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姫君の選択  作者: momo
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後悔しない為に


 『エグニオ侯爵家のワース様を伴侶として選びたいと思います―――』


 

 シアの言葉に一同息を飲む。

 相手はケミカルでもオルグでも、まして恋仲と噂されていたアセンデートのゼロリオ王子でもなく、候補者として多少劣りはするがそれなりに申し分ない相手とはいえ、完全に眼中にはなかった相手だ。

 流石のクロードも今回は驚き、微動だにしなかった体をシアへと向け高い位置から驚きの表情で見下ろしている。

 この中で唯一歓喜に触れ、わなわなと小刻みに身を震わせる男―――重臣の一人でありながら成り行きを見守っていただけのエグニオ侯爵が予想外の出来事に喜びの声を上げそうになったその時。

 


 「あんな男の何処がいいというのだ?」


 思いもかけない相手からの異論を受け、シアは逆に驚き目を見開いて後ろを振り返った。

 振り返った先ではケミカルが眼光鋭くシアを見据え、王前であるにも関わらず怒りの表情を浮かべている。


 「我が息子をあんな男呼ばわりとは…いくら相手がケミカル殿とて容赦は致しませぬぞ!」

 

 年の功があるとはいえ、身分的には公爵家嫡男であるケミカルの方がエグニオ侯爵よりも上だ。いつものエグニオ侯爵ならケミカルの発した言葉に異議を唱えたりする事はなかったが、我が子がシアの夫に選ばれようとしている今回ばかりは話は別。ケミカルの物言いは将来のラウンウッド国王を愚弄したと言われても大袈裟ではないのだ。

 しかしそんな現状に怯むケミカルではない。

 ケミカルはエグニオ侯爵を一瞥し、鼻であしらう。


 「権力欲しさ故に女に尻尾を振るしか脳の無い男など、いったい誰が認めるというのです。」

 「なっ…なな何とっ?!」

 「全ての面において私がエグニオ殿に負けるとはまったく思いませんが?」

 「何を言われるっ、たった今王女がエグニオを夫にすると言ったのをその耳で聞いた筈だ!」

 「あなたも聞いたでしょう。彼女が愛しているのは私だと―――」



 ちょ…ちょっと待って…


 言い争いを始めたエグニオ侯爵とケミカル、主にケミカルの口を封じるべくシアは手を伸ばし大股で歩み寄った。

 

 (人が苦労して何とかまとめあげようとしているのに何て事言い出すのよ―――っ!!!)


 人生最大の決断を迎え、意を決して決めた事をぶち壊しにされてはたまらない。

 倒れるように口を塞ぎにかかるが、ケミカルは差し出されたその手を何なく掴みとると怒りの表情のままシアの腰に手を伸ばし抱き寄せた。

 人前での行為に恥ずかしさに頬を染めるが、これ幸いに接近したケミカルの耳元で抗議の声を囁く。


 「あなた何考えてるの、人が必死で考えた計画ぶち壊しにしないでよっ!」

 「何が計画だ。お前は阿呆か?」

 「あ…阿呆?!」

 

 阿呆とは何だ、阿呆はお前だ――――っ!!!

 と、叫びかけたシアの口を封じ、ケミカルはシアを片手にクロムハウルに向き直る。


 「王の御前でありながら大変失礼を致しました。ですが私とシア様との間に多大な誤解が生じておりますようで、その誤解を解く為の時間を頂けたらと深く願っております。」


 シア片手に頭を垂れるケミカルに、クロムハウルも目をぱちくりさせながら訳も分からず頷く。

 よくは分からぬが、シアの思い人がケミカルというのは本人の口から聞かされた。セルロイズやスロート公家を庇い口から出まかせを言っているのだとしても、シアを攫ったセルロイズ本人が行方をくらましている以上は追及しようもない。

 シアは国王筆頭に多くの重臣たちが見守る中、余計な事を口走らないよう口を塞がれ、まるで罪人が連れだされる様な形でケミカルに引き摺られ広間を後にさせられる。



 広間を出ても口を塞がれたまま適当な部屋に連れ込まれ、そこでようやく拘束された口と体が解放されると、シアはケミカルから飛び退き怒りを爆発させた。


 「あなた頭おかしいんじゃない? 折角上手くまとめ上げようとしてるってのに、何であそこでエグニオ侯爵に喧嘩吹っ掛けたりするのよ!!」

 「頭がおかしいのはお前だろう? 本気でワースを夫に選ぶ気でいるってのか?!」

 「そっ…そうよ。何か文句ある?」

 「あるに決まってるだろうがっ!!」


 緑の瞳を怒りの色に染め、すごい剣幕で激怒する様にシアは思わずたじろいだ。

 

 「―――って、何で…そんなのケミカルには関係ないじゃない。」

 「関係あるに決まってるだろうが。お前がしている事はスロート公家を庇うための何物でもないんだぞ?」

 「それは今回の事を表ざたにしたくないからであって…それに、それとワース様との事は全く関係ないわよ。わたしはセルロイズに攫われる前に、彼を夫に選ぶって決めてたんだから。」


