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31.薔薇園に佇む 6

 執行係の黒羊ことシャルアリーナ・レインは本性を隠そうともせず、カンパネル・ブライドの正面に佇む。

 アリアベル・ライトニアは眼前で起こった出来事が信じられず、拘束されている訳でもないのに身動きを取れないでいた。ルルティエ・ディーバは特別強い関心は抱いておらぬようで、すでに少し距離を取って成り行きを見守っている。

 しばし無言の睨み合いのようになった場には、更に新たな人物が参入した。


 現れたのは第三王子シルヴィ・クロゥディル・サビ――おそらくは事態の原因と顛末を知り、混乱を収拾できる唯一の者だった。






 悠然と、ただ散策のついでのような歩み方で近づいてきたシルヴィは、不自然に立ち尽くす側近の名を呼ぶ。

「カンパネル」

「……殿下」

「すまないな。待たせてしまったか?」

 常と変わらぬ笑顔は一欠片の害意も悪意も感じさせない。香り立つ薔薇を背に歩く姿は、漂う緊張感をも消し飛ばした。

「まったく随分と奥の方まで」

 シルヴィは呆れたように肩を竦める。

「それで、どんなお遊びかな?」


「殿下……これは」

 魔法で縛られたままのカンパネルは、ほんの僅かに首と口だけを動かす。

「私は、何も」

「遅くてよ、銀狼」

 

「貴方にしては手間取ったのではなくて?」

 必死の形相のカンパネルを無視して、リーナがシルヴィに話し掛ける。目上に向けるには砕け過ぎた口調だった。

「さすがに普段と勝手が違うかしら」

「ああ、数が多かったからな。思ったより手配に時間がかかった」

「殿……下?」

 何の躊躇いもなくリーナに応え、同等の立場で会話するシルヴィに、カンパネルは違和感を抱く。

 幼い頃から共にいる主君……華やかで社交的な人柄が謳われながら、理性的であり、冷徹さを兼ね備えている。王侯に相応しい品位と輝かしい容姿は、まさにこの庭園の薔薇のごとき高貴と言えた。


 今そこに、カンパネルの全く知らぬ要素が加わっている。

 ただ芳しく在るだけの花とは異なる、射殺さんばかりの鋭利と残虐が、シルヴィの碧眼の奥に揺らめく。仄暗い闇を主君の双眸に見出だして、カンパネルの頬に汗が伝った。

「殿下……貴方、は」

「悪いな、カンパネル」

 シルヴィは腕を胸の高さに上げ、手の甲の紋章を見せつける。

「執行課だ」

「……!」


「すまんな、黙っていて」

「まさか……」

「現在、一部の貴族家では執行課への対応に追われ、帰宅を余儀なくされている。『第三王子派』などと嘯いている学生たちも、残念ながら今は夜会どころではないはずだ」

 淡々と告げるシルヴィの口端は優美な笑みを描くが、眼光は冷ややかにカンパネルを刺す。

 シルヴィはとどめとばかりに続けた。

「つまらん児戯を催せず、落胆したか?」

「……どこまで」

「知っているか、か? 学院内に不穏な派閥があると判明した時点で、お前の関与は明らかだったからな。調べればすぐわかったさ」

 さして面白くもなさそうに、シルヴィは答えた。

「この夜会で、くだらない騒ぎを起こそうとしていたことも」



 突然繰り広げられる主従の対立に、アリアベルは事態を把握できず、取り残された状態で呆然としていた。

 第三王子が執行係だった事実も驚愕に値するが、学院での印象とかけ離れた、冷酷にすら思える表情に寒気を覚える。同じ執行係である黒羊――シャルアリーナ・レインと似た種類のものだ。

 見据えられたカンパネルも、気心の知れた近しい間柄であるはずの主君に怯んでいる。

 カンパネルが何を仕出かしたのか、或いはどんな騒動を起こそうとしていたのか、アリアベルには想像もできない。ただ致命的な裏切りがあり、それに勘づいたシルヴィが食い止めるべく動いたのだろうことだけはわかった。


「アリアベル様」

「……シャルアリーナ、様?」

 名を呼ばれて、アリアベルは動揺する。

 リーナは平然と魔法を行使しながら、アリアベルの蒼褪めた顔を覗き込んだ。

「アリアベル様は、ご存知なかったのでしょうね」

「何……を?」

「イブリス・ガンダイル様、彼が第三王子派を標榜していたことは?」

「まさか!」


「ガンダイル侯爵家は第二王子セルティ殿下を推していたはず。王妃様とはご親戚で……王妃様は以前からセルティ殿下の立太子をお望みだと、皆存じております」

 元婚約者について、アリアベルは表面的にしか知らなかった。所詮は周囲に定められた関係であれば無理もない。

「イブリス様がシルヴィ殿下の……。まさか殿下は、その」

「殿下ご自身は、派閥の勧誘などなさった覚えはないそうですわ。イブリス様はもちろん、学院の他の生徒にも」

「で、では……」

 兄王子たちの勢力を取り込み次期王位を狙っているのかと、アリアベルは当然の疑惑を抱いたが、リーナははっきりと否定する。

「すべて第三王子の名を使い、ブライド子爵が画策したことです」


 リーナの言葉にカンパネルは目を泳がせた。

 事実なのだとアリアベルは理解する。

 当人にその気がなくとも、周囲が逸って先走る例はある。腹心の部下を御せなかったシルヴィが、勝手をしたカンパネルを罰しているのか。否、眼前の光景はそんな単純には思えない。

「ブライド子爵は……いったい何をなさろうと」

「子どもの遊びですよ」

 蔑むようにカンパネルを一瞥すると、リーナはアリアベルに尋ねた。


「ライトニア伯爵家は特に派閥には属しておりませんね?」

「え……はい。ええ」

「嘘仰い」

 アリアベルの拙い虚言を、リーナは一瞬で見破り一刀に切り捨てる。

「イブリス様と婚約されたのは、あわよくばガンダイル家を自陣に引き入れるためだったでしょう?」

 見透かす瞳がアリアベルを捉える。暗い漆黒の闇に呑み込まれそうになり、アリアベルは僅かに後ずさる。

「王妃様の親戚筋とはいえ、そこまで近しくもない。保守的なガンダイル侯爵であれば与し易いと思ったのでしょうが」

「何の……話を」

「けれど叶わなかった。たとえイブリス様の不貞が明らかにならずとも、いずれ婚約は破棄されたでしょうね」


「タイミング良くイブリス様が馬鹿をやり、アリアベル様は賠償金の請求権を得た。取り込めないのであれば政敵です。まあ、ここぞとばかりに弱体化を狙って攻めるのは合理的です」

 よもや執行課すら活用するのだからなかなかの手際だ、とリーナは本気で感心して言う。

「ですから、いったい何を」

「……ライトニア伯爵」


「つまり貴女のお父様のお話ですよ」 

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