24.題名のない狂想曲 5
学院は平和の園でない。
意外な方向からそうと知らされた翌日の昼休み、リーナは期せずして件の第三王子シルヴィと顔を合わせた。
それ自体はここ最近では珍しくもないことだ。
不本意ながら件の求婚騒ぎ以来、最近ではしょっちゅう王子の私室に呼ばれ、断ることも叶わず食事やお茶を共にしている。
単なる偶然なのか、何らかの罠にかかっているのか、今はまだ判断がつかない。
ならば懐に飛び込み探りを入れよう。リーナの選択肢は単純だった。
食事を終えると、シルヴィはいつもの通り優雅にお茶を嗜んだ。
洗練された隙のない所作は、花が溢れる幻影を見せる。
昼の強い陽射しは校舎の外の木々から緩く降りるばかりで、熱を感じさせない。木漏れ日が庭の花の芳しきを運んだ。
そんな甘美かつ麗々しい情景を眺めながら、リーナは場違いな気分で遠慮がちにお茶を啜る。
やや違和感もあった。
普段はシルヴィから歯の浮くような科白が投げつけられるのだが、今日はやけに大人しい。妙な緊張が室内を支配している。
「……あの」
「リーナ」
互いが声を発したのはほぼ同時だった。
驚いて、リーナは続く言葉を喉元に留める。
こちらを臨む碧眼を覗き込むと、相手も同様に押し黙った。微妙な静けさが気まずい雰囲気を作る。
リーナを見つめるシルヴィの面持ちは、普段のように微笑を含んでいない。
真剣、或いは懊悩か。寄せた秀眉の理由は何やら複雑に思えた。
沈黙したままリーナは窓の外を見遣る。
口火を切ったのはシルヴィだった。
「リーナ……君は先日」
リーナに釣られるように視線を動かすと、シルヴィは甘さのない硬い声音で問いかけた。
「魔法を使ったそうだね。中庭でのことだ」
「……それは」
口調に責める意図はない。
冷静に判じたリーナの表情は落ち着いている。
シルヴィはゆっくりと立ち上がる。そのまま自然な動きでするりとリーナの傍に寄った。
「私は君をもっと知りたいと思う」
「殿下……シルヴィ様」
「だから求婚した」
リーナも椅子から身を離した。
甘い吐息を囁く唇が耳朶に触れる。
「ご存知……なんですね」
「すべてではないが」
シルヴィは口端だけで笑った。
長い睫毛に縁取られた碧眼は、少しも弛んでいない。つまり、そういうことだ。
「本当に、君とはもう少し話をしたいと思うよ」
頬を滑る指先は、流れるように去ってゆく。
「しかし今は」
前触れもなくシルヴィは身を翻す。
リーナも疾風の動きで背を合わせた。
「……ええ」
ばりん、と硝子の割れる音が響いた。
一瞬にして嵌め込みの窓が次々と破片を飛ばす。
「……っ!」
リーナの黒瞳には尖端の鋭い細長い棒状をした光の軌跡が映った。魔法の矢が幾重にも重なって、外から硝子を破ったのだ。
直前で場所を動いたシルヴィに矢尻は届かなかったが、明らかに狙いは定まっている。
刺客――暗殺という単語が容易に浮かんだ。
実のところ、互いに声をかけたときには異常に気がついていた。
忍び寄る不穏な気配は巧妙に殺気を隠していたが、余程の手練れでも、リーナのテリトリーである学院内で警戒網を突破するのは困難だ。
尤も、シルヴィまでもが察知したのは意外だった。さすが王族でも名高い第三王子の実力と言ったところか。
会話に紛れて的である自らの位置をずらし、然り気無く迎え撃つ態勢を整えた。リーナの戦力すら計算に入れてとあらば、咄嗟の判断力には舌を巻く。
シルヴィは光剣を抜くと、無駄のない構えで今も続く攻撃を弾く。一度に標的を捉えられなかったため、散弾は数と勢いを増していた。
ものともせずに、魔力を帯びた剣が振るわれる。
「舐められたものだ」
「……魔法剣」
背後の濃密な気配に気づき、リーナは小声でぽつりと呟く。
第三王子が世にも稀な魔法剣の使い手というのは有名な話だ。学院の生徒なら式典や試合等で一度くらい目にしているだろう。
関心のなかったリーナは初めて目の当たりにする。魔法剣も、剣を握るシルヴィの腕前も。
「なるほど?」
攻撃を遮るシルヴィの長身に隠れながら、リーナは器用に外を視認した。
「まどろっこしいというか」
誰にともなく愚痴を零す。
知らず大きな溜息が漏れた。
「本当に舐められたものだこと」
つい素の口調でぼやいたリーナは、割れた硝子片に微量の魔力を流した。透明な礫は襲いかかる矢に触れて軌道を曲げる。攻撃は見事に逸れて天井に刺さった。
学院内で魔法を扱うのはこれが精一杯だ。リーナは鋭く窓の外に視線を巡らす。
ここまで派手に魔法を扱いながら、さすがプロというべきか、居場所を特定するのは難しかった。学舎周辺の木陰のいずこかのようだが、完全に死角を選んで身を潜めている。
早々にリーナは反撃を諦めた。騒ぎを聞きつけた生徒たちの声や足音が近づいてくる。あちらもそろそろ退き時だろう。
予想通り、数分も経たぬ内に魔法攻撃は止んだ。
教員や学院の警備、王子の護衛たるべき側近がようやく駆けつけたとき、部屋は無惨に破壊されており、遠巻きに惨状を目にした生徒たちは皆一様に恐慌状態へと陥った。




