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タビスー女神の刻印を持つ者ー  作者: オオオカ エピ
十二章 鴉の思惑
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■月星暦一五八五年六月⑪〈提案〉

「もう、お発ちになったのかと思いました」

「そうしても良かったんだがな」


 サクヤに促されて執務室に入って来たアトラスはシモンの前で足を止める。


 シモンの隣でサクヤがぐいっとアトラスを見ていた。

 見れば見るほど、その眼差しに既視感を覚える。


「シモン、サクヤ、提案があるのだが……」


 アトラスは表情を改めて、二人の顔を見つめて口を開く。


「サクヤ、君は自分を雇えと言った。俺はまだ君のことを判断できないし、とりあえずひと月、お試し期間ということで雇われてみないか」


 サクヤが口を開く前に、シモンが遮った。


「アトラス様、それはありがたいお申し出ですがサクヤには予定がありまして……」

「兄さん!?」


 シモンは困った風に妹に向き直った。


「サクヤ、ひと月後には遠方に買い付けに行ってるコルボーさんが戻ってくる。その時に、返事をする約束なんだよ」

「聞いてないわっ!」


 拳を握り締めるサクヤ。


「わたしは、コルボーさんには嫁ぎたくないって、散々言っているでしょう?」

「もう、私には選択肢が無いんだよ」


 何度となく、兄妹の間で交わされてきただろう会話。

 恩師の要望と妹の希望の板挟みに揺れるシモンが疲れたようにうなだれる。


「そんな事情ですから、サクヤを同行させるわけには……」

「その件について、少し、調べねばならないことが出来たようでね」

「どういうことです?」

「こうまでも領主が逼迫しているのに、王宮が把握してないのが解せない。何かからくりがあるようにしか思えん」


 目端の効くマイヤが気が付かなかったという事態が異常な気がしてならなかった。

 思い至らなかったのだろう、シモンは絶句する。


「うまく行けば、何とかしてやれるかも知れん」


 確約は出来ないがと断って、アトラスはサクヤを見た。


「それもあって、俺に会いに来たんだろう?」

 サクヤの目が見開かれる。


「来るか?」

「行きます」

 即答。

 シモンが唖然とする。

「サクヤ……」

「希みがあるなら、わたしは何でもする。兄さんはコルボーさんが急かしても、わたしが帰るまで返事を保留してちょうだい」

 有無を言わせない口調。

 アトラスも笑って援護する。


「そういう訳なので、シモン。サクヤの旅券を頼む」


 国内の各街に入る時には、街門で旅券を提示するという制度がこの半世紀の間に出来上がっていた。

 旅券を発行するのは、各領主の仕事である。

 シモンは諦めたように頷いた。


「……国内用でいいですね」

「いや、対外用の方をだな」

「そちらは国の、陛下の印が必要なので何ヶ月もかかりますが……」

「それは直接押させるから問題無い。が、何事にも特例というやつはあるもんだ」

 アトラスはシモンの書いた旅券に、一筆追加した。


『右の者は我、アトラス・ウル・ボレアデスの連れである。

 その身元は我が保証するもの也』

 アトラスは署名を記し、ニ種類の印を押した。

 即ち、月星の『タビス』印、とアトラス個人の印。

「これで、月星にだけには行ける」


 領主印の下に並んだ二つの御印を見て、文字通りシモンは目を丸くする。

「圧巻ですね。めまいがしそうです」

「大盤振る舞いね」

 サクヤも驚きを隠せない。

「特例処置というのは、総じて仰々しいものさね」

「でも、なぜ月星に?」

「たまには『タビス』らしく、女神の信託でも聞いてみようかと思ってな」

 本気とも冗談ともとれる口調でアトラスは嘯いた。


   ※※※


 その後、シモンと問題点を煮詰めるるため、摺り合わせをした。


 シモンがコルボーと取り交わした書類も割り印を使って写しを取る。

 今は余計な推論は挟まない。

 シモンのコルボーへの傾倒ぶりを見ると、主張を証明する書類を揃えて提示しないと、この男が納得はしないだろうことは想像できたからだ。


「……足りない分、税を上げることは考えなかったのか?」

「飢饉でも無いのに私の事で、フェルンの民に苦労を強いることは出来ません」


 見栄でなく、本気でそう思っている瞳。


「……こんな領主がまだ残っていたんだな」


 民に苦税を強いて懐を肥やしてる、どこにでもいる長に聞かせてやりたい台詞である。


 知識も経験足りない。

 人を疑うことも知らない。

 だが、領民に慕われているのは朝のやりとりで見て取れた。


 最後に、アトラスはシモンに一つ質問をした。

「あんたにとってコルボーという男はどんな人物だ?」

「さすが、仕事であちこちに行っているだけあって、博識な方です。父の死後、色々と助けていただいて、感謝していますよ」


 アトラスは「そうか」とだけ言い、敢えて意見は述べなかった。

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