ムナーク・ワヌームソンの場合
18 ムナーク・ワヌームソンの場合
ある日の夕方、ウルフから電話が掛かってきた。内容は、現在の仕事で問題が発生したから一度本部へ戻って話がしたいとのことだった。
「明日の朝こちらを出るつもりでいるのですが、宜しいですか?」
「別に構わんよ。それにしても、敬語など使って……どうしたのだ? いつものように話せばよいのに」
「貴方のためですよ、隊長。というか、自分のためでもあるのです。ほら……その、こちらのあれがいろいろああなので」
誰かに聞かれるのを心配しているかのように、声を潜めて言うウルフ。
成程。私は納得した。トーマに聞かれるのを恐れているのだろう。彼は礼儀正しいところがあるから、ウルフが普段の調子で私と話しているところを聞いたら、「隊長に敬語を使わぬとは何事か!」と怒るだろう。そして私に対してこう言うのだ。
「隊長からも何とか言ってやってくださいよ!」
そう嘆くトーマの姿が目に浮かぶ。きっとそうするに違いない。
「それは確かに免れたいものだな」
私はウルフに強くものを言うのが苦手だ。しかし隊員の躾をするのも隊長の仕事の一つ。トーマに言われても尚私が何も言えないのでは、隊長としての示しがつかない。
「そうなんですよ。まあ、とにかくそう言うことです。宜しくお願いしますね」
ガチャッ。
一方的にウルフが受話器を置き、通話が途絶えた。
(全く、忙しない奴だ)
明日の朝あちらを出るのならば、昼前には着くだろう。部下にこのことを伝えておかねば、と考えていると再度電話が鳴った。
「あ、もしもし隊長ですか? 何度もすみませんウルフです。一つ伝え忘れてしまったので。ワタクシ明日そちらに泊まるので、その辺の準備もよろしく頼みます。それでは」
ガチャッ。
「……」
今度こそ一方的なものだった。返事をする暇さえなかった。
――ワタクシ明日そちらに泊まるので。
先ほど早口に伝えられたその言葉を思い出す。
本来なら許されざる行為である。立場が上の者に対して今のような無礼。普通ならばすぐにでも解雇になることだろう。しかし、ウルフはそうならないことを承知であのような態度をとっているのだ。
私がそうすることを許しているから。
――隊長は、どうしてそんなにも彼女の肩を持つのですか?
いつだか誰かに訊かれたことがある。その質問に答えるわけにはいかなかった。それが彼女との約束だからだ。
「さてと」
私は立ち上がり、自分の部屋から出た。其処に丁度シェニ・ネミーホが通りかかったので、私は彼に声をかけることにした。
「シェニ」
私が声をかけるとシェニは足を止め、私の方に足を向けた。
「はっ。何かご用でしょうか」
「明日、ウルフが一時的に帰ってくる。一日だけ泊まっていくそうだから、君の部屋に置いてやってはくれないか」
すると、シェニは少し顔を赤くしながら言った。
「私の部屋に……ですか。隊長、そうは言っても彼女も女の子です。流石にもう、その辺の配慮をした方が良いのではないかと思うのですが」
ウルフはその辺りのことをまだ気にしなさそうだが(現に今トーマと二人暮らしをしている訳だし)、シェニ自身が意識してしまっている。それにしても、あのウルフを女性として見ていたとは。少し意外であった。
「それもそうだな。すまんすまん」
「彼女を私の部屋へ置くことはできませんが、他の者に声をかけておきましょうか」
「そうしてくれ。有難う、シェニ」
「いえ。それでは失礼します」
シェニは本当に礼儀正しい子だ。そう思いかけて、私は頭を振った。
(本来の部下の姿はああなのだ。あれが当たり前で、何もシェニだけではない)
