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32.薔薇園に佇む 7

 事の起こりはおそらく5年以上前、後ろ盾の弱い第一王子フレディが、次期王位継承争いに於いて、ライバルである第二王子セルティより優位な立場を得るべく画策したことだろう。(この時点では第三王子シルヴィはまだ子どもで、政敵とは見做されていなかった。)

 

 第一王子は金と力を求め、極めて容易な手段を選んだ。ウィズ一家をはじめとする裏社会の組織と関わり、貴族社会への足掛かりを与えてしまったのである。

 結果、貴族たちの風紀は乱れた。派閥に拘わらず賭博や違法取引等に手を出す者が増加し、借財を負う者も続出した。

 その後、事態に危機感を覚えた王弟ハミルの介入により、非合法組織は分裂の憂き目を見る。さすがに司法省の圧力には及び腰になる側と、甘い汁を吸うのに慣れた側で、ウィズ一家は意見が割れた。


 なお、内部争いに辟易して足抜けをはかったゼロアッシュ・テロルという組織の回収屋が、この時期に殺されている。

 組織内の粛清と言うより、裏切り者を許さない第一王子側からの見せしめだったらしい。


 しかし、相当の抵抗を見せたゼロアッシュの反撃により、第一王子陣営は手練れの兵を多く失った。王弟がその隙を見逃すはずがなかった。

 最終的にウィズ一家の内部から、第一王子と繋がる者は排除された。裏社会の混乱が治世に与える影響が懸念されたため、組織自体は生き残ったが、王権への関わりは閉ざされる。


 第一王子は罰せられこそしなかったものの、父王から王太子に相応しくないと見做され、次期王位への道はますます遠退いた。

 深く恨みを抱いた第一王子は、意趣返しとばかりに王弟に対し暗殺者を差し向けるようになった。

 無論、その殆どが王弟自身の手で返り討ちにあっている。一方で、偶然に出くわしたシャルアリーナ・レインが暗殺者を退けなければ、かなり危うい状況に陥ったこともあった。



 これらの経緯をリーナが知ったのは、つい先日である。学院への襲撃があった日、シルヴィと二人でハミルを問い詰めたのだ。

 案の定というべきか、ハミルは事情の殆どを把握していた。

 過去に遺恨を残す者としては、第一王子陣営が再び画策するのも、ある程度予想の範疇だったのだろう。第二王子に次いで邪魔となってきた第三王子が表舞台に現れる前――即ち学院の在学中に何らか動きがある。ハミルは推測していた。

 次期王位に固執して偏狭となった第一王子は、自分に敵対するだけでなく、弟王子らに何らかの工作を試みるだろう。


「あれは凡庸と思われているが……確かに際立って優秀とは言えないが、決して内面は大人しい人柄ではないんだねぇ。第二王子のセルティの気性が激しいから、比較して目立たないだけで」

 ハミルは第一王子フレディをそう評した。

「むしろ長子であることの自負と自尊心が強くて、厄介だよ」


 何度も刺客を送られ手を焼いていたにも拘らず、兄王の手前、表立っては直截的な反撃に踏み切れなかったハミルは、シルヴィの報告を受けて行幸とばかりに対処を決めた。

 それは、国を割ることなく出来得る限り穏便に、第一王子の手駒を無力化し、計略を阻止することだった。



 + + +



「貴女のお父上、ライトニア伯爵は、表向きは中立に見せていますが、密かに第一王子殿下に仕えていらっしゃる」

 リーナはアリアベルに問うたのではない。ただの確認だった。

「……父は」

 性根が真っ直ぐで、偽証には向いていないアリアベルは、家の利害との板挟みで狼狽えた。

「父は……その、確かに仰られたように、常々ご長男であらせられるフレディ殿下こそ、王太子たるべきと申しておりました。イブリス様にも、ガンダイル侯爵閣下にもそのように話していたところを見たこともございます。でも、ただの世間話ですわ。皆様からご覧になれば、保守的な考えかもしれませんが……」

「尤もでしょう。余程でない限り、お亡くなりなったとはいえ正式な王妃のお子である第一王子殿下が、未だ立太子されないなどあり得ません」


 暗に第一王子に瑕疵があるのではないかという批難を含んだ物言いだった。アリアベルは自国の王子に対する不敬を受け入れられず、眉間に深く皺を寄せる。

 リーナは気にも留めず続けた。

「ライトニア伯爵はフレディ殿下の影の参謀的存在、といったところかしら」

「憶測に過ぎません。何故わざわざ立場を偽る必要があると?」

「さあ。保身のためか、裏工作のためでしょう。何しろ表立っては現王妃陛下のみならず、王弟殿下まで敵に回すことになる」


 国政に於いてそれなりの職責を負う高位貴族であれば、王弟の内実の怖さを知っているはずだ。ライトニア伯爵は時勢が決まるまで、水面下で暗躍するつもりだったのだろう。

「ハミル殿下が最初に不審に思われたのは、シルヴィ殿下と貴女……アリアベル様のご縁談が持ち上がったときだそうです」 

「わたくしの? それは父が」

「そうですね、ご辞退なされた。婚約破棄されたような娘が王族に嫁ぐなど不敬であると。なるほど言い分は理解できます。ただ、ハミル殿下は不自然さを感じた」


 婚約破棄と言っても相手側の不貞が原因で、令嬢は有責ではない。

 期せずして空いた席に将来を約束された輝かしい人物が座るのであれば、大抵の貴族にとっては願ってもないことだ。

 中立派であれば、王位継承から距離置く第三王子との縁組は、進んで断る理由はないだろう。

 況してや学業優秀、眉目秀麗、才媛として知られるアリアベルならば、シルヴィと並んでも見劣りせず、周囲も認めざるを得ない。


「買い被りですわ。わたくしなどがシルヴィ殿下に嫁ぐなど恐れ多い。現に殿下は貴女に求婚なさったではないですか」

「あらあら」

 自身の求婚話を挙げられて、リーナは曖昧に苦笑した。

 実際ところ、シルヴィの行動は多分に打算的なもので、ライトニア家でなくとも面倒な縁談を持ち込まれて困っていただけだったと思われるのだが、本題には関係ないためそこまでは説明しない。

「兎も角、ハミル殿下はライトニア伯爵の動向に違和感を感じ、調査された。そして今、直接お話をつけられています」


 アリアベルはぎくりと身体を強張らせる。

 自分が現在この場にいる……この場に連れて来られた意図に気がついたのだ。

「……まさか」

「ええ。貴女は人質です、アリアベル様」

 重い配役を告げているはずのリーナの声は、軽薄に響くほど淡々としていた。

「お察しの通り、ルルティエ様にお願いをして、貴女をここまで連れ出していただきました。お父上への牽制のために」

 どこまで効果があるかわかりませんが、とリーナは娘にとって残酷な事実を容赦なく述べた。

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