37.終幕 3
「結婚したいと……本気で?」
もともとシルヴィの求婚は方便でしかないと思っていたリーナは、意外そうに瞳を瞬かせる。
「お前は誤解しているようだが、別に縁談避けに使っただけではないからな」
「だからって恋愛感情などないでしょう?」
「お前のことは――それなりに気に入っている」
色気も何もない回答に、リーナは嘆息する。
「そんなものでしょうね」
「そんなものだ。正直、お前もだろうが……私のような人間はその手の感情には疎い。だから、この程度でいいと思っている」
おおよそ女を口説く際に適切な科白ではない。だが、嘯くシルヴィの表情は真剣だった。
「共に在るために大切なものは、価値観だ」
偽りでも誤魔化しでもなく、シルヴィは迷わず断言する。
容貌も才能も他者より優れ、異性の愛情など余すほど受けている人物が、生涯のパートナーに求める資質はたったひとつだった。
「お互いに生理的な嫌悪感もなく、価値観が近い。立場や身分にも差し障りがない。貴族や王族が将来を誓い合うには充分な条件ではないか?」
「私は貴方のこと、嫌な男だと思わないでもないけれど……考え方は概ね同感ね」
だとしても、普通はもう少し言葉を飾るべきではないか――そう苦言を呈するつもりだったが、リーナは思い止まる。
条件と取引と打算、そして利害関係で繋がる自分たちの間には、情緒も熱も甘やかさも端から存在し得ない。だからこそ、互いに遠慮もなく許容し合えるのだとも言える。
「政略結婚みたいなものかしら」
「かもしれんな」
「結婚とは、即ち家族になることだと認識しているけれど……私たちにそんな情や家族愛が生じるとでも?」
「いずれ育めばいい」
シルヴィは穏やかに告げた。
「お前と――養い親がそうであったように」
何事か考えを巡らせているリーナを腕の中に包み込み、シルヴィは密かに思う。
頭で判断可能な事象しか、彼女は解さない。愛も情も知らない訳ではなくとも、特殊な環境で育ったが故か生来の気質か、感じたままをただ受け止めることが難しいのだ。
承知しながら、シルヴィは手に入れるために言葉を弄した。
別にリーナがこの先ずっと、永遠にシルヴィの想いに気づかずとも構わない。彼が一度捉えた獲物を手放すことは、決してあり得ないのだから。
「リーナ」
意味あり気に微笑むと、シルヴィは掠めるようにリーナの唇を奪った。
「……!」
シルヴィにとってだけ甘美な口づけは、おそらくリーナにしてみれば唐突で、不意打ちを喰らったようなものだったろう。
「約束を、リーナ」
「貴方ね……」
リーナは照れもせず赤面もせず、ただ眉を顰める。悪びれないシルヴィの碧眼をじっと見つめ返すと、やがて観念して応えた。
「本当に、しょうもないこと」
二人が正式な婚約を発表するのは、それから僅か一月後のことだった。
更にその直後、第一王子の突然の事故死――訃報が世に告げられた。
◆ ◆ ◆
さて、物語はこれにて終幕を迎える。
今まで語られた人物たちについて、ここに若干の補足を加えよう。
シャルアリーナ・レイン――王立学院専攻課程卒業後、第三王子に嫁す。以降は表舞台に現れることはなかったが、後に司法省長官に就任した夫、シルヴィ・クロゥディル・サビの補佐官に、謎めいた黒衣の人物がおり、これが彼女だという説もある。なお、息子のひとりが実家であるレイン伯爵家を嗣いでいる。
シルヴィ・クロゥディル・サビ――父王が没し、同母兄が王位を継承するのと同時に、王弟として司法省長官の任に就いた。王子時代より妻を溺愛し、人目に触れることを厭って決して表には出さなかったと言われるが、噂の域を出ない。妻との間に息子二人と娘をもうける。
ルルティエ・ディーバ――魔法科に転籍するも卒業後すぐに結婚する。しかし婚家で虐待された挙げ句、不貞を疑われ離縁した。その後は知縁を頼って司法省調停局に就職、独身を貫く。
アリアベル・ライトニア――王立学院卒業後、推薦を受け魔法省に勤める。公爵家に嫁ぎながらも周囲の反対を押し切る形で仕事を続け、往年、女性初の魔法省長官となった。
イブリス・ガンダイル――父侯爵より領地にて蟄居を命じられ、復帰することはなかった。遠縁の女性を娶るも離別し、幸せな結婚生活は送れなかったようだ。
ディタ・アルファ――王立学院卒業後、女性にしては珍しく技術省入りを果たす。10年勤め上げた後、婿養子を取って実家の商会を盛り立てた。
トルスト・ズブロ――親元のウィズ一家が司法省により取り潰しになり、ウォルカ一家もなし崩し的に解散した後は、裏社会から足を洗った。
カンパネル・ブライド――消息不明。諸国外遊中のハミル・エルハディル・サビが、遠国の漁港で身体を引き摺って歩く姿を目撃したようだが、本人かどうか定かではない。
ハミル・エルハディル・サビ――兄王亡き後、甥であるシルヴィ・クロゥディル・サビに司法省長官の地位を譲り引退する。晩年は諸外国を飛び回り、王国の外交活動に貢献した。
かつて大陸で栄えたサビ王国には、国家機関による特殊な執行制度があった。
同制度は国王ハネス2世から、その子セルティ1世の御代にかけて、身分立場の別なく、特に活発に利用されたと言われる。
当時、実務を遂行した覆面部隊の存在と活躍は、広く王国の民に語り継がれ、俗称である「取立人」の名と共に、今もなお歴史に刻まれている。
<完>
ありがとうございました
最後までお付き合いくださいまして
大変嬉しく思います
一応、終わり方は(人物紹介的な)
かなり早い段階で決めていました
それほどペースを落とさず
完走できて良かったです
また別の作品でお会いできれば幸いです
陸 空海