私のそこら辺の感覚は狂ってしまった。ウルフに会った七年前から。
ウルフの泊まる部屋の準備はシェニがしてくれることになったから大丈夫だろう。私は自分の部屋に戻った。
「隊長、ウルフが到着しました。ただいま準備をしているとのことです」
翌日の午前十時ごろ、そう連絡が入った。
「そうか。準備が出来次第、私の部屋へ来いと伝えてくれ」
「わかりました。では、そのように」
そう言って部下が出て行き、十分も経たないうちにドアがノックされた。
「入れ」
失礼しますという声の後に、皺ひとつない制服を身にまとったウルフが入ってきた。制服姿のウルフを見るのはいつ振りだろうと思った。
「この部屋は防音効果がバッチシだから、音漏れとかの心配がなくていいな。気楽にあんたと話ができる」
昨日の電話での態度と一変、いつも通りの口調だった。やはりこちらの口調の方が彼女らしい。
「よく来たな、ウルフ。先日の反乱軍での活躍は見事だったぞ」
「あの件ではどうも」
「それで早速本題に入るが、今日の用件は何だ? 問題が起こったと言っていたが」
ウルフがデジウカ第六区中学校で潜入調査を始めて約一か月。その間で三件もの事件を解決している。そんな中で、本部へ戻ってきて私に相談しなければいけないほどの『問題』とは、どれほどのものだろう。
(そろそろあの仕事も潮時ということなのだろうか)
そんな気がする。
「おっさん、『バキア・ネイシム』って知ってる?」
「バキア……ネイシム」
聞いたことの無い名だった。私は彼女の問いに対し首を横に振った。
「そう? 実は俺がタビィに居た頃によく会ってた奴なんだけど」
そしてウルフはそのバキアという少年について簡単な説明を始めた。
事件に遭遇しやすいという所までは、まあ有り得る話だと思い聞いていた。
しかし、身体つきで人物を見分けることができるというのは……。
一般人に留めておくのがもったいない能力だ。是非ともワヌーム隊の隊員になってもらいたい。
「だろ? ホントに、仲間にしておきたいくらい怖い能力持ってんだよ。そんな彼に見つかっちゃあ、どうしようもないってもんさ」
「……ということは、つまり?」
「そうです、バキア君が第六区中に居たのでーす! 俺、絶体絶命大ピンチー」
ケラケラという彼女の笑い声が私の部屋に響いた。私が暫く何も言わずにいると彼女がふとこちらに顔を向け、
「笑いごとじゃねえことくらい俺だって重々承知してっから」
少し拗ねたように頬を膨らませた。
「そのバキアという少年は、お前のことを言いふらすような子か?」
もし仮にそうでなかったとしても、何のはずみで情報が外に漏れるかわからない。一刻も早く学校から離れるべきだろう。
「あいつは抜けてるところがあるからなー、言いふらすような奴じゃないんだけど。ぽろっと言っちゃいそうで怖い」
「それは、急がねばならんな」
そして私たちは今後の予定について話し始めた。結果、六日後の建国記念日前日いっぱいで学校を転校するという形になった。
「それでは早速転校の手続きをしておこう。潜入調査が終わったら、取りあえず本部へ戻ってきなさい。暫くはこちらで働かないか」
昨夕電話が掛かってきた時点で考えてはいた。彼女が此処に居てくれれば、皆も心強いだろう。
「その話、なんだけどさ」
しかし、彼女には彼女の考えがあるようである。少し申し訳なさそうな顔をしながら、恐る恐るといった感じで話を持ち出してきた。
「王様のボディーガード、とかやってみたいなあ――なんて…………」
私は耳を疑った。まさか彼女の口からそんな言葉が出て来るなど思っても見なかった。ウルフはというと、普段の態度を崩さないように努めているようだが、私の顔色をちらちらと窺っている。
