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30.薔薇園に佇む 5

「そろそろ参りましょう、シャルアリーナ様、ルルティエ様も」

「私はまだ薔薇を見ていたいですわ、カンパネル様。駄目ですか?」

 ルルティエが空気を読まず、否、読んだうえで敢えてカンパネルを引き留める。

「こんなに綺麗なのですもの」

「……しかし」

 カンパネルは助け船を求めてリーナを見遣る。

「どうでしょう」


「シルヴィ殿下も我々を探して、いずれこちらにいらっしゃると思いますよ。今戻ると入れ違いになるのでは?」

「そうかもしれませんが……」

 リーナにまで言われ、カンパネルは困ったように夜会会場を振り返った。

 やや距離のある宮殿は、この位置からはっきりとは視認できない。ちかちか舞う灯りの群れが、ぼんやりと建物を光らせている。


「あの……」

 同じく宮殿に目を向けたアリアベルが、ふと何かに気づいて疑念を口にする。

「何か、騒がしくはありませんか?」

「そう言えば……」

 本当に遠目にではあるが、人の出入りのような騒がしさを感じ、カンパネルは動揺する。場合によっては令嬢の相手などどしていられないのだろう。

「何かあったのやもしれません。至急確認して参ります。シャルアリーナ様、御前を失礼……」

「駄目ですよ?」


 微笑みながら制したのはルルティエだった。大人しいと思っていた令嬢の強い意思を見て、カンパネルははっとする。

 もはや手遅れと言えた。

 片手を緩く触れられ、カンパネルは嘆息する。

「お放しください、ルルティエ様。今は薔薇どころでは」

「王の薔薇に対してあんまりな仰りよう」

「そういう訳では……いい加減に」


 ルルティエの手を強引に振り払おうとしたカンパネルだが、残念ながらそれは叶わなかった。

 掴む指の力が思いのほか強かったのもある。さすがに細身の少女に対し乱暴を働く訳にはいかなかったのもある。爵位ある貴族として、また騎士科に所属する学生として、カンパネルは女性を無下に扱うことはできない。

 理解したうえで、ルルティエはカンパネルの腕を抑えた。

 アリアベルは無礼な態度に眉をしかめ、ルルティエを咎めようと向き直す。

 口を開きかけた瞬間、遮るように横からよく通る声が響いた。



「宣告します――」



「……え?」

 驚いて、アリアベルは声の主を見た。


 紅い唇が笑う。 

 黒いドレスを纏う凄絶な立ち姿が視界に触れた。


 ……見憶えがある。

 アリアベル自身は執行係の取立行為を目の当たりにした訳ではない。たった一度調停局の応接室で面談をしただけだ。

 だが、その存在感を忘れ得るはずがなかった。

「あ、貴女はまさか」


「宣告します。ウィズ・ウィロー商会から譲り受けた故カシオ・ブライド前子爵への債権に基づき、執行課は相続人カンパネル・ブライドに対して強制調査権を履行します」






「シャルアリーナ様?」

「貴女は……まさか」

 何を言われたか理解できないカンパネルと、疑惑を口にするアリアベルを両方とも無視して、リーナは淡々と告げる。

「強制調査権を履行するにあたり、調査対象者から行動の自由を剥奪します」

「な……」

 リーナの宣告が終わると同時に、強い力で魔法が発動された。

 カンパネルの身体は不可視の牢獄に捉えられた。一歩進むだけの足の歩みすら封じられ、身動きが叶わなくなる。ルルティエの腕もいつの間にか離れていた。


 唯一自由になるのは言葉のみだ。カンパネルは声を荒げて問うた。

「どういうことです!? 強制調査!?」

「シャルアリーナ様……貴女が、あの」

 アリアベルの疑問に、リーナはまったく向き合わない。

 もはや単なる伯爵令嬢ではなく、職務を遂行する執行係――黒羊の顔で、残忍に微笑む。

「申し遅れました。司法省調停局の者です」

 リーナの手の甲には司法省の紋印が浮かび上がり、月光を受けて輝いた。


「執行課です」

「取立人……」


 呟いた後、カンパネルが息を呑む。

 第三王子の側近として中央官庁に顔が利く彼でも、司法省の独立実行部隊に関わったことはなかった。無論、社会常識としてその職務と権限、そして実力は知っている。

「執行課……? 貴女が?」

 まさか、目の前の令嬢が……シルヴィ王子が見初め伴侶にと望む相手が、謎に包まれた取立人だというのか。信じ難い面持ちで、カンパネルは愕然と立ち尽くす。

 同時に、ずっと燻っていた疑念にある種の回答が得られる。

 シルヴィが何故突然に彼女を選んだのか、魔法科でもない令嬢が巧みに魔法を操れるのか、そして王子は何を知っていたのか。カンパネルが関与しない世界の裏側で、いつのまにか二人は出会っていたのだろう。


「いや……しかし何故、私を……。父の、負債と仰られましたが」

「こういうやり方は、本当は私も好まないのですけれど」

 リーナは意地悪く微笑んだまま答える。

「ただの方便ですわ」

「?」

「実は私も先日初めて聞いたのですよ。5年程前、王弟殿下がウィズ一家という裏社会の組織にちょっかいをかけられて、手打ちにしたことがありまして」

 説明口調にはあからさまに、上司に対する恨みがましい感情が乗っている。

「ご存知かもしれませんが、あの方はまったく質の悪い方なのです」

 王弟の名を出され、カンパネルはやや怯んだ。

「ハミル殿下……が?」

「ええ。そのとき彼らが握っていた債権について、わざわざ調停局を介入させて、執行課が殆どタダ同然で買い取ったのだそうです。主に貴族に対するものを」


 何のために、とカンパネルが訊くまでもなくリーナは続けた。

「つまり……不測の事態に際して貴族たちをすぐ牽制できるよう、敢えて弱みを手に入れ、使わずに隠し持っていたということですよ」


 そう、現在のこの状況のように。

 リーナは猛禽類を思わせる視線を逸らさず、言外に告げた。

【蛇足的設定補足】

時効とか自己破産とか相続放棄のない世界

その代わり法定利息がかなり低い

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