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狼の独争  作者: 紅崎樹
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レイシェア・エヴァの場合

21 レイシェア・エヴァの場合

 年が明けた。

 あれから十年目の今年、ロチルがこの土地に帰ってくる。俺の唯一の肉親。愛しの妹。

 ロチルは最近デジウカを離れた。今はムハッチツサに居るようだ。ヌナーク・ワヌームソンと出会った地。

(あいつは帰ってくる。絶対に)

 十年前に俺が父親を殺した時から、妹の全てが分かるようになった。今どこに居るのか、何をしているのか。

 どうしてだかわからない。けれど、妹も俺の気配を薄らとだが感じ取れるようになったらしい。俺が殺人鬼になったことと関係があるのではないだろうかと思っている。

(殺人鬼か)

 未だに謎の多い存在だ。


「父さんはもうじき死ぬんだ」

 十年前、父は唐突にそう告げた。妹はその場に居なくて、俺と父と二人きりだった。

「なんだよそれ」

 俺はその時十五歳。父は四十になったばかりだった。別に具合が悪そうな様子はなかったし、病気を患ったようでもなかったので、冗談の類か何かかと思った。

「いいか。今から言うことはすべて事実だ」

 そう前置きをして、父は語り出した。

 殺人鬼について。


「まずは、お前たちがこうして寂れたところに住んでいる理由を話そう。此処へ越してきたのはお前が五歳の時だったな。あの頃、父さんは自分の両親を殺したんだ。お前の爺さんと婆さんさ。ある日、親父が急に殺してくれとせがんできて、実際のところは無理やり刃物を持たされてそこへ親父自ら突進してきたんだけどな。意味の分からないまま俺は親父を亡くした。そして次の瞬間、自分の体を乗っ取られたかのような感覚に襲われたんだ。自分の意思とは全く別に、無性に人を殺したい衝動に駆られた。それで、母親も殺しちまった。自分の肉親を殺したというのに、どういうわけか気分がさっと明るくなるのを感じたよ。……大丈夫、お前を殺したりはしないさ。今までだってそうだったろう? 人を殺したい衝動に駆られたのは、『殺人鬼』のせいだった。

 そう、殺人鬼だ。俺の親父が、どうも殺人鬼の魂に半分身体を乗っ取られていたらしくてな。急に殺してくれとせがみ出したのはそいつのせいだったんだと思う。そいつは、俺に親父を殺させることで俺の体に乗り移ろうとしたんだ。そしてそいつの思惑通りになった。親父を殺してしまった時点で俺は殺人鬼の魂と共存する羽目になったのさ。

 ……今か? 今も殺人鬼の魂は俺の体の中に居るさ。しかし安心しろ、今は殺人鬼は眠っているから。起きたとしても、もう俺の体で人殺しをすることは無いだろうし。……ああ、いや。こっちの話だ。気にしないでくれ。

 話を戻そう。……とにかく、そう、俺は殺人鬼と共存する羽目になった。俺には、そのまま街中で今まで通りに生きていく自信がなかった。だから此処へ引っ越すことを決めた。あの頃はお前の母さんもまだ一緒に住んでいたよな。お前の母さんは、俺が急に引っ越そうと言い出しても寛大な心で受け入れてくれたんだ。だから、自分の気持ちに整理がついたら、殺人鬼の事も話してしまおうと思っていた。

 でも、そうそううまくいくものではなかった。

 そのことを話したら、「どこか具合でも悪いのか」「変な冗談はよしてくれ」と言われた。そんなの、然るべき結果だった。離婚するまでにそう時間はかからなかった。お前と、生まれたばかりのロチルを置いて出て行ったのさ。母さんが家を出て行ったのは、そういう訳だ。

 ……すぐに理解できずとも、今はただなんとなく情報として覚えていてくれればいい。

 さっき、父さんはもうじき死ぬと言っただろう? それもまた殺人鬼のせいなんだ。殺人鬼はどうやら同じ体に十年間しかいられないらしい。この殺人鬼に入られたら、入られた人が十年後に死んでしまうからだ。その辺の理屈はよくわからないが、まあそう言うことらしい。親父の体から俺の体へ乗り移ろうとしたのもそれが理由だったんだ。

