34.薔薇園に佇む 9
さて、王弟ハミルは粗々の状況を察すると、事態を最小限の混乱で収めるべく執行課を動かした。
騒動を起こさんとする自称「第三王子派」の貴族子弟を特定し、まさに夜会の当日、当主或いは直系に近い血筋の者に対する債権――以前ウィズ一家から買い取り、寝かせていたもの――を理由に該当する貴族家に手を入れたのだ。
無論、平時であればこのような司法省の暴挙は許されない。だが、騒ぎが起こってから表立って検挙するような事態に陥れば、場合によっては複数の貴族家の存亡に関わる。
取立人が家に現れた――。
その一事だけで、夜会に参加していた貴族の一部は、家の大事に対処するため帰宅を余儀なくされた。親に連れて来られたか、或いは無理矢理ついてきた子弟たちも同様である。
執行課が関わる以上、少なからず対象の家に損害を与えるが、下手をすれば叛逆罪に問われるよりましであろう。息子が軽々しく扇動に踊らされた罰と思って甘受してもらうしかない。
また、王弟としては、いずれ第一王子が処断されたときに備えて、第二王子派の勢力が大きくなり過ぎないよう抑制の意図もあったのかもしれない。
夜会の会場たる宮殿では、さすがに途中退出の数が多過ぎると不審の声が上がったが、主催である王家が黙認しているのだからと、それ以上の追及はならずに済んだようだ。
+ + +
「カンパネル、お前の企みは潰えた」
告げる声音には、裏切りによる悲しみも落胆も含まれなかった。
「お前とライトニア伯爵の筋書き、なかなか凝った趣向だった」
「認めるのは業腹ではございますが……」
本当に何も知らされていなかったらしいアリアベルは、真剣に尋ねる。
「やはり父が、ライトニア伯爵が関わっていたのですか。恐れ多くも王子殿下を陥れるような企みに」
「フレディ兄上の動向を注視していた叔父上の調べによれば、ほぼ間違いない。また、カンパネルとライトニア伯爵は、万一の際はフレディ兄上を見捨てても良いようにも裏で画策をしていた」
「万一?」
「仮に……手遅れと悟った私が、身を守るため両兄上を潰しにかかる行動に出たとしたら?」
シルヴィの性格や行動力をよく知るカンパネルは、その可能性も考慮に入れていただろう。彼の主君は手を拱いて傍観しているだけの人物ではない。反撃に転じれば、一足飛びに王太子の地位を奪い取るかもしれない。
「カンパネルは時勢が変わったときに備え、貴女と私の縁談が完全に立ち消えにならぬよう、各所で調整していたようだ」
「あら?」
やや意外そうにリーナが口を挟む。
「そうでしたの。だとしたら子爵の本命はやはり」
シルヴィはそれには答えず、余計なことは言うなとばかりに、目の端でリーナを流し見た。
動揺からアリアベルは蒼白となり、ぶるりと肩を震わせる。
「そんな……縁談など、父はわたくしには、断ったとしか」
「貴女は曲がったことを好まない。ライトニア伯爵もすべてを話すのは躊躇したのだろう」
慰めにもならぬ言葉をかけられ、アリアベルは項垂れる。
「王弟殿下がお調べになられたのでしたら、確かなのでしょう」
「ライトニア伯爵がどう出ようと、叔父上が何とでも説得するはずだ」
「フレディ兄上も同様だ」
シルヴィはカンパネルに向けていた剣を、一時的に退いた。
「だが――お前だけは私の手で裁かねばならない」
「殿下……」
拘束による麻痺が解けたカンパネルが漸く立ち上がる。
「お前のことだ、得物を隠し持っているだろう?」
不敵に笑うシルヴィの口元には、愉悦さえも浮かんだ。
「抜くがいい。騎士として面目を立たせてやる」
「……!」
思いがけない命令に瞠目しながらも、カンパネルは迷わず一瞬の動作で懐剣を取り出した。
「ブライド子爵!?」
「嘘……本気で?」
蒼白になったアリアベルが叫ぶのを待たず、カンパネルは決死の形相でシルヴィの間合いに踏み込む。ルルティエも唖然として言葉を呑んだ。
ひとりリーナだけは冷静に場を見守っている。