「それはつまり、王宮に勤めたいということか」
「……あんたには長いことお世話になった。これだけの戦術を身につけられたのも、ワヌーム隊の教育部隊の人たちのおかげだ。今の俺はあんた無しじゃいない。それはわかっている。しかしいつまでも此処に居るわけにはいかない。それは、あの日も話した通りだ、俺にはやるべきことがある」
急に何をと思って聞いていたが、どうやら彼女はこれを言うために此処に戻ってきたらしい。
「俺は……私は、ワヌーム隊を辞めようと思う」
「今夜お前が泊まる部屋は、シェニが用意してくれてある。食堂に行けば他の団員たちにも会えるだろう。ゆっくり話をしてきなさい」
「おう。そんじゃさっきの話、考えておいてくれよ」
ニッと歯を剝きながら笑い、ウルフは部屋を出て行った。
――私は、ワヌーム隊を辞めようと思う。
先程ウルフから告げられた言葉を思い出す。あの後私はすぐに言葉を返せず、「考えておく」とだけ言ったのだった。
「まあ、いずれにしてももう暫くはワヌーム隊の一員であってもらわねばならぬ。隊を抜けるのは、王宮へ勤められることが決まってからでも遅くない」
私は彼女に執着している。少しでも長く彼女を自分の元へ置いておきたいと、そう思っている。
「……そうだな。その辺の判断はあんたに任せる。どのみち、俺一人の力じゃあ王宮になんて入れねえんだし」
とりあえずその場はそれで終了となった。せっかく本部へ戻ってきたのだから、彼女も他の団員とゆっくり話をしたいだろう。
そして先程の台詞に至る。
つい先ほどまで彼女が座っていた椅子を眺めながら、私は一人呟いた。
「殺人鬼か……」
彼女は何か大事なことを隠していた。そのくらいのことなら、態度や表情から直ぐにわかる。そしてそれは殺人鬼レイについてのことだろう。今言ったら拙い理由があるのだろうか。
その辺りも含めて、ウルフが今の仕事をすべて終えた後にゆっくりと話をしよう。
ワヌーム隊を抜ける時、彼女はすべてを話してくれるだろう。
「さてと」
若い衆は今頃どんなふうになっているのやら。
***
その若い衆代表として、此処からは隊長に代わり私シェニ・ネミーホが暫しの間語らせてもらう。
私が食堂へ着いたころには既にウルフが幾人かの団員と語らっていた。
「おっ、お待ちかねのシェニが来たぞ!」
ウルフと共に談笑していたうちの一人、ボナシー・アエラニが私の方を見ながら声を上げる。
「よう、久しぶりだなシェニ。元気してたか?」
続いてウルフ。私は二、三語で肯定の返事をした。
「ところで俺の泊まる部屋、お前が用意してくれたらしいじゃないか。誰の部屋で泊まればいいんだ?」
今の今まで無理やり頭の隅へ追いやっていたことだった。私は情けなく項垂れながら、ぽつりと言った。
「すまない……色々と声をかけてみたのだが、誰も引き受けてくれる人がいなくて……」
「っつうことは?」
「私の部屋だ」
ウルフ以外の隊員から笑いが溢れる。ドンマイと肩を叩いてくる者もいた。むう……他人事だと思って。
「俺は別に構わねえけど、シェニはいいのか? お前、男女間の関係にはやけにうるさいところあるから」
近くで笑っていた数人の頭を叩きながらウルフが訊いた。それにしても綺麗な手さばきだ。隊員たちの頭が次々とリズミカルに叩かれていく。
「ああ、私は別に。お前が良いのならいい。まあしかし、これだけは言っておこう。安心しろ。私がお前に手を出すようなことは無いから」
そこで再び笑いが起こる。「そこは手え出してあげろよ! こいつももう十四だぜ!」などと野次を飛ばしているのはどいつだ?
