第九話 あの女は消えた
あの女は、
突然いなくなった。
連絡が途絶えたわけじゃない。
ブロックされたわけでもない。
ただ、近くに
いなかった。
メッセージは既読にならず、
電話も鳴らない。
共通の場所にも、
もう姿を見せなかった。
不思議と、探そうとは思わなかった。
昔の俺なら、
理由を考え、
自分の何が悪かったのかを
掘り返しただろう。
今は、空白のままにしておけた。
しばらくして、
風の噂で聞いた。
「結婚したらしいよ」
「相手?なんか、どこかの国の王子とか言ってた」
笑い話みたいな言い方だった。
真偽は、
どうでもよかった。
彼女なら、そういう場所に行く。
そう思えた。
怒りは、
湧かなかった。
悔しさも、
ほとんどない。
悲しみすら、
曖昧だった。
ただ、
納得があった。
彼女は、欲しがる女だった。
より高く、
より派手に、
より価値がありそうな場所へ行く。
俺は、そこに含まれていなかった。
それだけの話だ。
世界は、公平じゃない。
努力が報われるとも限らない。
欲しいものが、
欲しい人のところに行くわけでもない。
それを、
初めて静かに受け入れた。
紅いランボルギーニ・カウンタックを
欲しがる女は、
俺の人生から消えた。
だが、俺を否定した言葉は残っている。
「あなたには無理でしょ」
その言葉は、
もう俺を追い立てない。
ただ、事実の一部として
そこにある。
机の上には、
紅いカウンタックのプラモデル。
千分の一の夢。
あの女が消えても、
それは残った。
それで、
十分だった。
俺は、世界の不公平さを
呪わない。
理解しただけだ。
誰かは王子と結婚し、
誰かはプラモデルを作る。
その差を、
埋めようとしない。
それが、俺の選択だった。




