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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十四歳篇 学院での日々

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111 ダンスの時間(後)

「では、お相手をお願いできますか?姫君」


「!――…はい。喜んで」


 驚きすぎて、すぐには声が出なかった。

 菫の花の妖精のような令嬢を、午前の三、四時間目を使った模擬舞踏会のファーストダンスに誘ったのは、正真正銘の皇子殿下。アルユシッドだ。


 手袋に包まれたちいさな右手が、ちょうど良い位置に差し出された、かれの左手に委ねられる。


 両隣にいたロゼルとレイン、あのあと合流したグランが後ろに遠ざかった。

 ――正確には、エウルナリアが皇子にエスコートされてホールの中央に向けて(あゆ)んでいるのだが。


 既に、中央ではシュナーゼン皇子とゼノサーラ皇女がファーストダンスを踊り始めている。

 四学年の音楽科有志による軽やかな楽の音は、初心者でも踊りやすい、ゆるやかな三拍子(ワルツ)

 向かい合い、昨夜習ったとおりの作法で礼を交わすと、互いに近づいて自然なホールドを組んだ。滑るように踊り出す。


 くるくる、くるりとターンをしつつ、エウルナリアはなるべく緊張しないように努めた。

 途中、双子のペアとすれ違った際はゼノサーラが片目を瞑って「やるじゃないの」と囁きを残していったが、残念ながら令嬢に答えられるほどの余裕はない。シュナーゼンに至っては仏頂面だった。


 頭上、すぐ近くからクスッと笑う声が聞こえる。


「すごいね、エルゥ。昨日はじめてダンスを習ったとは思えない」


 エウルナリアは思わず、優美な眉を下げた。困り顔でも、なんとか足は踏み間違えない。


「…先生が、よかったからです……でもまさか、本当に誘われるとは思いませんでした。ユシ……殿下は、けっこう、意地悪なんですね?」


 あえて、殿下と言い直した。

 ステップに集中しているので、口調がとつとつしたものになる。だが目線を足元に向けると間髪入れず、「上を向いて」と言われた。


 少女は慌てて指示に従う。


 素直に引きすぎていた顎を上げると、目の前に年長者の余裕で泰然とすら見える、アルユシッドの秀麗な顔があった。

 その暗紅色の双眸がやさしく細められたかと思うと、耳元にそっと近づく。


 ぴたり、と触れる寸前で止まった。


「そうだね、意地悪かもしれない……でも、“殿下”は無しね」


 黒髪が結い上げられて、(あらわ)になった白い(うなじ)に直接、吐息がかかる。

 

「!!~~っ………!」


 おかげで、ステップを派手に間違えた。あわや転びそうになる。

 が―――大きな手に腰を支えられ、ふわぁ………っと身体が浮き上がった。

 とたんに、ホールの外周を埋める生徒達から上がる「わぁっ!!」という歓声。


 ――リフトだ。

 知識としては昨日教わったが、まさか今日、実地で学ぶとは思わなかった。


 一瞬、とても高くなった視界と浮遊感に令嬢は反射で顔を綻ばせる。驚きで、青い瞳が楽しげに輝く。珊瑚色の唇がわずかに開かれ、笑みの形を彩った。


 空中と地上で、青と柘榴石(ガーネット)の視線が束の間、絡んで微笑みあう。その一対のうつくしさは、見るものの心に絵画のように残った。


 ―――やがて、淡い菫色のドレスの裾が、妖精の姫君の衣装のような軽やかさで空気をはらみ、ふわりと地上に降ろされる。そのまま右手だけを頭上にとられ、くるりと一回転(ターン)させられた。


 そこで、ちょうど曲も終わった。



 ワアァァ……と、沸き起こる歓声。

 ホール中に満ちる拍手。

 やや遠い場所で礼を返す双子組を見習い、エウルナリアも弾む息を整えながら、辛うじて優雅な礼をとる。

 その様子に微笑み、アルユシッドもまた彼女の手をとり一礼した。




   *   *   *




 有志による楽団の演奏が再開した。それを合図に周囲の生徒達が少しずつ、賑わいとともにホールの中央へ進み、踊り始める。


 アルユシッド皇子は、エウルナリアをきちんとロゼルやレイン達が待つ場所までエスコートしてくれた。

 が、待ち構えていた面々の表情は渋い。

 皇子は構わず、にこりと微笑んだ。


「どうも。彼女を返しに来たよ」


「……それは有り難う。殿下」


 傲然と礼を言い放ち、見返すのは男装のロゼル。

 エウルナリアの手は、レインが受け取った。

 グランは皇子と黒髪の令嬢の間に、すっと入る。視界が塞がれ、エウルナリアから白銀の皇子は見えなくなった。


「すごい連携だね。ひょっとして、敵視されてる?」


恋敵(ライバル)と言っても宜しいのなら、そうでしょうね。かれらにとっては、ですが」


 第二皇子を前にして一歩も退かぬキーラ家の第三息女に、アルユシッドは笑みを深めた。「そう」と呟き、あえてロゼルの左手をとる――令嬢への、それのように。


 唇は落とさない。ただ会釈するのに合わせ、額の前まで恭しく捧げ持ち、すぐに高さを戻す。

 ぴたり、と視線を合わせた。


「では私もかれらと同列に扱ってください、ロゼル嬢。私もかれらと同様、彼女――エルゥに求婚する身の上ですから」


 柔和な笑顔を湛える美貌の皇子に、ロゼルはキッと眼差しをきつくし、素早く手を振り払う。


「…いいだろう。今後、貴方は私の大切な親友を掠めとるかもしれない男と認める。さっさと行って。邪魔」


 (うわぁ……ロゼル…嬉しいけど、困る……)


 レインの腕の中で溢されたエウルナリアの心の呟きは、もちろん誰の耳にも届かない。


 しかし、アルユシッドは特に怒ることはなかった。「流石だね。じゃあ、また」と、微笑みすら残して楽団のほうへ去って行く。


 ほっと息をつくエウルナリア。

 未だピリピリとする面々。


 (どうして、こうなっちゃったの……!)



 エウルナリアは目を瞑り、こてん、とレインの肩に頭を預ける。すかさず黒髪に添えられる、慣れた感触の大きな手。



 ――レインの放つ気配だけは、すこし和らいだ。


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