「はいはい、そこまでねー。もっとましな話をしようぜ。せっかく久しぶりに会えたんだし。なっ、さっきの続き、聞かせてくれよ」
がやがやと騒がしくなっていたその場が、ウルフの声によって静かになった。
「とりあえずシェニ、食いもん持って来れば?」
「ああ、そうだな」
私は慌てて食事を取りに行った。
積もる話もたくさんあっただろうが、何せ明日も仕事がある。今日の仕事が残っている者もいたから、ウルフの周りからは徐々に人が減っていった。私はウルフを部屋まで連れていかなければいけないので最後まで待っていたが、その場がお開きとなったのは私が来てから数十分経った頃だった。
「いやー、話した話したぁ。お待たせシェニ。そろそろ行こうか」
席を立ち、伸びをするウルフ。私は彼女の言葉に頷いた。
「部屋の位置は特に変わってない。前と同じだ」
「だろうな。しかし俺はお前がいてくれねえと部屋へ入れんからなあ」
ニッと歯を剝いて笑う。
彼女とこうしてじっくり話をするのは、実に五年ぶりだ。集会の時に何度か見かけることはあったが、直接言葉を交わすのは本当に久しぶりだった。
私は七年前のことを思い出していた。当時七歳だったウルフを、隊長が此処へ連れて来た時のことを。私の半分もない小さな小さな女の子。そんな小さな少女が、まさかワヌーム戦闘部隊の主力になろうとは、あの時は思っても見なかった。隊長は何故このような子供を連れて来たのだろうと、ただただ不思議に思っていた。
当時、教育部隊だった私は彼女の面倒を見ていた。だから余計に、あの小さかったウルフが……と思ってしまう。少し見ないうちに大分落ち着いた雰囲気になったものだ。顔立ちも大人びてきて、本当に綺麗な娘になったなと思う。……言葉遣いは相変わらずだが。
「お前はもう少ししおらしくしていれば可愛らしいのに」
そう言ってみたら、「それ、口説いてんの? っつうか、しおらしさなんて俺には必要ないし」と言われてしまった。それは確かにそうである。
「思ったことを口にしたまでだ。深い意味は無いさ」
先ほどの台詞は失言だったかな。私は反省した。
そうこうしているうちに私の部屋に着いた。
「ベッドの上を好きに使ってくれ。荷物はその辺に置いておいてくれればいいから」
「オッケー。……どうしよ、先に風呂入ってこようかな」
「そうか。なら、私も風呂へ行ってこようかな。どうせなら同時の方が良いだろう」
それから私たちは大浴場へ向かった。幸い他の人はほとんどいなかった。
「まだ時間にゆとりがあるから、ゆっくりしてくればいい」
入る前にそう声をかけたものの、私が脱衣所から出た時には既にウルフが待っていた。
「早いな!」
流石にもう出てきているとは思わなかったから、つい大きな声を上げてしまった。
「まあ、俺は軽く洗えればそれでいい奴だからな」
そうは言っても、髪が腰まであるくせによくこんな短時間で出て来られたな……。私はついつい感心してしまった。
その後は部屋に戻り、特に何もなく床に就いた。どうせならゆっくりウルフと話をしたいところだが、ウルフはさっさと眠りについてしまった。私も明日があるから早めに寝ることにした。
翌朝、食堂で朝食をとった際、朝は皆忙しいはずなのだが、ウルフの周りには人が集まっていた。つくづく愛されている奴だと思う。その後、ウルフとは食堂で別れた。特に何もなかったが、私としては久しぶりにウルフと話ができたというだけで満足だ。
私からは以上である。
***
翌日、ウルフは帰っていった。彼女が今の仕事を終え再び帰ってくるまでに、彼女が言っていった台詞について考えておかなければならぬ。
――私は、ワヌーム隊を辞めようと思う。
この時が来ることは前からわかっていたことだった。しかし、こんなにも早くだとは思っても見なかった。
ウルフと出会ったのは、私が仕事でムハッチツサを訪れた時のことだった。七年前のことである。その頃はムハッチツサで殺人鬼レイの犯行が多発しており、私も様子を見に行っていたのだ。
その日私は、何か用があり街中を歩いていた。今となってはその用が何だったのかは思い出せないが、何か大事な用事だったように思う。そしてその用を無事済ませ、本拠地に帰る途中のことだった。
