39. 激論
トリスタン王弟殿下の号令で当然のように彼の隣に着座した私に、アルーシア側から早速いくつかの辛辣な言葉が飛んでくる。
「……なるほど。元お飾り王子妃殿は、今や小国の上級外交顧問ですか。はは。どこへ消えたのかと思っておりましたが、まさか……」
「こちら側のいわば離反者を、外交の顔に立て連れてくるとは。イルガルド王国はよほど人材不足だったとみえる」
「まさしく……! 我が国の安寧を揺るがしていたのが、まさかメロウ侯爵令嬢であったとはな」
「よくそのように飄々と座っていられるものだな。そなたに人の情というものはないのか。恥知らずな」
父が口元をぎゅっと引き結び、青筋を立てている。こちらを睨みつけるその強い視線から、私はすっと目を逸らした。
トリスタン王弟殿下がすかさず口を開いた。
「過去の立場は関係ない。ラザフォード嬢はこれまでの我が国における功績で、現在の地位に納まっているんだ。建設的でない皮肉は結構。さっさと本題に移ろうじゃないか」
堂々たるその声が、広い謁議の間に響き渡る。王弟殿下は真正面に座しているヒューゴ殿下へと、遠い距離を隔てながらも鋭い視線を投げかけた。ヒューゴ殿下は一瞬ピクリと肩を上げると、咳払いをして目を伏せた。そして手元にある紙に視線を落とし、幾分弱々しい声で口火を切った。
「……まず言いたいことは、貴殿らが周辺諸国と勝手に結びつき、交易の乱れを招いていることに対する苦情だ。た、大陸交易路の安全と円滑な取引の流れは、我がアルーシア王国が長年に渡り守り抜いてきたもの。その大恩を忘れ、突如我々をないがしろにし、反旗を翻した。由々しき事態だ。断固抗議する」
「筋違いだ。我々イルガルドとの交易を選んだのは各国自身であり、こちらが無理強いしたことではない。互いに不足を補い合うことで、民の生活が安定しはじめた。そして満足いく交易を繰り返すうちに、徐々にその規模が大きくなり、結果として各国が豊かになっている。それだけのことだ。……そうだろう? ラザフォード嬢」
トリスタン王弟殿下は間髪を容れずにそう言葉を返し、私を見て口角を上げた。一切の動揺も後ろめたさも見せることのないその堂々たる姿は頼もしく、緊迫していたイルガルド側全員の空気が和らぐ。
「はい。その通りでございます、殿下」
私が相槌を打つと、ヒューゴ殿下の頬が痙攣したのが遠目にもはっきりと分かった。彼はなぜだか隣の王子妃を見る。けれど彼女が何も発言しないと、今度は反対側に座る外務大臣にせわしなく視線を送った。助けを求めているのだろう。
外務大臣が眉間に深い皺を刻み、低い声を発した。
「……この大陸の交易は、代々アルーシアを中心に行われてきたのだ。我が大国こそが中枢となり、大陸全てを統括するだけの力を有しているからだ。それを貴国は勝手に壊し、今のような無秩序を招いた! そのせいで我が国は今、かつてない深刻な物資不足に喘いでいる。大陸の秩序を守るためにも、交易の要をアルーシアに戻さねばならない!」
私を挟んで王弟殿下の反対隣に座っているリューデ局長がふむ……と声を漏らし、手元に広げた資料に目線を落とすと、丸眼鏡を指でクイッと持ち上げた。
「……困窮に陥っていると、自らお認めになるのですね。しかし、たった今トリスタン王弟殿下がおっしゃったように、それは我々のせいではありませんよ。各国が貴国との取引に不満を募らせ、搾取に近い条件に耐えかねて新たな道を選んだ。それが事実です。結果として、今こうして小国の民たちは潤い、諸国は互いに助け合って順調な交易を行っている。つまり原因は、あなた方のこれまでのやり方そのものにあったのだと、まだお気付きにはなりませんか?」
「な……っ! なんと生意気な……! 小国風情が!」
(……予想以上に熱くなっているわね、あちら側は)
青筋を立てたアルーシアの外務大臣の表情を見ながら、私は少し驚いていた。よほど余裕がないと見える。これまでの身勝手かつ独占的な交易のつけが、今彼らに回ってきているのだ。
ヒューゴ殿下は時折亡霊でも見るかのような目で、私のことを見つめている。その隣の王子妃は、困ったように小首を傾けては皆の顔を見渡すばかり。もしも私があの立場にいたら、ヒューゴ殿下に耳打ちしたい言葉はたくさんあるはずなのだけれど。
リリエッタは私をきつく睨みつけ、私がたまに視線を向けると慌てたように目を伏せる。父は一言も発することなく、ただただ切羽詰まった目で私のことを見ていた。
そこから先の会談は、喚き散らし脅しをかけてくる大国の連中に対し、リューデ局長や王弟殿下、そして私が静かに異を唱えることの繰り返しだった。
「今後は身勝手に結託する中小国から、倍の関税を徴収する! それで困るのはそちら側だろう!」
「そんなことをすれば、むしろ困るのは貴国側でしょう。関税を重くすれば、商人たちはますます貴国を避けるだけです。市場に流れる品がさらに減り、税収も一層落ち込むことになりますが?」
「我らの軍が交易路を押さえればどうなると思う!? 街道を封鎖されたら、小国の商いなど一夜にして潰えるぞ!」
「その時は各国が一致団結し、別の路を拓くだけだ。力ずくで押さえつければ、諸国の恨みは必ずアルーシアに向かう。軍備を誇示するのはそちらの自由だが、いざという時に軍資金を賄えるほど、今の財政に余裕がおありなのか?」
「……イ、イルガルドが調子に乗っていられるのは今だけだ! 他の国々は我らが声をかければすぐに靡く。我らアルーシアこそが大陸の盟主なのだ!」
「もしそうならば、こうして会談の席に私たちを呼ぶ必要はなかったはずです。……各国はもうアルーシアに従う道を選んではいませんわ。まずはその事実を直視なさらなければ、先へは進めませんわよ」
そう発言した私に、アルーシア側からの敵意に満ちた視線が一斉に向けられる。
けれど、私は怯まなかった。気持ちは微塵も揺らがない。
尊敬する人が、頼もしい仲間たちが、そしていつでも私のことを全力で支えてくれる愛する人が、すぐそばにいるからだった。
数時間経っても話し合いは平行線のままだった。アルーシアはあくまでも自分たちの権力を誇示したいらしく、我々を威圧し、脅す姿勢を崩さない。
そしてイルガルド側はそれを淡々と躱し、譲歩すべきはアルーシア側なのだということを冷静に述べ続けた。
結局疲れたのか、ヒューゴ殿下が途中で音を上げ、会談は明日に持ち越しとなった。
私たちイルガルド使節団は、このアルーシア王宮の迎賓館に宿泊することになった。
私は他の女性文官の一人と、ついてきてくれていたテレーザとともに、その中の一室を与えられる。
夜になり、迎賓館の食堂にてイルガルド使節団だけでの夕食を終えた。その後部屋に戻った私のもとに、間を置かずして一人の使者がやって来た。
「失礼いたします。セレステ・ラザフォード子爵。ヒューゴ第二王子殿下がお呼びでございます」




