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狼の独争  作者: 紅崎樹
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カサル・ゾアークの場合

10 カサル・ゾアークの場合

『今日、カナ・ギダワークという娘が転校してきた。とても可愛らしくて、美人な女の子だ。私はすぐさまその娘に声をかけた。カナちゃん、私と握手をしてくれた。

 あの娘と早く仲良くなりたい。

  *

 カナちゃんに両親の職業を聞かれた。タビィっていうのは、農業が盛んなところらしい。カナちゃんも畑の手伝いとかしていたのかな。そういう話も、またしてみたいな。

  *

 カティリアが学校を休んだ。どうしたんだろう。暫く休むらしい。何かに巻き込まれたのかな。まあ、私には関係ないけど。

  *


 ……


  *

 今日、カナちゃんがシルビアと話していた。私と話しているときよりずっと楽しそうに。アンネとも。どうしてだ。あの子が転校してきて一週間経つのに。教室での雰囲気から、シルビアが浮いていることくらいわかるだろうが。

 所詮あの娘は、その程度の娘だったということなのか』


「カサル!」

 父の怒鳴り声に起こされた。反射的に、私は身体を固くした。

「……何、父さん」

 私は深呼吸をした後、父の前へ顔を出す。途端、空き缶が飛んできた。

「ビール尽きてんじゃねえか! あれだけ尽かすなっつってるのによぉ! さっさと買って来いよ、クズ」

 そんな文句ももう聞き慣れた。私はいつものところから金を持ち出し、家を出た。

 少し歩いたところに小さな店がある。其処の店主は父のことを知っているので、未成年の私にもアルコール飲料を売ってくれるのだ。

「こんばんは、おじさん」

 店に入ると、私は店主に声をかけた。私の声に店主はにこりと微笑み、「いつものでいいかい?」と訊いて来る。

「はい。有難うございます」

 私は、こうしてこの店に来るのが好きだ。家に居るよりも時間の流れが穏やかで、ずっと落ち着く。この店にずっと居たいくらいだが、早く帰らなければ家の中がすごいことになってしまう。

「カサルちゃんも大変だねえ」

「いえ。父には頑張ってもらわないと困りますから」

 こうして僅かに交わす会話も私の楽しみであった。


 父は元々、母に対して虐待をすることが多かった。そんな生活が続き母に逃げられ、私が虐待を受けるようになった。私は母に捨てられたのだ。あれから四、五年ほど経つ。

 家は貧乏だったのでお洒落な恰好などできず、そのことで私はずっといじめられてきた。小さい頃はまだよかったのだ。丁度母に逃げられた頃から、私に対する皆の目が急に変わった。小学校を卒業するまで、私はそれにずっと耐えて来た。中学に上がったら絶対に変わってやろう、と思っていた。あの父に何かを頼んだのも、それに関してだけだった。少しだけなら、と小遣いをくれるようになったのは中学に上がってからだった。中学に入ってクラスのメンバーがガラッと変わったこともあり、私はいじめられなくなった。陰でいろいろ言われていることくらい知っているが、今までの屈辱に比べれば、どうってことなかった。

 ……いつになったらこんな生活から逃げ出せるだろうか。少なくとも私が稼げるようになるまでは、あの父親に稼いでもらわなくてはならない。

(あともう少しの辛抱よ)

 今まで我慢してきたのだ。中学を卒業したら、下働きでもいいからどこか雇ってもらえるところを探そう。あと一年や二年なら、増えたところで変わりないのだから。


『アンネが学校を休んだ。これでカナちゃんが居なければ、シルビアは独りになったのに。なんでカナちゃんはシルビアなんかに話しかけるの。シルビアも、何親しげに話してんだよ。

 やっぱりあの娘を取られるのは嫌だ。あの娘と仲良くなりたい。』


 家に帰ると、いつもに増して家の中が荒れていた。いつもならまだ帰ってきていない時間なのに、父が帰ってきているようだ。

「ただいま」

 小さな声で告げ、そのまま自分の部屋に入ろうとした。しかし、廊下を歩いていると後ろから父の手が伸びて来た。

「っ……!」

 後頭部を殴られ、私は軽々と吹っ飛んだ。

「な、何!? ビールなら冷蔵庫にたくさん」

「そういうんじゃねえんだよ」

 見ると、父の顔がほのかに赤く染まっていた。息が酒臭い。既に飲んでいるようだ。

(それってつまり、私が帰ってくる暫く前から家に居たってこと?)