「そこの人」
後ろから声をかけられた。
私は驚いて振り向いた。背後に人がいることに、今の今まで気が付かなかったからだ。振り向いた先には、一人の青年が立っていた。
「道案内をしてくれませんか?」
その青年はまるで女子のようだった。線の細い体に、肩まで伸びた髪。色が白いせいもあっただろう。
「すまんな、少年。私は此処の者ではない、他を当たってくれないか」
するとその青年は残念そうな顔をしてこう言った。
「そうですか、それは残念です。しかし、仕方ありませんね」
その時、右腕を微かに動かしていたのを覚えている。しかし私は、それの重要性に気が付けなかった。
「此処で死んでもらいましょうか」
その瞬間、青年はバッと右手を振り上げた。その眼からは殺気しか感じなかった。つい先ほどまではただの道に迷った青年だったのに。少年の袖には刃物が隠されていたようだ。私は咄嗟に避けたが、逃げ続けることは不可能だろうと思った。その時になってようやく、彼が殺人鬼レイの正体だったのだと気付いた。
(こいつは捕まらないわけだ)
逃げながらそんなことを考えていた。先ほど声をかけられた時は、殺気をまるで感じなかった。ということはつまり、自分の感情を完璧にコントロールしているということだ。殺気を出していなければ、彼はごく普通の青年にしか見えない。顔もわれていないから、普段の彼を見かけても、殺人鬼と判断することができない。
(せめてこの場に誰かいれば……)
昼間だというのに、辺りは不気味なくらいに静かだった。
「俺はいずれ殺されますよ。殺人鬼は滅びる運命なんだ」
殺人鬼はそう言いながら、焦る様子もなく私との間を着実に縮めていく。
「しかし今ではないのです」
そこまでだった。私は綺麗になぎ倒され、レイはその上に馬乗りになった。
こんなに悔しいことがあるだろうかと思った。今までずっと追い求めていた獲物が目の前に居るというのに、何もできず殺されるのを待つだけ。
「お前は何故人を殺すのだ」
意味もなく問うた。彼は悲しげな顔をしてこう答えた。
「それは、俺が殺人鬼だからですよ」
そして右手を振り上げた。私は死を覚悟した。しかし、その右手が振り下ろされることは無かったのだ。
「……ロチル」
彼は呟いたかと思うと私から降りた。そしてそのまま走っていったが、予想外の展開について行けず、私は彼を追うことができなかった。
と同時に、殺人鬼が走っていった方とは反対の方向から誰かがくる気配を感じた。私は体を起こした。気配を感じた方に目をやると、小さな子供がこちらに向かって歩いてきているところだった。
「あれ、おっさんしかいねえ……まあいっか。なあ、おっさん」
一人で何やら呟いた後、唐突に話しかけられた。私はその時、身なりや口調からその子供を男の子だと思ったのだった。
「何だい、坊や」
「この辺で殺人鬼レイを見かけなかったか? ひょろっとしたモヤシみたいな奴なんだけど」
私はそれを聞いて直ぐに返事ができなかった。まだ幼い子供の口から『殺人鬼レイ』の名前が出てきたことにも驚いたが、何より驚いたのは、その子供がレイのことを『ひょろっとしたモヤシみたいな奴』と言ったことである。私が先ほど見た殺人鬼レイは確かに線が細く、正しく『ひょろっとしたモヤシみたいな奴』だったのだ。
「あれ、もしかして殺されかけてたとか? だからそんな風に地べたに座り込んでたんだあ、なるほどなるほど」
私が何も答えられずにいると、その子供は勝手に納得したようだ。しかもそれが当たっているのだ。驚かずにはいられない。
「坊やは殺人鬼レイを知っているのかい? そもそもどうして殺人鬼が此処に居ると思ったのかな?」
私は立ち上がろうかとも思ったが、座っていた方が目線を合わせやすいのでそのままで喋ることにした。訊くと、その問いに答える前に子供はこう言った。
「っつうか俺ボウヤじゃないし」
そこでようやく私はその子供が女の子であったことを知ったのだ。
「そうだったのか。それはすまなかったね」
「で、さっきの問いの答えだけど。俺、なんとなくだけどレイのいる場所がわかるんだよね。あ、何かこの辺に居るなって思ってその辺をうろうろしてると、レイがその場所に居た形跡を見つけるんだ。しかも、俺が着くその場所に直前までレイはその場所に居たっていうことが多い。でも不思議、どうしてだかレイには会うことができない。……ねえ、おっさん。これってどうしてだと思う?」
