45. 大国の王太子とその娘
「……ん? 王太子殿下、ですか? アルーシア王国の?」
一瞬静まり返った執務室の中で、リューデ局長が沈黙を破った。従者は固い声で「さようでございます」と返す。
局長と私は、顔を見合わせた。頭の中にいくつもの疑問符が浮かぶ。
(王太子殿下……。あの離宮に引きこもっていらっしゃった王太子殿下で、間違いない、わよね……?)
狐につままれたような気持ちになりながら、私は局長とともに急ぎ謁見室へと向かった。
重厚な扉が開かれると同時に、赤絨毯の延びる広間が目の前に広がった。奥の高壇には国王陛下が玉座に鎮座し、その右手にはトリスタン王弟殿下が控えている。左右には我が国の重臣たちが列をなし、広間全体に張りつめた空気が漂っていた。謁見室の中央に立つ二人に、全員の視線が一斉に注がれている。この光景に、突如私の心臓がドクドクと脈打ちはじめた。……一体何事だろう。緊張する。
リューデ局長とともに進み出ると、国王陛下と王弟殿下の視線が私たちへと注がれた。国王陛下が重々しく口を開く。
「リューデ卿、そしてラザフォード子爵。そこに控えるは、アルーシア王国の王太子アウグスト殿下と、そのご息女、フロレンティーナ王女殿下だ」
国王陛下の紹介とともに、二人が私たちのそばへと歩み寄ってくる。そして男性の方がこちらに礼をし、自己紹介をした。
「アルーシア王国王太子、アウグスト・ロメオ・アルーシアです。……長らく公の場から遠ざかっておりましたゆえ、話に聞き苦しいところがあるやもしれませんが、本日はよろしくお願いします」
真正面から彼を見つめ、驚いた。……こんな方だったかしら。ヒューゴ殿下の婚約者として長年アルーシア王宮に通っていた私だけれど、アウグスト王太子とは、幼少の頃以来あまり顔を合わせたことがなかった。ましてやヒューゴ殿下と結婚してからは、ただの一度も。
アウグスト王太子はとても細身の、今にも倒れてしまいそうなほど儚げな容姿をしていた。もう御年三十くらいだったろうか。緩くウェーブのかかった長めの金髪がこけた頬にかかり、ますます病弱に見える。色素のごく薄い青色の瞳は、彼をより繊細に感じさせた。けれどその目の奥には、たしかに凛とした輝きがある。緊張のせいだろうか、若干強張った表情をしていた。
そんな彼だが、傍らに侍る自分の娘に視線を向けた瞬間は、とても柔らかい笑みを浮かべた。
「そしてこれが我が娘、フロレンティーナです」
父親から優しい眼差しでそう紹介されるないなや、小さな王女はすっと一歩進み出た。大人の腰ほどの背丈しかないその体でピンと胸を張り、真っ直ぐに私たちの方を見上げる。
「フロレンティーナ・イザベル・アルーシアでございます。本日は父に伴い馳せ参じました。幼き身ゆえ、至らぬところもあるかとは存じますが、ニコラス・リューデ外務局長、セレステ・ラザフォード子爵、どうぞよろしくお願いいたします」
(……す……すごい……)
見た目からはまるっきり想像していなかったハキハキとした立派な自己紹介に、私も隣のリューデ局長も固まった。……え? この王女……おいくつだっけ?
軽く咳払いをしたリューデ局長が、いつもの柔和な笑顔で挨拶を返す。私も慌ててそれに倣った。
「イルガルド王宮外務局長、ニコラス・リューデ伯爵です。ご丁寧に、どうも」
「セレステ・ラザフォード子爵です。ようこそお越しくださいました、アウグスト王太子殿下、そして、フロレンティーナ王女殿下。……感服いたしました、王女殿下。とてもしっかりなさっておられますのね。たしか、八歳でいらっしゃいましたか……?」
やんわりと探ると、フロレンティーナ王女は澄んだ声で答える。
「お褒めに預かり光栄でございます、ラザフォード子爵。さようでございます。私はじき九つになりますわ。王族として、学ぶべきことの多い身。このくらいは当然のことでございます」
「……素晴らしいですね。実に頼もしい王女殿下だ。はは」
一瞬言葉につまったリューデ局長が、そう言って軽やかに笑った。場の空気が少し和らぐ。しっかり者の王女の隣で、アウグスト王太子が彼女をにこやかに見つめている。……その姿はなんだかまるで、彼女の側近のような雰囲気……いや、さすがにそれは失礼か。
互いに挨拶を済ませた私たちは、一斉に国王陛下とトリスタン王弟殿下の方へと向き直った。それを見届けた陛下が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。




