22. 王弟殿下の気遣い
殿下は私を見つめ優しく微笑むと、ゆっくりとこちらに手を伸ばす。
(……っ!?)
「だからそんなに自分を責める必要はない。こうして我が国でその力を振るうと決めてくれたんだ。君にしかできない仕事をしてくれると信じているよ」
殿下の手が、私の髪にかすかに触れる。息を詰めて硬直していると、彼はその指先につまんだものを私に見せた。
「ついていた」
「……あ……。ありがとうございます……」
どうやら風に乗ってたどり着いた木の葉が、私の髪にくっついていたらしい。頭を撫でられるのかと思って身構えた自分が恥ずかしくなり、頬にじわりと熱が灯った。それをごまかすように殿下から目を逸らし、私は目の前のチキンにナイフを入れ口に運ぶ。
するとしばらくして、殿下がさらりと言った。
「週に一度は休みをとっていると言ったな。見に行ってみるか? この国の市井の、民たちの暮らしを」
「……え?」
意味がよく理解できずに問い返すと、サラダをつついていた殿下が言葉を続ける。
「今度の君の休みに、王都近郊を案内しよう。アルーシアの街並みとの違いを見比べれば、この国に対する理解がより深まるだろう?」
その言葉に驚き、返答に詰まる。それって……殿下自らが私を案内してくださるということだろうか。そうとしか聞こえないのだけれど……。
「……とてもありがたいお申し出ですが……、お忙しい殿下のお時間を頂戴するのは、申し訳なく……」
「一日くらいかまわない。俺も最近自分の目で街を見ていないしな。視察のついでだ。連れて行こう」
「……あ、ありがとうございます、殿下」
有無を言わさぬそのお言葉に、私はただそう答えるしかなかった。……何だろう。やけに胸がドキドキする。
(ここまでしていただくと、本当に特別扱いされているようにしか思えないんだけど……。ううん、視察のついでだとおっしゃっているじゃないの。たまたまよ。たまたま私が街を見るべきタイミングと、殿下がお行きになりたいタイミングが合致しただけよね)
殿下の所有するお屋敷で、至れり尽くせりの日々を過ごさせてもらい、今後の職務に必要になるだろうとの名目のもと、衣装やアクセサリーを贈られ……。昼食はこうして時折共にさせていただいて。その上街への視察にまで同行させてもらえるなんて、ありがたさに身が縮む思いだ。
食事を終えると、私はすぐさま立ち上がり、殿下にお礼を言った。あまりゆっくりしている時間はない。優雅なひとときを過ごしたけれど、私はあくまで勤務中なのだ。早く執務室に戻らなくては。
「素敵なお食事をありがとうございました、殿下。いつも気にかけていただき、感謝しております」
すると殿下も立ち上がり、私に向かい合う。
「当然だ。言っただろう。君は特別な人なのだから」
「……っ」
(ま、またそんな……)
こういう時の殿下の眼差しやその言葉に、妙な含みを感じるのは……私の気のせいなのかしら。
戸惑いを振り払うように礼をし、私はその場を後にした。
執務室に戻るともうほとんどの文官たちが着席し、各々の仕事を始めていた。するとすぐに、分厚い書類の束を持ったリューデ局長が私に声をかけてくる。
「おや、戻りましたか、ラザフォードさん。関税収支の報告書を、私の部屋に持ってきてもらえますか?」
「あ、はい。すみません、すぐお持ちします」
私は午前中自分の机で食い入るように読んでいた報告書を持ち、執務室奥の局長室へと足を運んだ。
資料を渡すと、リューデ局長は穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。王弟殿下との昼食はいかがでしたか?」
どうやら局長は、私が殿下のもとに呼ばれていたことを知っているらしい。何となく気まずい思いをしながら私は答えた。
「は、はい。身に余るほどのお料理をご準備いただいて……。殿下のお心遣いには恐縮するばかりです」
すると局長は目尻に皺を刻んで首肯する。
「王弟殿下はラザフォードさんのことを、本当に細やかに気にかけておいでです。私にも数日に一度は必ず、あなたの様子をお尋ねになりますよ」
「そ……そうなのですね……」
局長のその言葉に、また私の頬が熱を持った。自分でもなぜだか分からない。危なっかしく思われているのかもしれないという羞恥心なのか、それとも別の感情なのか。
局長は少し声のトーンを落とす。
「ラザフォードさんが皆に受け入れられた今だからこそ正直に言いますが、ここにいらしたばかりの頃は、外務局内であなたに対する反発の声も大きくて」
「……やはりそうですよね」
「ええ。一緒には働けない、受け入れられない、あるいは、我々を裏切るのではないかという疑いの声も……。ですがあなたがここへ来てから数日後、王弟殿下が文官たちを呼び寄せ、皆の前ではっきりとおっしゃったのです」
(え……?)
私の知らないところで、殿下の呼び出しがあっていたとは。
私は思わず局長の顔を見つめる。目が合った彼はまた優しく微笑んだ。
「ラザフォード嬢はすでに母国を離れ、今は我が国のためにその才覚を振るうと誓ってくれている。疑ってかかるのは容易いが、それは多大な国益を失うことと同義だと、俺は思っている。彼女の働きを見てなお疑問に思うのならば俺に問え。責任は全て俺が持つ、と。そうきっぱりとおっしゃったのです」
(……殿下……)
リューデ局長の言葉を聞いているうちに、胸がいっぱいになる。自分の働きで皆に受け入れてもらえるようになったのだと思っていた。けれど……私が知らないところで、あのお方がまた私を助けてくださっていたのだ。
感極まり、少し視界が滲んだ。私はそれを隠すように大きく息を吸うと、局長に笑みを返す。
「ありがたい限りですわ。殿下のご期待に応えるためにも、今後も精一杯務めます。私にできる限りの力を振るい、お役に立てるよう職務に臨みますわ」
そう言うと、リューデ局長が苦笑した。
「ええ。ただし、三食しっかり食べて毎晩よく休んでくださいよ。あなたが無理をすれば、王弟殿下がますます過保護になられますからね。はは」




