□月星暦一五八五年六月⑳〈道中〉
□サクヤ
翌朝、竜護星を発つにあたって、アトラスはサクヤに竜を呼ぶように言った。
「いいの?」
「呼び方は知っているだろう?」
竜はサクヤの呼びかけに応えて現れた。
アトラスは予想通りという顔をする。
竜はいつも同じ個体が来るとは限らないが、その傾向は強い。
今回付き合ってくれたのも、フェルンの森で会った竜だった。
この竜のこともサクヤは知っていた。
もう、かなり高齢の筈だ。
レイナが初めて月星に向かった時に乗せてくれた竜。レイナが知る限り、アトラスの呼びかけに一番多く応えていた個体である。
竜の生態はよく解っていない。
寿命も繁殖方法も、どういう元理で呼びかけに応えるのかも、知られていない。
レイナはアウルムの要請に竜と竜に乗ることの出来る人材を貸出したとなっているが、実際は竜が呼ばれていない時にどこに居たのかは誰も知らない。
竜は人の所有物にはならない。だから名前をつけないのが暗黙の了解なのである。
「じゃ、次の段階。主導権は任せた」
「えぇっ!?いいの?」
「判断するのは竜だ。人は乗せて貰ってるだけだからな」
※※※
アトラスは月星に直接行こうとはせす、サクヤに彼方此方寄らせた。
無理をすれば一晩で翔け抜けることも出来るが、アトラスは五日程度の旅程を組んだ。
海鮮の美味しい港街。
夕日が映える入江。
珊瑚礁の美しい砂浜。
柱状に切り立った岩肌と壮大な渓流。
塩でできた湖。
朝霧が作り出す雲海。
轟音とともに水しぶきを上げて海に直接落ちる大滝。
その全てを、サクヤは『知って』いた。
アトラスはサクヤの反応を見ているのだろう。
レイナとの思い出の場所ばかり寄って、アトラスはどんな気持ちでいるのだろうか。
アトラスが時折見せる、何がを堪えるような眼差しが痛かった。
サクヤが気が付かないふりではしゃいで見せる様を、アトラスはどう思っているのだろうか。
『また、あんな旅がしたいわね』
ふと、脳裏に過ぎるレイナの言葉。
いつのものだろう。サクヤには判断がつかない。
「どうした?」
黙り込んだサクヤを気遣う声。
「ちょっと、疲れたかな」
「じゃあ、この辺で宿を取っていこう」
アトラスが向かった宿もサクヤは知っていた。
外壁は塗り替えられ、中もきれいに修復されており、主人も違うが、泊まったことのある宿。
各部屋に風呂はないがシャワーが取り付けられているのが良かった記憶がある。
受付では旅券を検められ、記入をする。
アトラスを認識した従業員が「毎度ご贔屓にありがとうございます」と言った。
館内の歩き方からも、よく訪れているのがうかがえる。
アトラスは寝室が二つある、大きな部屋を取ってくれた。
居間の脇に洗面所。風呂桶も付いている。
寝室は居間を挟む形に配置され、隣接はしていない。
「何かあってら呼んでくれ」
言い残して、アトラスは早々に寝室のひとつに引っ込んでしまった。
気を遣ってくれたのかも知れない。
先にお湯を使わせてもらって、サクヤも寝室に入った。
寝台に横になると、動くのが億劫になった。かといって、寝られるわけでもない。
頭だけが冴えてしまっていた。
一度、夕食をどうするかと扉の向こうから声をかけられたが、サクヤは無視した。
部屋を出ていく扉の音を聞きながら、込み上げる苦い気持ちに名前をつけるのは難しかった。
※※※
気がつくと、すでに刻は夜半だった。
いつの間にか寝ていたらしい。夢は見た気がするが覚えてはいない。
居間に出ていくと、卓の上には軽食が置かれていた。
冷えても美味しいスープと焼いたチキンと野菜がはさまれたパン。名物の様々なフルーツの入ったお茶のポット。
そんな細やかな気遣いが、いちいち心憎くてアトラスらしい。
受け入れてくれないくせに、認めてくれないくせに、こうやって見せる優しさが今のサクヤには辛い。
まだ、会ってたった一週間余り。
だが、もうこの気持ちの在り処をサクヤは自覚していた。
レイナの記憶の所為ではない。
サクヤ自身がすでにアトラスという男に惹かれていた。
レイナが羨ましい。
彼女が望んだ通りに、アトラスの心に深く傷跡になって刻み込まれているレイナが妬ましい。
サクヤはありがたく軽食に手を付けた。
カラカラの喉にお茶は沁みる。頬張ったパンはカサカサの唇にひっかかり、だんだん湿ってきて塩味が強くなった気がした。
お読みいただきありがとうございます