「今日はどうしてこんなに早いの?」

 私は殴られたところや壁にぶつけたところなどを摩りながら、恐る恐る訊ねた。

 父の口から飛び出たのは、耳を疑うような言葉だった。

「仕事、首になっちまったんだよ」

「……」

 私は驚きのあまり、暫く声が出せなくなった。

「今日はヤケ酒だあー」

 酔っぱらった父は、新しいビールの缶へと手を伸ばした。


『親父が仕事を首になった。

 まあ、これも当然の結果だ。あんな奴、今まで雇われてた方が不思議なくらいなんだ。これで赤の他人なら、「ざまあ」って笑い飛ばしてやれるのに。

 これからどうすればいいのよ。あいつのことだから、貯えがあるとも思えない。あったとしても、直ぐに尽きてしまうだろうし。

 はあ。ざけんじゃねえよ、糞ジジイ』


 父が仕事を首になって四日目。もう限界だった。

 前にも増して荒れ果てた家の中。煙草の臭い、アルコールの臭い。父の怒鳴り声。

(こんなの、私の身が持たないっつうの)

 気が付けば、私の手には包丁が握られていた。深夜一時過ぎごろのことである。

 父はあれから一向に家を出ようとしない。新しい仕事を探す気がないのだ。貯えはあることにはあるらしいのだが、あの父親が家に立てこもっていれば酒代に全て消えていきそうだ。

(そうとなれば、あの男の価値なんて、ない)

 今までは自分で稼いで生活していくということができなかったから、あんな奴と一緒に暮らしてきたのだ。私には、悔しいことに頼れる大人が父しかいなかったから。だから虐待にも耐えて、もう少しの辛抱だと毎日自分に言い聞かせて来たのに。

(利用価値がなくなった奴と、どうして我慢までして暮らしていかなくてはならない?)

 自分がやろうとしていることがとんでもないことだというのはわかっていた。しかし、自分の感情を制御するだけのものが無くなってしまっていた。あの男の価値は、金が稼げるということだけだったのに。

(どうせ私の人生なんてたかが知れているんだから。この男に、今までのお返しをしたっていいよね)

(誰も私のことになんて興味がないのだ。私が何をしようと、私の勝手でしょう?)

 父は自分の部屋にも行かず、リビングのソファーで鼾を掻きながら寝ていた。私は息をひそめ、足音を殺し、父に近づく。

 そして――。


 翌朝、リビングには血の付いたソファーが残っているだけで、父の遺体は別の場所へ移動させた。とても大変だったが、適当なシーツで包んで二階の父の部屋まで運んだのだ。ソファーに別のシーツをかけようと思っていたのだが、疲れて眠ってしまったのだ。目が覚めて、慌てて作業に取り掛かった。家を出る時間があるので少し焦ったが、昨夜のことを思えば、そこまで大変な作業ではなかった。


 ザクッ。

 学校で授業を受けている間も、昨日の夜のことが頭から離れなかった。

 父の胸に表徴を突き刺したあの感覚。返り血の生暖かさ。痛みに目覚め、目を剝きながら苦しみ悶えるあの表情。

 全てが初めてのことだったが、なんという快感だろうと思った。

(どうせあのおやじの血を引き継いでいるんだ。私の感覚もこんなものか)

 その時には、周りの目なんかどうでもよくなっていた。


『あの感覚。あの感覚をもう一度。ああ誰か……殺したい殺したい殺したい殺したい!』


 ある日の放課後、ふとこんな噂を耳にした。

 ――殺人鬼レイの被害者、またこの辺で出たんだってさ。

 誰が話していたものかは忘れてしまったが、学校を出る前に生徒たちが話していたのだ。

 殺人鬼レイ。私も話だけなら聞いたことがあった。なんでも、無差別に人を殺して原形がなくなるまで遺体を引っ掻き回すのだとか。その話を聞いた時は、なんて物騒な話だと思った。しかし今の私には、それがとても魅力的なものに感じた。


 そして私はその時こう思ったのだ。


 殺人鬼レイのような殺し方を私もしてみたい、と。


「久しぶりだねえ、カサルちゃん」

 ある日の学校帰りに、店主に声をかけられた。

「ああ、おじさん。こんにちは」

 父がいなくなってから初めて会う。急に来なくなって、不審に思っていたのだろうか。

「最近見かけないから、どうしたのかと思っていたんだよ。お父さんは元気かい?」

 ドキリ。一気に緊張し始める。鼓動がどんどん早まっていくのを感じた。

「それが、最近家に戻ってこないの。仕事で忙しいのかもしれません」

 少し心配そうなそぶりを見せながら私は言う。うまくそうできていただろうか。不審に思われないか、私はそれが心配で堪らなかった。

「それは心配だね。でも、仕事で忙しいっていうのは有難い事だからね。また帰ってきたら、宜しく言っておいておくれ」

 さり気ない笑顔を作りながら「はい」と返事をしておいた。

「ああ、そうだ、カサルちゃん」

 私が安心して帰ろうとしたとき、そう呼び止められた。

「はい?」

「最近物騒な噂が多いからね、くれぐれも気を付けるんだよ」

「物騒な、噂?」

 店主は頷くと、声を潜めてこう続けた。

「なんでも、この辺で連続殺人が起こっているらしいんだ。殺人鬼レイの仕業だっていううわさも流れているらしいがな。お父さん、帰ってきていないんだろう? 気を付けてね」

