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第85話 何事もなかった

 俺の祈りが通じたのかは分からないが、幸いそれからは何事も起こらず、船は聖教国の港へと辿り着いていた。


 船長からは改めてお礼を言われて、俺たちは船を降りた。

 もちろん俺は正体を隠すため、フードを深く被っている。

 実は予備を持ってきていたのだ。


「ここはメルト教の中心地だからな。くれぐれも正体がバレないように気を付けてくれ」

「……」


 聖騎士少女から釘を刺されて、俺はフードの奥で頷く。


 聖メルト教の総本山である聖教国は、各国に強い影響力を持ってはいるものの、国自体はあまり大きくないらしい。

 そのためこの港から首都のメルトという都市まで、徒歩でも数日で行くことができるそうだ。


 また、各地から大勢の信徒たちが巡礼のために訪れるという。

 この客船に乗っていた客も、その大半が巡礼者だったようだ。


「教皇猊下にはすでに貴様を連れていくことを伝えてある。恐らく準備は整っているはずだ」

「準備?」

「もちろん貴様を浄化するためのだ」

「おおっ!」


 これは期待が持てるぞ。

 ……持てるのかな?


「何だ、その不信の目は?」

「今まで幾度となく期待を裏切られてきたからな……」

「貴様一人を浄化するために我が国が総力を挙げるのだ。今度こそ上手くいくだろう。……多分」


 そんなやり取りをしていると、向こうから数人の騎士たちが近づいてきた。

 その中の一人、屈強そうな大男が声をかけてくる。


「リミュル、久しいな」

「デルエル殿」


 聖騎士少女の知り合いらしい。


「この方はアルベール聖騎士団の副団長だ。私も幼い頃から世話になっている」

「……へえ」


 その副団長のおっさんが、どこか恐れを孕んだ目でチラリと俺を見てくる。


「その者が件の……」


 他の騎士たちも強張った様子だ。


 いやいや、怖くないですよー、人畜無害のアンデッドですよー、とアピールするべく、俺はフードの中で少し笑みを浮かべてみた。


「「「っ……」」」


 すると騎士たちが一斉に身構えた。


「おい、貴様。ちゃんと指摘しただろう? 貴様の笑顔は不気味だから控えるようにしろとな」

「うっ……」


 聖騎士少女が容赦なく咎めてくる。

 そんなにキツく言わなくても……肉体は不死身でも、メンタルは最弱なのだ。


「……こ、怖くないのか?」


 副団長のおっさんが引き攣った顔でリミュルに問う。


「危険なアンデッドであれば、大人しく船に乗ってここまで来たりはしませんよ」

「むう……言われてみればそうか」

「見ての通り拘束も必要ありません。もちろん、拘束したところで何の意味もないというのもありますが」


 副団長のおっさんが配下の騎士たちへと命じた。


「とはいえ、油断は禁物だ。大災厄級の力を持っていることは間違いない。あの団長すら浄化に失敗したというほどだからな。細心の注意を払って護送するぞ」

「「「はっ!」」」

「無論、余計な刺激は厳禁だ」


 余計な刺激も何も、すでに彼ら聖騎士たちには幾度となく容赦のない攻撃をされてきたんだけどな。

 それをすべて笑って許してきた俺って、実はめちゃくちゃ温厚なのでは……?


「それから二体の災厄級ドラゴンにも気を付けろ」


 それは俺も気を付けたいところだった。

 奴らを撒いた後、海を渡って随分と遠いところまで来ているので、さすがにここまで来ることはないと思いたい。



    ◇ ◇ ◇



「ああ、ここが聖教国か……」


 神聖な空気がこの港にも満ちているようで、船を降りた私は思わず感嘆の声を漏らす。


 メルト教の総本山があるメルト・ラム聖教国。

 私、ジェームスが船で海を渡り、この国にやって来た理由は外でもない。

 メルト教の神門に帰依するためだ。



 元々は都市ダーリで商会を経営していた私の運命を変えたのは、あの恐ろしい白髪のアンデッド、ノーライフキングに遭遇してしまったことだった。


 一度はロマーナの王都に逃げ込んだが、奴はそこまで私を追ってきた。

 幸い英雄王が追い払ってくれたが、その後も私はノーライフキングに怯え続けた。


 そんな中、必死に捧げた神への祈りが、私の目を覚まさせてくれたのである。


 信仰心が強まり、どうすればもっと神を知ることができるのかと考えた私が、聖教国に行こうと決意するまでそう時間はかからなかった。

 商会のことはすべて息子に任せたし、妻も私の気持ちを後押ししてくれた。


 しかし旅の途中、乗っていた船が海賊船に襲われるという最大の危機に遭遇してしまった。

 一時は完全に占拠されてしまい、あのときは目の前が真っ暗になった。


 それが一体どうなって無事に船旅を再開できるようになったのか、一乗客でしかなかった私には分かりかねる。

 だが神の奇跡以外に考えられないだろう。


 やはり私が選んだこの道は間違っていない。

 神に祝福されているのだ。


 そしてついに、こうして念願の地に降り立つことができたのである。

 つい目に涙を浮かべてしまったのも、無理なからぬことだ。


「む? あれは……聖騎士だろうか?」


 ふと、そこで私は気が付く。

 前方から何やら厳めしくも神聖な雰囲気を持つ手段が近づいてきたのだ。


 彼らの目的はどうやらフードを被った怪しげな男のようだった。

 確か、私と同じ船に乗っていたはずだが……。


 そのまま聖騎士たちはフードの男の周囲を固め、これから私も向かおうとしている首都メルトに向かって歩き出す。


「ふーむ……もしかしてあのフードの御仁、メルト教の重要人物なのかもしれんな」


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