25.題名のない狂想曲 6
「ご無事ですか! 殿下!」
「……遅いぞ」
攻撃が止むのと前後して、普段はシルヴィの傍近くに仕える乳兄弟のカンパネル・ブライドが、泡を喰った表情で現れた。
シルヴィはリーナの腰を抱き、破壊された部屋から出る。
主君の無事を確かめると、カンパネルは安堵したのか大きく息を吐いて零した。
「学長への用事をお言いつけになったのは殿下でしょうが。それにお昼休みはお二人で過ごされたいと仰るから、気を遣ったんですよ」
「ああ……そうだったな」
シルヴィはばつが悪そうにする。
確かに立場的に自ら人払いをして隙を見せたのは迂闊だった。平和な学院内で今日のような凶行を想定していなかったとしても、一国の王子の振る舞いとしては軽率に過ぎた。
「すまない。カンパネル、取り急ぎ落ち着ける部屋を用意してくれないか。リーナを休ませたい」
「ええ、すぐにでも」
「生徒たちは各教室で待機させろ。王宮より救援が来たら、護衛をつけて地区別に帰宅させる。慮外者を追うのは難しいだろうが、当面は憲兵に任せるしかないな。後は魔法省にも協力を要請してくれ」
「御意」
指示を出すシルヴィを間近で眺めながら、リーナは無言で警戒を解かないでいる。傍からは恐怖と混乱で言葉を失い自失した様子にしか見えぬだろう。
王立学院は貴族の子弟子女が通うため、警備にはそれなりに定評がある。侵入するだけでも相手の実力が垣間見える。
わざわざ護りの薄くなった瞬間を狙って第三王子を襲うなど、相当周到に準備していたに違いない。たとえ実行犯が逃げ果せても、学院内に共犯が残っている可能性は高い。
シルヴィも当然そう推測したようだ。渋面を崩さないままリーナの肩を寄せて別室へと移動した。
+ + +
形式のない狂想曲のごとく、状況の変化は目まぐるしい。
もし一連の奏者がいるとすれば、どれほど自由で機知に富み、捉えどころのない存在なのだろう。
――捻じれた線を遡る。
狙われた第三王子。
水面下で画策される王位継承争い。
有力貴族の子弟とウィズ一家に及ぶ勢力図。
つまり第一王子か第二王子の反撃の狼煙と考えるのが妥当か。
いや……何か巧く繋がらない。
リーナは巡る思考の幅を広げる。
そういえば、2年前にも暗殺騒ぎがあった。
公にはなっていないが、偶然レイン伯爵領で起こった出来事だ。
王弟ハミルに刺客が放たれ、間一髪追い詰められたところを、居合わせたリーナが迎撃した。それが縁で執行課にスカウトされた訳だが……。
あのときの黒幕は、誰だった?
更に昔の記憶を掘り起こす。
リーナが伯爵家に引き取られる直前、つまり今から5年以上前に、ウィズ一家に雇われていたゼロアッシュ・テロルは殺された。
もしかしたらウィズ一家の内部で発生した勢力争いに巻き込まれたのではないか、と容易に考えていたが、そもそもあの凶悪な男が軽々しくやられるだろうか。民間の私兵などでは相手にもならない。
本当は、もっと大きな……。
「……ーナ」
「リーナ」
耳元で囁かれる呼び声をどこか遠くに聞きながら、リーナは隣に座るシルヴィに顔を向ける。
用意された学院内の別室で、二人は長く並んで密着していた。シルヴィはリーナの手を緩く握り続けている。
「殿下……シルヴィ様」
「ああ。君も堂々巡りのようだね」
形のいい唇が自嘲を刻む。翳る双眸は眼前のリーナを飛び越えて思考の彼方を覗いていた。
「お心当たりは……」
「さてね。思ったよりも身近な範囲を掌握し切れていなかったようだ。正直動揺がない訳ではない」
シルヴィの言葉に嘘の響きはないように思えた。
「まったく、なかなかに巧妙だ。私が暢気すぎただけかもしれんが」
「いつから」
「かなり前からの工作だろう。1年2年ではない」
乱れたままの金の髪が一筋、悩まし気な表情に影を落とす。
リーナはシルヴィから視線を逸らさなかった。
「……ブライド子爵は無事に現場を収拾されたでしょうか」
「カンパネルは抜かりないだろう。そういう男だ」
シルヴィは側近の能力に対する信頼を隠さない。無論、そうでなくば乳兄弟という繋がりだけで重用はされないだろうが。
「以前、君が魔法を使ったと見抜いたのもあれだ」
「……ああ、ご覧になっていたのですね。監視でしたか?」
「そこまでは私の指示ではないが、見定めたかったんだろうな」
「納得ですわ」
「カンパネルはおそらく、君の実力を買っていたからこそ、私の護衛を離れても問題ないと判断したはずだ。不本意かな?」
「いえ……光栄ですこと」
知らないところで品定めされていた事実も、特段リーナの気を損ねない。単にカンパネルの能力が突出しており、所詮学院内だからと気を緩めていたリーナに油断があったのだ。
ただ、結果的にはシルヴィに弱みを握られた形となる。
今後を想定すると、覚悟を決める必要があった。
「シリヴィ様」
リーナは真っ直ぐにシルヴィを見つめた。
硬さどころか艶めいた響きさえ感じられる呼び声に、シルヴィは碧眼を瞠く。紅く塗っていないはずの唇がどこか凄惨さを含んで蠢く。
「君は……いや、聞こう」
「ええ、シルヴィ様。大事な話をさせていただきますわ」
「だから貴方も」
すべてを明かす決意をしろ――。
そう要求する鋭利な瞳は、貴族令嬢の持つ種類のものではなかった。
<題名のない狂想曲~了>
次話より「薔薇園に佇む」
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