 そうだ。セルロイズに関わる事ならまだましも、ワースを夫に選ぶ事に関してはケミカルに口出しされたくない。

 ないのだが―――横目でちらりと見やると、対するケミカルは口出しする気満々で怒りに目を細めている。

 

 「じゃあお前が俺を好きってのはなんだ?」

 「それはっ―――!」


 そこを追求しないでもらいたい。


 「それは…言訳に使わせてもらっただけなんだから本気にしないで。あっ、勝手に名前使ったの怒ってる?だってあの場合セルロイズと兄弟のケミカルの名前使った方が上手く行くって思ったんだもん。怒ってるなら謝るわ。ごめんなさい。」

 「じゃあ俺を好きだってのはまったくの口からでまかせって事か?」

 「でまかせって言うかっ、恋愛感情とかじゃなくなら―――」

 

 言い淀むシアの頬にケミカルの手が伸び、触れた途端シアはびくりと慄いた。


 「なら何故そんな切ない顔をしているんだ?」

 

 慌てて言い繕うわりにその表情は今にも泣きそうで瞳は潤んでいる。

 好きなのに本心として言葉に出来ないのは自分に対する自信のなさからだ。

 シアがゼロを愛した様に、同じ思いでケミカルもミーファを愛していた筈だ。だからこそ、ゼロを捜す手助けをケミカルに申し出た。いくら振られたからと言ってその思いが消えない事も知っているし、事実かどうかは知れないが、ミーファが言うにはケミカルには新たな思い人が存在するという。

 彼を選ばない、愛さない…恋愛対象外。決めつけはシアにとって大きな枷となり存在し、同時に同じ思いで異性を愛するケミカルに対しては警戒心なく親近感を持って接する事が出来ていたのだ。

 それがやがて新たな恋心として切ない思いを抱かせよう日が来ようとは、クレリオンに指摘されてもシアには全く予想が出来ていなかった。


 戸惑い言葉を失うシアにケミカルは強い視線を向ける。


 「俺はお前が好きだぞ。」


 眉間に深い溝を刻み、怒りの表情を浮かべたまま宣言する。

 だからシアはケミカルの言う『好き』が、人に対する単なる好意なのか異性に対する感情なのか線引きしてとらえる事ができなかった。

 好きという言葉は怒りながら発する物なのだろうかと、シアの切なかった表情が微妙に歪むと、ケミカルはふいと視線を外し照れたように更に顔を顰めた。


 「よくは解らんが、馬鹿で阿呆なお前といると楽しいんだ。お前には貴族の女達にする様な気使いも必要ないし、一緒にいるととにかく楽で面白い。だから俺にしろ。ワースと違って俺はお前の事をちゃんと愛してやれる。」


 ケミカルにしても一世一代の告白だった。

 そもそも自身の思いに気付いたのはシアがセルロイズに連れ去られてからで、その思いが本物だと知ったのはたった今、シアがエグニオ侯爵家のワースを夫に選ぶと宣言した事によってだ。しかも己の心に気付いた途端そこには全く猶予がない。このまま異議を唱えなければ、己の感情を無理矢理にでもシアに押し付けなければワースがシアの夫と認められ、ケミカルにとっては取り返しのつかない事になってしまうのだ。

 自分が何故こんな馬鹿で阿呆な、ついでに高所より飛び降りる癖のあるおしとやかでも何でもないがさつな娘に惚れたのか。その理由すら追求する間もなく愛を告白しなければならないとは博打ばくちである。後で違ったでは済まされない。だが考えている余裕もないのだ。ミーファの時の様に黙って口を噤んでいては欲しい物は絶対に手に入れる事が出来ないのだから。

 今回ばかりは過去の失敗に倣い、博打でも何でも兎に角己の感情に素直に従うしかなかった。





 そんなケミカルの心を余所に、今度はシアの方から細い手が伸ばされる。


 「頭…大丈夫?」


 伸ばされた手はケミカルの額を捕え、シアはもう片方の手を自身の額に当て温もりを確かめる。

 熱は―――ないようだ。

 どうしたんだろう、何か変な物でも食べたのだろうか?


 きょろきょろと動く漆黒の瞳からシアの考えが手に取るように分かり、ケミカルは大きな溜息を付いた。



 「お前なぁ―――人が真面目に告白してるってのに何だその態度は!?」

 「告白―――って…えっ、あ?!うぇぇええぇ????!」


 ケミカルは訳の分からない奇声を上げるシアに耳が痛いと顔を顰めた。 


 「だってケミカルっ。ミーファさんどうするのよ。それにわかってる? わたしの夫になるともれなくラウンウッドの王位が付いて来るのよ。あなた国王になんてなりたくないんでしょう? それにクレリオン様の思う通りにもなりたくないんじゃなかったの?!」


 と言うか、やっぱり告白って怒りながらするものじゃないでしょう。しかも馬鹿で阿呆って告白する奴いるか?!

 いや、馬鹿で阿呆なんだからこんな貧乏くじみたいな女妻にしたら大変な事になるって思わないの?!