 ……そう。あれから十年が経った今、父さんは今年中に死んでしまうのさ。どんな風に死ぬかは分からないけど、それだけは確かなんだ。そこでだ。俺の中に居る殺人鬼は、お前に俺を殺すように言うかもしれない。そのことを承知していて欲しかったのさ。もしそうなった時は、言うことを聞かずにその場から逃げるんだ。もしお前が俺を殺すようなことがあれば、お前も殺人鬼になってしまう。

 ……残念なことに、これは冗談なんかじゃない。今は信じられなくても、時が来れば否が応でも信じざるを得なくなるよ」


 俺はその話をすぐに信じなかった。まあ、当然のことだろう。逆にそんな非現実的な話をすんなり受け入れられる人間がいるのだろうか。ともかく俺はそういうタイプの人間ではなかった。

 しかし父親の言っていたことは本当だった。それから一か月も経たないうちに「俺を殺してくれ」とせがんできたのだ。その時も妹はいなかった。狂った父と二人きり。話に聞いていても、怖いものは怖かった。恐怖で足がすくみ、その場から逃げ出すなど到底できなかった。

 結局俺は父親を殺す羽目になった。父は茫然とする俺に刃物を握らせ、そこに突進してきたのだ。まさに父親の話していた通りだった。

 刃物は父の腹にぐさりと刺さり、父が好んで着ていたTシャツは鮮血で染まっていった。父の重い体がのしかかってきて、生温かい血液が手を伝った。

 ――ああ、新しい俺の体だ。

 頭の中で、知らない誰かの声が響いた気がした。しかし、そんな声が聞こえたのは一度きりだった。

「ただいまー」

 暫くして、妹の無邪気な声が家に響いた。その頃には父親の体は冷え切っていた。

「あれ、兄ちゃん? いないのー?」

 返事がないのを不審に思ったのだろう。ロチルはおーいと声を上げながら、この部屋に向かってくる。

 ガチャ。

「兄ちゃ……ん……あれ、え…………?」

 ああ、妹だ。

 俺の可愛い妹。

「お帰り、ロチル」

「っ……」

 振り返って微笑みかける。

 俺の可愛い妹。

 愛おしい。

 愛おしくて。


 殺したいほどに愛している。


「どうしたんだ、ロチル。怖がらなくていい、兄ちゃんだぞ?」

 父親の腹から乱雑に刃物を抜き、妹に歩み寄る。しかし俺たちの距離は縮まらない。おびえた目で俺を見ながらじりじりと後ずさりするロチル。

 なんでそんなに怯えているんだ? なんでそんな目をする?

「さあ、おいで、ロチル」


「うわああぁあぁああ――!」

 ロチルが駆け出した。

 そこから記憶があまりない。ロチルに刃物を少しかすめてしまったような気もするけれど、気が付いた時には一人だった。

(俺は……実の妹を殺そうとしていたのか?)

 自分が信じられない。ただただ恐ろしかった。こんな状態のまま生きていくことが怖かった。自害しようともした。しかし死ぬことすら恐ろしくて、結局死ぬことなんてできなかった。


 それから暫くは衝動に駆られるままに何人もの命を奪った。殺人鬼の意思に勝とうとする気力もなかった。

 その頃のロチルは色々なところを転々としながら暮らしていたようだ。何度か遭遇しそうになったのだが、それだけは避けるように動いた。俺が自分の意思でしていたのはそのくらいだった。

 そんなことをしているうちに、俺の体は半分と言っていいほど殺人鬼に乗っ取られてしまっていた。殺人鬼のやろうとしていることを妨げようとしても、既に手遅れだったのだ。そのうち『殺人鬼レイ』という通り名が付き、俺は追われる身となった。それでも今まで捕まらずにいたのは、俺の中の殺人鬼のおかげなのだろうか。

 幾つもの命を殺しながら、いつの間にか十年の年月が経とうとしていた。来年のいつか、俺は死ぬのだ。殺人鬼は妹に会いたがっている。妹に会いたいのは俺も同じだ。そこで俺は妹に手紙を書いた。年が明けたらイクローツへ来てほしいというような内容の手紙だ。それを妹と親しげにしていた少年に渡し、そしてそれは無事にロチルの元へと届いたのだ。駄目で元々だったから正直驚いたが、嬉しいことに間違いはなかった。俺や父親の時のように殺人鬼はロチルに俺を殺すよう言うかもしれないが、ロチルならうまく逃げてくれるだろうと信じていた。


