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36.終幕 2

 約束の時間より少し遅れてシルヴィはやって来た。疲労による憔悴が見られるものの、優美さを損なわぬ佇まいを維持している。

「少し歩こうか」

 そう言って、シルヴィはリーナを散策に誘った。

 リーナは逆らわない。ただ僅かに横顔を見上げながら、並んで庭園を歩いた。


「君が……いや、もういいな。お前が素直に王宮に来るとはな」

「あら、何を仰るの。王子殿下のお招きを断れるはずがなくてよ」

 シルヴィが言葉遣いを崩したのを受けて、リーナも素に戻って揶揄する。

 今更ながらに思い返せば、声音や体格はおろか、気配さえよく知った銀狼のものだ。外見だけで別人と誤認した己の先入観が恐ろしい。

「私の正体を知ってなお、遠慮するような女ではないだろう、お前は」

「酷い言い草ね」

 リーナは横目でシルヴィを睨めつける。

「そういえば貴方、いつから私の素性を知っていたのかしら?」


 訊かれて、シルヴィは少し考える仕草をした。

「どうかな。わりと最近だ。出会った当初は私よりも歳上の、もっと年嵩の女だと思っていたからな」

「あらそう。まったく、ずっとそう思っていれば良かったのに」

「残念ながらな。以前……アリアベル嬢の婚約破棄事件が起きたときに、騒ぎを未然に防げなかったことを悔いて、この際だから学院の生徒を掌握しようと一通り調査した」

「それで私に不審を抱いたと?」

「きっかけはそうだが」


「尤も……伯爵家に引き取られる以前のお前の素性を知ったのは、もっと最近だ」

 シルヴィの碧眼が意味ありげに眇められる。

 覚悟していたにも拘らず、リーナの表情は大きく揺らいだ。

「そう」

 一呼吸置くと、リーナはわざと話題を逸らすべく顔を背けた。

「そういえば……」


「あれから、騒動に関わった方々の処置は無事済んだようね」

「……まあ、この先カンパネルを頼れないのは負担が大きいが、致し方ない」

「ブライド子爵は……本当はどうにかして貴方に王位に就いて貰いたかったのではなくて?」

「かもしれんが、容認はできまいよ」

 身近な者に対して情が薄い訳でもないのだろう。シルヴィは疲れたように深く息を吐く。

「私にその気がなかったことを度外視しても、偽って他者を陥れ操ろうとする人間は、信頼に値しない。我々のよく知るところだろう」

「職業病というのも嫌なものね」

「まったくだ」

 シルヴィは僅かに苦笑した。


「しかし優秀な人間を喪うのは惜しいものだ。ライトニア伯爵も健やかであれば、国政に貢献できたろうに」

「ご病気は真実?」

「さあ。叔父上が言ったのだから、それ以上も以下もない」

「ああ、そうね……」

 リーナは探るようにさり気なく問いを続ける。


「第一王子の……フレディ殿下は?」


 シルヴィの歩が止まった。

 リーナも合わせて立ち止まり、ゆっくりとシルヴィを見る。

 碧眼にはやや迷いの色があった。

 やがて、意を決したように、シルヴィが重い口を開く。 

 

「今日ここに来たのは、そのためか」

「何の……ためだと?」

「復讐――」


「育ての親であるゼロアッシュ・テロルの復讐のために、フレディ兄上を殺しに来たか」



「……ええ、そうよ」



 押し殺せぬ殺気を溢れさせ、冷酷そのものの眼差しで、リーナはシルヴィを――否、この王宮のどこかにいるであろう憎い敵の幻影を見る。

 どうやらその話をする目的で、シルヴィは周囲に聞かれないようリーナを散歩に誘ったらしい。

「どこまでご存知?」

「お前の実母とゼロアッシュという男は、古い移民の末裔だった」

 シルヴィは異国の血が混じるリーナの顔立ちを、横から覗くように見遣る。

「移民が訪れたのはもう歴史になるような昔で、今は王国の原住民と混血が進み、殆ど知られてはいない。遥か北方の山脈地帯から来た彼らは、青みがかった稀な髪色と白い肌……そして、その風習から古くは『天使』の一族とも呼ばれていた」