 と、混乱したシアは訳が分からず頭に浮かぶまま口走って行く。

 するとケミカルはシアの口を掌で塞いだ。

 

 「煩い、黙れ!」

 「むぐッ―――!」

 

 じたばたと抵抗するが後頭部を固定され身動きが取れない。

 

 「ミーファの事はけりを付けたって言っただろう。王位が何だ、お前との可笑しな生活が手に入るなら国王にだってなってやろうじゃないか。親父の思い通りになるってのは癪だがこの際我慢してやるよ。それともお前は俺じゃ不満だってのか? まさか本気で俺よりワースの方が勝ってるとでも言うんじゃないだろうな。それともアセンデートの王子に未練たらたらってか?!」

 

 ゼロに未練たらたらとか言う事は決してない。

 初めての恋に初めての失恋、画策の中での出会いだったけれど本当の恋だった。

 本当に心から愛していたし、自分の生まれを知って一緒に歩いていけたらと考えた事もあったけれど…でもそれは全て過去の事だ。今の自分の気持ちが何処に向いているかなど、シアはちゃんと分かっていた。

 分かっているけれど―――受け入れていいのだろうか?

 同情や今回の件に関して責任を感じてでの事であるならその必要はないのにと、ケミカルの本心が何処にあるのかが分からず、突然の告白にシアはついて行けてはいなかった。

 真意を掴もうと、暴れるのを止めケミカルを見つめるシアから口を塞ぐ手を離し、ケミカルも同じくシアを見下ろし見つめた。


 「やっぱり…頭大丈夫?」

 

 心配気に見つめ、本気で聞いて来るシアにさすがのケミカルも怒りを忘れて脱力する。


 「お前なぁ―――」


 落胆と共にこれまでにない程大きな溜息を落とすケミカルに、シアは慌てて付け加えた。


 「いやだってっ、可笑しな生活したいがために王位に就いてもいいとか、馬鹿で阿呆な女といると楽しいからって夫になるとかって、その感情は恋とか愛とかとは違うと思うよ。そんな早まった事したら後悔するのは目に見えてるんだから、もっとよく考えて。目を覚ましてよっ!?」


 しっかりしろ、そんな感情はまやかしだと言わんばかりのシアの肩をケミカルが強く掴む。


 「確かにお前の言う通り、もっとよく考えるべきかもしれない。」

 「そう、絶対そうだって!」

 「だが考えている時間はない。そんな悠長な事を言っていたらお前はワースを夫に迎える事になるんだ。俺は二度と同じ失敗を繰り返すつもりはない。それにお前は俺が好きなんだろう?」

 「いや…それは―――!」


 口籠るシアの両の頬を包み込むと、ケミカルはシアの額に己の額を重ねた。


 「お前の方こそよく考えてみろ。お前が好きなのは誰だ。ワースか? それともゼロリオ王子か?」

 「ゼロは違う、もう違うの。ワースさんは…彼は…彼とは利害関係が一致するの。彼は国王になりたがっていると思うし―――」

 「お前はどうなんだ。王にではなく、お前は人生の伴侶にワースを選ぶのか。お前は本当にそれで後悔しないのか?!」

 「後悔なんて―――」

 

 しないと言いかけると同時にケミカルから声が上がる。


 「するだろう! ワースを選べばお前は必ず後悔する。俺だってここでお前を手放したら後悔するんだ。俺はお前を離さない、ワースにもゼロリオ王子にも、ましてオルグにだってお前を渡すものか!」


 同時にケミカルはシアを抱きしめる。

 腕に力を込め、細い体が折れそうになる程力強く抱きしめられたシアがうめき声を上げても、ケミカルは腕の力を弛める事はなく。

 

 「お前はおれを愛している、そうだろう?」


 まるで呪文のように耳元で囁く声に、シアの瞳が揺れた。


 「ケミカル―――」


 彼の言葉を信じないわけにはいかない。冗談で済ませる事が出来ない程の言葉をケミカルはぶつけて来た。

 いったいケミカルは自分の何処を好きになったのか。馬鹿で阿呆な所って、本気でそんな所に惚れたというのだろうか。でも、言葉はともかくぶつけられた感情に偽りがある様には思えなくて。

 素直になれと、なってくれと背中を押されている様だった。


 「わたしも―――何でか分かんないけどケミカルが好き。本当に何でか分かんないの。ただ、気負わなくていいし、ケミカルと一緒にいると楽なんだ。」

 

 生まれや育ちの違いは大きい。

 それでも、一緒にいるとそれを感じずほっとできる。ここにいて遠慮なく自分をぶつける事が出来る相手はケミカルだけなのだ。

 

 シアは恐る恐るケミカルの背に手を回した。

 頼っていいのだろうか…彼に後悔させる事になるのではないかという不安が残る。でもそれは、ケミカルの事を大切に思うから湧き起こる不安なのだ。


 「後悔したって知らないからね。」

 「それはこっちの台詞だ。」


 お互い顔を見合わせると恥ずかしそうに頬を染め苦笑いし合い、ケミカルは照れ隠しするように、シアの頬にそっと口付けた。


 

 


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