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母国を捨てた冷遇お飾り王子妃は、隣国で開花し凱旋します  作者: 鳴宮野々花@書籍4作品発売中


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30. ドラヴァン公国へ

 山あいの細い街道を抜けた途端、目の前に広がったのは切り立つ灰色の山肌だった。鉱山から立ちのぼる白い煙が空に溶け、遠くでカンカンと鉄を打つ音が響く。街の空気には、どこか煤と鉄のような匂いが混じっている。

 そこかしこに見える石造りの家々は、質素ながらも頑丈そうだ。窓枠には色鮮やかな布や花が飾られている家もあり、目を和ませる。道を行き交う男性たちの腕は逞しく、女性たちの背にも、薪や鉱石の入った籠が揺れていた。この国も男性のみならず、女性たちがしっかり働いているようだ。

 イルガルドやアルーシアの華やかな都とは違う。ここはたくましい労働の国。山と鉱石に生かされ、厳しい自然に鍛えられた人々の暮らしが根付いているのだと感じられた。


(ここがドラヴァン公国……。こちらから訪れたのは初めてだわ。たしかに農地は乏しそうだけれど、この鉱山資源の豊かさこそが、この国の力なのよね)


 馬車の小窓から興味津々で外を眺めつつ、私はそんなことを考えた。

 その私は今、トリスタン王弟殿下と同じ馬車の中にいる。後続の馬車にはリューデ局長や書記官らが続き、馬車の周囲は馬で並走する護衛騎士らで固められている。私は窓から顔を離し、そっと振り返った。すると。


「……っ!」


 並んで座っている殿下が、なんだか楽しげな表情でじっとこちらを見つめているではないか。妙に色っぽいその視線に、私は内心ひどく狼狽える。目を逸らし、軽く咳払いをしてから尋ねた。


「……殿下。なぜ私だけ、殿下と同じ馬車なのでしょうか」


 いや、向かいの席にはテレーザもいるけれど。

 屋敷の侍女テレーザは、今回私の助手という名目で同行してくれている。もう王子妃ではないのだから、あの頃のように大勢の侍女がついて回ることはない。けれど殿下が「君の身支度を手伝ってくれる人間が一人くらいは必要だろう」とおっしゃり、同行させてくださったのだ。

 私の言葉に殿下はますます楽しそうな顔をする。


「言っただろう? スムーズな交渉のためにも、現地に着く前に論点を擦り合わせておきたいからだと」

「は、はい……。ですが、それならリューデ局長も……」

「彼は必要があればこちらに呼ぶさ」

「……」


(では、私もそれでいいはずでは……? 王弟殿下と同じ馬車で移動だなんて、恐れ多いのですが……)


 そう思ったけれど、口に出すのは止めておいた。

 すると殿下が地図を取り出して広げ、一点を指で押さえた。


「今いるのはこの辺りだな。荷車が通るにはやや狭いが、小口の取引ならこの道でも問題ないだろう」


 私は殿下の方へと少し体を寄せ、地図を覗き込んだ。


「いきなり大きな隊商を動かすのは無理だが、この道を使っての小さなやり取りならば、地方同士の融通で片づけられるだろう」


 私は頷き、地図を押さえる彼の手のすぐ傍に自分の指を重ねた。


「ゆくゆくはこちらの街道沿いの村を結んで、交易路として整備できればいいでしょうね。……交渉が上手くいけばの話ですが」


 先走った話をする私に、殿下がちらりと視線を向ける。そしてわずかに口元を緩めた。


「先を見据えるのは君の良いところだな。……ああ。この小さな一歩を積み重ねていけば、やがては国と国とを結ぶ確かな道が作れるだろう」

「ええ。ドラヴァン公国とも、他の国々とも、いずれはそうなれれば……」


 その時。馬車が音を立て大きく揺れた。体勢を崩した私は、はからずも殿下の肩に寄りかかるようにぶつかってしまった。そんな私を殿下が両手で抱き寄せ、支えてくださる。ためらいもなく手放された地図が床に落ち、テレーザがそれをそっと拾った。


「も……っ、申し訳ございません……っ!」


 そう言って慌てて見上げると、殿下の顔がすぐそばにあった。黒曜石のような美しい漆黒の瞳に、かすかに動揺が感じられ、思わずそのまま硬直する。


「……かまわない。この辺りはかなり馬車が揺れるな」


 そう言いながらすっと目を逸らした殿下の声は、少し掠れていた。私は体を起こしながら、内心どぎまぎする。


(……やっぱりたくましいな、殿下の腕……)


 そんなことを考えてしまった自分に、ますます体が熱くなった。




 案内された公爵の屋敷は、まさに山そのものを切り出して築かれたかのような重厚さだった。外壁は灰色の石を積み上げた堅牢な造りで、高い塔は少なく、要塞のような雰囲気だ。

 けれど内部に足を踏み入れると、外観の無骨さとは対照的だった。石造りの壁には鮮やかなタペストリーが掛けられ、床には真紅の絨毯が敷かれていた。

 通された応接間には、柔らかな色合いの花々が大きな花瓶に飾られている。

 出迎えてくださった君主、ドラヴァン公爵は、まるでこの国の厳しさと力強さをそのまま体現したかのような、がっしりとした壮年の男性だ。


「遠路はるばるよくお越しくださった、イルガルドの王弟殿下よ。客人としてお迎えできることを光栄に思います」


 若干のドラヴァン訛りを帯びた大陸語が、低い声色で広間に反響した。

 トリスタン殿下は一歩進み出て、胸に手を当てた。


「謁見を受け入れていただき感謝する、公爵閣下。本日は我が国と貴国の結びつきを新たにするべく、参上した次第だ。良き協議となることを願う」


 公爵は固い表情のまま頷き、私へと視線を移す。そしてわずかに目を見開いた後、少し表情を和らげた。

 私は膝を曲げ、挨拶をした。


「ご無沙汰しております、ドラヴァン公爵閣下。……書簡にも記した通り、今はラザフォードを名乗り、イルガルド王国で文官として務めております。謁見の許諾をありがとうございます。本日は私も、王弟殿下にお供してまいりました。どうぞよろしくお願いいたします」


 私の挨拶を聞いた公爵は振り返り、従者に告げた。


「ルシンダをここへ」

「承知いたしました」


 短く返事をした従者が出ていくと、公爵はわずかに笑みを浮かべた。


「ご丁寧な書簡を何度もありがとうございます。歓迎いたしますよ、セレステ・ラザフォード嬢。あなたもいろいろと、ご苦労なさったようだ」


 その後、他の同行者たちも順に挨拶を済ませた。公爵に促され、殿下とリューデ局長、さらに私や書記官たちも揃って席に着いた。

 





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