「正直に、忌むべき風習と仰ってもよくてよ」

 リーナの口元は僅かにも緩まない。常には見られぬ余裕のなさの表れだった。


「貴方は執行課の仕事で、何度も私の『腸喰らい』を目にしているもの。『天使』の風習に辿り着くのはさほど難儀ではなかったでしょうね」

「罪人の内臓を山脈の祭壇に捧げ、猛禽類に啄ませる宗教的儀式だったな。出身地の文化というだけで、別に忌まわしくも呪わしくもない」

「まあ学問的にはその通りよ。その過程で供物である内臓を傷つけずに腹を捌く技術が発展しただけで、厳密に言えば暗殺術とも異なる」

 リーナは緩く頭を振った。

「もちろん外から見たら、恐怖の対象には違いないでしょうけれど」

「畏怖かもしれんな。『天使』の起源……伝承が生まれたのは、我が国ではなく北方という説もある」

「どうなのかしら」


「兎も角……その移民の血に連なる者は国内ではほぼ皆無よ。母は自分の出自を知ってはいたけれど、特に意識してはいなかった」

 リーナと実母が市井で貧しく暮らしていた頃、ゼロアッシュはどこからともなく現れた。母の青みを帯びた珍しい髪と顔立ちから、自分と同じ血の末裔と察したのだろう。

 母の自覚は薄かったが、ゼロアッシュはリーナ母子を身内と認識した。何くれとなく構い、世話を焼き、貧しい母子に支援を続け……やがて家族として生活を共にするようになる。


 リーナの母が病に斃れ亡くなった後も、ゼロアッシュはひとり遺された娘を守り通した。

 彼はリーナに生きていく術を――プロの回収屋としての技術を教えてくれた。

 そう、自分が育てる限り裏社会以外に生きる道はないと知りつつ、ゼロアッシュは幼いリーナを鍛え上げた。一族に伝わる「腸喰らい」を始め、数々の魔法や暗殺技術を叩き込んだのだ。

 すべては母を亡くした小さな少女を、どうにかして生かすためだった。


「かつての移民は、知らぬ土地で忌避され迫害されながらも、お互いを守り合い、肩を寄せ合って生きてきた」

 生前にゼロアッシュから聞かされた血族の歴史を、リーナは遠い目で思い出す。

「その中で培われた想いがある。私たちは身内を守るためなら容赦しない。もし家族が害されることがあれば、地の果てまで敵を追う。相手の破滅を見るまで逃しはしない。そう誓約する」

「復讐は血に染み付いた行為か」

「ええ」

 リーナは大きく頷いた。

「彼は……」


「たったひとりの家族だから」


 かつての彼の口癖をリーナは自ら呟く。

 裏社会で孤独に生きた男が何を考えていたのか、すべては理解できない。ただ、男が最後に辿り着いた巣が、リーナ母子の元だった。

 彼はリーナの家族だった。だから、リーナは今でもゼロアッシュをこう呼ぶ。


「おとうさん」






 口の中で呟いたきりただ立ち尽くすリーナの肩を、シルヴィは柔らかい動きで抱き締めた。

復讐それがお前に必要なら」

 内に潜む遺恨ごと腕に包まれ、リーナは驚いて言葉を呑んだ。

「私は邪魔をしない」

 シルヴィは囁くように誘惑する。

「むしろ協力してもいい」

「……何を」

「お前は奪われた生命(もの)と同等の代価を取り立てるだけだ」


 優雅な王子らしからぬ笑みは、残忍な取立人のそれだった。普段は仮面で隠れて見えないが、リーナはよく知っている。

「どうして」

「どの道、フレディ兄上はやり過ぎた。今はまだ叔父上が目を光らせているから大人しくしているが、またいつか何事かやらかすだろう。残念なことに父上は……亡き前妃の忘れ形見である兄上を処断できないでいる」


「取引だ、リーナ」


「いつかお前は言ったな? 条件次第で取引に応じてもいいと」

「ええ……」

 求婚直後の会話を思い出し、リーナは軽く頷く。

「貴方が私の復讐に荷担するとして」

 抱き締められたまま視線だけを動かし、リーナは上目遣いに尋ねた。

「見返りに何を求めると?」

「それは当然、あのときと変わらない。なあ、シャルアリーナ・レイン」


「お前が私の花嫁となること――それが条件だ」

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