 年が明けてから五日が経ち――つまり一月六日。ロチルの気配はすぐそこまで来ていた。もう少しで此処に現れる。ようやくゆっくり妹と話ができる。そう思うと落ち着いていられなかった。


「ハッピーバースデー」

 ロチルの声がした。すぐそこに居ることは気配でわかっていたけれど、俺は声を掛けられるまで振り向かずにいた。ゆっくりとロチルに向き合う。半年前にも一度会ったが、腰まであった髪が短くなっていた。

 言われて思い出したが、今日は俺の誕生日だ。俺すら忘れていたことをまさか覚えていてくれたとは。少し意外だった。

「いや、どうせ直に死んじまうならハッピーなんかじゃねえか。ま、とにかく今は喜べよ、俺が会いに来てやったんだから」

 前に会った時とはまた違う雰囲気だ。髪が短くなったからというのもあるのだろうが、この前のような敵意を感じない。警戒はしているようだが、俺に殺意がないことをわかっているのだろう。

「で、お前の目的はもう済まされちったが、この後どうすんだ? 俺を一目見られればいいんだろ? 俺もう暫く暇だから、他になんかあれば聞いてやるけど」

 ロチルは俺と一緒に居ることをもっと嫌がると思っていた。意外だ。彼女は今何を考えているのだろう。

「ああ、そうだな……少しでも長くお前といたい、とか無理だよな?」

「いいぜ」

「えっ!?」

 随分とあっさりした返事が返ってきたものだ。訊いたのは俺の方なのに、驚いて変な声を上げてしまった。

「あの手紙に書いてあったじゃん、父さんを殺した理由。殺したってか、殺しちゃったって感じ? あの手紙を読む前はただただあんたをぶっ殺してえって思ってたけど、今はそんなんじゃないからさ。……そうだ。俺等ん家ってまだ残ってんのかな? ちょっと見に行こうぜ」

 無邪気に笑いながら俺の背中を押すロチル。まるで今までもそうであったかのように。十年近く恨み続けていた相手だというのに、恨んでいた相手から届いた手紙をここまで信じ切ることができるのか。

 その時感じたのは、嬉しさではなく違和だった。


 十年も経っていれば撤去されていてもおかしくなかったが、他人の手が入った形跡はなかった。入ってみると黴臭さがあった。家具も十年前のまま、違いと言えば埃をかぶっていることくらいだ。

「うっわー、懐かしいなー。な、またここで住めねえかな。昔みたいにさ」

「……ロチル、それは流石に無理だろう」

 突っ込みながらも、ロチルがそんなことを言い出したことに対して驚きを隠せずにいた。

(俺は、殺人鬼……だよな?)

(それをこいつも知っているんだよな?)

 それなのに、なぜそんなことが言い出せるんだ? ロチルを殺すつもりはないが、それを知らないロチルからすればいつ殺されてもおかしくない状況なのに。

 恐怖心を全くといっていいほど感じない。先程感じた警戒心も、いつの間にか解かれていた。

「俺、六月まで予定がないんだよね。この家掃除したり何かしたりすればそれなりに時間瞑れんじゃね? と思って。どうせお前も予定ないだろ、死ぬだけだろ? そんなら、俺と余生を過ごせるなんて本望だ!」

「ええー……」

 勝手に決めつけられてしまった。しかしまあ、ロチルの言っていることはあながち間違っていない。俺はいつ死ぬかわからないから六月まで付き合えるかわからないが、もし最期を妹に看取ってもらえたら確かに嬉しい気もする。

 今まで十年間も殺人鬼の言いなりになってきたのだ、最後くらいは自由にしてもいいだろう。

「それじゃあ、六月までな」

「おうよ。あとさっき思ったんだけどさ、出来ればウルフで呼んで欲しい。俺はもうロチルじゃねえから」

「……そうか。じゃあ、改めて宜しく、ウルフ」


 それから、俺とウルフの予期せぬ同居生活が始まった。

  (レイシェア・エヴァの場合――続)

レイシェアの場合、実は一話で終わらせるつもりだったのですが、なんかウルフと同居を始めてしまいました。これは長くなりそうだ! と言うことで、一旦ここまでで上げました。

さてさて、大分ウルフの過去が見えてきましたが、一向にウルフの本心は見えませんね。さんざん追っかけていた殺人鬼と同居生活を始めちゃって、一体どういうつもりなのやら。その辺は次話に出て来る予定です!

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