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母国を捨てた冷遇お飾り王子妃は、隣国で開花し凱旋します  作者: 鳴宮野々花@書籍4作品発売中


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28. 大陸の地図

 ヒューゴ殿下の次の妃が決まったらしいとの情報。そしてどうやら、それがリリエッタではなく別の令嬢のようだと分かった時、何とも言えない複雑な気持ちになった。けれど、もう今の私には関係ない。雑念を振り払い、私はひたすら仕事に打ち込んだ。

 外務局で日々分厚い書類を捲りながら、私はあることを考え続けていた。

 アルーシアとイルガルドとの間で交わされている、不公平で支配的な数々の取引。大国アルーシアの南東に位置するこのイルガルドという小さな王国が、どうにかしてそれらから解放され、もっと自由な外交や交易を選び取ることはできないだろうか。

 今となってはもう、はっきりと分かる。アルーシア王国で、私は二重の意味での“お飾り王子妃”だったのだと。ヒューゴ殿下から閨を拒絶され子をなすこともできず、さらに外交の場ではただの顔。他国間の取引における不均衡で利己的な条件や数字は、私には見せられていなかった。都合の悪い部分は隠され、耳に心地よい言葉ばかりを吹き込まれて調印の場に臨んでいたのだ。こうしてイルガルドの実情に触れ、私はそのことに気付いた。

 もしこの国がここまで苦しい思いをさせられているのだとしたら、他の周辺諸国も同じではないだろうか。大国に対して声を上げられず、ただ従うしかない国々が、他にもたくさんあるのでは……?


(強大なアルーシアから逃れるために、近隣の小国同士で手を結ぶことはできないかしら……)


 大陸の地図を広げ、考えを巡らせる。アルーシアの王子妃だった頃、私は近隣諸国の様々な重鎮たちと言葉を交わしてきた。アルーシアの大臣や大使らの尊大な態度が見るに耐えず、彼らの態度に辟易しつつも、少しでも自国に対する悪印象を和らげようと親しみを込め会話を繰り返していた。


(下手な動きをしてアルーシアに楯突けば、この小国は容易く潰されてしまうかもしれない。だからこそこれまで、イルガルドはアルーシアの無茶な条件を受け入れる形で取引を続けてきているのだろうし……)


 大陸の中でもずば抜けた大国であり、周辺諸国の交易の中心となっているアルーシア。でも、その大国が自国の富だけを優先し、近隣の中小国は搾取の対象としてしか考えていないのならば、黙って従い続けることはない。

 いくらアルーシアとはいえ、周りの国々が一斉に離れていけば、それら全てを強引に武力で抑えつけることなどできないはずだ。

 じっくりと地図を見つめながら、私は考える。

 そしてまず、アルーシアの東側、このイルガルドからは北側に位置するドラヴァン公国が目に留まった。


(ドラヴァン公国……。山岳が多く、農地が少ない国。けれど鉱山資源は豊富だわ。鉄鉱石や石炭がよく採れる。……こちらが穀物や木材を出荷して、代わりに鉱石を出荷してもらうことができれば、互いに不足を補えるはず……)


 そんなことを考えながら、南側に目を滑らせる。


(アルーシアの真南に位置する、メリダス自由都市同盟。ここは織物や香辛料といった品々が集まる、いわば商人の国。イルガルドはこれまで、アルーシア経由でそれらを高く買わされていたけれど、ここと直接交渉できれば公平な取引ができるんじゃないかしら。こちらからは木材や薬草を出せば、相手方にも十分価値のある交換になるはず)


 そのメリダス自由都市同盟から西側に視線を這わせる。アルーシアから見れば南西側にある中堅国、グランハルド王国。


(グランハルドといえば大農業地帯。果物や油に恵まれているけれど、農具や燃料は十分ではなかったはず。こちらの鉄や薪炭を渡し、代わりに豊富な農産物を取引させてもらえばいい)


 小国同士、大国のように莫大な量の取引はできない。けれど、互いの国に必要なだけの物資をやり取りすることなら十分可能ではないか。

 私は自分の考えを整理し、リューデ局長をはじめとする外務局の上司らに相談した。前例のない外交案に難色を示す人たちもいたけれど、リューデ局長はしばらく思案した後、「この件は王弟殿下にもご同席いただき、重臣会議に諮りましょう」とおっしゃった。




 後日。重鎮らが分厚い長机を囲み、ピリピリとした緊張感が満ちた会議室の中で、リューデ局長が私の案を発表した。

 すると一人の大臣が渋い表情で唸る。


「アルーシアを介さず周辺国だけで取引をするなど……。王国発足以来前例がないのですぞ。無謀だ」


 リューデ局長はすぐさま静かな声で答える。


「ええ。アルーシアが交易の中心に居座り、大陸全体を取りまとめているように見せかけ、実際には各国を囲い込んでいる。その状況は、もう百年以上続いているわけです。大陸の中心に広大な国土を持ち、周辺の全ての国々の物流経路を牛耳っている。アルーシア王国にとって非常に好都合な取引が、長年続いているわけです」


 私がおそるおそる相談を持ちかけた時、難しい顔をする上司らの中で、局長はあくまで中立の立場で聞いているように思えた。けれど今、この場で発言する局長の言葉のニュアンスは、私の意見を前向きにとらえてくださっているように感じる。

 また別の大臣が腕を組み、低い声で投げかけた。


「だからといって、ただの思いつきでこれまでの慣習を破ればどうなることか。アルーシアは軍事力も強大だ。下手な動きを見せれば、制裁を受けることになりかねんだろう」


 数人の重鎮が賛同するように頷く。最奥に座したトリスタン王弟殿下は皆の議論を聞きながら、私たちが準備し持参した手元の資料を黙って見ている。

 リューデ局長は引き下がることなく言葉を返した。


「正面から突然抗えば、もちろん危ういでしょう。ですが、周辺の小国同士が少しずつ、互いに不足を補うだけの取引を積み重ねていくのであれば、目立つことはありません。大規模な交易網ではなく、必要分を融通し合う程度の往来でしたら、アルーシアの目にも、いちいち制裁を加えるほどの動きとは映らぬでしょう。そこから始めてみる価値はあると思いますがね」

「周辺の小国同士というが、具体的にどこだね? 長年アルーシアとの取引ばかりをしてきた国同士が、そう簡単に互いを信頼し交易などできるものか。そもそも交渉の実績がない相手と、どうやって繋がりを持つと?」


 すぐさま反論する大臣の剣幕に、リューデ局長も言葉が途切れ、重苦しい空気が漂う。王弟殿下もまだ何も発言なさらない。


(……よし……)


 おそらく今この会議室の中に、私の味方はほぼいない。

 極度の緊張で心臓がバクバクする。けれど私は、勇気を出して立ち上がった。







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