私はその子供の話を、目を白黒させながら聞いていた。
(レイの居場所がわかる……)
その時既に、この子供がうちの隊に入ってくれればと、そんなことを考えていた。
「ねえってば」
声をかけられ我に帰った私は、慌ててその子供の質問の答えを考えた。どうやらこの子はとても頭がよさそうだから、適当な答えでは納得してくれないだろう。
「そうだなぁ……」
暫く考え、私はレイが逃げ出す前の状況を思い出した。
――ロチル。
あの時彼はそう呟いていた。そして、走って行ったのはこの子が来たのとは反対の方向。私は一つの結論にたどり着いた。
「もしかして君、ロチルっていう名前じゃあないかい?」
子供の表情が少し変わったことに私は気づいたが、子供は平然を装いながらこう言った。
「もしそうだったら何なの?」
「君は殺人鬼の気配を感じることができると言ったね。私が思うに、殺人鬼の方もまた君の気配を感じ取ることができるんだよ。そして彼は何らかの理由から君のことを避けている。……どうやら君は彼のことを探しているようだがね」
私が話している間、子供は表情一つ変えずに聞いていた。しかし私が話し終えると、何やら思いついたようで、にやにやとし始めた。
「やっぱりそうなるよね。でもその説で行くとおっさん、俺の登場によって命拾いしたことになるよね」
恩着せがましい言い方だが、事実である。恐らくこの子が来なければ私はあのまま殺人鬼に殺されていただろう。私は彼女の言葉に頷いた。
「命の恩人ってわけだ」
子供のくせに随分と腹の立つ言い方だ。しかし言っていることは事実なのだから反論はできない。此処は大人として、子供に合わせてやるというものだろう。
「ああ、そうだとも」
「それなら、俺の要求を一つくらい聞いてくれてもいいもんだよな。それに、おっさんにとってそんなに悪くない内容だと思うぜ?」
先程にやつき始めたのはこういうことだったのか。私は仕方なくその要求の内容を言うように促した。
「俺、実は帰る家とかないんだよね。だから俺も、おっさんに助けてもらいたいなあ」
つまりは、自分を拾えということだった。
確かに身形や体型からして、裕福な生活を送ってきたようには見えない。しかしだからといっても、あまり生活に困っているようにも見えなかった。
疑問に思い尋ねてみたら、「いろんなとこでお世話になってたからね」という答えが返ってきた。
「でも、そんな生活を何年も続けるわけにもいかないじゃん? そろそろ一定の場所にとどまりたいんだ、俺も。それにおっさん、またいつレイに襲われるかもわかんないじゃん。レイ側からすれば顔を見られてるわけだから、口封じに殺しに来るよ、きっと。でも、俺と一緒に居ればレイが近寄ってくることは無い。俺は養ってもらえる。あんたはレイに殺されないで済む」
私の顔色をうかがいながら、子供は必死に私に説明した。
「俺はそんなに食わなくても平気だ。だからそんなに負担にはならないと思うんだ。それに、……えーと、そうだ。俺は体力には自信がある。今は無理でも、そのうち家事の手伝いしたりとか働き手になったりとか、いろいろできるようになる。そしたら借りは絶対返すよ」
(この子は殺人鬼レイの気配を感じることができる)
(それに、頭もよさそうだ)
彼女は殺人鬼を探しているようだった。彼女が追い求めているものは私と同じだ。
この子をワヌーム隊に連れて帰ろうと決めていた。確かに悪い内容ではない。それどころか、これ以上にないくらいのいい話である。
すぐに返事をしてやってもよかった。もう答えは決まっているのだから。しかし私はもう少しだけ、彼女が必死に私を説得しようとする様子を見ていたかった。必死に生きようとする様を見ていたかった。もう少しだけ。もう少し経ったら返事をしてあげようと考えていた。
しかし。
「お願いです……私を拾ってください」
彼女が地べたに額を擦り付けながら土下座を始めたので、私は慌ててそれを止めさせた。
