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27.薔薇園に佇む 2

 黒いドレスには赤と銀糸で薔薇の刺繍が施されている。

 第三王子シルヴィから贈られたそれを身に纏ったリーナは、久々に侍女に身支度を任せながら人知れず吐息した。

 艶やかな黒髪は半分だけ結い上げられ、一部を見せつけるように垂らしている。幾つもの種類の真珠をあしらった髪飾りが、部屋の灯を受けて煌いた。

「お嬢様、首飾りは」

「真珠……と紅玉で」

 侍女に宝石の用意を頼むと、リーナは自ら唇に筆で紅を塗る。

 濃く深い真紅は、ただの伯爵令嬢が夜会で披露するには主張が強過ぎる。

 もうひとつの立場であれば別だろうが……。


 今宵はベールで顔を隠すことはできない。

 リーナは挑む視線で鏡の中の自分を見据えた。



 + + +



 薔薇の夜会は王宮の薔薇園にて催される。普段は立ち入れぬ王の庭が解放され、咲き誇る薔薇を愛でる機会が臣下にも与えられる。

 王家主催のため、参加者は皆、地位のある貴族ばかりだ。

 成人後は学生でも夜の宴に参加することはあるが、今回シャルアリーナ・レインは第三王子の婚約者候補として招待されている。

 レイン伯爵である実父に連れられ会場入りすると、待ち構えていた高位貴族の面々が驚愕と感嘆の声でざわついた。


 目立たず地味で、野にすら埋もれる花と揶揄されていたはずだが……到底そうは思えない。

 レイン伯爵令嬢シャルアリーナについて、前評判で先入観を抱いていた人々は、一様に面喰った表情をしている。

 妖しくも艶やかな黒を何の気負いもなく着こなし、色とりどりの花の中で存在感を際立たせながら歩く姿は、場にいる全員を圧倒していた。

 美人と称えられる程の顔立ちでもないのに、人々は――特に男たちは、化粧を施し着飾ったリーナに魅力を感じた。白磁の肌は滑らかで、切れ長の黒い瞳には強い光が宿る。紅すぎる唇に目を遣れば、隠微な誘惑に駆られた。


 好奇の視線を平然と無視すると、リーナは実父と共に国王への挨拶待ちの列に並ぶ。王の傍には、王妃、三人の王子、そして王弟が侍っていた。

 儀礼的に挨拶を済ますと、大広間の人ごみに戻る。声を掛けたそうに遠巻きにする男たちは多かったが、リーナは目もくれなかった。

 会場を見渡しても、他の貴族令嬢のような横の繋がりがないため、殆ど見知った顔はない。唯一、第三王子の側近カンパネル・ブライドと、彼にエスコートされたルルティエ・ディーバは確認できた。


「……あら」

 もうひとり、リーナが一方的に知る人物が図らずも視界に入る。

 ライトニア伯爵令嬢アリアベルだ。

 ある程度身分のある貴族家の子であれば、将来のために親に連れられて参加している学院の生徒もいる。彼女も父のライトニア伯爵と共に来ているのだろう。

 鮮やかな黄緑色のドレス姿のアリアベルは、かつて婚約者を奪ったルルティエを目にした途端、当然ながら戸惑う様子を見せた。






 音楽が奏でられ、ダンスが始まる。


「リーナ」

 立ち姿も優雅な第三王子シルヴィが、大勢の人を割ってリーナに近づいた。リーナのドレスと揃えたような銀と漆黒の礼服は、輝く金髪を更に煌びやかに印象付けている。

「シルヴィ様」

「ああ、やはり黒が似合う」

 シルヴィは素早くリーナの手に口づけると、隙あらば周囲に群がろうとする男たちを一瞥する。麗しい笑顔の中に滲ませた厳しい牽制を悟り、多くは引き下がって行った。


 レイン伯爵家のご令嬢が第三王子に見初められ、花嫁候補としては現在最有力である――それが半ば公の事実として、リーナの立場は段々と認められつつある。

 外堀を埋められた気がしてリーナは辟易とするが、成り行きでも行き掛かりでも回避できなかった己の責任はある。

 リーナは憂鬱を押し隠しつつ、ダンスに誘うシルヴィの手を取った。


「なかなかダンスも巧い。苦手だと思っていたよ」

「苦手です」

「貴族的なことは好まない?」

「かもしれません」

 ワルツのリズムに乗り、二人は滑らかに床を舞う。踊りながら互いにしか聞こえない距離で、密やかに語り合った。

「ご存知の通り市井暮らしが長いですから」

「そのわりに見事だ。努力の賜物か」

「どうでしょう。ただの真似事です」

「演技達者という訳だ」


 やがて曲が終わり、シルヴィは名残惜しそうにリーナの腰を抱き止める。

 恋人や夫婦でしかあり得ない距離間で、両者は密着していた。

 シルヴィの囁きはごく間近で聞こえた。

「君の子飼いの天使も、巧く踊れたかな」

「さあ」

 リーナは小首を傾げる。

「天使……ですか。そうですね。ご存知ですか、シルヴィ様?」

 真紅の唇はいつかのように残酷に微笑んだ。

「古い伝承によれば、天使とは」

「ああ。清らかで慈悲深い天の御使い」

 リーナと同じ種類の笑みを持ち前の華やかさで彩り、シルヴィは言う。

「というのは後世の話で――古くは、天上から舞い降り、踊りながら咎人の腹を切り裂く異形だとか」


 さすがに優秀な王子だけあって博識である。リーナは面白くもなく思う。やはり嫌な男だ。

 その想いを知ってか知らずか、シルヴィは臆面もなく愛しい相手に触れる仕草で、リーナの唇をなぞり、顎を持ち上げる。

「良い色だ」

 リーナは黙ってシルヴィを見上げた。

「似ているな。薔薇園の赤薔薇は『血のごとき真紅』と名付けられている」

 シルヴィの形のいい唇は、口づけより指ひとつだけ手前で止まる。

「そうだな……後で見に行こうか」

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