 最後に再び、念を押すようにそう言われた。

「それは恐ろしいですね……はい、十分気を付けます」

 そう返事をすると、今度こそ帰るために歩き出した。


 ――最近物騒な噂が多いからね。

 ――この辺で連続殺人が起こっているらしいんだ。殺人鬼レイの仕業だっていううわさも流れているらしいがな。

 先ほどの店主の話を思い出し、私は笑わずにはいられなかった。

「気を付けろと言われても、ねえ」

 私は父の遺体に話しかける。

「殺人鬼はこの私なのだから、私が私を殺すわけないじゃない!」

 声を殺し肩で笑う。

(私は感覚が狂っている)

 頭のどこかでそう思うが、今の私の狂気に打ち消されてしまうのだった。


『ああ、ああ。楽しくて堪らない! この感覚! この快感!

 第六区中の三年生の男子生徒。

 買い物帰りの主婦。

 酔っぱらった中年男性。

 明らかに頭のよさそうな、メガネの少年。

 余生の身近そうな老人夫婦。

 あと運悪く私の前に現れた、私を苛めていたクラスメートたち。

 皆皆殺してやった。今日までで九人! まだまだ殺るぞ。私を誰も止められ』


「カサル・ゾアーク! 殺人罪で逮捕する!」

 いきなりそんな声が家に響き渡った。驚いて、ペンを投げ出し開いていたノートを閉じた。

 慌てて玄関へ向かうと、其処には小さな男の子が立っていた。

「さあ! 大人しく俺に従うんだな」

 頭の先から足の先まで真っ黒の格好をしている。それと反対に、服の袖から覗く手や顔は真っ白。薄茶色の髪を無造作に束ねていた。

「ちょっと待って。何、何なの!? 君は何、誰!?」

 私はとにかくパニックに陥り、ただ声を上げることしかできなかった。

(どうして、ばれたんだ)

 自分が捕まるだなんて思ってもいなかった。全ては殺人鬼レイが罪を被ってくれる、だから私は大丈夫。そう思っていたのに。

「俺はワヌーム隊のもんだ。お前を捕まえに来たんだよ!」

 少年は明らかに苛立っていた。とても不機嫌だ。口調が荒い。ただ戸惑う私の手首をつかみ、手錠をかけた。

「二十時四十三分、カサル・ゾアーク逮捕っと。おら、さっさと付いて来い!」

 家の前には一台の車が止まっていた。パトカーではなく、黒い小型の乗用車だ。私よりも身長の低い少年に軽々と車へ押し込まれると、車は間もなく出発した。運転席に座っているのは、三十歳くらいだと思われる男性だった。彼は何も言わず車を運転している。

「あの家は、ワヌーム隊で押収したからな。ま、お前が犯した罪の重さからしてあの家に帰ることは二度とないだろうがな、一応情報だけは伝えておく」

 隣に犯罪者がいるというのに、全く恐れを感じない。ただ、機嫌が悪そうに貧乏ゆすりをしている。

「どうして、私がやったと分かったの」

 私は、暫くしてぼそっとそう訊いた。その頃には少年の貧乏ゆすりは止まっていた。

「俺たちを舐めんなよって話よな。レイの犯行を真似したんだろうけどさ、あいつとあんたとじゃ、体格やら力加減やら刺し方が違うんだよ。犯人を突き止めるのに時間はかかっちまったが、レイの犯行じゃねえってことくらいすぐにわかるっつうの」

 先ほどに比べればだいぶ落ち着いていたが、それでも言葉づかいは荒かった。これが彼の素なのかもしれないが。

「っていうかさあ」

 まだ続くようだ。彼は私に顔を向けた。私も、彼の方へ顔を向ける。

 目が合った。よく見ると、彼はとてもきれいな顔立ちをしていた。しかし、肌の色が白いのも手伝ってか、まるですべてが作り物のようだ。ガラス玉のようなその瞳に吸い付けられ、目が離せなくなった。鳥肌が立つ。背中がぞくぞくした。

「一般人が殺人鬼になんてなれねえんだよ、お姉さん」

 『お姉さん』。

 そう呼ばれたときに、やっと目が覚めた気がした。

(私は……どうかしていた)

 たった数日の間に、九人もの命を殺した。その事実は、今更後悔しても消えはしない。


(結局私は……)


 私の人生は、何だったのだろうか。


  (カサル・ゾアークの場合――完)

久しぶりに怖い話を書いた気がします。

カサルにどうにかいいエピソードを……と思っていたのですが、こんな形になってしまいました。

まあ、「カサルにはこんな過去があったんだよー」……みたいな回です。

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