強要を改めて撤回し、各国との自由で公正な交易を尊び、アルーシア王国も各国と同等の条件にてその秩序の中に加わると、国王と王太子の名のもとに正式に宣言してほしい」
「承知いたしました、イルガルド国王陛下。我々の覚悟に偽りがないという証を、必ずお見せいたします」
アウグスト王太子が即座にそう答えた。それを見届けた私はホッとする。国王陛下の表情にも、こころなしか柔らかさが感じられた。
周辺諸国が大国から搾取されてきた過去は変えられない。けれど、あのアルーシア王家の中にもこんな方々がいるのだと、そして彼らが大国の未来を担って立ち上がろうとしているのだと思えば、たしかな希望が感じられる。
国王陛下が言葉を続ける。
「今日のこの場での約束が果たされ、アルーシア王国が変革に乗り出せば、ラザフォード子爵らをそちらに派遣し助力にあたらせよう」
フロレンティーナ王女が目を輝かせて、父である王太子殿下を見上げる。その表情に八歳の少女らしさが垣間見えて、愛らしい。
「寛大なお言葉、ありがとうございます、イルガルド国王陛下。……頑張りましょうね、お父様!」
「ふふ。……ああ、そうだね」
……そしてこの王女と会話をしている時のアウグスト王太子は、本当に彼女の付き人のようだ……。これまで頑なに表に出なかった彼をここへ引っ張り出してきたフロレンティーナ王女に、改めて感服する。
ふと玉座の方へ視線を滑らせると、国王陛下のそばに立つトリスタン王弟殿下と目が合った。
彼が私を見つめ、穏やかな笑みを浮かべる。
私も同じように、彼に微笑んだのだった。
迎賓館への宿泊を促したけれど、お二人はそれを固辞した。一刻も早く帰国し、自分たちのなすべきことに取りかかりたいと言う。
対面した時は緊張に強張っていた二人の表情は、帰り際にはとても晴れやかになっていた。
リューデ外務局長らとともに馬車寄せまでお見送りしながら、私はずっと気にかかっていたことをアウグスト王太子に尋ねてみた。
「アウグスト王太子殿下、その……妃殿下の具合は、いかがでございますか……?」
男児をもうけることができず、重圧のあまり心を病んでしまったという王太子妃。彼女の状態は、当初より悪くなっているのか、それとも少しは回復されてきているのか。痩せ細った王太子の姿を見て、聞かずにはいられなかった。
彼は少し困ったように眉を寄せ、小さく笑った。
「ええ、なんとか過ごしています。離宮に移ってからしばらくは、二人で神殿に行き祈りを捧げたり、気晴らしに庭園を歩いたりもしていたのですがね。ここ数年はその気力もなくしていて」
「……さようでございますか……」
「ですが今回フロレンティーナが、まるで私の頬をはたくような勢いで目を覚まさせに来てくれた時……。妻もそばで一緒に、娘の話を聞いていたんです。そして二人で涙しました。彼女の心にも、たしかに変化はあったんです。私とフロレンティーナが出国する時は、外まで見送りに来てくれましたよ。彼女が外に出たのは、本当に久しぶりでした」
「まぁ……。よかったですわね。どうぞ、お大事になさいませとお伝えください」
そんな言葉が、自然と口をついて出た。
アウグスト王太子が優しく微笑む。
「ありがとう、ラザフォード子爵。あなた方と良き関係を築いていけるよう努力します」
その後、彼は局長らと別れの挨拶を交わしていた。
私のもとにはアルーシア王国の小さな希望の光が、改まった様子でやって来た。彼女はきらきらと輝く瞳で私を見上げる。
「ラザフォード子爵、お目にかかれて光栄でしたわ。私もあなた様のように、国を導いていく立派な仕事をしてみせます! ですから……、その、どうぞまたお会いできますことを願っておりますわ」
最後の方はほんの少し恥ずかしそうに、それでも一生懸命ご自分の気持ちを伝えようとする健気な王女に、私は心から告げる。
「はい、王女殿下。近いうちに、必ず。……この大陸には私の他にも、民たちの暮らしを守るために先頭に立ち、奮闘している女性が大勢おります。いつの日か、国境を越え皆で情報交換のお茶会などができるといいですわね」
「……っ! はいっ! とても楽しそうですわ!」
そう言って満面の笑みを浮かべるフロレンティーナ王女は、思わず抱きしめたくなるほどの可愛らしさだった。その気持ちをぐっと堪え、私は最後に丁寧に別れの挨拶をする。
「王女殿下やアルーシアの皆様のお働きを、こちらから祈り、見守っております。国王陛下の許可が下りましたら馳せ参じ、微力ではございますがお力添えをさせていただきますわね。どうぞ、道中お気を付けて」
「……ありがとうございます、ラザフォード子爵」
瞳を潤ませ唇をきゅっと引き結んだフロレンティーナ王女が、私の方へと手を伸ばす。
道のりは険しいかもしれない。けれど王女のそばには、彼女を守り、ともに戦ってくれる父親がいる。
私はその小さな両手を取ると、自分の両手でしっかりと包み込んだ。




