44. 予期せぬ来訪者
鮮やかなコーラルカラーのドレスをまとった王子妃は、楚々とした足取りで裾を揺らしながら歩いている。大勢の護衛や侍女たちが、その後ろに整然と並び歩みを揃えていた。その中には、地味な装いをしたリリエッタの姿もある。
互いの列がすれ違う瞬間、両者は足を緩め、形式に則った礼を交わした。王弟殿下は軽く顎を引き、王子妃はわずかに裾を摘んで会釈する。
するとエリヴィア王子妃が、トリスタン王弟殿下に向かって穏やかに微笑みかけた。
「長いお話し合い、お疲れ様でございました。和やかにまとまりまして? これで両国の絆もいっそう深まりますわね。本当に、良うございました。ふふ……。では」
そう言うと王子妃は、優雅な足取りで去っていく。まるで茶会で世間話でもしたかような雰囲気だった。彼女もやはり、ただの王家の顔。何も知らされてはいないし、きっと本人も知ろうとはしていない。傾きゆくこの王国の実情など、肌に感じてはいないのだろう。憐憫にも似た苦い気持ちがじんわりと湧いてくる。
王子妃に続き侍女たちも歩みを進め、リリエッタが私の横を通り過ぎる。
「……」
目が合った私たちは、しばらく見つめ合う。以前の謎の自信に満ちた、溌剌とした明るさが抜け落ち、まるで抜け殻のような目をしている。彼女が望んでここにいないことは明白だった。
ひっつめたシニヨンの髪、灰青色の飾りの少ないドレス。あれだけ大好きだったアクセサリーもほとんど着けておらず、ごく小さな石のイヤリングが一つだけ。
お義姉様のこのネックレス、とても素敵だわ! このブレスレットいいなぁ。あたしもこんなのが欲しいなぁ。などと言いながら、私が譲ってあげるときゃっきゃとはしゃいでは身に着けていたのに。
リリエッタがふいに唇を噛み締め、プイッと明後日の方を向いた。そしてそのまま去っていった。
彼女に対して、いい感情は微塵も残っていなかったはずなのに。
不幸せそうなリリエッタの表情が目に焼き付き、何とも言えない暗い気持ちになってしまった。
その後、私たちはすぐに準備を整え、イルガルドへと帰国した。意を決して臨んだ会談で得たのは、アルーシア側が何も変わる気がないという失望だけ。そして短絡的に激昂したヒューゴ殿下が、今後どう出てくるか分からないという不安。王弟殿下は帰国するなり国王陛下と謁見し、会談が平行線のまま決裂したこと、ヒューゴ殿下が開戦をほのめかす捨て台詞まで吐いたことを報告した。
翌日、イルガルド王宮では重鎮らが一堂に召集され、対応策が話し合われた。
軍務大臣が眉間に深く皺を刻んで唸る。
「兎にも角にも、まずは国境の防衛強化を急ぎましょう。すぐに兵を動かす兆候があるかは分かりませぬが、最悪に備えるに越したことはない」
トリスタン王弟殿下が神妙に頷いた。
「そうだな。国境の砦に増員を。アルーシア側が小競り合いを仕掛けてくることも考えられるが、挑発に乗らぬよう厳命しておく必要がある。兵糧と補給線の点検も怠るな」
財務大臣がため息をつき、口を開く。
「軍備強化となれば予算が必要になりますな。兵糧の備蓄、武具の補充……割り振りを見直さねば」
皆が真剣に議論を重ねる中、私も声を上げた。
「イルガルドはアルーシアとの戦いを望んでいるわけではないことを、周辺諸国に伝えることが最優先かと存じます。大陸全体が動揺してしまう前に、イルガルドはあくまで大陸の平和を望んでいるのだと、その姿勢に変わりはないため引き続き善処すると、明確に示すべきかと」
リューデ局長がすぐさま首肯した。
「確かに。周辺諸国にはすぐに使者を送りましょう。『イルガルドは平和を望んでいる』『しかしアルーシアが暴走する危険がある』と、正確に伝えるべきです」
「各国に街道防衛の協力を呼びかけるのもよいかと。共に安全を守る枠組みを強調すれば、結束も一層強まるでしょう」
外務大臣の言葉に、皆が頷く。
王弟殿下が漆黒の目を細め、腕を組んだ。
「では、決まりだな。国境防衛の強化、財政調整、そして周辺諸国への通達を至急進めよ。ラザフォード子爵、各国への文書の草案を任せるぞ」
「承知いたしました、王弟殿下」
緊迫した空気の中対策会議は終わり、各々が自分の役割を果たすためにすぐさま動きはじめた。
これから一体どうなるのだろう。そんな不安が皆の心を占めているのが伝わってくる。重鎮たちの表情は、一様に強張っていた。
けれど、その二日後。私が各国へと送る書簡の草案をまとめていた時のことだった。
イルガルド王宮に、突如予想もしなかった来訪者が現れたのだ。
緊迫した面持ちの王弟殿下の従者が、外務局の執務室に現れこう告げた。
「失礼いたします。リューデ外務局長、ラザフォード子爵、急ぎ謁見室へとお運びください。アルーシア王国王太子殿下と、そのご息女がお越しでございます」




