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21.題名のない狂想曲 2

「黒羊、お前……どうかしたのか?」

「? そちらこそどうかして? 藪から棒に」


 司法省調停局本部内、執行課が詰める事務所で、リーナは同僚の仮面の男に問い掛けられた。普段の銀狼らしくなく、随分と不躾である。

「気づかないと思うか? 心ここに在らずといった風だ」

 さすがに最も数多くリーナの相棒を務めている銀狼だ。ベールの下の見えない表情の変化も悟るのか。リーナは微かに紅い口端を上げる。

「嫌な男ね」

「お前を心配している」

「余計に嫌だわ」


 黒羊と銀狼は執行係の常の通り、互いに表社会での素顔を知らない。

 尤も、リーナよりも随分前から執行課に籍を置く銀狼は、もしかすると彼女の素性を承知しているのかもしれない。

 それでも、伯爵令嬢のリーナが市井に暮らした過去の経歴すべてを把握することは不可能だろう。ボスである王弟にすら全部は語っていない。


「干渉はご法度のはずよ」

「仕事に支障が出るなら別だ」

「仕事……ね」

 リーナは皮肉気に笑う。

「……本末転倒だわ」

「何?」


 リーナが口の中で呟いた言葉は、銀狼には伝わらなかった。

 別に説明する気はない。仕事熱心な同僚に理解されずとも侮蔑されようとも、リーナは自身のスタンスを曲げる気はなかった。

 この職務を引き受けるに当たって、王弟には予め告げてある。

 協力はする。だが、リーナの本来の目的はたったひとつだ。

「黒羊、お前いったい」

「陳腐ね、銀狼。何もかも不要よ。仕事はなるべく迷惑をかけないよう気をつけるけれど、貴方も邪魔はしないで」

「……違う」


 銀狼は何かを言いたそうにしていた。苛立っているようにも見える。

 少しだけ、リーナの内に罪悪感の火が灯る。

 何かおかしかった。

 自分たちはただの同僚に過ぎない。多くの現場を共にしたが、それだけだ。互いに得体の知れない者同士、いつも仕事が終わるまでの、微かで儚い縁だった。

 感情的で聞き分けのない女を厭う性質の銀狼が、今のリーナを気に喰わなくとも仕方がない。逆に彼にどう思われようと気に留めなくばよい。自分たちはそういう関係性のはずだ――それなのに。


「銀狼……」

「黒羊、お前は」


 二人は気まずく沈黙する。

 互いに何かを口にしようとするが、思考の迷路に遮られ、言葉が生まれない。



 重々しく硬直した空気を破ったのは、受付からの呼び掛けだった。

 唐突に、アポイントなしの来客を告げられ、両者は顔を見合わせる。


 訪れたのは高位貴族の子息だった。

 請求依頼ではなく、執行課の人間への目通りを求めているらしい。

 その名を聞いたとき、銀狼は舌打ちし、リーナは紅く染めた唇を結んだ。


 客人の名はイブリス・ガンダイル。

 リーナには浅からぬ縁を感じさせる人物だった。



 + + +



 応接に通されたイブリスの顔色は見るからに尋常ではなかった。

 執行を依頼されたのは学院の休暇期間、あれからまだ二月と経っていない。頬は痩せこけ、目は窪み、頭髪の色もやけに薄くなっている。明らかに病的である。

 イブリスは両手を膝の上で組み、虚ろな表情でぶつぶつと何事か呟いていた。「どうしたら」「殺される」「ルル」「逃げられない」「守らなければ」「あの方が」――断片的に聞き取れた単語は穏やかでない。

 気になる点もある。音を立てずゆっくりと入室したリーナは、しばらくイブリスを観察した。

 背後からは銀狼がついてくる。単独で応対できると断ったのだが、最近の黒羊の言動に不審を抱く銀狼は譲らなかった。

 仕方がない、とリーナは諦める。同席されてもイブリスから情報を得る邪魔にはなるまい。


 そもそも何故、イブリスは執行課を訪れたのか。

 すでにアリアベル・ライトニアの依頼は完遂している。ガンダイル家の別邸に隠された金品から100万ネイは回収され、国庫に納められた。今となってはたとえ侯爵家が騒ぎ立てようとも返金は不可能だ。

 常であれば、元執行対象者と執行係との面談自体が叶う話ではない。リーナの思惑とイブリスの行動力、そして僅かな偶然が寄与した結果だった。

 リーナはイブリスを見下ろす。

 愚かで甘ちゃんで自分本位だが、お坊っちゃま特有のもので、良くも悪くも何かを企めるほど頭の働く人物ではない。無論、向こう見ずが祟って周囲が迷惑を被る事態は多々あるだろう。彼が何を齎すのか、現時点では判然としなかった。


「お待たせいたしました」

「っ……ああ」

 黒いドレスの襞を摘まんでリーナが礼を取ると、イブリスは視線を上げ、ぎらついた瞳を向けた。あの日絶望に沈んだ意思が何故か復活している。リーナには興味深く感じられた。

「それで、本日は何のご用向きでしょう? イブリス・ガンダイル様」

「つまらぬ話であれば即座にお帰り願う」

 銀狼が固く念を押す。こういうところは隙がなく面倒な男だ。

「……黒羊も、いいな? 承知しろ」

「いや、僕はッ……」

「いきなり出鼻を挫くものではなくてよ」

 牽制する銀狼を、やんわりとリーナが制する。下手にイブリスの気を削いで、情報を引き出せなくなるのはご免だった。

「失礼。貴方を咎めた訳ではありません」


「さて……それでは何からお話いただけますでしょうか?」

【登場人物】

・シャルアリーナ・レイン…執行係「黒羊」

・銀狼…執行係。黒羊の相棒

・シルヴィ・クロゥディル・サビ…第三王子

・ハミル・エルハディル・サビ…王弟

・イブリス・ガンダイル…廃嫡された侯爵子息

・カンパネル・ブライド…第三王子の側近

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