第102話 襲撃された
「獣王陛下、先遣隊のグリベア将軍から、すでに港の大部分を占拠したとの報告がございました。この本体到着前には、露払いが完了していることでしょう」
「はっ、当然だな。所詮は小さな国だ。あいつらだけでも十分だろうぜ」
海上を悠然と進んでいく船の甲板に立ち、彼女は鼻を鳴らした。
前方にはすでに人間の大陸が見えてきており、もう一時間もしないうちに辿り着くことだろう。
「くくくっ、人間どもめ、せいぜい恐れ慄くがいいぜ。オレたち獣人の力になァ」
白銀の髪を海風に靡かせながら、好戦的な笑みを浮かべる彼女の名は、メリアデル。
長きにわたって続いてきた人間と獣人の相互不可侵の関係を破り、宣戦布告をした張本人、獣王その人である。
見た目は二十歳かそこらの美女だ。
筋肉質ではあるものの、スマートなその身体つきを見れば、誰も彼女を戦闘狂などとは思わないだろう。
しかし彼女こそ、紛れもない獣人最強の戦士なのである。
獣人内でも武闘派ぞろいの虎獣人の一族に生まれた彼女は、たった十五歳で同族最強の座に就くと、そこからその力を武器に他族すら巻き込んで巨大な集団を作り上げていった。
そして数年前には、歴代最強クラスの力を持つと謳われた先代獣王を単身で討ち、新たな獣王として君臨する。
そうして大陸の覇者となった彼女だが、それだけでは満足しなかった。
人間が住む大陸が欲しくなったのである。
かつて先祖の獣人たちは、人間たちが住む豊かな大陸を欲して幾度となく海を越えての侵略を試みたが、そのすべてが失敗に終わってしまった。
しかも度重なる出兵で疲弊した彼らは、逆に人間に領土を脅かされることになってしまったという。
そこで先祖たちは人間の国々に謝罪し、互いの領土を侵略してはならないという条約を結んだのだ。
以来、歴代の獣王たちはそれを守り続けてきたのだが――
「人間なんざ取るに足らねぇ雑魚ばかりだ。何を怖れることがある? かつて侵略に失敗したのは、両大陸を分断するこの海のせいだ。船の技術が未発達だった当時、海を渡って人間の大陸に攻め込むだけで精いっぱいだった」
獣王は獰猛に笑う。
「だが今は違う。少々の荒波じゃ壊れねぇ頑強な船が作れるようになった。お陰で乗せられる兵も食糧も増えた。今こそ、祖先の夢を叶えるときだぜ。肥沃な大地で悠々と暮らす人間どもを支配し、そこにオレたち獣人の楽園を築き上げてやるんだ」
と、そのとき。
不意に周囲が騒がしくなった。
何事かと眉をひそめた彼女は、空から近づいてくる凄まじい気配を察して思わず顔を跳ね上げる。
「なんだ、アイツらは……?」
空を舞う二つの巨大な流線型の影。
それが徐々に大きくなってくるにつれて、船の獣人たちが野生の直感か、次々と身体を震わせ始めた。
獣王も毛が逆立つような悪寒を覚えて、空を睨みつけながら身構える。
「ちっ、冗談じゃねぇぞ……何でこんなヤベェのが連れだってやがんだよ」
異大陸への侵攻という、獣人たちの命運をかけた重大な戦いが待っているときだ。
できれば何事もなく通り過ぎて欲しい。
だがそんな懇願も虚しく、やがてその正体がはっきりと見える位置まで接近してきた。
それは二体のドラゴンだった。
しかも明らかに並のドラゴンではない。
いずれも全長四十メートルはあるかという巨体。
翼を羽ばたかせるだけで巻き起こる暴風が海面へと叩きつけられ、それが大波を作り出して船が激しく揺れる。
さらにその身から放たれる凄まじい魔力を浴びて、獣人たちが次々と嘔吐していく。
それにしても不可解なのが、一体は黄金の鱗を、もう一体は漆黒の鱗を持っており、明らかに別種のドラゴンであるということだ。
通常、種族が異なるドラゴンが群れることはない。
ましてや、これだけの力を持つドラゴンたちである。
仲良く並んで空を飛んでいるなど、あり得ないことだった。
『こやつじゃな』
『ん。悪くない』
その二体のドラゴンは、なぜか真っ直ぐ獣王のところまで降りてくると、まるで値踏みするような目で彼女を見てきた。
「……何なんだ、てめぇらは?」
二体の意図など知らない獣王は、全身の毛を逆立たせながら問う。
次の瞬間、黄金のドラゴンの方が口を開けたかと思うと、そこから凄まじい雷光のブレスを吐き出してきた。
「っ!?」
咄嗟に甲板を蹴って空へと飛び上がる獣王。
ブレスは船に直撃し、轟音が響き渡った。
分厚い金属板で補強された船は非常に強固だが、それでもブレスの一撃で装甲が簡単に溶解してしまう。
乗っていた獣人たちの多くが感電してひっくり返る中、隣接していた別の船へと着地した獣王は、思い切り牙を剥き出して咆えた。
「いきなり何しやがる、クソドラゴンども……っ!? オレたちに喧嘩を売って、ただで済むと思うんじゃねぇぞ……っ! ぶっ殺してやらァ……っ!」
そして仲間たちへ獰猛に呼びかける。
「行くぜ、てめぇら……っ! 人間どもの前にまずはこいつらからだ……っ! 相手がドラゴンだからってビビんじゃねぇぞ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおっ!」」」
こうして海上で二体のドラゴンと獣人たちの戦闘が始まったのだった。