決着など、どう考えても判り切っていた。
カンパネルの動きは俊敏だったが、上回る速さでシルヴィが攻撃を躱し、剣の峰で一撃を入れる。
「くッ!!」
「王の薔薇を血に染める訳にはいかないからな」
騎士科の学生としても、実戦経験からも、シルヴィの実力はカンパネルを凌駕している。カンパネルも優秀な男だが、真正面から対峙すれば差は歴然である。更に剣自体の不利もある。勝ち目があるとは思えなかった。
案の定、シルヴィの剣先は易々とカンパネルの喉元に届いた。ほんの僅か掠るように肌を撫でる。一滴の血が地に落ちた。
「――ッッ!!」
数秒も経たぬ内にカンパネルの表情が苦悶に満ち、そのまま倒れ伏す。身体は痙攣し、口角から泡が噴き出ていた。明らかに異状である。
「な、何が?」
「毒ね」
悪趣味だこと、とリーナは呆れた声で呟く。
「魔法剣ですもの。剣に神経毒を仕込ませる程度、造作もないでしょう。しかも致死量ではない」
「当たり前だ。死なれては1ネイにもならん」
やや粗雑な物言いで、シルヴィは首肯する。
「後遺症くらいは残るかもしれんが」
「さて、カンパネル」
聞こえていないであろう耳元に向けて、シルヴィは呼び掛けた。
「治療師を呼んでやろう。もちろんそれなりの代価は支払ってもらう」
「ああ、なるほど? 調停課で書類作りが必要ね」
「私を騙り貴族子弟に混乱を招いた賠償、刺客が学院の施設を破壊した損害金および授業閉鎖期間の損失補填、ああ、私のみならず令嬢に対して危害を加えている以上、当然伯爵家からも慰謝料を請求できるな。……後は何だ? 侍従としての勤務時間中に私事にかまけていた職務怠慢も入れるか?」
「子爵家の資産が吹き飛ぶ以上の負債になるでしょうね」
王子ではなく取立人らしい解決に、リーナも納得する。表沙汰にせず罰を与えるには相応しい方法かもしれない。
「不足の分は働いてもらうしかないな。幸い、叔父上のつてで、いい遠洋船を紹介できる。50年くらいかければ完済できる範囲で勘弁してやるから、安心するがいい。幼少からの長きに渡る王家への忠勤に、多少は報いよう」
「うわ、えげつなー……」
思わずルルティエが漏らす。自分自身を顧みて、まだ幸運な立場だったと胸を撫で下ろした。彼の鬼畜仕様は王族故かか取立人だからなのか。執行を受けた過去を思い出し、ルルティエはぞっとする。
「いいえ、むしろご慈悲ですわ」
アリアベルは真逆の感想を述べた。
「王族に、それも長年仕えた主君に剣を向けるなど、爵位剥奪のうえ斬首で然るべきです。強制労働で済ませるなど、何とお優しい」
「えー? 絶対違うと思いますけど」
短くとも執行係側で働いていたルルティエには、アリアベルの評は純粋に過ぎるように感じられた。良くも悪くも彼女は誇り高く穢れのない貴族令嬢なのだろう。
「シルヴィ殿下」
恭しく、それでいて毅然とした態度で、アリアベルはシルヴィの前に進み出た。
「殿下……父の咎は」
「アリアベル嬢、それは貴女の罪ではない」
シルヴィは剣を鞘に納めながら、アリアベルに応える。
「ただ、叔父上がどう話をつけるかわからないが、ライトニア伯爵家が無傷とはいかないだろう。貴族として同じ暮らしが保証されるとは限らない。覚悟は決めておくよう」
「……御意に」
アリアベルは淑女の礼で深く頭を下げた。
気がつけば、夜は大分更けていた。
冷たい夜風が薔薇園を駆け巡る。
裏切りの象徴たる黄色い薔薇は、人の愚かな営みにも揺れず、損なわれることなく美しく咲き誇っていた。
「そういえば、赤薔薇を見損ねたわ」
本心から残念そうに、リーナはぽつりと小さく言い零した。
<薔薇園に佇む~了>
次話より「終幕」
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至らぬ点は多々ございますが、残りあと3話
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