「わかったわかった。君を連れて帰ろう。私を存分に守ってくれ。それに、金の負担のことなど考えなくても大丈夫だから。ささ、立っておくれ。一緒に帰ろう」
ふと私はあることに気が付いた。少し歩いたところで話を切り出した。
「そういえばお互い、自己紹介をしていなかったね。私はムナークというんだ。君は……『ロチル』でいいのかい?」
先ほどそう訊いた時の表情からして、少なくともこの子は『ロチル』の名に聞き覚えがあるようだった。しかし、子供は首を横に振った。
「それは俺の名前じゃあない。因みにそいつは二年前に死んでいるんだぜ」
確かに彼女は『ロチル』なる人物のことを知っていたようだ。それにしても彼女の口調はまるで普通で、ロチルの死を何とも思っていないかのようだった。
「その子とはどういう関係だったんだ?」
「別に、あんな奴とはどんな仲でもなかったさ。俺はあいつのことが大っ嫌いだったね。いや、今でも嫌いなんだから、『だった』ってえのは正しくないな」
『あんな奴』ということは、それなりに関わりのある人物だったのだろう。それにここまで嫌悪しているからには、何らかの原因があるはずだ。全く関わりがなければ嫌いにすらならないだろうから。
まあ、今はそこまで関係のない話だが。
「いけない、話がそれちゃったね。自己紹介だったっけ。えーっと、俺はウルフって言うんだ。まあ正式な名前は無いから、別に何と呼んでくれても構わないけど」
正式な名前は無い、か。
「ウルフというのは、自分でつけた名前かい?」
「ううん。いつだったか養ってくれてたおじさんが付けてくれたんだ。いい人だったし、何か格好良かったからそのまま使ってるの」
微笑みながら彼女は言った。よほどいい人だったのだろう。とても幸せそうな顔だった。ならば『ウルフ』と呼んでやるべきなのだろう。
「それはよかったな。……改めて、これからよろしくな、ウルフ」
「おうよ、おっさん」
このようにして私とウルフは出会ったのだ。
私がワヌーム隊の隊長であること、又私に付いて来れば一定の場所にとどまることはできないことを、その時はまだ話さなかった。
私がウルフを連れて向かった先は、ムハッチツサの本拠地である。私が子供を連れて帰ってきたことを知ったとき、当然ながら皆驚いて慌てふためいていた。
「このような子供……どうするのですか!」
「養護施設に預けた方が良いのでは」
等々、皆の意見は実に正しいものだった。そのうち私もそうするべきなのではないだろうかと思うようになった。しかし、ウルフの方は私に付いてくる気満々でいるのだ。
「すっげえ、おっさん、ワヌーム隊の隊長さんだったんだ! 確かに、ムナークっていう名前、どっかで聞いたことあるような気がしたんだよねえ」
しかもウルフは、ワヌーム隊の存在を知っているようだった。ウルフは当時七歳だったのだが、恐るべき子供だと思った。
「それなら余計俺等の利害は一致してるんだ! 俺とおっさんの目的は同じだもんね!」
言っていることは大層なことだが、目を輝かせながらそう言う姿から、この子は本当にまだ子供なのだと思わされた。私には子供がいないが、こんなに小さな子供を突き放すことなどできなかった。
「この子供はワヌーム隊で育てる。教育部隊の者に面倒を見てもらうつもりだ。そして、行く行くは此処の隊員として働いてもらう」
その場にいた隊員たちは皆目を見開いていた。この人は正気か。そんな心の声が聞こえてならなかった。しかし私は翌日ウルフを本部へ連れて行ったのだった。
その後、暫くは仕事を部下に任せ、当時教育部隊だったシェニと共にウルフの面倒を見る日々が続いた。教育部隊とはいえ子供の相手をするのは初めてだったので、私も一緒にすることにしたのだ。
シェニがいない時間を使い、私とウルフはそれからの予定について話した。
ウルフの要望は、一人で生活ができるようになるまでは面倒を見て欲しいとのことだった。
「そう言わず、ずっとここで生活をしたらどうだ? この隊で勤めてくれれば私としては有り難いのだが」
私はウルフをこの隊で働かせたかった。なんとしても彼女を自分のものにしておきたかった。しかし、彼女は首を横に振った。
