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28.薔薇園に佇む 3

「薔薇園に佇む……」


 咲き誇る薔薇を前にして、リーナは詩を口ずさんだ。時の王を称える有名な古詩で、学院の生徒であれば基礎課程の段階で諳んじる。

 陳腐だとは思うが、他の言葉は浮かばなかった。夥しい数の薔薇が、随所に燈された魔法炎の灯と白銀の月に照れされている。圧倒的な美しさを前にして、相応しい表現は少なかろう。



 さて、リーナは現在ひとりで王の薔薇園にいる。

 正確には夜会を抜け薔薇を観賞する者は皆無ではないが、庭園は広く人は疎らのため、周辺を見渡しても個人が特定できる程近い位置に他者は確認できない。

 先刻「血のごとき真紅」の薔薇を見に行くと告げた言に従い、夜風に当たるついでに庭に出ようとした二人だが、何用かあってシルヴィは途中で王弟に呼び出されてしまった。待つように言われたものの、リーナは退屈を紛らわすため自ら薔薇園を散策している。

 庭を出て暫くは、純白の薔薇が辺り一面を支配していた。

 夜露が月の光を受けて、益々清廉さが浮き立つようだ。息を呑む程の華麗、或いは荘厳――これこそが高貴と言うのだろう。


「……高貴が香る、美しき薔薇の園」

「君臨する者が相応しい――ですか」


「古典ですが、まさしく……といった風情ですね」

 リーナの詠唱に被さる声があった。

 もちろん、気まぐれに歩く自分の後を追う人物には気づいていた。振り返る必要もなく相手の素性を知り、特に不審でもなかったため、声を掛けられるまで放置していた迄だ。

「……ブライド子爵」

「何故おひとりで? シルヴィ殿下は……如何しました?」

「ハミル殿下がお呼びでしたので」


 特にどうということもなくリーナは答え、逆に質問する。

「子爵閣下こそ、お連れの方は?」

 シルヴィ王子の側近カンパネル・ブライドは、命じられてルルティエ・ディーバのエスコートをしていたはずだ。先程ダンスをしていたところも確認している。

 リーナが尋ねると、カンパネルは少し困った表情で口ごもった。

「いやあ……それが……」

「? 何かございました?」

「いえ……」

 言いにくそうにするカンパネルだが、辺りを見回すと、疲れた体で嘆息した。


「実は、見失ってしまいまして」

「あら」

「多分、薔薇園に行ったのだろうと探しておりました。それでシャルアリーナ様をお見かけしたので、お声掛けさせていただいた次第です」

 カンパネルは責任を感じているのか、酷く苦い笑みを見せた。普段は第三王子の影で印象が薄いが、どちらかというと表情豊かなタイプだと知り、リーナは意外に思う。


「ディーバ男爵令嬢はご存知ですか?」

「ええ……まあ」

「どこかで目撃されてなどは」

「おりません。夜会の会場でしか」

「そうですよね。いや、申し訳ございません」

「いいえ。さぞご心配でしょう」


 表面的な遣り取りをしながら、リーナは仕方がないと行動を決める。どの道シルヴィが戻るまで時間を潰すのは変わらない。

「子爵閣下」

 飽く迄も他人行儀な堅苦しさを取り払わないリーナに、カンパネルも礼儀だけを纏って接する。

「私ごときにそのような敬称は必要ございません。シャルアリーナ様」

「では、カンパネル様」


「何でしたら、ご一緒にお探ししましょうか?」

 リーナは親切というよりは気まぐれに提案する。

「ルルティエ様のお顔は存じております」

「……しかし」

「丁度退屈しておりましたから。殿下がいらっしゃいませんし」

 主君の手抜かりを責めると、カンパネルは即座に降参する。

「申し訳ない」

「いいえ、気にしてません」

「本当に殿下は……。貴女を長く放置するなど、まったく信じられませんよ。いったい何をなさってるんでしょう」


 気まずそうに渋面を作るカンパネルに、リーナは艶然と微笑んでみせた。

「案外……何かあったのかもしれませんね」



 + + +



 叔父である王弟ハミルに呼び出されたシルヴィは、騒めく夜会会場の人ごみの中にいた。王族に群がる多くの貴族たちをあしらいながら、ハミルは密かに甥に耳打ちする。

「そういう訳で、予定通り私も動こうか」

「……了解しました。叔父上の手を煩わせてしまって申し訳ない」

「ひとつ貸しだよ」

「叔父上に借りを作るのは恐ろしいですね。いつか請求される日に怯えなければいけない」

「別にそんなことで執行係を使ったりはしないけどねぇ」

 司法省のトップであり、執行課に対し直接の命令権を持つハミルは、冗談とも本気ともつかぬ口調でシルヴィを揶揄う。

「ぞっとしませんね」


「貸しついでにもうひとつ」

 ハミルは給仕から受け取った酒精の強い蒸留酒をほぼ一息に飲み干すと、勿体ぶって告げた。

「先程、監視の部下から報告があった。薔薇園の、西奥に向かったと」

「西……と言うと黄薔薇の」

 シルヴィの視線が外の庭園に向かう。

「黄薔薇の花言葉を知っているかい?」

 やや含みのある問い掛けに、シルヴィは無言で頷いた。

「そこを選ぶとはなかなか洒落ているとは思わないかい、シルヴィ?」


「どちらの趣味かは知らないがねぇ。楽しいお喋りとはいかないだろう」

 強い酒を呷りながらもまるで酔っていない様子で、ハミルは常の通りとても柔和に皮肉を言う。

「ルルティエ・ディーバはアリアベル・ライトニアと黄色い(不貞の)薔薇を鑑賞しているらしい」

【登場人物】

・シャルアリーナ・レイン…主人公。執行係

・シルヴィ・クロゥディル・サビ…第三王子

・ハミル・エルハディル・サビ…王弟

・ルルティエ・ディーバ…執行係見習い

・カンパネル・ブライド…第三王子の側近

・アリアベル・ライトニア…伯爵令嬢

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