「俺の目的はレイを探すこと。これは前にも言ったな。とりあえず俺はあの野郎を見つけたい。でもそれだけじゃないんだ。レイを見つけてからもずっと此処に留まってたら、おっさんたちにも迷惑を掛けちまう。その理由はまた話すよ。……で、俺の考えとしては、レイと接触を持つことができ、なおかつおっさんに恩返しができたら、この隊から抜けさせて貰いたい」
恩返しなどしなくても良いと言ったら、俺が良くないと言われてしまった。結局私が折れ、その方針で行くことに決まった。
それからは、この先絶対に守ってほしいことをお互い出し合った。私は特にこれといってなかったので、「お前の話が聞きたいな」と言った。
「俺の話?」
「そう。お前とレイの関係を教えてくれないか?」
ウルフは誰にも言うなよと前置きして、自分の過去を語り出した。
ウルフの故郷はチャートキタンの北東部に位置するイクローツだそうだ。イクローツには大分前から誰も住んでいないと聞いていたので初め聞いた時は驚いたが、ウルフの話を聞いているうちに納得した。
「俺は殺人鬼の子だ。人を殺すことで生きることができる鬼の娘。俺の父さんが殺人鬼で、兄貴、俺の三人家族だった。誰もいない廃れた街で、ひっそりと生活してた。俺はあの頃もっと小さかったから色々と把握し切れてねえことが多いんだけど、多分父さんは近くに住んでいる人間を、夜中に少しずつ殺してたんだと思う。昼間は家で畑作ってたから。
今から二年前、兄貴が父さんを殺したんだ。殺人鬼だった父は死に、代わりに兄貴が殺人鬼になった。おっさんには理解しがたいかもしんねえけど、そういう感じで今まで殺人鬼は生き残ってきた、らしいよ。ま、殺人鬼になってない俺にもその辺の理屈はわかんないんだけど。
でも、俺と殺人鬼レイの関係はこれでわかっただろ? 殺人鬼レイは俺の兄貴なんだ。この前おっさんが言っていた通り、俺と兄貴はお互いの気配を感じることができる。この能力……? は、レイが父さんたちを殺して暫く経ってから『あれ、何か感じるわー』みたいな、凄く曖昧なものなんだけどね。
俺がレイを探している理由は、レイが父さんを殺したところにあるんだよ。ただ単純に、親の敵討ちがしたいっていうか。そういう点でも、この隊に居ることは俺にとっていい事なんだ。仇を打つためのスキルを付けられるだろ?」
――レイを見つけてからもずっと此処に留まってたら、おっさんたちにも迷惑を掛けちまう。
幾ら相手が殺人鬼だからと言って、レイを殺すことはワヌーム隊の印象を下げることに繋がる、ということなのだろうか。
しかしすぐにそうではないと思った。何かもっと別の大きなものを目指しているのではないか。何の根拠もないが、彼女を見ていてそんな気がしたのだ。
当時七歳だった彼女に、私は一体何を期待していたというのだろう。今から思えば、もっと慎重に考えて判断をするべきだったのかもしれない。しかし私はその時こう思ったのだ。
この子の目的を果たさせてやりたい、と。
あの時は彼女が目的を果たすことを心から願っていたというのに、彼女が私の元から離れていくと決まった今ではそれを残念に思っているのだから、随分と自分勝手なものだ。
いつの間にか私はウルフを実の娘のように思っていた。彼女は我が子であると、そんな風に思うようになっていた。
「我が子を嫁に出すときの親の気持ちというのは、このようなものなのかも知れんな」
一生味わうはずのなかった感覚だ。自分には縁のない話と思っていた。
――王様のボディーガード、とかやってみたいなあ……なんて。
あの言葉は彼女の目的に関することなのだろう。
――俺の目的を果たす手助けをしてくれ。
七年前に交わした約束の一つだ。
(約束を破るわけにはいかぬからな)
それではウルフが王宮で勤められるようにするための準備を始めるとしよう。
ウルフがレイから手紙を貰っていたこと、またその手紙の内容、レイと直接言葉を交わした事――
そして、王宮で勤めると言い出した本当の目的。
それらすべてを私に打ち明けてくれたのは、彼女が王宮へ勤められることが決まり、ワヌーム隊を抜けることが正式に決まった日――五月二十九日のことだった。
翌日、彼女はワヌーム隊から去っていった。そんな彼女の背中を見送りながら私は強く思った。
私の目に狂いはなかった。
(ムナーク・ワヌームソンの場合――完)




